CGSというユーチューブ動画の中で、日本の歴史に関する動画を見つけました。
私たちが、学んだこと、現在の日本の常識的なもの、テレビ、新聞、教育(歴史教育)で言われていることとは、違ったものですが、私たち日本人が、知っておくべきことだと思います。
斎藤武夫さんという方が講師をされ、参政党の神谷宗幣党首が進行役のような感じです。
中学生向けの授業ですので、分かり易いと思います。
以下、内容です。
今回は、不平等条約の改正の話。
イギリス、フランス、ロシア、オランダ、アメリカ(白人列強=独立国)
日本(半独立国):差別される
アジア・アフリカなど有色人種地域(植民地):支配される
日本の目標は、独立国を目指すこと
そのため幕末以降、短期間のうちに近代的な国造りをしてきた。
Q.日本が「半独立国」状態であることを象徴している条約は何ですか?
A.安政の五か国条約(日●修好通商条約)=不平等条約
イギリス、フランス、ロシア、オランダ、アメリカ その後、たくさん。
・日本に関税自主権がない。
・外国に領事裁判権(治外法権)がある。
明治19年 ノルマントン号事件
・1886年、ノルマントン号というイギリスの船が沈没
・横浜から神戸へ向かう途中、和歌山県沖。
・救命ボートで助かったのは、イギリス人だけ。
・日本人乗客23人は全員おぼれ死んだ。
Q.船長ドレイクは、裁判にかけられました。判決を予想してください。
a.無期懲役
b.懲役10年
c.無罪
答えは、c.無罪
ドレイク船長は、日本の裁判所ではなくイギリス領事によって裁かれたから。 (治外法権)
当時、同じような事件が他にも起こっていた。
この頃は、新聞が普及していた。
多くの国民が、日本は独立国ではないことを理解した。
「西洋列強と対等な独立国になる」という国家目標が多くの国民に共有され、国民の愛国心が盛り上がるきっかけとなった。
井上馨の欧化政策
・鹿鳴館…西洋人のように行動して、パーティで仲良くなれば、条約改正できるだろう…
・提案:日本の法律を外国に見せて承認を受けるようにする。日本の裁判官の半分以上を西洋人にし、英語で裁判する。
提案は実現せず、井上の後を引き継いだのが、陸奥宗光です。
明治27年(1894年7月16日) 日英通商航海条約
イギリスが、領事裁判権を廃止 → 各国もならった。
しかし、関税自主権がないという不平等は残り、西洋列強は、その利益を手放そうとしなかった。
Q.イギリスが改正に応じたのは、なぜでしょうか?
A.
明治27年(1894年7月16日)不平等条約一部改正(領事裁判権撤廃)
明治27年(1894年8月1日)日清戦争開戦
イギリスは日清戦争が始まるのを見越して、清にあるイギリス資産や権益を守り、在清イギリス人の保護を日本に求めた。
日本の軍事力を認めるようになり、日英関係を一部対等に近づけた。
他の条約締結国もこれにならった。
ここで、また、ビスマルクの言葉
「欧米列強は、弱肉強食の世界。都合にいいときは、国際法や条約を持ち出すが、最後は、軍事力(戦争)の強さが国の運命を決める。」
以上です。
戦後、多くの日本人は、世界に、平和主義的な思想が広まり、多くの国や国際的な大企業・大企業グループ等は、その平和主義的な思想に基づいて、行動していると考えているのではないかと思います。
この考え方は、日本にとって危険ですし、間違っていると私は思っています。
歴史の動画等を基に、このことについて、情報提供をしていきたいと考えています。
いつまで、続くかは分かりませんが…
14分くらいの動画です。
よろしければ、ご覧になってください。
お酒を飲みながらでも、食事をしながらでも、良いかもしれません。
軍事力の強さが国の運命を決める!【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第55回】
メジロのような気もしますが、色が違うので、分かりません。
逃げずに、カメラの収まってくれました。
ありがとうね。
このブログを見てくださった皆さんに、
神さま仏さまのご加護がありますように。
63歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。