2023年3月のタスマニア5日目
オールドホバートタウンを出
るとそこは今のリッチモンド
200年前とあまり変わらなそ
うな光景が広がっています。
かつての教会
今は宿泊施設に
かつての裁判所
今はギャラリー
ここも造りからして19世紀の
建物ですが、今はカフェに
オーストラリアの古い町には
漏れなくある観光名所、牢獄
警察署もセットでウケる~
裁判所もあって3点セット
リッチモンドの発展は1805年
の石炭採掘から始まったそう
この舗装もない坂の先ローラ
ンド(低地)と呼ばれたコール
(石炭)川の岸が炭鉱でした。
水路で輸送したのでしょう。
なんとも恰好なロケーション
高台から川は見せませんが、
盆地なのはよくわかります。
お墓もあり、石炭が枯渇した
後は眠りについたような場所
道の正面には今の町には不釣
り合いなほど大きな、時計台
1838年完成の聖ルーク教会
国内最古のイギリス国教会
リッチモンドは1833~38年に
掛けて交通の要所として道路
建設が進み、教会建設時は町
のピークだったのでしょう。
建物はほぼ当時のままだそう
ですが、塔に時計が付いたの
は1世紀近く経った1922年。
ホバートの聖デイビット教会
の建て替え時に寄贈され、他
の面が埋まる日は来るのか
近くの教区牧師館。牧師や警
察署所長、医者などの住居に
リッチモンドの発展は流刑囚
なしには語れず、道路、橋、
牢獄、裁判所から聖ルーク教
会まで彼らが建設しました。
(※リッチモンド牢獄)
建設が拡大する中、労働力不
足が深刻化し、流刑囚は極度
の食料・衣類不足に直面し、
空腹ゆえにカンガルーに罠を
仕掛けるほどでした。窃盗が
横行し治安が悪化しました。
(流刑囚@ミニチュア村)
犯罪は厳罰に処されたため、
流刑囚の不満はさらに高まり
労働放棄や襲撃も起きたとか
彼らの建てた建物群は200年
を経ても使われていたり遺構
として静かに佇んでいたり。
またいつかゆっくり訪れたい
古の町リッチモンド