○4月14日(金)・4月29日(土)
ケラリーノ・サンドロビッチは、しばらく新作を書かないらしい。
海外の作品の演出(『ヴァージニア・ウルフなんて怖くない』とか)はするけれど、
ナイロンの本公演も再演が続くみたいです。
それで、再演の一弾が『カラフルメリィでオハヨ~いつもの軽い致命傷の朝』。
これは、作者にとっても観客にとっても、
4回も上演されていることもあって、思い入れ深い作品。
私にとっても、ナイロン作品でも映像で一番多く触れているのが
この『カラフルメリィ…』です。
だからこそ、今回、芝居の幕が開いたとき、なんだか懐かしい気がしてしまいました。
今まで映像で見ていた三演とまったく同じようにふたりの“みのすけ”のモノローグが始まり、
常に時間が動かない世界の中に、舞い戻ってしまったかのような錯覚。
それこそ、老“みのすけ”が見ているカラフルメリィの幻想のようで。
痴呆症(もとい、認知症)の老人を抱えた家族と、
病院からの脱走を計画するちょっと変わった患者たちを
交互に描いていくこのお話は、
見ていくうちに、老人と脱走する少年が同一人物であると分ります。
ただ、そのどちらともいえない存在や、
リアルに考えると深刻な家庭の事情などは、
間が抜けたとしかいいようのないギャグで煙に巻かれてしまうのですが。
ケラさんは、昔からナンセンスコメディの作家というイメージがありますが、
私は、悲劇を描く才能のある作家と思っています。
今まで、ケラさんの芝居をいくつか見てきて、
笑いよりも、悲劇的な要素の多い作品の方に、私は強く惹かれました。
この『カラフルメリィ…』は、
ケラさんが病床の父のそばで書き上げた「私戯曲」。
深い悲しみと、それを笑って受け止めようとする明るさが、
共存している芝居だと思えます。
私も母の死を経験し、やっとそのことについて触れられるようになってきて、
学生時代にこの芝居を見たときとは、確実にその受け止め方は変わりました。
そのせいか、今回、父役(大倉孝二)に一番感情移入しました。
…元々大倉さんのファンではあるのですが、
トレードマークである奇妙な動きや大げさな演技、
祖父(山崎一)、妻(峯村リエ)との息のあったくだらないやり取りの中で、
ふと顔を伏せて泣く姿は、すごく共感しました。
怒ったり騒いだり気がまぎれていると辛いことなんて忘れてしまえますが、
ある瞬間、ぷつんと切れたように弱い自分が出てきてしまうものです。
大倉さんは「おちつきのない芝居が似合う役者」とどこかで紹介されていたりしましたが、
こんなにシリアスな泣き演技がうまい役者さんなのに、もったいないですね。
ケラさんが、こうやってシリアス路線でプレゼンしていることが嬉しいです(笑)。
クライマックスの場面、
患者の仲間である(と幻想を見ている)杉田(犬山イヌコ)を抱きあげて
カラフルメリィに歩み寄ろうとするみのすけと父の、
「メリィ…」「父さーん!」の叫びには、
ケラ作品で初めて(たぶん…自信ないけど。)泣いてしまいました。
そしてラスト、「田端とか鶯谷」の場面、
救われたような気分になります。
みんなが田端とか鶯谷にいくのなら、
死亡率100%でも、暗くはならないかなと微笑んじゃいます。
休憩時間に、ロビーでコーヒーを飲んでいると、
あるカップルが「誰に感情移入していいのか分からない」と言っているのを聞きました。
そうだなー…私も今観ていなかったら、ただ笑って終わっていたかもしれない。
でも今、社会人になって、ひとりであることを知り、死を意識するようになって、
初めてこの芝居の意味が分かった気がしました。
でもただ笑ったっていいんだと思う。
それが、この芝居のメッセージなんじゃないか。…あるとしたらね。
そうそう、今回付け加えたいのは映像のかっこよさ。
おなじみの上田大樹さんの手によるものですが、
実際はそこにいないのに、セットに登場人物が横たわっているように見せたり、
壁にあたかもドアがあってそこから出入りしているように見せたり、
今まで挿入されていた映像の中でも特にかっこよかったです。
ちなみに、今私は「MOTHER3」というゲームをやっているのですが、
このゲームの「MOTHER」という存在は
なんとなく「カラフルメリィ」の存在を思い起します。
「巣鴨の次」は、「マジカント」であるように思えます。
夢とは違うんだけど、現実から遠く離れた精神世界の源、みたいな?
ケラリーノ・サンドロビッチは、しばらく新作を書かないらしい。
海外の作品の演出(『ヴァージニア・ウルフなんて怖くない』とか)はするけれど、
ナイロンの本公演も再演が続くみたいです。
それで、再演の一弾が『カラフルメリィでオハヨ~いつもの軽い致命傷の朝』。
これは、作者にとっても観客にとっても、
4回も上演されていることもあって、思い入れ深い作品。
私にとっても、ナイロン作品でも映像で一番多く触れているのが
この『カラフルメリィ…』です。
だからこそ、今回、芝居の幕が開いたとき、なんだか懐かしい気がしてしまいました。
今まで映像で見ていた三演とまったく同じようにふたりの“みのすけ”のモノローグが始まり、
常に時間が動かない世界の中に、舞い戻ってしまったかのような錯覚。
それこそ、老“みのすけ”が見ているカラフルメリィの幻想のようで。
痴呆症(もとい、認知症)の老人を抱えた家族と、
病院からの脱走を計画するちょっと変わった患者たちを
交互に描いていくこのお話は、
見ていくうちに、老人と脱走する少年が同一人物であると分ります。
ただ、そのどちらともいえない存在や、
リアルに考えると深刻な家庭の事情などは、
間が抜けたとしかいいようのないギャグで煙に巻かれてしまうのですが。
ケラさんは、昔からナンセンスコメディの作家というイメージがありますが、
私は、悲劇を描く才能のある作家と思っています。
今まで、ケラさんの芝居をいくつか見てきて、
笑いよりも、悲劇的な要素の多い作品の方に、私は強く惹かれました。
この『カラフルメリィ…』は、
ケラさんが病床の父のそばで書き上げた「私戯曲」。
深い悲しみと、それを笑って受け止めようとする明るさが、
共存している芝居だと思えます。
私も母の死を経験し、やっとそのことについて触れられるようになってきて、
学生時代にこの芝居を見たときとは、確実にその受け止め方は変わりました。
そのせいか、今回、父役(大倉孝二)に一番感情移入しました。
…元々大倉さんのファンではあるのですが、
トレードマークである奇妙な動きや大げさな演技、
祖父(山崎一)、妻(峯村リエ)との息のあったくだらないやり取りの中で、
ふと顔を伏せて泣く姿は、すごく共感しました。
怒ったり騒いだり気がまぎれていると辛いことなんて忘れてしまえますが、
ある瞬間、ぷつんと切れたように弱い自分が出てきてしまうものです。
大倉さんは「おちつきのない芝居が似合う役者」とどこかで紹介されていたりしましたが、
こんなにシリアスな泣き演技がうまい役者さんなのに、もったいないですね。
ケラさんが、こうやってシリアス路線でプレゼンしていることが嬉しいです(笑)。
クライマックスの場面、
患者の仲間である(と幻想を見ている)杉田(犬山イヌコ)を抱きあげて
カラフルメリィに歩み寄ろうとするみのすけと父の、
「メリィ…」「父さーん!」の叫びには、
ケラ作品で初めて(たぶん…自信ないけど。)泣いてしまいました。
そしてラスト、「田端とか鶯谷」の場面、
救われたような気分になります。
みんなが田端とか鶯谷にいくのなら、
死亡率100%でも、暗くはならないかなと微笑んじゃいます。
休憩時間に、ロビーでコーヒーを飲んでいると、
あるカップルが「誰に感情移入していいのか分からない」と言っているのを聞きました。
そうだなー…私も今観ていなかったら、ただ笑って終わっていたかもしれない。
でも今、社会人になって、ひとりであることを知り、死を意識するようになって、
初めてこの芝居の意味が分かった気がしました。
でもただ笑ったっていいんだと思う。
それが、この芝居のメッセージなんじゃないか。…あるとしたらね。
そうそう、今回付け加えたいのは映像のかっこよさ。
おなじみの上田大樹さんの手によるものですが、
実際はそこにいないのに、セットに登場人物が横たわっているように見せたり、
壁にあたかもドアがあってそこから出入りしているように見せたり、
今まで挿入されていた映像の中でも特にかっこよかったです。
ちなみに、今私は「MOTHER3」というゲームをやっているのですが、
このゲームの「MOTHER」という存在は
なんとなく「カラフルメリィ」の存在を思い起します。
「巣鴨の次」は、「マジカント」であるように思えます。
夢とは違うんだけど、現実から遠く離れた精神世界の源、みたいな?