連日テレビで放送されている大津市の「いじめ問題」、聞けば聞くほど腹立たしく、悲しいし、おぞましい。特に驚いたのは、男子生徒が通っていた中学校では、去年10月に生徒が自殺した直後、およそ50人いるすべての教師を対象に聞き取り調査を行ったが、男子生徒へのいじめを「認識していた」と答えた教師は1人もいなかったということだ。しかし、少年が自殺したあと、学校が全校生徒を対象に行ったアンケートでは、複数の生徒が「男子生徒が、教師に『いじめを受けている』と訴えたと聞いた」と回答し、さらに「男子生徒の訴えに教師が対応しなかった」とも指摘しているという。
おそらく、何人かの教師はいじめを認識していたであろうが、校長や教頭、教育委員会が怖くてだんまりを決め込んだのであろう。これが聖職と言われる教師の姿かと、余りのふがいなさにあきれる。教師を目指した初心は何だったのか、この際、自戒をこめて自分の胸に問いかけてもらいたい。
それと、加害者とされる同級生3人が「遊びであり、イジメではなかった」と、未だに自分たちの行為をいじめと認識していないことである。この子たちは自分たちと関わりがあった同級生が自ら命を絶ったということに、これから先、良心の痛みもなく、何の罪悪感も持たず、平常心で生きて行けるのか。どうか、勇気をもって自分たちのしたことを認めて謝罪してほしい。おそらく両親や周囲の大人たちの言いなりになっていじめを否認しているのかもしれないが、これからの長い人生を心に傷を抱え、苦しみながら生きていくことがどれほどつらいか、そう思うとかわいそうになってくる。
話は変わるが、7月16日の夕方、野田首相がフジテレビ番組に出演し、各局の報道記者たちから鋭い質問攻めにあっているのを見た。その中で、大津市の中2男子いじめ自殺に関して、子ども達に向けてメッセージを発信した。その際、自らの思い出として、「小学校3年生か4年生の時に、養護施設から通っている女の子をやんちゃな何人かの男の子がいじめて、その時の担任の毅然たる態度は今も忘れられない」と語っていた。
首相のメッセージは、【弱い者を、集団でいじめている子がいるならば、その行為はとても恥ずかしい、卑劣だと理解してもらわなければいけないと思います。
人間として大事なのは、自分が相手の立場になった時にどう思うかということです。その痛みを感じる心を、持ってもらわなければいけない。
いじめられている子がいるならば、ぜひ伝えたいことがあります。あなたは独りではありません。あなたを守ろうという人は必ずいます。それを信じてお父さん、お母さん、先生、友だち、誰でもよいから相談してください。
一番大事なのは、その周りにいる子です。いじめている子がいる、いじめられている子がいると分かっているならば、見て見ぬふりをしないこと。そばにいる生徒さんたちが先生と相談する、あるいは両親と相談する、見て見ぬふりをしない、これが一番大事なことなので、ぜひ理解してほしいと思います。】というものである。
しかし、この首相の言葉は、今までも多くの識者や専門家の発言と同じで、ごく当たり前のことを言ってるだけで、何一つ心に響くものがない。言葉に出していうほど簡単に解決できるものなら、少年たちは自ら命を絶ったりはしないだろう。人にしゃべったことがばれたらどんな仕返しをされるか、そんな恐怖感はいじめられた本人でないと分からないだろう。それに、先生や両親、友人の力がどれほどのものか、いじめによる自殺者が後と絶たないということがそれを物語っているのではないだろうか。
私の子どものころのいじめは、今ほど陰湿でひどい暴力はなかったように思う。よくあったのは今でいう“シカト”、仲間はずれにするのである。小学6年の時、私もどうしても好きになれない子がいて、仲間はずれにしたことがある。60年近く経った今でも悪いことをしたという罪悪感があり、その子の名前や顔を忘れることができない。
「天に唾すれば己に返る」というが、その通り。中学1年の時、呉服屋の息子で、勉強もできて体格も大きな少年になぜか、意地悪をされるようになった。言葉の暴力やスカートをまくられたり、エスカレートしてお金を要求されたこともあった。が、わが家は貧乏で彼に渡す金など1円もない。その子の家の前を通らなければ帰れないのを知っており、よく待ち伏せされたが、いざとなったら、その子の店にかけり込んで親にいいつけてやる…、いつもそう思って無視し続けた。そのうち、あきらめたのか、いつの間にか私への意地悪は止まった。今思うと、幸い相手が1人だったから良かったようなものの、これが3、4人だったらどうなっていたかは分からない。おかげで、いじめた者もいじめられた者も、どちらも心の傷になるということを身をもって知った。
テレビドラマなどでよく見るが、いじめられる子どもはみんなおとなしくて抵抗しない。だから、相手がいい気になるということもあるが、殴られ蹴られるなどの暴力を受ければ誰でも怖くなり、抵抗できないのも分かる。先生や親、友だちが頼りにならなければ、最後の手段だ。死ぬ気になれば何だってできるよ。警察でも新聞社でも、児童相談所でもいい、市役所でもいい、公共機関のどこかへ助けを求め、負けないぞと声を上げる勇気をもってほしいと思う。
ます。
SOSを発しても取り合わない先生・教育委員会。追いつめられた中学生一人で何が出来ようか・・・。いじめた生徒をなぜここまで庇うのか? これからの為にも真相を!切望しますね。
少年の父親が3人の同級生を刑事告訴しました。この少年たちの本当の心はどうなのか、せめて自分で悔い改め更生してくれることを願うばかりです。
このように大きな問題になったのはいじめた側の親の責任です。「自分の子は悪くない」そう思う親の心は分かりますが、本当に子どもを愛しているなら事の善悪を教え、罪を認めさせ謝罪させ、子どもの心の傷を癒してやることを考えるべきだと思います。
もっと大人がしっかりしなければと思います。
この記事を見て思い出しました。
Spare the rod and spoid the child.(子供はきびしく育てるべき)と言うイソップ物語の話です。
悪い事をしているのに目を瞑っていると子供は慣れてしまい悪い事をしていても悪い事をしているとは思わなくなります。
加害者の3人の少年の中にはすぐに転校した子もいるとか。わが子可愛さにかばうのはかえってよくありません。
それが分からない親に問題ありと思います。
この問題でいじめが減ることを願うだけです。