ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・36

2015-05-30 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward


 だがフィリップスは何故、弁護士への支払いに拘るのか、ぼくは彼に若干の不信感を持った。彼は自分が依頼している弁護士をぼくに紹介しぼくの選任弁護士にしたのではないだろうか。彼が逮捕されたのはぼくより数ヶ月早い筈だ。彼が請求されている弁護費用をぼくのそれに抱き合わせてぼくに支払わせようとしているのではないだろうか。
「俺は後2~3ヶ月で本当にリリースされるのか」
ノープログレムでもポーシブルでもない、メイビーとだけ奴は言った。数か月以内のぼくのリリースは有り得ない。その事をぼくは今、はっきりと理解した。
  
   2月26日(日曜日)
 先が全く見えなくなった。ぼくはより深くドラッグにのめり込んでいった。心の不安と苛立ちを優しく包んでくれるのはスタッフしかない。ぼくとダイクはいつも一緒に行動した。彼のベッドの下でスタッフを吸ってはグラウンドの大木の台座に横になっていた。シルバーペーパーが不足するとトイレの裏のゴミ捨て場を漁った。それでも十分に集まらないと第6厨房収監区の臭く汚いゴミの山を歩き回った。ワードに戻ると汚れた身体を洗う、深い井戸からロープで水を汲んでくれるのはダイクだった。もう直ぐ3月、そんなに寒くはない、身体を洗ってさっぱりすると又、彼のベッドの下に潜り込んだ。


PCの調子が良くない 今月2回目の初期化 リカバリーを行った
ハードディスクの一部に不具合があると表示されている どうなぁんのかぁ~ねぇ~
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・35

2015-05-27 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 今日は遅くなった。ワードへ戻って来たのは4時頃だった。かなりシック症状だ。第5収監区のゲートを入るとグラウンドから大きな声が入り混じって聞えてきた。刑務官詰所の前を通ってグラウンドを見ると一塊のアフリカンが砂埃を上げ走り回っていた。良く見るとボールに向かって走っている。申請していたボールがやっと支給されたのだ。旧第2収監区の中庭ではバレーボールやバトミントンは出来てもフットボールをする広さはなかった。フットボールはアフリカ人にとって最もポピュラーなスポーツだ。ここのグラウンドは50mくらいの長さがある、全員裸足になってボールを追いかけエキサイトしていた。良くそんな元気があるなぁ~ぼくは取り敢えずダイクのベッドの下に潜り込んでスタッフを入れた。
 夜、フィリップスと話し合った。彼への支払いは1万と考えていたが1万5千と言ってきた。最初はノートに記入していたが小刻みな受取りが多く記入漏れや不明な部分もありアバウトな計算で支払うしかなかった。次に彼は弁護士への支払いを言ったがそれは断った。この件は大使館が知らないお金でスタッフの支払いに当てる。裁判に必要な経費は正式に大使館に請求すれば保管されているぼくのお金から支払われる。ぼくのお金の使い方について大使館は関心を持っている。そこで不信感を持たれるとぼくは身動きがとれなくなる。その点についてフィリップスは納得した。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・34

2015-05-08 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

  2月24日(金曜日)
 裁判所出頭日だった。弁護士は来ていなかった。何の連絡もない、やる気があるのかないのか分からない。マリーは元気になっていた。腰から左股の打撲らしく少しぎこちない歩きをしていた。法廷の書記官から一枚の書類を貰った。ぼくはその内容を正確には理解する事が出来ずマリーへ渡した。書面を読んでいた彼女は一週間後コンノートンの東京銀行へ行く許可書がこの法廷で出されるとぼくに伝えた。やっと許可書が出たのだ。次回、ぼくのパスポートと小切手を持って裁判所へ来てくれるようマリーに頼んだ。恐らくぼくは刑務官の同行で銀行へ行く事になるだろう。銀行で両替されたインドルピーは4万ルピー以上になる。刑務所内に持ち込みクーポンに替える必要はない。銀行への往復は裁判所の護送車になるだろう、マリーは先に出発して銀行で待ってもらう。両替したお金は彼女に保管してもらうしかない。もし弁護士がこの件を知って裁判所へ来ていたらこのお金は全て大使館で管理するという事で支払いを断る。弁護士への支払いは大使館に於いて行うという事は相互の了解事項なのだから。
 このお金は大使館が関知していない。今回これでやっとフィリップスからの借金の全てを支払う事が出来る。ぼくの為に組織から借りているスタッフ代の支払い、遅れている弁護士へのアドバンスそれらの決済をマリーがやってくれるだろう。少しロスが出るだろうがしょうがない。この件についてフィリップスと話し合うから明日にでも面会に来てくれるようマリーに頼んだ。それとシルバーペーパーで包装されているチョコレートを差し入れしてくれる事も。


将棋名人戦 森下9段の解説でも難しい差し回しの局面で放送終わり 
ネットで確認すると羽生名人の勝ち 
帰国して図書館で将棋の本を読んでいた 羽生6冠が最後の王将谷川戦に勝利し
7冠となった それを思い出している
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・33

2015-05-06 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

確かに彼はインド人との付き合いが多かったしインド人社会に入り込んでいた。ショッカンは5000ルピーを裁判所に支払えばリリースされると言っていた。他の3名もその程度のドラッグ事犯なのだろう。ディクソンの刑は長いのかもしれない。それはポーランド人のダニエルと関係しているからではないだろうか、そんな気がする。ディクソンとダニエルはどこかで繋がっている。カマルはインド人だがポーランド国籍を持っている、どんな理由で、何の目的があってそうしたのか。ニューデリーのメインバザールでロシア語を話す太った白人の男女を良く見かけた、明らかに運び屋だ。何を持ち込み何を運び出しているのかぼくは何も知らない。インドの豊富な物資と安い価格、タジキスタンからパキスタンを通ればインドは近い、何らかの物資ルートがあるのではないだろうか。ディクソンは第8収監区に替わって良かったと思う、第5収監区にいればスタッフの誘惑もある、刑務官のチェックは度々あり危険だ。インド人のワードで静かに刑の終了を待った方が良い、大人しい人の良いスリランカ人だった。
 アフガン人のプランはピーターの4房に入っていた。ここ2~3日ピーターはぼくに会う度、愚痴をこぼしていた、プランの盗みに閉口しているようだ。房の外へ出る時スタッフやビリを持ち歩く訳にはいかない、私物の中に隠しているのだがその間にプランが隙を見てはそれを盗むらしい。奴が来る前にはそんな事は一度もなかったとピーター。プランを追求しても俺はそんな事やっていないと逃げる。盗みの現場を押さえるしかないのだが捕まえても刑務官を呼ぶ訳にはいかない、盗まれた物がスタッフやビリだからだ。逆にピーターが刑務官から追求されるのが落ちだ。手の打ちようがない、ただ早くプランがリリースされる日を待つしかなさそうだ。犯罪者だけを集めた刑務所だ、盗みや詐欺のプロがごろ々している。ぼくも何度、盗まれ騙された事か。


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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・32

2015-04-27 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

大便用は十個しかない。タイミングが悪いと暫らく空くまで通路で待つ事になる。10個のトイレ全部が使えればこんな事にはならないのだが何故だか3~4個が汚れて使えない。日本の和式用便器と同じタイプで、ただ前の金隠しの部分がない。普通に便の落とし穴に排便をすれば汚れる事はない。わざ々便器の前に座り小便の受け皿に排便している。後から入った者はとてもじゃないが使えない。普通に便器を跨いで座るとちょうど目の前にそれがある。トイレが終って持って来た水でお尻を洗う時にもそれは邪魔になる。目の前で手の平に水を溜めその手をお尻の下に持って行きお尻を洗うのだから。今回、新しく監房が替わってインド人がいなくなるからトイレは汚れないだろうと思っていたのに如何も良く分からない。
 オマールはインド食が食べられるようになった。彼は盗みをしたり嘘をついたりはしない、まあ良い奴だ。ただモロッコ大使館の面会や援助が全くなくお金に困っていた。ぼくは200ルピーを彼に貸してビリの商売をするように進めた。条件は、お金は返さなくて良いからビリ1本5ルピーで40本をぼくに戻すという条件だ。またそれ以後もぼくに対しては1本5ルピーの値段で売る。オマールはスタッフをやらない、ビリを売って少しずつだがお金を貯めているようだ。日用品や食べ物くらいは自分のお金で買えるだろう。
  
    2月25日(土曜日)
 スリランカ人グループが第5収監区へ移って来て一週間になるだろうか、やっと許可が出たのだろう。10房に入っているのはショッカン、セガ、サンダーそれにキタの4名だ。アンクル・チャチャは奴らとは別になりランジャンのいる8房の外房にベッドを持ち込み寝泊りしていた。チャチャが奴らと離れたのは理解できる、彼の収監理由はドラッグ事犯ではないような気がする。年齢も50歳くらいで紳士的なスリランカ人だ。だが良く分からないのは
ディクソンだ。グループのリーダーだった彼はインド人専用の第8収監区に替わっていた。



1960年代 ネパールは開国した 世界中のヒッピー達は何かを求めてカトマンズへ向かった
  
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・31

2015-04-24 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 ぼくとダイクはのろ々と来た道を帰って行った。売店の前に人が集まっている、夕食前トマトと紫オニオンがリヤカーで運び込まれたのだ。アフリカンも買物に来ていた。ダイクは少し立ち話をしていたが直ぐ戻って来た。2人並んで映画館の横を通り過ぎようとした所で前から歩いて来る2人の刑務官を見た。ダイクは小声で
「スタッフを持っているか?」
「ブリーフの中だ」と、ぼく。
近づいて来た刑務官はいきなりぼくをボディーチェックした。何事もなかった。だがもしポケットの中に入れていたら発見されただろう。一本道だ、刑務官を見て向きを変える事は出来ない。それをすれば尚、彼らに不信感を持たせ厳しいチェックが行われただろう。パッキングしたスタッフが発見された側溝はこの辺りだとダイクが教えてくれた。これから先ダイクと組んでいこう、少しスタッフの出費が多くなったとしても。いざという時、彼は何らかの手段を講じてくれるだろう。
  
   2月21日(火曜日)
 毎日、同じ事がくり返されている。退屈だ。朝の開錠後、外へ出ると少し明るくなっていた。ヘロイン系のドラッグをやると便秘になる。夜、入れたスタッフの効きが切れた朝どうしてもトイレを済ませておかなければならない。朝、起きると直ぐ電線をスパークさせて火を取りオイルランプに点火する。トイレでお尻を洗う水はミネラルウオーターのペットボトルに入れビリを吸いながらトイレへ向かう。グラウンドはまだ濃いガスが立ちこめていた。


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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・30

2015-04-21 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 メインゲートから第6収監区までの道路は広い。恐らく食料輸送用トラックはここまで入り荷降ろしをするのではないだろうか、その輸送トラックをぼくはまだ見た事はないが。ワードゲートを入ると厨房建屋までの通路がある。通路に沿って右側に一棟、左側に並んだ二棟は奥へ延びている、食料倉庫だろう。厨房入口の左右には収監者監房があった、収監者数は100名を下らないだろう。デリー中央第1刑務所の収監者総数をぼくは知らないが1000名を越えている事は確かだ。その食事を準備するとしたらそのくらいの人数は必要だろう。インド人の主食はチャパティーだ、一人5枚と決まっている。そうすると1回に必要なチャパティーの枚数は5000枚になる。作業は分担されているのだろう、小麦粉を練る者、1枚分の大きさの団子を丸めそれを延べ棒で仕上げる者、一人が100枚を作るとしても50人が必要だ。粉を練ったり薄く延ばす機械等ないし焼き上げるオーブン等もない。作業は平行してダルスープとサブジも作らなければならない。各監房の収監者分を割り振りしリヤカーに乗せて食事前に届けなければならない、大変な仕事だ。厨房建物の真中の廊下を入っていくとすぐ右側にトーストの配給所がある。朝、ティーを受取って帰りに此処で人数分のトーストを貰う。その奥の左右がチャパティーを作る部屋だ、広い。この先が厨房だがどんな風になっているのか分からない、見ていると邪魔だと追い出された。ちょうど夕食の配給時間になっていた。



プランターのミニトマト 花が咲いていた ちょっと早いかな・・・
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・29

2015-04-19 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 吸い終わるとぼくとダイクは売店へ向かった。ぼくはまだ売店に行った事がなかったし第1刑務所の全体図が分かっていなかった。ワードゲートを出て右側へ行くとセンターゲートだ、その道は何度も通っている。左側への道は人通りが少ない、この道はたぶん1月だったと思うがダニエルと朝のティーを受取る為、厨房へ行った時に通った道だと思う。朝6時はまだ真っ暗で通りに何があったか分からなかった。道幅は2mくらい、左側は監房の外塀が続いている。その塀と道の間に側溝がある。生活廃水や雨季の雨水が流れるのだろう。収監者が使う生活用水は微々たる量で側溝はいつも乾いて草が生えていた。デリー中央刑務所の巨大な外塀に沿っていた道は、そこから緩やかに左へカーブしていた。道がカーブしていった先、外塀との間に2階建てくらいの大きな建物が見えてきた、ダイクの説明によれば映画館らしい。今日は上映されていないのだろう静かだった。左側に続く塀は第7、第8収監区の外塀だ。ゆっくり歩いて5分くらいだろうか売店に着いた。木製の台が置いてあるだけで調理の火は止められ誰もいなかった。小さな建物は売店だ。入口のドアーの横にある30㎝角くらいの販売窓口も閉まっていた。夕方の施錠までまだ時間がある。ダイクに頼んで刑務所内を案内してもらった。売店を通り過ぎると左側に真っ直ぐ延びる幅5mくらいの刑務所内で一番広い道路があった。メインゲートから来る中心道路である。左側には綺麗に手入れされた広い公園、反対側は大きな木が繁っていた。売店を過ぎ今度は右側へ進むと屋外の公会堂だった。以前、此処でパンジャビー音楽を聴いた事があった。公会堂の舞台の左奥は診療室だ。診寮時間は午前10・30分~12時迄。公会堂の右側を進むと広大な厨房監房に突き当った。第6収監区である。


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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・28

2015-04-15 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 次の問題点は、シルバーペーパーの表面に張り合わせてある極薄いビニールだ。これがそう簡単には剥げない、だがこれを剥さないと使えない。包装用シルバーペーパーを5㎝角くらいに切って暫らくバケツの水に浸けておくとビニールが少し浮き出すようになる、その状態になってから剥す。銀紙を破らないように慎重に剥す、難しい作業だ。ぼくは一日に最低2枚は必要だ。
 次に必要なのはシルバーペーパーの下からスタッフを焙る火種だ。ライターのように火点が絞れて安定しているのが最適だがここでは手に入らない。新聞紙のようなものは火が広がって使えない。ビスケットや調味料の外箱くらいの厚みがちょうど良い。巾1㎝くらいの細長い紙を用意しておく。包装用シルバーペーパーはかなり薄い、火が強いと収縮したり穴が空いてスタッフをロスしてしまう。下からの火の調整が難しい。
 シルバーペーパーの上にスタッフを置く。唇で細いパイプを咥えシルバーペーパーを顔に近付け下からゆっくりと火で焙る。パウダーが茶褐色に丸まり下からの火に追われてゆっくりと転がす、それがこつだ。。良質のスタッフだとラーニングのラインは薄い茶色になる。不純物が多いと滓が残る、そういうスタッフの売人はジャンキーの信頼を失う。塀の中のシンジケートは外の中卸との信頼関係に成り立っているのだ。火が強いとスタッフが転がった後に黒い滓を残して早く燃え尽きてしまう。一度、通ったラインは出来るだけ避ける。一回の煙の吸い込みは呼吸の80%くらい、そこで一度、息を止め今度はビリを目一杯吸い込む。そこで又、息を止める。長く息を止めて吸い込んだ煙を肺から吸収させる、そうすればより効く様な気がして皆そうする。ぼくが一回目を入れ込んで息を止めている間にそのシルバーペーパーをダイクに渡す。スタッフはぼくの物だからぼくからスタートする。それと最後のスタッフの煙をぼくが吸い取り燃え尽きたスタッフの滓を2人で確認して終わる。もしまだ少しでもスタッフが残っているとダイクが判断すれば彼がもう一度吸う。この間ダイクは2回吸うが2回目はぼくが最後に吸う分を残さなければならない。ダイクで吸い終わってはいけないのだ。それがスタッフを持っている者とそうでない者とのルールなのだ。

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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・27

2015-03-08 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 夕方、5時頃だろうかグラウンドにイスラム教徒が集まり始めた。グラウンドの中から大きな木に向かって横一列に並んだ。その方向がメッカを指しているのだろう、普段は被らないが礼拝用の白い帽子を全員が被っていた。足元には各自が持って来たカーペットを敷きその上で礼拝が始まった。インドは長い独立運動の末イギリスから独立を勝ち取った、しかしその後、宗教戦争が続いた。仏教徒はスリランカへ、イスラム教徒はパキスタンとバングラディシュに分かれた。シーク教徒は今、パンジャブ州の分離独立を考えている。ハイデラバード、アラハバードと語尾にバードが付く地名はイスラム教徒が集まっている都市だ。カルカッタはベンガル語が主要言語でありマドラスはタミール語だ。デリーから同じ列車でマドラスに着いたインド人のヒンディー語をタミール人は理解出来なかった。ぼくは通算6年半くらいインド、ネパールを旅しているがぼくが知っているインドはほんの一部分にしか過ぎない。夜、アミーゴがしつこく壁を叩いて火を回してくれと催促しているが無視した。自分の事は自分でやれよ。
   
   2月12日(日曜日)
 毎日、7房で過ごす時間が多くなった。7房に入ると右側に備え付けのベッドがありそれはジュドゥが使っている。その奥にある旧Bバラックから運んで来た木製のベッドはチョコマ用、入口の左側にある木製のベッドがダイク用だ。ダイクのベッドの下は中が見えないように広い布で被われていた、頭を屈めれば中に入れる。刑務官が外から見ても中で何をしているか分からない為だ。日中、ぼくとダイクはそのベッドの下に潜り込みチェーシングをやっていた。第5収監区に替わってからスタッフの効きが良いチェーシングをやるようになった。旧Cバラックは大部屋でそれが出来なかった。チェーシングをやっていく上での問題はシルバーペーパーの確保だ。バザールだったら巻いたアルミホイールを売っているがそれのは持ち込み禁止されていた。チョコレートの包装は間違いなくシルバーペーパーだ。インドではまだかなりの食品、調味料の包装にシルバーペーパーを使っていた。一部は同じ銀色の包装紙だがビニール製もありダイクはどの包装紙が使えるか良く知っていた。
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