フットボールバトンなるものが送られ来たので、それについて眠りながら考えに耽ってみたんです。で、それについて回答する前に、自己中心的なサッカー談義を徒然なるままにエントリしようと・・・考えちゃいました。
そもそも、最も昔に見たサッカーの試合で印象に残っているのは何でしょうか(・・・ちなみに僕は昭和44年組に属しています)
僕がサッカーを試合としてまともに観た中で最も古く記憶に残っている試合は、ワールドカップスペイン大会になります。あのころは、確かNHKでしか試合を放送していなかったと記憶しているのですが(・・確かスポーツアワーなどという番組をNHKがやっていて、その後に試合の放送があったような・・・)
当時の僕は小学6年生・・・木村和司が日本代表にいて広商出身だから県民としても応援していたんだよね
ところが日本は北朝鮮に2次予選で敗退しちゃって・・・こんな事はどうてもいいかな・・・とにかく本大会で、絶対に忘れない試合があるんですよ
それは準決勝の西ドイツVSフランス・・・プラティニやリティーなどがスタメンで出ていた試合だったんだけど、特に延長が凄かった・・そう西ドイツの追い上げが忘れられないんだね。とにかく、覚えているのは延長に入って2点を立て続けにフランスが入れて、本来なら勝負有りのところからルンメニゲなんかのゴールで西ドイツが追い突いたんだけど、小学生で「手に汗握る」試合という本当の意味を知ったんだから、本当に興奮して忘れられないね。当然、試合は同点に追いついた西ドイツがPKを制したわけだけど、日本人らしく?負けたフランスをその後暫く応援するようになったんだ。
みんなはプラティニがフランスの全てみたいな感じで言うんだけど、当時、フランスが強かったのは、中盤にアラン・ジレスとティガナが居たからだと思うんだよね。この3人で中盤を支配していたからフランスは強かったんだよって今でも思う。(ちなみに2年後のユーロを制したんだよフランスは!!)
で、当然86年のメキシコ大会(本来はコロンビアのはずだった。やはり麻薬カルテルに牛耳られた政府のある国で試合なんか出来るはず無い。当時マイアミバイスがテレビでやっていてコロンビアがとんでもない国だというのはよく判ったよ(笑))になるんだけど、当時、僕は高校1年生で、クラスメイト(男子)を巻き込んでトトカルチョをやったんだよ。当然僕はフランスが優勝する方に賭けたわけだ(対抗馬はデンマークと思ってた)。当時のフランスはパパンというスターが居たし、ユーロ覇者という事もあって僕以外にも数名賭けていた記憶がある。
この大会のハイライトは、当然、マラドーナのイングランド戦になるんだけど、当時のアルゼンチンは完全にバチスタ中心の守備的なチーム・・・マラドーナ一人で攻撃を組み立てている感じで、守りをベースで後はマラドーナ任せみたいなチームだったんだよ。
だからこそ、あの大会はアルゼンチンじゃなくマラドーナが全てと言われた大会だったわけだ。
で、BATONの1つ目の回答は、この頃の世界大会でテレビで放送された試合については生放送、録画放送など確実にVTRに録画していた。
ところが、大学生になったころ、実家に戻って押し入れに貯蔵していた多数のビデオを確認したところ、ほとんどがカビにやられていたという苦い記憶がある。
結局、現在は1年前にDVDに移行したとき、ほとんどのビデオを廃棄処分したので、残っているサッカービデオは日韓W杯全試合(ビデオに保存後一回も観ることなく埃にまみれている)とユーロ2004、04-05チャンピオンズリーグ(これらはDVD)しかない。 ちなみにメキシコ大会の手に汗握るサッカーについては、やはり決勝の西ドイツVSアルゼンチン・・・当然応援していたのは西ドイツ(理由は82年の準決勝でゴールを決めたカールハインツ・ルンメニゲが居たから)だったので、後半2点を取り返して同点に追いついたときには嬉しかったね(負けちゃったけど・・)。
と言うことで、この時代までで僕が好きだった選手は2人・・・フランスのティガナと西ドイツのルンメニゲ(浦和にいたのは実弟だよ)になる。その後、フランスからエリック・カントナというスーパースターが生まれるんだけど、今となってはジダンのネームバリューの方が日本では行き渡っているね。まっワールドカップに縁がなかったというのが大きな理由なのか、わがままだったのが理由なのか・・・今となってはどうでもいい話だが、言えるのはマンUが現在まで常勝チームで居られるのは、エリック・カントナのお陰だということだ(ファーガソンの功績はその後の話)。
ちなみに、メキシコ大会の話に戻るが、この時、日本代表は韓国に完敗してW杯出場を逃している。当然、あの有名な木村和司のFKもその韓国戦で生まれたわけだが、負けた試合のゴールなのだから、僕に言わせればどうしようもないとしか言いようがないし、あれを記憶に残るゴールにするのは馬鹿げているとしか言えない。
そして、ドーハの悲劇はこれから8年後に起こる出来事なので、未だに日本が異常なほど弱い時代だったわけである。(ちなみに、当時の日本はサッカーの天皇杯も観客はガラガラだし、ラグビーの方が凄く人気があった・・・)
さて、ここでひと休みして午前1時からのドイツVSブラジル戦に備えるとしよう(笑)
そもそも、最も昔に見たサッカーの試合で印象に残っているのは何でしょうか(・・・ちなみに僕は昭和44年組に属しています)
僕がサッカーを試合としてまともに観た中で最も古く記憶に残っている試合は、ワールドカップスペイン大会になります。あのころは、確かNHKでしか試合を放送していなかったと記憶しているのですが(・・確かスポーツアワーなどという番組をNHKがやっていて、その後に試合の放送があったような・・・)
当時の僕は小学6年生・・・木村和司が日本代表にいて広商出身だから県民としても応援していたんだよね
ところが日本は北朝鮮に2次予選で敗退しちゃって・・・こんな事はどうてもいいかな・・・とにかく本大会で、絶対に忘れない試合があるんですよ
それは準決勝の西ドイツVSフランス・・・プラティニやリティーなどがスタメンで出ていた試合だったんだけど、特に延長が凄かった・・そう西ドイツの追い上げが忘れられないんだね。とにかく、覚えているのは延長に入って2点を立て続けにフランスが入れて、本来なら勝負有りのところからルンメニゲなんかのゴールで西ドイツが追い突いたんだけど、小学生で「手に汗握る」試合という本当の意味を知ったんだから、本当に興奮して忘れられないね。当然、試合は同点に追いついた西ドイツがPKを制したわけだけど、日本人らしく?負けたフランスをその後暫く応援するようになったんだ。
みんなはプラティニがフランスの全てみたいな感じで言うんだけど、当時、フランスが強かったのは、中盤にアラン・ジレスとティガナが居たからだと思うんだよね。この3人で中盤を支配していたからフランスは強かったんだよって今でも思う。(ちなみに2年後のユーロを制したんだよフランスは!!)
で、当然86年のメキシコ大会(本来はコロンビアのはずだった。やはり麻薬カルテルに牛耳られた政府のある国で試合なんか出来るはず無い。当時マイアミバイスがテレビでやっていてコロンビアがとんでもない国だというのはよく判ったよ(笑))になるんだけど、当時、僕は高校1年生で、クラスメイト(男子)を巻き込んでトトカルチョをやったんだよ。当然僕はフランスが優勝する方に賭けたわけだ(対抗馬はデンマークと思ってた)。当時のフランスはパパンというスターが居たし、ユーロ覇者という事もあって僕以外にも数名賭けていた記憶がある。
この大会のハイライトは、当然、マラドーナのイングランド戦になるんだけど、当時のアルゼンチンは完全にバチスタ中心の守備的なチーム・・・マラドーナ一人で攻撃を組み立てている感じで、守りをベースで後はマラドーナ任せみたいなチームだったんだよ。
だからこそ、あの大会はアルゼンチンじゃなくマラドーナが全てと言われた大会だったわけだ。
で、BATONの1つ目の回答は、この頃の世界大会でテレビで放送された試合については生放送、録画放送など確実にVTRに録画していた。
ところが、大学生になったころ、実家に戻って押し入れに貯蔵していた多数のビデオを確認したところ、ほとんどがカビにやられていたという苦い記憶がある。
結局、現在は1年前にDVDに移行したとき、ほとんどのビデオを廃棄処分したので、残っているサッカービデオは日韓W杯全試合(ビデオに保存後一回も観ることなく埃にまみれている)とユーロ2004、04-05チャンピオンズリーグ(これらはDVD)しかない。 ちなみにメキシコ大会の手に汗握るサッカーについては、やはり決勝の西ドイツVSアルゼンチン・・・当然応援していたのは西ドイツ(理由は82年の準決勝でゴールを決めたカールハインツ・ルンメニゲが居たから)だったので、後半2点を取り返して同点に追いついたときには嬉しかったね(負けちゃったけど・・)。
と言うことで、この時代までで僕が好きだった選手は2人・・・フランスのティガナと西ドイツのルンメニゲ(浦和にいたのは実弟だよ)になる。その後、フランスからエリック・カントナというスーパースターが生まれるんだけど、今となってはジダンのネームバリューの方が日本では行き渡っているね。まっワールドカップに縁がなかったというのが大きな理由なのか、わがままだったのが理由なのか・・・今となってはどうでもいい話だが、言えるのはマンUが現在まで常勝チームで居られるのは、エリック・カントナのお陰だということだ(ファーガソンの功績はその後の話)。
ちなみに、メキシコ大会の話に戻るが、この時、日本代表は韓国に完敗してW杯出場を逃している。当然、あの有名な木村和司のFKもその韓国戦で生まれたわけだが、負けた試合のゴールなのだから、僕に言わせればどうしようもないとしか言いようがないし、あれを記憶に残るゴールにするのは馬鹿げているとしか言えない。
そして、ドーハの悲劇はこれから8年後に起こる出来事なので、未だに日本が異常なほど弱い時代だったわけである。(ちなみに、当時の日本はサッカーの天皇杯も観客はガラガラだし、ラグビーの方が凄く人気があった・・・)
さて、ここでひと休みして午前1時からのドイツVSブラジル戦に備えるとしよう(笑)