2019年の11月のハワイ5回目
目に留まった建物は1859年に
完成した裁判所兼税関で政府
機関が入居していたことも。
1925年に大改装が行われギリ
シャ復興様式を取り入れエン
タシスある壮麗な姿となり、
それからもかれこれ100年


ラハイナ歴史博物館(無料)
が併設されていたので見学へ
入ると外の明るさが際立ち、

裏には巨大なバニヤンツリー

200~130万年前
西マウイの海底火山が海面に
隆起🌋して島となりました。

西暦250~400年頃
ポリネシア民族が南太平洋か
らラハイナに到達。ここをレ
レと名付け、タロを植えて定
住。移住は数百年間も継続


400~1778年
人口が増え、灌漑によって食
料供給も安定し、古代ハワイ
の大酋長(アリイヌイ)の下、
平和と調和の時代が続きます。

ポリネシア人らしいタトゥー
マウイ島はラナイやモロカイ
など周辺の島も含めマウイヌ
イ(グレートマウイ)と呼ばれ
12カ所のモクに区切られて、

各モクは山から海へと通じる
地形で、農業と漁業ができる
ように配慮されていました。

大酋長ピイラニの偉業です。
ピイラニはレレを拠点に西マ
ウイを統治していました。

しかし、1700年代に入ると島
の支配を巡って他の酋長とた
びたび戦闘が繰り広げられ、

1778年にはキャプテン・クッ
クがやってきて、ハワイは初
めて西洋社会と接触します。

NZでもオーストラリアでも
ハワイでも、行く先々にこの
方あり。翌年ハワイで死去。
1802~03年
カメハメハ大王はラハイナで
戦闘用カヌー戦隊を造り上げ

1810年
カメハメハ大王がマウイを支配

1819年
大王没後カメハメハ2世即位

1920年
キリスト教伝道師がハワイに
プロテスタントの布教開始

同時に捕鯨船のラハイナ入港
が相次ぎ、貿易と混沌の開始

1824~1845年
2世の没後カメハメハ3世即位

(※みんな短命すぎ

ラハイナはハワイ王朝の首都
となったものの、21年後の45
年にはホノルルへの遷都実施
ラハイナ

ホノルル

発展の差が歴然

1859年
ラハイナ裁判所完成

当初はラナイ(バルコニー)が大
きくパイオニアインに似てる

(※パイオニアインは1901年創業)

1893年
ハワイ王朝の崩壊

(※最後の様子はコチラでも)
1898~1959年
アメリカの支配下に入り1959
年より、アメリカの50州目に

1960年代
西マウイはサトウキビ栽培と
観光開発で今日の繁栄が開始

1999年
1860年創業のサトウキビ農園
パイオニアミルが操業停止。
西マウイ産業は観光業に特化

(※今も残るパイオニアミルの
煙突はかつての繁栄の象徴)
過去を大切に今を、未来を、
生きていくであろうラハイナ
ぜひ、また来ます


(※2階のラナイからの眺め)