ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ブルーマウンテンズ・シドニー2回目行:もう1人の父

2025年01月22日 | オーストラリア:ブルーマウンテンズ

2023年6月のブルーマウンテ
ンズ2日目。この地に炭鉱を
切り開いたジョン・ノースが
「カトゥーンバの父」なら、



この町にはもう1人の父がい
て、その名はハリー・ハモン

世界遺産の中の観光施設シー
ニックワールド
創設者です。


世界一急勾配の線路を走る石
炭トロッコを、この町随一の
観光の目玉に仕立て上げた男



それには戦前の伏線がありま
した。1928年より炭鉱夫たち
は週末の副業として観光向け
にトロッコを走らせました。


1933年には12席の観光トロ
ッコを導入し週末運行を開始
「ジェシー」と名付けました。

脇に名前が見えます。着飾っ
た観光客と日に焼けた炭鉱夫


どう見ても定員オーバー(笑)

ドライバーもネクタイとジャ
ケット着用に。女性はチャー
ルストンドレスで時代を反映


ぽつんと置いてあったこれが

ジェシーらしい


安全性を考えるとかなりラフ
今じゃ怖くて乗れない💦

でも石炭トロッコで真っ黒に
なるよりも、座席もあって格
段によくなったのでしょう。


ハリー・ハモンは長年、女き
ょうだいのイソベル・フェイ
ヒィとともに、カトゥーンバ
で運送会社を営み、石炭を炭
鉱から発電所などに運搬する
仕事も請け負っていました。


ある日、ジープに乗った大勢
の米兵が来て「急勾配の鉄道
はどこにあるんだ」と聞かれ
「週末しか運行してないよ」
と答えると、「なんだと?シ
ドニーからわざわざ運転して
来たのにやってないだと


と言われ、この経験からハリ
ーは「いつか機会が来たら」
と密かに夢を描きます。1945
年に炭鉱が持つレールウェイ
のリース契約が切れるや否や
即座に引き継いだのです


とはいえ、古い炭鉱を観光名
所に造り替えることは容易で
はなくハリーとイソベルは懸
命に新事業に取り組みます。



大型のアルミ製車両を新しく
導入し、炭鉱の小屋を拡張し
てランチやアフタヌーンティ
ーのサービスも開始するなど



2人のイノベーションは続き
それは次世代にも受け継がれ
ていきました。現在はハモン
家3代目が施設を引き継ぎ、
家族経営の観光アトラクショ
ンとしては国内最多の来場者
数を誇っており年間延べ100
万人以上が訪れるそうです。


3代目は過去20年間で設備投
資に9,000万豪ドル(約90億
円近く)を投じているそう。


その甲斐あっての新たなアト
ラクション、ケーブルウェイ



この収容人数でかなりの規模



なにはともあれ安全性優先



そしてジャミソンバレーを横
切るスカイウェイも導入され



見えなかった景色が見られる



谷を真上から見るという体験



目線の高さにジブラルタル山



眼前に迫るスリーシスターズ



大人だけでなく多くの子ども
たちの一生の記憶に残ってい
るであろう美しい世界遺産。



いつまでも変わらず安全に🙏



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ブルーマウンテンズ・シドニ... | トップ | ブルーマウンテンズ・シドニ... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

オーストラリア:ブルーマウンテンズ」カテゴリの最新記事