たすくの空中散歩

千葉県我孫子「石臼と麦」店主、相澤たすくの農作業や工作や
日々の一喜一憂を記録していきます。

自然の力、生命の力、肯定の力(6)~元素転換part.1

2011年11月26日 18時33分43秒 | 一喜一憂

これまでの記事
自然の力、生命の力、肯定の力(1)~動的平衡part.1
自然の力、生命の力、肯定の力(2)~動的平衡part.2
自然の力、生命の力、肯定の力(3)~あいまいな量子part.1
自然の力、生命の力、肯定の力(4)~あいまいな量子part.2
自然の力、生命の力、肯定の力(5)~あいまいな量子part.3

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耕さず、肥料もやらず、無農薬で野菜が育つ。
そんな楽をして得をするようなうまい話があるわけない、と思うかもしれません。
ところがこれは、自然界がもともと持っている生産力と、野草と野菜とに区別のないことにさえ気づけば、ごく当たり前のことなのです。
うちの畑も2年目になりましたが、全く問題なく作物は穫れ続けています。
以下、うちの畑の収穫物。み~んな不耕起、無肥料、無農薬! *クリックで拡大

     
     
                           


一般的な農業の入門書等では、耕す、石灰を撒く、肥料をやる、雑草を取り除く。これらのこと、いわゆる「土づくり」は作物がより良く育つための+αとしてではなく、ほとんど必須条件ということになっています。
特に、肥料をやらずに作物が育つなどということは理屈的に言って「ありえない」ことになっています。

そして面白い事に、近代農法の手引きにそって畑をやれば、近代農法の言うとおりのことが起きるのです。
作物を育てる度に土地は痩せ、肥料を施さなくては作物がまともに育たなくなり、石灰(カルシウム化合物でアルカリ性)を撒いて矯正しなければならないほど土が酸性化し、耕さなくてはならないほど土は硬質化し、農薬をつかわなければ病気にかかったり、虫に壊滅的にやられてしまったりします。
だからほとんどの人は、近代農法が間違っているなどとは思わないのです。
そこに悪気はなくとも、言うとおりにすればするほど、言いなりになってしまうようにできているのです。

さて、この話は他の近代的なもの、例えば近代医学でも全く同じことが言えます。
なぜなら、生命を支えるはずのそれらは、『生命力』を無視した、同じ近代物理科学定理を元にしているのです。


<元素革命~近代化学の誕生>

時は17世紀、ヨーロッパでは蒸気機関などの発明によって、仕事を機械にやらせようという動きがさかんになりました。
そして、生活の中心が、人力や自然の力(=生命の力)から機械の力へと移行しはじめると共に、世界を構成する根本要素=『元素』の考え方も、それまでの「生命が何でできているのか?」という観念的な4化元素(森羅万象は土、水、火、風の4元素から成り、それらは互いに移り変わる)よりも、「物質が何でできているのか?」という、物としての実用性のある元素の解明が求められるようになりました。

「全ての物はこれを細かく切り刻んでいくと、もはやそれ以上は小さくすることのできない数種類の運動する粒子になってしまう」

哲学上の仮説でしかなかったこの古代の原子論に感銘を受けたロバート・ボイルは、元素の考え方を「誰がやっても常に同じ結果が得られ、誰にでも確かめることのできる実験的な事実を基にした正確なもの」に改めるべきであると主張し、自身の実験によって明らかにした気体の圧力と体積の関係(ボイルの法則)が原子論によってうまく説明できる事を示しました。
そしてこの頃「正確な実験によって実証された事実のみを尊重する」という近代的な科学の方法論が確立されます。

18世紀終わりには、その近代的な方法論によって蓄積された様々な発見を、統一した理論にまとめる必要に迫られていました。
そこに登場したのがフランスの科学者、アントワーヌ・ラヴォアジェでした。
それまでの百年近く、科学者の間で「燃える」という現象は、物に含まれる「火の元素=燃える素(フロギストン)」が放出されることであると考えられていたのですが、ラヴォアジェはそれを物質が別の気体と結びつく現象であること証明し、「空気(風)」が別々の2つの気体から成ることを発表します。
また、「水」が二つの気体の化合物であることが発見されると、この二つの気体に、『水素(Hydrogene)』、『酸素(Oxygene)』と名付けました。
*Hydro_gene…水(Hudor)+生成する(Genero)、Oxy_gene…刺激性(Oxys)の酸+生成する

やがてラヴォアジェはさまざまな実験を通じて、いかなる化学変化でもその前後で質量が変化しない、という「質量保存の法則」を確信します。
そして1789年、世界を構成するそれ以上分割不可能な根本要素として33の「元素」を挙げ、物質の命名法に基づいた化学理論を体系的にまとめ上げた『化学原論』を出版し、近代化学知識の統一を実現しました。

さらに、その後の科学者たちの発見(「定数比例の法則」「倍数比例の法則」など)によって、正しい元素とは、それ以上分割できない粒子「原子」のことである、という近代的な意味の「元素=原子論」の基礎が築かれ、人類の自然界への理解と接し方に革命を起こします。

「万物は原子の組み合わせであり、万象とはこの組み換えである。
そしていかなる化学反応においても、原子と原子の組み合わせが変化するだけで、原子そのものは増えも減りも変わりもしない。」

人類は「原子」というしくみを明らかにしたことで、自然界を自由に創り変え、支配する術を手に入れたのです!

古典的な自然科学者たちからの多くの反対意見はあったものの、それ以来『元素(原子)は絶対不変』というルールは近代化学の近代化学たる最重要原則となり、疑う者の声を撥ね退けました。
そして、実際その原則を応用した近代文明は自然を押しのけて巨大に膨れ上がり、農業、工業、医学、栄養学、地質学と、あらゆる分野で人々の生活を包み込みました。
また、それら自然界を制御する技術は、人類の進歩、発展であり、その有効性こそが理論の正しさを示すものであると謳われ、原則への疑問の声は、勢いの中にただ飲み込まれていくだけでした。

とはいえ、この『絶対不変の元素』の考え方で言うと、地球に現存する物質は、”はじめから地球にあった”ものがそのまま残っているだけ、ということになります。
つまり、この宇宙、地球自然界のはじまりに対する答えは、依然”神による創造”から脱してはいなかったのです。

やがて19世紀も終わりごろ、百年近く信じられてきた『絶対不変の元素』は一つの例外を認めることになります。自然界で元素がより安定した軽い元素に転換する「放射性元素」の存在です。
「それ以上分割できない」と思われていた原子に内部構造が存在し、原子は中性子と陽子からなる「核」と、その周りを飛び交う「電子」から成ることがわかったのです。

そして、超が何個もつくような大きなエネルギーを与えると、原子核同士がくっついてより重い原子へと転換される「核融合」や、とても重い元素に、中性子を勢いよくぶつけたりすることで、原子核が分裂してより軽い2つ以上の原子に転換する、「核分裂」の存在が明らかになったのです。
(この核分裂の際に放出されるエネルギーを利用したものが、原子力発電と、原子爆弾です。)

これによって、ビッグバンや、太陽の何倍もあるような巨大な恒星(自分から光を発する星)の内部などの超高温・高圧力状態で元素が核融合を起こし、新たな元素が生まれ、それが爆発によって散らばり、お互いの重力によってまた集まって…を繰り返す中でできたものが地球であり、様々な惑星であるという説明ができるようになりました。

ただ、この考え方で地球に現存する様々な元素、金や白金などの鉄よりも重い元素の生成を説明するのにはまだまだかなり無理があり、憶測の域を出てはいないそうです。
ようするに、最新の科学でも、地球に存在する多くの物質がもともとどうやって出来たのか、ほんとのところはよくわかっていないのです。

参考リンク「元素誕生物語」http://astrodate.bufsiz.jp/genso.htm


<世界は元素で出来ている>

ところで、原子とか元素とか大変紛らわしいですが、「原子」とは粒ひとつぶひとつぶのことで、「元素」はその粒を化学的性質ごとに分類したグループにつけられた名前の事です。(なので同じ“水素元素”というグループの中にも、中性子の数の違いによって、軽水素、重水素、三重水素などの様々な“水素原子”があります。)
そして、この「元素=原子の化学的性質」は、原子の持っている“電子の数”によってほぼ決まるのです。
「原子」は、その“陽子、電子、中性子”の組み合わせによって3000~6000種類はあると考えられていますが、「元素」は今まで確認されているもので113種類程しかありません。

この新しい「元素」の考え方によって、この全宇宙の森羅万象を、わずか100種類程の物質の組み合わせの違いで読み解けるようになったのです。

そして、その元素を重さ(=持っている電子の数)の順番に、特徴の周期ごとに並べたものが、水兵リーベー…で有名な元素の周期表です。
ここで面白いのは、ものの“質の違い”が、原子レベルでは“量の違い”に変わってしまうということです。

元素の周期表 *クリックで拡大


←文部科学省制作「一家に一枚シリーズ」*クリックで拡大
科学技術広報財団ホームページhttp://www.pcost.or.jp/index7.html(PDFの無償ダウンロードも可能です)


酪農の肥料も飼料も、人間の栄養学も医学も、様々な“近代的なもの”はこの新しい「元素」の考え方を基にして成り立っています。
つまり、物質の集まりである人間や作物を分析してみたところ、構成する物質が何%づつであることがわかったから、その物質を与えてやれば生命は保てる、という算段です。

「この筆法でゆくと、鶏はすなわち鶏体ないしは卵と同じ養分のものを摂取しさえすれば、それで鶏体の維持も卵の生産もとどこおりなく行われるということになる。そうだとすれば、鶏は「鶏と卵を食う」のがいちばん自分自身に合った食事ということになりはしないか。牛は牛を食い、豚は豚を食うのが「完全食」ということではないのか。」中島正著『自然卵養鶏法(農文協)』p.89より

野菜に必要な栄養素=野菜を構成する元素 *クリックで拡大


上に同じく、人体を構成する元素




かくして『元素』は、生命を構成する”流転的、神秘的、創造的”な存在から、物質を構成する”固定的、機械的、被創造的”なものへと移り変わってゆきました。
それは同時に、人々の自然界を見る目も、同じように移り変わっていったことを意味します。

そして21世紀の現在においても、その機械的で無機質な自然観は、人々の心をとらえ続けているのです。
なぜなら、実際それは何世紀もの間、同じ結論を証明しつづけてきたのです。
実験室の試験管の中では。

続く…



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