たすくの空中散歩

千葉県我孫子「石臼と麦」店主、相澤たすくの農作業や工作や
日々の一喜一憂を記録していきます。

うらちゅう散歩

2010年06月19日 14時28分26秒 | 一喜一憂

以前に少し書きましたが、僕にはある時点からずっと探していた「答え」があって、それに最近やっと気付くことができました。

それで、そのことに気づいてしまってからは、それまでとは物の見方、考え方、価値観などが全く変わってしまって、世間とのギャップが生まれてしまって、少し戸惑っています。

何からどのように話せば、みんながびっくりすることなく自分の考え方を自然に受け入れてもらえるのか。
特に今は、行動よりも言葉ばかりが先行してしまい、もどかしい気持ちです。

かと言って何も話さなければ、急に農業やるって言い出したり、何やらあやしげなことを言い出したりして、一体どうしたんだろう?何か宗教にでも入ったのだろうか?よっぽど悲しいことがあって、気が違ってしまったのだろうか?とか、余計なご心配をおかけするのもアレですので、簡単に解説してみようかと思います。

それで、いろいろと自由に書けるように、新しく裏ブログを開設することにしました。
僕の今までの人生がどんなで、何を考えて生きてきたのか、どのようにして「気づき」に至ったのか、あと、気づいて解ったこととか、まあ、どうでもよいことやら何やらをゆっくり綴っていこうかと思っております。
ご興味ございましたら、たまに覗きにいらしてくださいませ。

裏ブログ「うらちゅう散歩」http://blog.goo.ne.jp/ura_sanpo

さて、それで一体何に気づいたの?ってことなんですが、ええと、まあ単純に言うと「すべてはひとつだったんだ!」っていう、一番あたりまえなことに気づいて、それに繋がっていろいろと「あらゆるものはもともと無かったんだ!心でつくっているだけなんだ!」ということ等などに気づいたわけなんです。

例えば身近なものでいうと、お金とか経済とかって、もともと「無い」ものを大人たちが「有る」ことにして活用しているわけなんです。
同じように国境とか人種とか、政治とか宗教とか、善とか悪とか、幸とか不幸とか、豊かさとか貧しさとか、恨みとか憎しみだとか、あらゆるものがことごとく心が作りだす幻なんです。

っていうのは、それらの存在を否定したいわけではなくって、もともと無いものなんだから、そんなもののために争ったり、奪い合ったり、思い悩んだり、ましてや殺したり、自殺したりなんてのは無意味なことなんじゃないかなー、と普通に思うわけなんです。
無意味なものに勝手に意味をつけて右往左往するのは、人類の演じるとんだ茶番なわけなんです。

「悟り」っていうのは「悟り」なんていういかめしい仏教用語を使うから日常から離れていってしまうのであって、ようは「気づく」ことなんです。

あらゆる知識常識の着物、飾り物をぬぐい去って、生まれた瞬間の何も知らなかった自分、ただ単に宇宙の一点でしかない自分に気づき、思い出すことなんです。

人は生まれて目が開いたその瞬間から、知識を得ていくごとにひたすら心の目が閉じていくのです。
その点で「子供の感覚」を大切にして、それを大人の常識で否定してしまおうとしなかった僕の両親が、今のような僕を育ててくれたと言えると思います。
子供は大人が知っているのと同じように、大人の知らないことを知っているのです。

以下は、僕の中に自然発生的に生まれた、この宇宙のしくみを3つの法則で表したもので、「調和の三原則」とか「デクノボー三原則」とかって呼んでいます。

1.等価交換

何かを得るときには、必ずそれと同等の何かを失う。
何かを失うときには、必ずそれと同等の何かを得る。

2.陰陽一元

あらゆるひとつのものは、その中に陰と陽の二つの要素を持ち、また、陰の中にも陽の要素が含まれ、陽の中にも陰の要素が含まれる。*添付画像「対極図」


3.すべては一つ

あらゆる個別のものは大きな一つの中の部分部分に過ぎない。
これにより、あらゆる個別のものは同時に一つでもある。


詳しくはまた表か裏のブログで解説するかもしれませんが、ようはあらゆることはもともと無意味で「ただ起きているだけ」なのです。そして全く無駄がないのです。
そして、もともと無意味だからこそ

「人間は起きた出来事に、自分だけの意味をつける自由がある」カール・ユング

ということになるのです。

だから、この世の無意味さを真に知ることは虚無感へとつながっているのではなく、むしろ限りなく自由で、無限の可能性を秘めた自分を知ることであり、すべてが赦されている広大な宇宙という神様のふところに生きていることを知ることでもあります。

かくして僕は、この宇宙はもともと完璧で、無償の愛によって常に満たされているということを知ったのです。

苦楽を超えて、善悪を超えて、自分と他人とを超えて、生と死とを超えて、あらゆる境界線の無いすべてがひとつの世界。

楽園なんて意外と身近にあるものですね。

皆さんついて来れましたでしょうか(^_^;)

さて、明日は千葉の不耕起栽培の第一人者、岩澤信夫さんのところに大豆づくりを教えてもらいに行ってきます。
何にも知らない僕なんかが行って大丈夫なんでしょうか?
楽しみですー!!!

コメント
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