ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

ハワイ行:コナ・コーヒーと日本人

2018年01月26日 | ハワイ:ハワイ島

H.Nグリーンウェル・ストア博物館の小さな空間は

静かな衝撃がさざなみのように押し寄せる場所でした。


有名なコナ・コーヒーのことを、私は全く理解していませんでした。

「ハワイ産のおみやげ用コーヒー?」
ぐらいな認識しかありませんでした



コナの地名を世界に知らしめたコナ・コーヒーの起源は
今から200年近く前の1825年にさかのぼるそうです。
オアフ島のボキ首長がブラジルから苗を持ち込み、栽培開始。



しかし、1860年にはコーヒー農園はサトウキビ農園に凌駕され
ハワイのコーヒーはほぼ姿を消しました。


ただし、ハワイ島のコナとハマクアのコーヒーは生き残りました。
コナは傾斜地で水が乏しかったためにサトウキビ栽培に向かず、
それがコナ・コーヒーに幸いしたのです。


世界的なコーヒー価格の値上がりを受けて、マウイ島から
ポルトガル系コーヒー農民がコナに移り住み、
中国人、日本人が小作農として入植してきました。

コナ・コーヒーと日本人はごく初期から関係があった訳です!


19世紀末にハワイは正式にアメリカの一部となり、20世紀に入るや
世界的なコーヒーの供給過剰で価格が暴落し、コナ・コーヒーも
瀬戸際に追いやられ、ポルトガル人や中国人が去っていきました。


経営難に陥った農園主たちは農地を5エーカーごとに小分けにし、
日系人小作農に家屋とともに貸し出す代わりに
収穫の3分の1を賃貸料として受け取ることにしました。

コイナリウの3エーカーの土地を年30ドルで貸し出すための
1919年の賃貸契約書


こうしてコナでは白人経営によるコーヒー大農園時代が終わり
日系農園主による家族経営農園という形態が誕生し、
100年近く経った現在も日系アメリカ人家族による経営が続き、
独特のコーヒー産業を形成しているそうです。


コーヒーチェリーと呼ばれる赤く熟れたコーヒーの実の
皮を剥き、中の種を取り出しているヨシマツ・キムラさん
1928年

それが90年前だろうが
ハワイだろうが
農園だろうが
移民同士として胸に迫る
一世の姿でした。



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