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無為自然<1>~草刈をしていて気づいた「時間」の話し
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とあるマーケティングの本によると、買い物の原理は無意識に寄るところがほとんどなのだそうです。
つまり、人はあれこれ考えて商品を選んでいるように見えるけど、実際は直感的、感覚的に商品を手にし、後付け的にその商品を手に取った理由を考えているのだそうです。
これはもちろん買い物に限った話しではありません。人の行動、生活の大部分が、動物だった頃の脳を使って、無意識的に生きているそうなのです。
確かに、車を運転するのに、次はアクセル、次はブレーキとか考えていたら天国へドライブしてしまいます。
自分で決めている、自分で動かしていると思っていたほとんどのことは、そう思い込んでいただけ。
で、あるならば、その思い込みを捨てて、人生を無意識の自分に、起きるがままにまかせてみたらどうなるのでしょうか?
<我ん張らない生き方>
「我を滅せ」「我を張るな」。
いろいろ分かっちゃってる人の言葉には、だいたい同じようにそう書いてあります。
でも、我を無くすってどういうことだろう?
と、あるときふと思いました。「頑張る」は「我ん張る」の意味に通ずるのではないか?
ということは、きっと頑張らない方がいいんだ!
…とまでは、なんとなく分かっていたのですが、頑張らないことと、怠けることの違いがよく分からず、つい頑張って無理をしてしまう自分がいました。
その心理の底にあったもの、それは、
「頑張れば頑張るほど未来は良くなるはず…。」
「常に頑張っていないと、将来への不安に覆われてしまいそうな気がして…。」
「常に頑張ってさえいれば、もしうまくいかなかった時に誰も責めないんじゃないか…。」
「人の目、親の目が気になって…。」
ところが、この度、その未来への不安、気にしていた世間の目自体が、心の生み出す妄想にすぎないことが分かってしまった!
頑張る必要が無くなってしまったのです!
で、これが面白いことに、肩の力を抜いて、頑張らないようになってから、あらゆることがスムーズに、うまくいくようになってしまったのです。
一体全体、何故頑張らないことで人生がうまくいくようになったのでしょうか?
<自ずから然るがままに>
学生の頃、修学旅行かなにかで、とあるめちゃめちゃ空いている遊園地に行って、同じジェットコースターに何回も乗った時、しがみつくより、手を離してバンザイして乗っている方が、実は怖くなくなることに皆で気づきました。
ジェットコースターに乗って恐怖を感じるように、人は思い通りにならない人生にイラ立ち、恐れを抱きます。
人生は思うようにならない
ならば思うことをやめてしまえばよいのです。
そうすれば、人生は思うようにならないようになりません。
予測し、期待をするから、その通りにならなかった時に気を落としてしまうのです。
例えるならば、人生は、子供が乗って遊ぶ、車のおもちゃみたいなもの。
お父さんに動かしてもらいながら、空のハンドルを切って遊んでいるだけなのです。
ところが、大人がこれに乗ると、なぜ自分の切った方向に曲がらないのかと、イライラ不満ばかり。
この空ハンドルを楽しむコツは、曲がった方向に自分の切るハンドルを合わせること。
そうすると、まるで自分が思い通りに動かしているような気分になれます。
これが、我ん張らなくなると、なぜ人生がうまくいくようになるのか、そのタネ明かしです。
うまくいくようになる、というより、うまくいっているように思うようになるのです。
我ん張らない生き方とは、人生を自分でコントロールしようとすることを、すっかり諦める生き方。
どのみち、どんなに綿密な人生計画を立てたところで、一寸先の未来に起こることすら、誰にも分りはしないのです。
決められたレールの上を走るコースターのように、将来に対する決定権が自分には無いことを理解し、今までしがみついてきた人生のハンドルと、不安、希望、成功、地位や名声、あらゆるものから手を離し、すべてを天に委ね、受け入れてしまいましょう。
そもそも、生まれてもどうせ死ぬのだから、どんなことを為(成)そうが、泣こうがわめこうが、人生そのものが大いなる無駄なのです。
自ずから然るがままに
自然な形で自分に与えられる仕事を精一杯こなし
自然な形で自分から離れていくものに執着をもたない。
貪ることなく、臆することなく、何を為(成)そうともせず
与えられる役目を文句言わずにこなしていけば
放っておいても、ものごとはなるようになっていく。
水が地形にそって流れ、やがて海へと辿り着くように
必要なものは、必要な時に手に入り
おさまるべきところにおさまっていく。
すべてが定まっていて
それ故に完全に自由であること
それ故に一切の無駄が無いこと
と同時に一切が無駄であること
その表裏一体なるこの世の矛盾を真理と体得し、
過去を思わず、未来を思わず
無念無心にこの世に身を委ねる時
人は意外な自分の正体に気づくかもしれません。
「幸と不幸、損か得か、また勝敗のことなど一切考えずに
ただ義務なるが故に戦うならば、君は決して罪を負うことはない
結果を期待せずに働くことによって、君はカルマ(*業=行為と結果の鎖)から開放されるのだ。
君には定められた義務を行う権利はあるが、行為の結果についてはどうする権利もない
自分が行為の起因(もと)で、自分が行為するとは考えるな
アルジュナ(*主人公)よ、義務を忠実に行え
そして成功と失敗を等しいものとみてあらゆる執着を捨てよ
このような心の平静をヨーガと言うのだ」
~『バガヴァット・ギーター 訳:田中嫺玉(TAO LAB BOOKS)』より抜粋 *印はたすく注釈
(つづく…)