ガンジス・河の流れ

インド・ネパール。心の旅・追想

ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・16

2015-02-02 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

夜、スタッフを2パケ入れた。チャラスを多く混ぜたジョイントを吸ったら効いてしまった。久し振りだこんなキックは、つい横になってしまった。夜中、とうとうムスタハンは病院へ連れて行かれた。暫らく帰って来なければ良いのに。カマルがムスタハンの事をゾンビと言ったが笑わせるね。両手を前にだらりと出し膝を屈めてそろそろと歩くゾンビ・ムスタハン、その姿をランジャンは見事に演じた。ぼくらは手を叩いて笑い転げた。
 ヒーターを刑務官に没収されて火はオイルランプに替えていた。いつの間にかオイル切れで火が消えていた。ビリを吸いたいと思ったらどんな事でもやる、横になっているランジャンから電線をスパークさせて火を作るやり方を教えてもらった。ぼくが何度やっても上手くいかない、そのうち彼が起き出して来て手伝ってくれたが火が点かない、湿気が多くて今日は駄目だと彼。それで終わりかと思ったら彼は外房へ出て行き7房へ向かって大声で火をくれと頼んだ。たったビリ一本を吸うのにそこまでやるのかね。こちらも暇だが隣も暇だ、面白い事なら乗ってくる。新聞紙に火を点けそれを天井の鉄格子の間から投げ込んできた。火は天井の上で赤く燃え上がっていた。刑務官に見つかって大丈夫なのかと思ったがぼくも少々の事では驚かなくなっていた。
「サンキュー」
落ちてきた新聞紙からビリに火を点け3人で吸った。

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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・15

2015-01-27 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 昨日、今日と良い天気が続いている。朝、9時頃にはもう陽が差して来た。今日は日曜日で第2収監区に残っていた外国人がAバラックの1~5房に引越して来た。Aバラックは5房までしかなかったのか?誰が残っていたのかぼくは知らなかった。スリランカ人、イラン人等は第4収監区に替わったそうだ。

   1月23日(月曜日)
 ムスタハンはクレージーだ。ランジャンとカマルが粉をやり始めようとすると奴はにじり寄って行った。彼らはムスタハンに病気だから身体に良くないと説教をすると一度は引き下がりそうなのだが又ごそ々と寄って行く。病気のせいだろう目はとろんとしている。震える唇で媚びた笑いをし吸いたい理由をぼそ々と言いながらムスタハンは膝でにじり寄って行く。ランジャンに強く意見をされてベッドに戻るかに見えたが往生際が悪く又寄って行く。それの繰り返しだ。根負けした彼らからやっと2服吸わせてもらって安心したのかベッドに戻った。暫らくしてぼくが2回目のスタッフを入れようとした時、奴が又ごそ々と起き出してきた。
「ぼくは明日から病院へ行く、4~5日は帰って来ない」
「だから何なんだ?」
だから今夜はゆっくり眠りたいので少しスタッフをやらせてくれ、とぼくにまで色気を出してきやがった。4~5日入院して奴がいなくなる、だったらと少しスタッフを吸わせてやった。何なんだ、奴は、今日の昼頃には戻ってきやがった。もう騙されないぞ。夜、ぼくらがスタッフを吸っているとムスタハンは外房へ出て行っていきなり叫んだ
「ババー、ババー」
と刑務官を呼びだした。ぼくはビビッテしまった。奴は以前チクリ屋だったと聞いていた。刑務官が来るまで何度も大声で叫んでいた。病気で良くあんなでかい声が出せるもんだ。ムスタハンは鼾をかいて眠っていたのにぼくが食べ物の袋をごそ々させたらいつの間にか起き出していた。
「俺が眠っている間にスタッフをやるのか?」
奴の顔はそんな風にぼくには見えた。暫らく周りを見回し皆がピーナッツを食べているのを見て安心したのか震える身体を横にした。寝たかと思ったらもう鼾をかきだした、奴は寝惚けていたのか。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・14

2015-01-23 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

昨夜はやはり良く眠れなかった。夜、風が強かったのだろう鉄格子のドアーに掛けた風止めの毛布がぼくの顔の上に落ちて来た。横を見たが皆、眠っていて誰も起きて毛布を掛け直そうとしない。このままだと夜通し冷たい風に震えなければならない。寒かったけどしょうがない、起きて毛布をドアーに掛け直した。ドアーが高くて上手く掛からなかったが面倒臭くて毛布に潜り込んで眠ってしまった。朝の開錠時間だったのだろう、房に人が入って来て話す声が聞こえた。続いて何かの音を耳にしたが無視して寝ていた。第5収監区に替わって朝の人数点検はなくなっていた。刑務官は時間になると各外房の鍵を開けて行くだけだ。今朝、開錠に来た刑務官はドアーに掛けた毛布の間から赤いヒーターを見つけた。彼は房内に入ってヒーターと電線を持ち去った。ぼくは何も知らない振りをした。皆は風が強かったから毛布が横に寄ったのだろうという話になった。ぼくがちゃんと毛布を掛け直していればこんな事にはならなかった。ぼくが本当の事を話してもヒーターが戻って来る訳ではない、黙っていた。カマルは全く気にしていない
「2~3日したら又作る」
それでこの件は終った。しかし禁止されている電気器具を使っていた事実はどうなるのだろうか、インドの事だから何ら問題にはならないのだろうか。裁判所の待合室で刑務官に頼んでインド人からビリをバクシシしてもらって吸ってもお咎めはなかったのだから。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・13

2015-01-21 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

ぼくが知っているケニア人は同じアフリカでもナイジェリアとは違うと言った。ケニアは政治的にも経済的にも他より安定しているとぼくに伝えたかったのだと思った。フランシスはケニア人だ、彼はキリスト教徒で性格も穏やかそうに見える。どういう話の流れでそうなったのかフランシスとぼくはスキンカラーについて話し合っていた。彼は自分の黒いスキンカラーについて話す時、悲しそうな顔をした。アフリカン・ブラックの近代史は暗く、重い歴史を刻んできたという認識がぼくにはある。
 ここインドでも彼らへの差別をぼくは見た。ぼくが泊まるような安ホテルでも黒人を泊めないというホテルがあった。アフリカンが友人を訪ねてホテルへ入ろうとして断られた黒人も多い筈だ。そんな時アフリカンは屈辱感を持っただろう。今ぼくに最も身近にいるアフリカンはフィリップスだ。奴と繋がりが出来たのはドラッグの取引きだ、それは今でも続いている。奴が生きていくにはお金が必要だ。インドの何処を探しても奴が働く場所などない。デリーに流れてくる旅行者を相手にドラッグを売りその差益で得た金しか奴が手に出来るものはない。奴は他のナイジェリア人と較べても悪い人間ではない。自分の利益を最優先するがぼくに対する気遣いは残っている。ジャクソン、ぼくはこの人に助けられたから言うのではない本当に素晴らしいナイジェリア人だ。長い刑の満期を待っている。ドラッグもビリの売買もやらない、それをやっている者を責めたりもしない。ぼくは今回アフリカンとの付き合いが多かった。嫌で堪らないアフリカン、素晴らしいアフリカン、彼らを理解するにはまだ長い時間が必要だ。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・12

2015-01-19 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

キシトーとフィリップスが絶対にエマと取引をするなと釘を刺してきた。エマに何と言って断るか難しいよ。エマには世話になっているし不味い関係にはしたくない、狭いワード内で毎日、顔を会わせるのだから。キシトーには内緒でエマから1回だけ買ってそれで終わりにしよう。どうしても1回は買ってやらないとエマも引き下がれないだろう。ダイクと詰まらない取引をしたのが不味かった。その件でキシトーは頭に来ているのだ。フィリップスの野郎も
「あっちこっちに手を出すな」とどめを刺しやがった。
良い粉を持っていると聞くと如何しても手を出したくなる。それはフィリップスのスタッフに満足していないからだ。今ぼくは2gを持っているが1パケも10gも捕まったら同じだ。危ない橋を渡っているな。今、活発に動いているのはCバラック、7房のダイク、ジュドゥ、6房のムサカだ。近いうち抜き打ちの調査が入るだろう。Bバラックには動きはない。
   1月22日(日曜日)
 ワードが替わったばかりでまだ落ち着かない。ここは完全に外国人だけになって毎日の生活に変化がない。やはりインド人と共同生活をしてインドらしくなる。今回のように24時間アフリカンと生活をした事がない。ドラッグの取引きで接触していたがそれ以上アフリカンと付き合う気はなかった。アジアとアフリカは余りにも遠くお互いを理解し合う接点が今までぼくにはなかった。ぼくの貧しいアフリカ感から連想されるイメージは、黒人、暑い、砂漠、エイズ、エボラ熱、サファリ、内戦、ナイル川、モザンビーク、奴隷、そんなネガティブな映像しか浮んでこない。ここにいるナイジェリア人の若者達の多くは内戦を逃れて来ていると聞いた。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・11

2015-01-16 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

こんど替わった8房には病人のアフリカンがいた。名前はムスタハン。雰囲気が暗い、メンバーも残り者の寄せ集めだ。力を持っている者が誰もいないのでペンキ塗りの道具も使えなかったのだろう、壁の下だけちょろっと塗っていた。ムスタハンは以前チクリ屋だったらしい、奴の病気はかなり酷そうだ。高血圧とか言っていたが本当の所は分からない。どう見てもここにいるより病院か棺桶に入った方が良いだろう。アフリカ人も冷たいよ、病人の奴と同じ房になるのを嫌がって放り出している。奴の顔を見ても好きになれない、目やにが出て話すとき口許に泡をだし唇は震えていた。
 ぼくはここの新参者だから挨拶替わりとして少しスタッフを出し全員で回してやった。何なんだ、この病人はチェーシングがしたいと起きてきやがった。しょうがないので軽く2服吸わせてやった。カマルはインド人だが国籍はポーランドだと言った。彼は電気に詳しいのか天窓から入っている電線を分岐させていた。電燈と扇風機は普通に使えるようにして分岐させた2本の電線は下に降ろし彼が作ったコイル・ヒーターに接続するように作ってあった。これで火の心配はないし夕食も温めて食べる事が出来る。
 昨日会った時は不信な素振りはなかったのに今日、会ったショッカンはもう目の淵を黒くしていた。スタッフをやっている、直ぐ分かった。また奴のたかりが始まる。もうスタッフはやらないとぼくに言っていたのに中毒者は如何してもやめられない。


久し振りに風もなく快晴だ 釣竿を持って湾へ行く 
甲イカのシーズンだが去年からイカがいなくなった イイダコ2匹とは情けない
冷凍して数が揃えば煮つけにする 安いからだろうかスーパーでは売っていない

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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・10

2015-01-13 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

   1月21日(土曜日)
 アフリカンのデブが又ガタ々言って来た。頭にきて房を替わった。良かったのか如何かまだ分からないが。アミーゴが誘わなければ一緒にはならなかった。とにかく煩い奴で、ぼくに対してだけ文句を言ってくるからたまったもんじゃない。今日は土曜日でクラスが休みなので房の壁にペイントをする事になった。今回はCバラック全ての房のペイント作業なのでインド人が道具を乗せたリヤカーを引っ張ってきた。内房にある毛布や私物を外房に引き摺り出し全員でペンキ塗りだ。バケツの水に溶いた白いペンキを壁一面に塗っていく。3m程もある高い所は棒の先に取り付けたローラーで塗っていた。当然ぼくは何も出来ないので下の方を刷毛で塗っていた。昼前に何とか終ったのだがそこで又デブが文句を言って来た。ビリを吸いながらペンキを塗っていたぼくはその吸殻を外房の前に捨てていた。刑務官が煩いのにそんな所に捨てるなと言って来た。朝は内トイレが見えないようにロープを張って布を掛けていたがそのロープが切れていた。その件についてもぼくに文句を言った。
 原因は分かっている。毎食事の時、アミーゴが食事の配分をしているのだが不公平なやり方をしていた。皆に分けていてもデブだけ多く入れたり、わざと少し残してデブに回したりしていた。昨夜、アミーゴに公平に分けろとぼくは文句を言ってやった。各自、前に食器プレートを置き先ずライスから配り始めるのだが全プレートに入れ終わって少ない所があれば不味い。他人のプレートから移し替えられるのは誰しも嫌だ。だから最初はちょっと少なく入れて残りのライスで調整する。アミーゴはライスをプレートに入れながら
「More」
と何度も聞く。相手が黙っていると規定量まで入れる。ぼくにはちょっと多いので途中で
「トラ、トラ」
「バス、バス、Enough」でアミーゴがライスを入れるのを止める。昨夜はそんな事があって、ぼくの量は少ないが残りを4名で分けてしまった。いつも多く食べていたデブはお腹が空いて機嫌が悪いのだろうぼくに当り散らした。このメンバーでは面会もなく外からの差し入れもない。刑務所から配給される食事だけでは足りないのだ。アフリカンもポーランド人のダニエルも大使館の援助は全くない。アミーゴにはそれはあるが大切なお金で食べ物は買わない、スタッフとビリで精一杯だ。アミーゴはぼくを同房にしてスタッフやビリのおこぼれにあずかろうと思っていた。デブは自分勝手にやろうとしていたが皆の不満はあった筈だ。全員の前で食事は公平に分けろと言われれば反論は出来ない。奴は明らかにぼくを追い出したいという態度で文句を言っている。我慢する事はないまだ房を替わるのに何の許可も必要としないのだから。8房のランジャンにチャッキするからと言ったら
「ようこそ、我が8房へ」
と歓迎してくれた。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・9

2014-12-05 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

 今日、サンジと久し振りに会った。アシアナで7週間、一緒に薬物の治療を受けた。ドラックはやっていないと言う彼の身体は健康そうだった。オールドデリーのティスハザール裁判所で審理されている外国人は少ないし知っているインド人もいない。そんな時アシアナで知り合った顔に出会うとちょっと懐かしく話をする。行き帰りのバスではぼくの座席を取ってくれたり、留置場でティーを買ってくれたりと助かる。サンジに15ルピーのクーポンを渡してビリ2本と留置場の定番トーストのカレー衣揚げを買って来てもらった。2人でビリを吸いながらそれを食べた、美味しい。だがぼくにはとても買えない。通路側の鉄格子にはインド人が鈴なりに張り付いていて通路を連行されていく知り合いを捜しているのだ。その間に頭から突っ込んでビリや食べ物を買うのは至難の業だ。とにかくインド人は煩い、留置場の中はウォーワァーと大声で喋っている。刑務官の呼び出しの声も聞こえないぐらいだ。そんな喧騒が普通だから刑務官も静かにしろとは言わない。騒音に負けない大声で何度も刑務官は呼び出しを続ける。最初、ぼくは自分の名前を聞き逃すまいと神経を尖らせていたが今では諦めている。留置場の壁に凭れてスタッフの効きで居眠りをしていてもインド人が知らせてくれる。
「ジャパニー、チョロ」
と、インド人にはない名前だし外国人はぼく1人だから。
 今日も2時頃、戻って来た。このくらいの時間に帰って来られると楽だ。当然、昼食はない。裁判所からお腹を空かして帰ってくるからと食器に残してくれる事などあり得ない。バナナかビスケット等があるので夕食までそれで我慢する。3時のティーは旧Cバラックに行ってスリランカ人と飲んだ。一緒に居た時は嫌だと思っていたが今ではここにいると気が楽になる。それはショッカンがスタッフを止めているからだ。以前のように中毒者の目の淵を黒くして猜疑心の顔をされたらぼくはここに来ないだろう。ショッカンは禁断から抜けて心が安定し人の良いスリランカ人の顔になっていた。いつもお金とスタッフを無心する奴とは思えない。今の状態だったら一緒に生活しても良い、ただこの状態がいつまで続くかだ。今このグループは誰もスタッフをやっていない。そこにぼくなりアミーゴが入って来ると空気が一気に崩れてしまう。久し振りだからちょっとだけやるか、と粉を入れると中毒者はもう後戻りは出来ない。何度もそれを見てきたし、ぼく自身も体験してきた。中毒者の心理は良く分かる。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・8

2014-11-30 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

どうもアフリカンのデブとは上手くいきそうにない、新しく替わってまだ3日だというのに。チャッキするとしたら3房のフィリップスの所か、ここは3名だから一応OKだ。ただ汚い、掃除をしてないのだろう。4房はピーター他2名で1名分の余裕がある。後は8房のランジャンの所も可能性がある、がどこにチャッキしても面白い事はなさそうだ。3房に入ったらスタッフの心配はない、フィリップスと同房だから、ただ他の売人から粉を買う事は出来ない。
 明日も裁判所出頭だからディクソンの衣類はそのまま借りる事にした。
「ノープロブレム」とディクソン。

   1月20日(金曜日)
 疲れた。どうしてぼくの場合、2日連続の出頭になるのか、1日だけでは終らない。今日、何があったかと言えば裁判書類を15枚くらい貰っただけだ。肝心の私物の返還はなかった。大切だと思われる裁判書類が15枚も出されているのに弁護士は来ていない。法廷で30分以上待たされた。その間、刑務官に頼んで知らないインド人からビリをバクシシしてもらって吸っていた。パールガンジ警察署の私服のポリが来ていた。2度目の再会だ。奴がここへ来た理由はぼくの私物の件だろうと思ったので聞いてみたが、その件は知らないと奴は言った。
 次回の出頭日は5日後の1月25日と決まった。弁護士はやはり昨日、来ていた。申請書を法廷に提出していたと書記官が教えてくれた。弁護士が今やろうとしているのは裁判所の権限でぼくの小切手を現金化する事ではないかとぼくには思えてしょうがない。彼はまず弁護費用を確保したいのだ。昨日、弁護士もマリーも来ていた。今日、15枚ものぼくに関する裁判書類が出される事を知らなかったのだろうか。裁判の進行さえ順調に行けばぼくは弁護費用の準備は当然する。今日、受取った書類の内容をぼくは早く知りたいのだ。大使館と東京銀行のゼネラル・マネージャーにぼくが手紙を書かないので弁護士はぼくを通さない別のルートを急ぎ出した。裁判所の審理は進んでいるのだろうか全く分からない。次回の出頭日、1月25日でぼくが逮捕されてちょうど3ヶ月になる。誰もが、裁判が動き出すのは3ヶ月後からだと言う。これからぼくの審理は本格化するのだろう。それにしても昨日、今日と弁護士に会っていない、ここにきて弁護士が不在だと心細い。数多くの依頼人を抱えていてぼく1人に掛かりっきりとはいかないだろう、それは分かる、しかし1月5日に会っただけだ。お金の催促の為に刑務所に来る時間があるのだったら裁判の方をちゃんとやってくれよ。
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ジャンキーの旅          No5 Ward・・・・・7

2014-11-26 | 4章 デリー中央第一刑務所No5Ward

「スタッフを入れよ」
「次回、何時間後のスタッフを用意せよ」
その指示を忠実に守った時、ぼくらジャンキー達は何の不安もなく心穏やかに過ごせる。だが一度でもその約束を守らないと厳しい禁断という罰が与えられる。苦しみもがくジャンキーに
「スタッフを入れよ」
という指示が同じく苦しむ擬似脳から連続して出される。スタッフの補給を断たれた擬似脳の中枢は乱れる。禁断に苦しむ擬似脳は肉体を直撃する。体の激しい痛み、下痢、不眠、頭の中を切り裂く電気。耐え切れなくなった肉体はスタッフを手に入れようとする。スタッフの注入は終った。悪夢は去った。
 朝8時頃までに2パケを入れ、ビリをズボンの裾の折り返しに隠して裁判所へ出発した。1本のビリは真中から折れていた。護送車に乗る時インド人は座席を取る為、乗り口で揉み合いぼくもそれに巻き込まれてしまった。留置場に着いてアシアナで知り合ったインド人を見つけ奴にビリを渡す、火がどこにあるのかぼくには分からない、が奴は口から煙を出しながら戻ってきた。ビリを吸っているとインド人が集まってきた。アシアナで一緒だった奴は当然のような顔をしてぼくに近づいて来る。ビリを半分くらい吸って火を点けてくれたインド人にそれを渡し輪から離れた。
 第1刑務所に戻って来たときのチェックは厳しかった。ズボンの折り返しから靴まで徹底的にやられた。ライターの持ち込みを考えていたが無理だろう、精々マッチ棒くらいなら何とかなるかもしれない。マッチを包んだハンカチを手に持って両手を上にあげチェックを受け、終ればハンカチをポケットに入れてしまう。後は靴の調べが終れば中に入れる。見つかれば蹴りとパンチくらいの覚悟は必要だが。午後2時ごろ第5収監区に戻って来た。3時まで施錠されていて房に入ることはできない。大木の台に座って開くのを待っていた。静かだ。暖かい陽が差して鳥の声と木の葉を通り抜ける風の音だけが聞こえた。
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