継続の法則 自助努力のススメ 公認会計士 内藤勝浩のブログ

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日清戦争と下関条約 歴史さいこう 六

2025-03-05 06:03:09 | 歴史さいこう



 CGSというユーチューブ動画の中で、日本の歴史に関する動画を見つけました。
 私たちが、学んだこと、現在の日本の常識的なもの、テレビ、新聞、教育(歴史教育)で言われていることとは、違ったものですが、私たち日本人が、知っておくべきことだと思います。
 斎藤武夫さんという方が講師をされ、参政党の神谷宗幣党首が進行役のような感じです。
 中学生向けの授業ですので、分かり易いと思います。
 以下、内容です。
 今回から、日清戦争、日露戦争の解説です。
 戦争を経て、初めて、日本は、不平等条約を解消できるという流れです。
 「主権線と利益線」(明治23年(1890年)、山形有朋の演説)
 国の独立と安全を守るための2つの道。
 主権線(国境)を守ること
 利益線(日本を守るための要地)を守ること
 日本の利益線は朝鮮。
 政府が目指した2つの政策
 ・朝鮮の文明開化(近代化)
 ・協力してロシアの南下から両国の安全を守る
 当時に朝鮮(李王朝)は、清の属国だったので、日本の要請に耳を貸さなかった。
 朝鮮王(李王朝)←皇帝(清王朝)
 王というは、皇帝の家来。
 (日本は、王ではなく、天皇。皇帝の家来ではない。)
 日清戦争開戦(明治27年・1894年)
 日本:朝鮮を独立させたい。近代化させたい。
 清:朝鮮を属国のままにしておきたい。
 7月下旬から始まった戦争は、10月でほぼ終了。終戦は3月。
 大国清に、海軍力が、やっと追いついたばかりの日本が勝てた(圧倒的な勝利)。
 勝利の要因分析
 日本と清の国づくりの違い
 日本は天皇中心の国民国家
 清は、皇帝の専制国家
 下関講和会議(明治28年・1895年、4月)
 下関条約
 ・朝鮮は清から独立する
 ・台湾と遼東半島を日本の領土とする
 ・賠償金(日本の国家予算の4年分)
 ところが、
 まったく関係のないロシア、フランス、ドイツが、
「遼東半島は清に返せ」と言ってくる。
 三国干渉 (明治28年・1895年、4月23日)
 政府は冷静に、「今、ロシアと戦えば国が亡びる」ということで、
遼東半島を清に返した。
 日本に負けた清の弱さが浮き彫りになり、西洋列強は、清に進出。
 ロシアは、遼東半島を清から奪い取った。
 ロシアは、満州全域に軍隊を駐留させ、遼東半島の先の旅順港は、ロシア海軍の軍港となりました。
 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という言葉が流行った。
 以上です。

 14分程の長さです。
 よろしければ、見てください。

日清戦争と下関条約【CGS 斎藤武夫 歴史の授業 第57回】


 西洋列強は、東アジアを植民地とすることを進めていったということのようです。
 今は、どうでしょうか。
 他国を支配しようという国、勢力が、いまだに、同じようなことをやっているかもしれません。


 春の予感。
 ありがとうね。

 このブログを見てくれた皆さんに、神さま仏さまのご加護がありますように。
 63歳のオッサン公認会計士でした。
 では、また。



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