場所:今の自宅
登場人物:「私」、夫、以前の友人夫婦
場面はキッチンで、「私」は友人夫婦といます。
ご主人のエディー(仮名)が「私」の包丁の切れ味が悪いと言い出し
見慣れない研ぎ石で研ぎ始めました。
頼んでもいない「私」は嬉しくはなかったものの
エディーはみなぎる自信に満ち溢れており
「私」の意志を確認することなく、当たり前のように研いでいます。
研ぎ石は長方形ながら小さなもので、包丁の下に置くのではなく
上からこするように研いでいく、見たことがないものでした。
「これってエディーがわざわざ持ってきたんだろうか?」
と思いながらも、突然の展開に言葉を失ってつっ立っている「私」
常にエディーを立て、尊敬の意を絶やさない日本人の奥さんは
「日本の研ぎ石と違ってずい分小さいのね。」
と戸惑いながら言う私の言葉には答えず、
「やっぱりエディーは上手だわ。」
と夫を褒めています。
包丁の歯のカーブの部分が見る見る直線になっていき
刃先もギザギザというかボロボロで恐しい状態になっています。
「もういいわ、エディー。私はこれで困っていないの。」
慌てて止めに入ったものの、エディーは手を止めることなく
「こんなんじゃまだダメだ。」
と言いながら、なおも研いでいきます。
奥さんも満足気にエディーを見守っています。
「エディー、もうやめて!」
と言ったときには、包丁は3分の2ほどになりナイフのようです。
薄さも果物ナイフのようで、「私」は愕然として
「やめて」
と叫びました。夢を見ながら本当に声を出していたかもしれません。
その声に応えるように、包丁は根元を1cmほど残してポキリと
折れてしまいました。相当な薄さになっていたようです。
「ちっ」
はっきり聞こえる大きな音でエディーが舌打ちし、奥さんは
「古そうな包丁だからね。」
まるで包丁が悪いかのように夫に助け舟を出していました。
「私」は古くても大事にしていた包丁が根元から折れてしまい
泣き出さんばかりでした。
包丁とともに心も折れてしまったようでした。
さらにショックだったのは、2人からは謝罪の言葉すらなく
「大事にしていた包丁だったのに。」
とつぶやく「私」を、いまいましそうに見ています。
言葉には出さなかったものの、奥さんの目は
「わかったわよ。そこまで言うなら新しくてもっといい包丁を
買って送るわよ。それで気が済むんでしょ?」
と言っていました。
彼らは通常から言葉の端々に我が家の「貧しさ」を指摘しては
どことなく蔑むような、非難するようなところがありました。
「どうしてセカンドハンドなんて使うの?」
「そんなの買い換えればいいじゃない。」
「毎日料理するなんてめんどうくさくない?外食しないの?」
といった言葉を何度聞いたことか。
(これは夢ではなく現実)
なので柄しか残っていない包丁は彼らにはただのゴミでしたが
「私」には子どもの離乳食も作った、大事な大事な包丁でした。
気まずいというより、折れた包丁に腹を立てた2人が帰ることになり
部屋にいた何も知らない夫が出てきて、明るく言葉をかけています。
夫の姿を見て、さすがに我慢できず涙がにじんできました。
「包丁が折れちゃったの。」
と訴えたものの、もちろん夫には何のことかわからず、
「どうかしたの?」
という顔をしながらも、彼らをクルマまで送って行きました。
さすがに「私」は見送りに立つことはできず、
「どうしよう。包丁がないから夜ご飯が作れない・・・・」
と途方に暮れていました。
======================
朝の起きる直前の実に鮮明な夢でした。
あまりのリアルさに寝起きの気分の悪さといったら(笑)
まるで本当に同じことを経験したかのようでした。
エディーと奥さんは私が知っている彼らそのもので
自信家のエディーと彼を崇拝する奥さん
エディーの自信は奥さんから常に正当化され
奥さんはそんな「立派な」夫を持ったことが誇りで
2人の間には勝ちしかない常勝コンビでした(笑)
エディーは気まぐれに家でもクルマでも次々に買い替え
奥さんはその財力がとても自慢のようでした。
私は人がどう暮らそうが、どうお金を使おうが全く興味はなく
人とも比べず、自分が好きなように生きているだけでした。
なので気に入ったものを大切に使い
処分するときはできる限りリサイクルし
手に入れるときもセカンドハンドを厭わないほうで
クルマも家も気に入った中古で
飼い猫も純血を買うのではなく元野良猫でした。
彼らはそれを「貧しさ」と決めつけているようでしたが、
貧しさは蔑むことでも、非難することでもなく私には不快でした。
その不快さをリアルに再現した夢に、寝起きはがっかりしたものの
起きてから「なんであんな夢を見たのか」と考えているうちに、
「そうかこれは感情の洗濯なのだ!」
と思いました。
自分でも忘れていた、彼らから感じた不快感。
それはきっと心のどこかに残っていたのでしょう。
それを夢で追体験し、あの感情を思い出しながら
起きてからの私は、その感情を越えていることを自覚しました。
汚れた感情をキレイに洗い流して前に進む、命の洗濯ならぬ、
感情の洗濯
夢は驚くべきほど多くのことを教えてくれているようです
登場人物:「私」、夫、以前の友人夫婦
場面はキッチンで、「私」は友人夫婦といます。
ご主人のエディー(仮名)が「私」の包丁の切れ味が悪いと言い出し
見慣れない研ぎ石で研ぎ始めました。
頼んでもいない「私」は嬉しくはなかったものの
エディーはみなぎる自信に満ち溢れており
「私」の意志を確認することなく、当たり前のように研いでいます。
研ぎ石は長方形ながら小さなもので、包丁の下に置くのではなく
上からこするように研いでいく、見たことがないものでした。
「これってエディーがわざわざ持ってきたんだろうか?」
と思いながらも、突然の展開に言葉を失ってつっ立っている「私」
常にエディーを立て、尊敬の意を絶やさない日本人の奥さんは
「日本の研ぎ石と違ってずい分小さいのね。」
と戸惑いながら言う私の言葉には答えず、
「やっぱりエディーは上手だわ。」
と夫を褒めています。
包丁の歯のカーブの部分が見る見る直線になっていき
刃先もギザギザというかボロボロで恐しい状態になっています。
「もういいわ、エディー。私はこれで困っていないの。」
慌てて止めに入ったものの、エディーは手を止めることなく
「こんなんじゃまだダメだ。」
と言いながら、なおも研いでいきます。
奥さんも満足気にエディーを見守っています。
「エディー、もうやめて!」
と言ったときには、包丁は3分の2ほどになりナイフのようです。
薄さも果物ナイフのようで、「私」は愕然として
「やめて」
と叫びました。夢を見ながら本当に声を出していたかもしれません。
その声に応えるように、包丁は根元を1cmほど残してポキリと
折れてしまいました。相当な薄さになっていたようです。
「ちっ」
はっきり聞こえる大きな音でエディーが舌打ちし、奥さんは
「古そうな包丁だからね。」
まるで包丁が悪いかのように夫に助け舟を出していました。
「私」は古くても大事にしていた包丁が根元から折れてしまい
泣き出さんばかりでした。
包丁とともに心も折れてしまったようでした。
さらにショックだったのは、2人からは謝罪の言葉すらなく
「大事にしていた包丁だったのに。」
とつぶやく「私」を、いまいましそうに見ています。
言葉には出さなかったものの、奥さんの目は
「わかったわよ。そこまで言うなら新しくてもっといい包丁を
買って送るわよ。それで気が済むんでしょ?」
と言っていました。
彼らは通常から言葉の端々に我が家の「貧しさ」を指摘しては
どことなく蔑むような、非難するようなところがありました。
「どうしてセカンドハンドなんて使うの?」
「そんなの買い換えればいいじゃない。」
「毎日料理するなんてめんどうくさくない?外食しないの?」
といった言葉を何度聞いたことか。
(これは夢ではなく現実)
なので柄しか残っていない包丁は彼らにはただのゴミでしたが
「私」には子どもの離乳食も作った、大事な大事な包丁でした。
気まずいというより、折れた包丁に腹を立てた2人が帰ることになり
部屋にいた何も知らない夫が出てきて、明るく言葉をかけています。
夫の姿を見て、さすがに我慢できず涙がにじんできました。
「包丁が折れちゃったの。」
と訴えたものの、もちろん夫には何のことかわからず、
「どうかしたの?」
という顔をしながらも、彼らをクルマまで送って行きました。
さすがに「私」は見送りに立つことはできず、
「どうしよう。包丁がないから夜ご飯が作れない・・・・」
と途方に暮れていました。
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朝の起きる直前の実に鮮明な夢でした。
あまりのリアルさに寝起きの気分の悪さといったら(笑)
まるで本当に同じことを経験したかのようでした。
エディーと奥さんは私が知っている彼らそのもので
自信家のエディーと彼を崇拝する奥さん
エディーの自信は奥さんから常に正当化され
奥さんはそんな「立派な」夫を持ったことが誇りで
2人の間には勝ちしかない常勝コンビでした(笑)
エディーは気まぐれに家でもクルマでも次々に買い替え
奥さんはその財力がとても自慢のようでした。
私は人がどう暮らそうが、どうお金を使おうが全く興味はなく
人とも比べず、自分が好きなように生きているだけでした。
なので気に入ったものを大切に使い
処分するときはできる限りリサイクルし
手に入れるときもセカンドハンドを厭わないほうで
クルマも家も気に入った中古で
飼い猫も純血を買うのではなく元野良猫でした。
彼らはそれを「貧しさ」と決めつけているようでしたが、
貧しさは蔑むことでも、非難することでもなく私には不快でした。
その不快さをリアルに再現した夢に、寝起きはがっかりしたものの
起きてから「なんであんな夢を見たのか」と考えているうちに、
「そうかこれは感情の洗濯なのだ!」
と思いました。
自分でも忘れていた、彼らから感じた不快感。
それはきっと心のどこかに残っていたのでしょう。
それを夢で追体験し、あの感情を思い出しながら
起きてからの私は、その感情を越えていることを自覚しました。
汚れた感情をキレイに洗い流して前に進む、命の洗濯ならぬ、
感情の洗濯
夢は驚くべきほど多くのことを教えてくれているようです