患者さんのご要望で、カウンセリングの時とかに話している、幼い頃とか学生時代とかのヤンチャな楽しい話を読みたい、今の若者達に50代になったオジサンたちがどう言う子供時代を送って来たのか、そう言う楽しい話が夢を与えられるんじゃないのか、とおだてられて、又新しいシリーズを始めます。
ヤンチャなインプラントDRがヤンチャだった頃シリーズです。
今日の患者さんと盛り上がった話は、鉄男さん話です。
私は10歳頃まで田舎で育ちました。
鹿児島の出水、埼玉の蕨、静岡県の伊豆長岡、伊東、そして、又出水、それから上京してきて東京です。
両親の出身は鹿児島の出水市なので、子供の頃には今はなき寝台列車ブルートレインはやぶさ号に乗らされて帰っていました。
その頃は東京から乗って出水までほぼ20時間。
妹達を引き連れて、子供達だけで帰っていました。
その頃は、寝台列車には必ず食堂車、と言うのが付いていて、そこで食べるハンバーグライスが大好物でした。
子供達だけなのに、周りの大人は凄く優しくしてくれて、怖い思いとか嫌な思いとかをした思い出は全くありません。
父母、両親は良く子供達だけで平気で送り出してくれたなー、と感心します。
今から40年以上も前の話です。
ブルートレインなんて洒落た呼び方は、まだされてませんでした。
西鹿児島今の鹿児島中央駅まで行くのがはやぶさ、熊本までしか行かないのがさくら。
懐かしい響きです。
私たち子供が乗るのは勿論B寝台列車3段ベッド。
細いハシゴを登って上がる訳です。
一番上の3段目は屋根裏に張り付いてる感じで、それはそれは狭い。
子供でも狭かったんですから、大人は大変だったと思います。
夕方の時間に出発して、薄暗くなる頃には早々とベット状態にして横になったりしていました。
一番下の段は座席を兼ねているので、休みたい人は中段とか、上段を予約して横になっていました。
窓側に通路が設置してあり、そこに開閉式の椅子があって、私は暗くなった景色を眺め、都会から離れて行くと徐々に暗くなるのをぼんやりと眺めたりしていました。
寝台列車の醸し出すあの独特の雰囲気は、とても懐かしく思い出します。
薄暗い車内、カタンコトン揺れる音、遠くに見える灯り。
妹達はお行儀が良くて、わりと直ぐに寝てしまっていましたが、私は薄明かりを眺め、走っているんだなー、このままで出水に着くんだなー、と感触を味わっていました。
記憶の中にあるはやぶさは、新幹線のように格好良い感じではなく、特急と呼ぶにはゆっくりとした感じで、東京と出水をつないでくれていたのです。
今、新幹線が走り、7時間掛からずに帰ることが出来ます。
凄い時代ですが、あの頃の寝台列車を懐かしく思い出すのです。
ヤンチャなインプラントDRがヤンチャだった頃シリーズです。
今日の患者さんと盛り上がった話は、鉄男さん話です。
私は10歳頃まで田舎で育ちました。
鹿児島の出水、埼玉の蕨、静岡県の伊豆長岡、伊東、そして、又出水、それから上京してきて東京です。
両親の出身は鹿児島の出水市なので、子供の頃には今はなき寝台列車ブルートレインはやぶさ号に乗らされて帰っていました。
その頃は東京から乗って出水までほぼ20時間。
妹達を引き連れて、子供達だけで帰っていました。
その頃は、寝台列車には必ず食堂車、と言うのが付いていて、そこで食べるハンバーグライスが大好物でした。
子供達だけなのに、周りの大人は凄く優しくしてくれて、怖い思いとか嫌な思いとかをした思い出は全くありません。
父母、両親は良く子供達だけで平気で送り出してくれたなー、と感心します。
今から40年以上も前の話です。
ブルートレインなんて洒落た呼び方は、まだされてませんでした。
西鹿児島今の鹿児島中央駅まで行くのがはやぶさ、熊本までしか行かないのがさくら。
懐かしい響きです。
私たち子供が乗るのは勿論B寝台列車3段ベッド。
細いハシゴを登って上がる訳です。
一番上の3段目は屋根裏に張り付いてる感じで、それはそれは狭い。
子供でも狭かったんですから、大人は大変だったと思います。
夕方の時間に出発して、薄暗くなる頃には早々とベット状態にして横になったりしていました。
一番下の段は座席を兼ねているので、休みたい人は中段とか、上段を予約して横になっていました。
窓側に通路が設置してあり、そこに開閉式の椅子があって、私は暗くなった景色を眺め、都会から離れて行くと徐々に暗くなるのをぼんやりと眺めたりしていました。
寝台列車の醸し出すあの独特の雰囲気は、とても懐かしく思い出します。
薄暗い車内、カタンコトン揺れる音、遠くに見える灯り。
妹達はお行儀が良くて、わりと直ぐに寝てしまっていましたが、私は薄明かりを眺め、走っているんだなー、このままで出水に着くんだなー、と感触を味わっていました。
記憶の中にあるはやぶさは、新幹線のように格好良い感じではなく、特急と呼ぶにはゆっくりとした感じで、東京と出水をつないでくれていたのです。
今、新幹線が走り、7時間掛からずに帰ることが出来ます。
凄い時代ですが、あの頃の寝台列車を懐かしく思い出すのです。