私は今は、とにかく患者さんが痛くて大変辛かったとか、腫れ上がって1週間以上も外に出られなかったとか、怖くて怖くて仕方がなかった、と言う歯医者の外科手術のイメージを変えようと、新しい本当に患者さんにとって治療受けたことが嬉しくなってしまうような、そんな再生歯周病治療とインプラント治療を、正しく広めたいと願っています。
それと言うのも、私自身が10年程前までは相当にGBR骨造成、歯肉移植等の手術を沢山やり、せっかく即時荷重でインプラント出来て、綺麗に歯が入っても、患者さんは歯が入った喜びよりも手術自体の辛さ、大変さで苦労されるのを目の当りにして来たからです。
それでも、その当時の私は、手術した最初から綺麗に歯が入っているんだから、それで充分ではないか、これ以上どうして上げれば良いんだ、と考えていました。
その当時のこととて、業界内の一般的な手術レベルからは遥かに高い、1回きりで全部を終わらせれる治療方法でしたし、私なりに出来る限り小さい範囲内で解決するように一所懸命に頑張っていたからです。
あの頃の時代背景から考えれば、止むを得なかった、これ以上のものを提供するのは無理だ、と思っていたのです。
それどころか、あの当時の私は、2000年のAAPで見た恩師DR.ラムの治療レベルを超えている治療をしているのではないか、世界でもこれくらいの仕事出来ている専門家はそうはいないだろう、と自信を持っていたりしました。
そんな時に、2003年サンフランシスコのAAPが開催されるのを知り、この機会にと図々しくもラム先生に個人的に連絡し、レクチャーするセミナーとかがないでしょうか、とお聞きしたのです。
そうしたら、私のコースは開催したばかりで、次は来年だよ(因みに、私は後で参加するのですが)、と言われ、がっくり肩を落とし、それではクリニックの見学だけでもさせていただけないだろうか、とお願いしてみたのです。
そうしたら、信じられない位幸運なのですが、じゃあ特別に個人レクチャーして上げるからAAPの1週間前からサンフランシスコへおいで、と言っていただけたのです。
私は、これはとんでもなく運が良い、最高のチャンスだと確信しました。
飛び上がらんばかりに嬉しかったです。
そして、ぜひ伺がいます、と約束しました。
その頃の私にとって、サンフランシスコに単身(正確には帰国子女だった勤務医と一緒でしたが、因みに、何もないですよ念の為)で渡るなんて凄く勇気が要って、半月以上もクリニックを空けると言う大変な決断だったのですが、愛弟子だった勤務医だった女医に留守番を頼んで、勇躍飛び出したのです。
それが、私にとって人生最大の転機に成りました。
お蔭で、何度も海外の学会に平気で出れるようになりましたし、何よりも、当時漸く始まりだした低侵襲再生外科手術による歯周病治療、インプラント治療を目の当たりに見ることが出来たからです。
正直に言って、私は自分の腕、実績には自信がありました。
これほどのことを成し遂げている専門家は早々いないだろう、ラム先生に見ていただいて評価いただこう、と考えていたのです。
しかし、見学が始まって、頭をハンマーで殴られた位の衝撃を私は受けました。
何をしているんだ?
これは何なんだ?
何故これで良いんだ?
でも、患者さんの治り方を見ていると、目茶苦茶綺麗、傷跡が全くない、痛がってもいないし、手術直後なのにニコニコ笑っている。
一体全体何が起きているんだ?
そんな感じでした。
私の元に見学位来られる先生が良くいます。
皆さん一概に、これは凄い、と言われます。
皆さん、信じられない、これで治るんですか?今までの自分がして来たことって、過剰侵襲だったって言うことですか?と嘆息されます。
そんな状態に近い、いやもっとそれ以上の強い衝撃を私はラム先生の元にいた1週間で受けた、と言って良いでしょう。
世界的に見ても、本当に低侵襲外科手術の始まり、そう言える現場に私は偶然にも立ち会わせていただけたのです。
何と言う幸運でしょう。
信じられない位の運の良さです。
そして、夢の1週間が過ぎ、AAPが開催されましたが、そこには見学させていただいたような内容は一切出て来ませんでした。
実に不思議な気分でした。
俺が見たのは夢なのか、あれは何だったんだ、と。
それで、会場でラム先生を捉まえて、先生学会で発表しているのは何なんでしょうか?と質問をしたところ、ラム先生はニヤッと笑って、ノリお前は真実を知っている、俺のことを信じるか?と答えたのです。
それに対して、私は即答してYes!!,私は生涯あなたを心から信じます、と言いました。
それで良い、とラム先生は答え、私の肩をグッと一度抱いて、会場を後にしました。
今でも忘れられません。
鮮明に覚えています。
私はその時に、本当の世界の最先端、新しい歯科治療、再生療法、インプラント治療の世界を見せていただいたんだ、何処の馬の骨とも分からない、極東の彼方の国、日本の名もないしがない一開業医に、惜しげもなく全てを授けて下さったんだ、と興奮して、嬉しくて嬉しくて仕方がなかったのです。
早速、帰国して、私は伝授していただいた低侵襲外科治療を始めました。
そうしたら、最初の頃は私のスタッフ、勤務医達までが、院長がおかしくなって帰って来た、又海外にかぶれて帰って来て、変なことし始めた、と言う反応だったのです。
正直に言えば、あんなことして大丈夫なのか、大変なことに成るだろう、と見ていたのです。
しかし、成果が目の当たりに出始めることで、彼女達の反応も変わって来ました。
院長、この方法凄いですね、全く腫れないし、患者さんが痛がってない、患者さん受けが凄く良いですね、と。
そして、他の先生方は、まだあの昔の仕方しているんですよね、可哀想ですね、とまで言わせられるようになったのです。
これは行ける、これこそ新時代の治療方法だ、と私は確信しました。
それ以降、私の最大の関心は、低侵襲で治すこと、患者さんにとって楽である、と思える治し方で治せるように、となったのです。
そして、今、思った通りに低侵襲は世界に広まり、日本にも入り始めました。
しかし、残念ながら、まだまだ正しくは広まっていない、と思います。
低侵襲の概念の定義も曖昧ですし、その先生が自分は低侵襲心掛けています、と言えば、それを信じるしかない、と言う状況です。
当院のスタッフもセミナー、学界に連れて行くこともありますが、その時に、院長あの先生あれで低侵襲って言ってますね、良いんですか、と周りに聞こえる位の声で言うので、私は冷や汗たらたらです。
でも、実際、私も低侵襲、痛くない腫れない手術、と言う考え方からは外れているな、と思うことばかりなのです。
どうやら、具体的な考え方、手技等の内容が、海外からですから正しく伝わってはいないようなのです。
ですから、概念の混乱が生じているのでしょう。
私はラム先生から正統な教えを直に授けられ、それを日本人向けに改良して応用して来ました。
なので、やや語弊のある言い方なのかも知れませんが、私の方法が源流はラム先生でも、源流とは何となく似ているな、と言う状態にまで変質してしまって、ほぼオリジナル、私自身の工夫の中で思い付いて成し遂げて来たことばかりです。
その為に、私の方法は何処にもない、独自の方法です、と言っています。
私独自の、痛くしない、腫らせない、怖くしない低浸襲な処置による再生歯周病治療とインプラント治療。
それを私は10年以上積み重ねて来ました。
お蔭さまで、傷口の全く分からない、手術直後から綺麗な、何処にインプラント入れているのか分からない、自然に歯がある感じで治っている、と言う状態を出来るようになりました。
歯周病の再生治療でも、必要最小限度で切開することで、殆ど骨を露出させない、だからこそ痛くなくて腫れない歯周外科手術が出来るようになりました。
それでも、患者さんはイメージとして怖いと言う感覚を強く持っています。
ですから、そう言う方には、手術中に寝ていていただき、仮歯入ったりする頃にチャンと目覚めて、麻酔が切れて来ても痛くも何ともない、と言う方法を取って、怖くないように怖がらせないように処置を出来るようにしています。
一番怖いのは、麻酔が切れた直後、そして翌日、翌々日なのです。
麻酔が効いている時は、痛くも何ともないので患者さんは平気です。
でも、麻酔が切れ、感覚が戻って来た時に、初めて自分がどれだけの侵襲のある手術を受けたのかを身を持って知るのです。
その一番怖い時、大変な時でも、患者さんがニコニコ出来ている位の低侵襲な外科治療を、私はしています。
その成果を目の当たりにするにつれ、新時代はこう言う手術、処置に必ずなる、と感じるのです。
私は、これからも益々鍛錬を重ね、より進化させ、患者さんの為に尽くす覚悟です。
低侵襲、だから痛くしない、腫らせない、怖くしない再生歯周病治療とインプラント治療。
この看板だけは、誰にも譲りません。