のぶたと南の島生活

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気ままにサッカー話2

2005-06-28 | スポーツ
フットボールバトンなるものが届いて徒然なるままにコメントする第2弾・・どうやら7月3日までがFootball Botanの期限日なのだそうですが、それまでに間に合うかどうかは自信がありません。僕にFootball Botanを振った2人の方には申し訳ありませんが、時間を見つけて頑張っていくつもりです(笑)
さて、相変わらず日本代表が恐ろしいくらい弱かった時代・・・その終点でもあるワールドカップイタリア大会について・・この時僕は二十歳になって、ますますサッカーに対する蘊蓄と共に、毒舌に拍車が掛かっていた時代ですね(笑)
この大会後、日本サッカー協会はプロ化構想を基にマスコミを巻き込んでサッカーを盛んに盛り上げていきましたね。決定的なのはこの4年後に起こるドーハの悲劇と銘打たれたアメリカ大会最終予選になりますが、彼処で負けたことで日本人のサッカー熱を更に熱くしたのではないかと今でも思っています。その話は後に取っておくとして、まず、このイタリア大会については、日本は一次予選で敗退しお話しにもなりませんでした。ファンとしてはメキシコ大会が形上は「あと一歩」だったので随分期待しただけに、非常にがっかり感が強かったですね(苦笑)

イタリア大会の印象は、総じて「列強国と言われるチームと中堅国との差が余りなくなった」大会と思います。
そして、このイタリア大会に欧州サッカーをその後ブレイクさせることになる選手が多数参加していたことでも印象的だった。
今では、セリエA、リーガ、プレミア、エール、ブンデス等々各国のサッカー事情が手に取るように判る時代ですが、当時はその様な事は皆無に近かったかな~
青島健太がBSがワールドスポーツについて放送する番組をやっていたのですが、それでもサッカーは全てのスポーツの後にチラッとやるくらいでしたから、サッカーの人気なんてそんなもん!(その程度)でしかなかったのかもしれません。
さて、当時、世界のサッカーの中心だったセリエAの舞台イタリアで開催されたこの大会のハイライトは、ベスト16で対戦した西ドイツVSオランダだった(インテルVSミランの代理戦争・・・笑)。
たしかにフリット、ファン・バステンを欠いたオランダに迫力は欠けるもののライカールトとその魅力あるサッカーは健在だった。しかし、結局、マテウス、クリンスマンらを有する西ドイツの後塵に配する訳だが、試合自体は本当に白熱し、だらだらと決勝まで進んだアルゼンチンとのマッチアップよりも素晴らしいものだった。

さて、先に言ったとおり、この大会を魅力あるものにしたのは中堅国の頑張りとアフリカ勢の躍進であり、当然、僕の印象もそれらの国の選手になる。
とにかく、まずはロジェ・ミラだろう。イングランドに負けて(リネカーの2本のPKに・・)大会を去ることになったが、躍進の中心にいたロジェ・ミラの躍動的な動き、身体能力に感銘を受けた。ただ、彼はその後欧州のクラブで活躍するということは無かったので、W杯だけの選手としてしか印象が残っていないのが残念(アメリカ大会も含めて)。
そう、この大会でブレイクし、若しくは強烈な印象を残し、その後も国の代表として、そして欧州クラブのキープレイヤーとして活躍した選手・・まずは
ストイコビッチ(ユーゴスラビア)→絶対にスペイン戦の1点目はスペシャルだった
後にJリーグで活躍する訳だが、この選手は本当に息の長い選手だった。そして「妖精」らしく素晴らしいテクニックを持っていたし、僕が5名の選手を上げるなら、この選手を上げる。Jで見せた濡れた芝をトラップしながら走るシーンはとても印象的・・ホント言い選手だったよ(溜息)。
当時のユーゴは、分裂する前なのでプロシネツキ、スーケル、ボバンなど90年代を代表する若手選手も要しており、「優勝してもおかしくない」くらい実力があった(問題は国内のトラブル(ボバンは6ヶ月の出場停止処分)で選手のモチベーションが別の所に行ってしまったことだろう ) 。
そして、もう一人僕の5本指に入る選手がこの大会に出ていた。
それは
ゲオルゲ・ハジ(ルーマニア)
である。この大会よりも次のアメリカ大会での活躍の方が印象深いかもしれないが、90年代を間違いなく代表する選手だった。
バルサに在籍していたときの中央からの超ロングシュートなどは今でも僕の印象に残っている(テレビではほとんど霧の中で誰が蹴ったのか、どういう軌道だったのか解らなかったけどね・・ゴールに吸い込まれるところは辛うじて見えた・・笑)。
特にハジは、選手生活の晩年を過ごしたガラタサライでも多くのタイトルに恵まれ、その中心選手として活躍したわけだから、偉大な選手だった訳だ。
そしてもう一人上げたい選手がいるのだが、これを5本指に入れるかどうかは保留にすることにしたい。その選手は、日韓W杯の際、アイルランドを率いた知将
   ミック・マッカーシー
である。イタリア大会ではジャッキー・チャールトン監督という名将の元でキャプテンを務めあげ、センターバックとしてチームと統率し、準々決勝のローマの地でイタリアに敗退したチームを率いた。なんと準々決勝まで予選リーグを含めて全て引き分けという珍しい記録で勝ち上がっただけに、その得点力の無さに泣いたと言ってもいいだろう。しかし、そのディフェンス力は素晴らしく、その中心を担った訳だからマッカーシーは素晴らしい選手だった。ただ、その後怪我で現役を退き監督業として名を馳せる訳で、選手としてリーグ戦での活躍を観る機会がなかったので5本指に押すにはちょっと気が引けてしまうわけなんですけどね。
あと個人的にカニーシャも好きな選手だったし、ドゥンガも良い選手だった。ただ、この大会では目立った活躍もなくパッシングの対象だっただけに印象的には薄いんだけどね。

で、この後の話は「気ままにサッカー話3」でやりたいと思います。あとはストイチコフかな(笑)