ヒロから北上する州道19号線のハワイ・ベルトロードは
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ac/2fdc8035ae17c109d03d3dc7a9fa151b.png)
かつての鉄道のルートでもありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/a6/472a1ba5a020d2c9311ddfcf512f0551.png)
ハワイ島にはハワイ・コンソリデーテッド鉄道という私鉄があり
サトウキビブームに乗って1899年に創業しました。
前身はヒロ鉄道といい、著名実業家ベンジャミン・ジリンハムが
自身のサトウキビ・プランテーションとヒロ港を結ぶために
ヒロ南部に鉄道を建設したのが始まりでした。
南部路線はサトウキビ需要に支えられて順調に発展したものの、
その転機は1907年に訪れます。
ジリンハムたち実業家は国と州にヒロ港の防波堤建設を陳情し、
その見返りとしてヒロ鉄道はヒロ北部の鉄道建設を命じられます。
このハマクアコーストに沿って北上する北部路線は
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/7b/e5b7f20b6c65347bccdc2732acf98ed1.jpg)
3本のトンネル、35本の木造や鉄筋の構脚橋を必要とし
建設当時、単位当たりの建設費が世界最高だったとか![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0186.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/92/b59d71d3dde461775e434c6db97664f4.jpg)
ラウパホエホエの先、パアウイロというところまで建設されたよう。
その頃はNZでも盛んに鉄道建設が進んでいたので
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/23/4c141f3a56679d27082ed95b5a83cf1e.jpg)
建設現場の様子がそっくりで、難工事ぶりがうかがえます。
当時の技術の粋を集めて危険な作業が続いたのでしょう。
ヒロ鉄道は建設費負担に耐え切れず、1914年に経営破たんし、
ハワイ・コンソリデーテッド鉄道として再編されました。
新会社にとっても北部路線は非常にお荷物だったものの
観光鉄道として人気を博し、サトウキビ輸送の需要もあり
第二次世界大戦中は特需もあり、経営は急速に改善しました。
鉄道に平行していたカメハメハ・アベニュー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/0f/5f4aec8af1c50c533871138c57fbf0c7.jpg)
今も残る古い建物に当時の繁栄がしのばれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/48/0cd6961c5123d94c2793d84b32b1eb4c.jpg)
終戦を迎え、莫大な借金から立ち直った絶好のタイミングに
1946年のエイプリルフールデー津波が島を襲います。
構脚橋が壊滅的被害を受け、鉄道は廃業を余儀なくされます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/bf/65b0b2791f950cc4a221d1abd398a7d2.jpg)
(※流されてしまった鉄道橋)
折りしも鉄道輸送が道路輸送に取って代わられる時期でもあり
鉄道跡の一部が今日(こんにち)のハワイ・ベルトロードに
なっていることにも時代の変遷を感じます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/b0/061494d5275d73fd271a51c93cc8d782.jpg)
(※鉄道橋が撤去され、ベルトロードに)
鉄道と引き換えに建設された防波堤。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/bb/678c8a1de72e44b6988ae9a7d622e4eb.jpg)
これがなかったらヒロの被害はもっと甚大だったと言われ
防波堤は今でも残り、鉄道は消えました。
あの日、水平線の向こうから津波が来なかったら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/f7/bf9ed9101ba5c9dcd5d803e77d865952.jpg)
ヒロはどうなっていたのか?
1960年の津波の方がもっと大きかったしモータリゼーションの中、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/5d/9ec5d99937d75609984ee1b661004f33.jpg)
いずれにしてもヒロ鉄道は幻となる運命だったのでしょう。
次回はぜひ、ラウパホエホエ鉄道博物館に行ってみましょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ac/2fdc8035ae17c109d03d3dc7a9fa151b.png)
かつての鉄道のルートでもありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/a6/472a1ba5a020d2c9311ddfcf512f0551.png)
ハワイ島にはハワイ・コンソリデーテッド鉄道という私鉄があり
サトウキビブームに乗って1899年に創業しました。
前身はヒロ鉄道といい、著名実業家ベンジャミン・ジリンハムが
自身のサトウキビ・プランテーションとヒロ港を結ぶために
ヒロ南部に鉄道を建設したのが始まりでした。
南部路線はサトウキビ需要に支えられて順調に発展したものの、
その転機は1907年に訪れます。
ジリンハムたち実業家は国と州にヒロ港の防波堤建設を陳情し、
その見返りとしてヒロ鉄道はヒロ北部の鉄道建設を命じられます。
このハマクアコーストに沿って北上する北部路線は
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/7b/e5b7f20b6c65347bccdc2732acf98ed1.jpg)
3本のトンネル、35本の木造や鉄筋の構脚橋を必要とし
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/aa/86bad65042a456a3cb228fcc8397b1b2.jpg)
建設当時、単位当たりの建設費が世界最高だったとか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0186.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/92/b59d71d3dde461775e434c6db97664f4.jpg)
ラウパホエホエの先、パアウイロというところまで建設されたよう。
その頃はNZでも盛んに鉄道建設が進んでいたので
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/23/4c141f3a56679d27082ed95b5a83cf1e.jpg)
建設現場の様子がそっくりで、難工事ぶりがうかがえます。
当時の技術の粋を集めて危険な作業が続いたのでしょう。
ヒロ鉄道は建設費負担に耐え切れず、1914年に経営破たんし、
ハワイ・コンソリデーテッド鉄道として再編されました。
新会社にとっても北部路線は非常にお荷物だったものの
観光鉄道として人気を博し、サトウキビ輸送の需要もあり
第二次世界大戦中は特需もあり、経営は急速に改善しました。
鉄道に平行していたカメハメハ・アベニュー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/0f/5f4aec8af1c50c533871138c57fbf0c7.jpg)
今も残る古い建物に当時の繁栄がしのばれます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/48/0cd6961c5123d94c2793d84b32b1eb4c.jpg)
終戦を迎え、莫大な借金から立ち直った絶好のタイミングに
1946年のエイプリルフールデー津波が島を襲います。
構脚橋が壊滅的被害を受け、鉄道は廃業を余儀なくされます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/bf/65b0b2791f950cc4a221d1abd398a7d2.jpg)
(※流されてしまった鉄道橋)
折りしも鉄道輸送が道路輸送に取って代わられる時期でもあり
鉄道跡の一部が今日(こんにち)のハワイ・ベルトロードに
なっていることにも時代の変遷を感じます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/b0/061494d5275d73fd271a51c93cc8d782.jpg)
(※鉄道橋が撤去され、ベルトロードに)
鉄道と引き換えに建設された防波堤。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/bb/678c8a1de72e44b6988ae9a7d622e4eb.jpg)
これがなかったらヒロの被害はもっと甚大だったと言われ
防波堤は今でも残り、鉄道は消えました。
あの日、水平線の向こうから津波が来なかったら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/f7/bf9ed9101ba5c9dcd5d803e77d865952.jpg)
ヒロはどうなっていたのか?
1960年の津波の方がもっと大きかったしモータリゼーションの中、
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いずれにしてもヒロ鉄道は幻となる運命だったのでしょう。
次回はぜひ、ラウパホエホエ鉄道博物館に行ってみましょう。