ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

5月15日、294回目の「火曜行動」です。

2018-05-15 16:10:09 | 火曜日
暑い火曜日です、昼間には30度になるらしいですが、いつものように地下鉄で行きました。

10分前に府庁前に着きましたが、やはり大勢の仲間たちが既にきていました。















中大阪の津々木さんは「僕皆勤ですよ」と笑っておられました。^_^




今日のレポーターは春母(ハルモニ)会の陶山さんです。





出張写真撮影は全て松尾さんです。今日も皆さん力を合わせて発信しましょう^_^








長崎由美子さんの第一声が始まりました。

⁂長崎さん

 去る日曜日、生野で統一マダンがありました。4月27日歴史的南北首脳会談があって朝米会談も予定されて、今大きく平和に向けて動いています。

大きな祝いの日、激しい雨の中火曜日行動のメンバーと一緒に舞台に上がって、火曜日行動の歌を歌い、朝鮮人の子どもたちの笑顔を安心して守られるように皆さんと手を繋ごうとアピールしてきました。一日も早くこの火曜行動も終われるように。この坂を上り続けて294回目、去る291回目の4月24日は、教育塔前に集まり、ともに手を繋いで生きようと府庁の周囲をパレードしました。朝鮮学校の子どもたちも参加しました。


5月13日は、広島でも平和パレードが行われ、はげしい雨の中、朝鮮高校の舞踊部の女生徒たちチマチョゴリを着て合羽を着て、元気に踊ってアピールしました。この火曜行動も6年を超えて、当初、ウリハッキョ1年生の子どもたちが、覚えたてのウリマルで書いた作文を「ウリハッキョが大好きです。日本の大人はいじめないでください」といって、オンマに手を引かれてきていました。


4月24日、は在特会2人が来ていて、府庁前で「射殺するぞ」とヘイトスピーチを投げかけました。ヘイト条例があるのに、警察は何もせず、許していました。何のための条例でしょうか。絵に描いた餅という言葉がありますが、条例に命を吹き込むのは、現場で人が生きるために生かされないと意味がありません。憲法に基本的人権があります。先日生野で憲法カフェがありました。そこで国民という言葉が話題になりました。日本国籍を持った人だけが対象なのか?日本に暮らす、すべての市民を支える精神ではないのか。残念ながら国籍条項に阻まれて子どもたちの人権が守られていない。


朝鮮学校への不当判決が続いています。昨年7月27日の判決以来、補助金裁判、4月27日南北首脳会談の大きな喜びの日、愛知で不当判決でした。
今、南北首脳会談後、中国とも対話が進んで、これからの東アジアの平和について話し合おうとしているとき、日本だけが、置き去りにされている。本当の対話ではなく、日本にとって、朝鮮はキケンとばらまくほうが日本の軍需産業にとって都合がいいから。


会談の後、なぜまたJアラートの訓練が必要なのか。朝鮮半島からミサイルが飛んできた。はるか上空を飛んだ後に訓練をする。現実とかけ離れています。


韓国の中で世論が変わり、特に若い世代が喜びの声がたくさん出ているのに日本のマスコミは報道しません。朝鮮学校の子どもたちが韓国からたくさんの支援を受けているその大きな理由が、南北の懸け橋の役割を担っているからです。


日本で生まれ大阪で育ったオモニ、ソンセンニム、子どもたち、大阪が大好きでタイガース・たこ焼きが大好きです。朝鮮学校関係者も府民税を納めています。にもかかわらず大人が公然と差別しています。


教育の無償化で幼稚園の4才から無償化されましたが朝鮮学校の幼稚班には出ていません。普通に考えてもおかしいのはすぐわかります。朝鮮人に血税を使うなという。大手を振って差別がまかり通っている。よく考えてください。


6月には公開授業や運動会があります。たくさんの人に知ってもらうチャンスです。6月3日は、生野初級、第4初級、東大阪の運動会があります。
9月27日には無償化の高裁判決があります。日本の司法の歴史に残る判決になります。


高裁最終弁論で理事長は、1審勝利報告集会で朝高生が言った言葉「ウリハッキョが認められた、この社会で生きていていいんだ」を述べられました。ぜひともこの思いを受け止めて、大人として恥ずかしくない判決を出してほしい。







火曜バンドの演奏も始まりました。


日曜日は雨の中、お疲れ様でした、統一マダンでの出演、本当に大変でしたね。多くの方々の力になれたと思います。












田中さん同士^_^





平石さんが統一旗を持ってこられましたよ。






いつも府庁の裏門前で黙々とビラを渡してくださる城北のソさん❣️






健康のために大阪城公園内を良く走っておられる津々木さんは健康そのもの❣️良く焼けておられます^_^





6年間このポーズが変わらない我らがとしさん❣️






イケメン三銃士❣️府庁の歴史に永遠に刻まれることでしょう。





ハルモニ会の長老と歌舞団の新人団員❣️素晴らしい組み合わせです。





平石さんのアピールです。

⁂平石さん


 間もなく300回を迎えようとしているこの火曜行動。

今年明治150年といわれています。しかしこの150年間私たちはアジア人を蔑視し続けてきたのです。いまだ何ら変わっていません。あの明治維新の時に、脱亜入欧ということで、欧米の真似をして、アジアを侵略し、そして敗戦ということで破たんしました。その時に真剣に反省をし、アジアの人と仲良くなることを目指すべきだったのです。しかし民衆はともかく、日本の支配層の中には、アジアを根強く蔑視する思想が、いまだに根強く残っています。

たとえば現在の日本の官僚でも、アジアの国と提携するときは、非常に尊大な態度だと言われています。私たち日本人はこのようなことを150年も続けてきて、あの敗戦を迎えてもなお続けて、恥ずかしくないのでしょうか?私たちは今こそアジアの人と仲良くする道を取るべきです。

脱欧入亜で隣国となぜ仲良くできないのでしょうか?しかしこの間、朝米会談が決まった後も、安倍総理は圧力が功を奏したと言っているが、日本はすっかり蚊帳の外に置かれています。拉致問題を話してほしいと、韓国やアメリカに頼むのですが、自分たちは一つも言いません。


金正恩委員長になぜ安倍総理は自分から言ってこないのかと。日本の支配層はこれまで、ソ連を敵視し、中国を敵視し、この間はずっと共和国を敵視する政策をとってきました。このことが破たんするのが怖いのです。どうしていいかわからないのです。

しかし今、率直に路線を転換してアジアの近隣国と仲良くするという政策をとれば何の問題もなく解決します。

今この朝米首脳会談が行われて、アジアの情勢は大きく変わります。その時に日本がいつまでも、今のような立場と政策をとっていたら、取り残されてしまいます。すべてのアジア諸国と仲良くするという道を取ろうではありませんか。

そして私たち民衆一人一人が、現在の朝米首脳会談、あるいは韓国、平和への動きを支持するという立場をとり声をあげていきたいと思います。

私たちが火曜行動を続けているのは、いつまでも差別しないで共に歩んでいこうという立場からです。難しいことではありません。日本にいるのだから一緒に歩んでいこうということです。アジアの人と仲良くできる国を作っていこう。








長崎さんが繋ぎます。


⁂長崎さん


 先日見たタクシー運転手という映画、光州事件を扱った映画ですが感動しました。

そして南北首脳が手を繋いで、板門店の境界線を越えたとき、ここに来るまでどれだけの血が流され、どれほど多くの分断によって、相手に対して憎しみを煽り、そして絶対に和解できないというような形での時代を経て、韓国でキャンドル革命がおこり、ムンジェイン大統領が誕生し、その文大統領の「南北は絶対戦争してはならない、もともと一つの民族であり、祖国である」これができるまでいろんな葛藤があったことでしょう。


深く受け止めていかなければならないと思います。








若者代表梁さんのアピールです。


⁂梁青年より


 板門店で行われた南北首脳会談を、日本の皆さんも直視していただきたいと思います。


今まで日本が敵視していた朝鮮が、今まさに自分たちの力でありとあらゆる困難を打ち砕き、自主統一のために一歩ずつ前進しております。

6月にトランプとの会談までこぎつけています。ここまで来るとは皆さんも信じていなかったと思います。もういがみ合っている時ではないのです。

あのアメリカでさえ和平の道に進もうとしています。


いつまでたっても安倍政権による保守的思想のもと、日本会議の思想のもと、朝鮮を敵視するそういう状況ではなくなっております。ゆえに我々民族教育に対してもこれ以上の差別は無意味であると気づくべきでしょう。

もちろんすぐに平和が訪れるとは思っておりません。でも情勢的にも今はいがみ合っている時ではないと皆さんもわかっていただけると思います。

まだこれからもっと大変なことにあうかもしれませんが、どんな困難が立ちはだかろうとも闘うことはやめません。ぜひ共に明るい未来を作っていきましょう。







くっすんさん、やっとマスクを外せましたね。ご苦労様でした^_^









宋さんのアピールです。

⁂裕子オモニから


 今日のチラシ手に取ってよく読んでください。公開授業・運動会があります。じっくり読んで足を運んでいただきたいとこの場に立ちました。

娘は朝鮮高級学校に通っています。先日、東成区の地下鉄の駅で、朝高に通っている1年生の子が突然男の人に「朝鮮帰れ」と言われてショックを受けたとすぐに学校で先生に報告したらしいです。

何日かしてまた同じ方が同じことを言う、そういうことがあったそうです。そのとき思ったことは、子どもがなんでこんなこと言われるのだろうという思いと同時に、なぜこの方がこんなこと高校生に向かっておっしゃったのかなというそちらのことです。その方が私たちのことをあまりにも知らなくて、知らないからこそこういうことをされたのではないかと、私自身思いました。

私は子どもを通して私たちの学校はすばらしいと言えるのです。先日学校からお知らせを持ってきました。吹奏楽部に通っている娘が持ってきたお知らせには、大阪府高等学校選抜吹奏楽団に、吹奏楽部3年生の子が、オーデイションで選ばれて、先日、淀川高校での合同練習に参加しています。8月に甲子園で行われる全国高校野球大会、今年100回を迎える。


その開会式での吹奏楽団に選ばれたわけです。そんなこと考えると、行政が行っている私たちに対する、また一般の方たちがテレビ・マスコミ報道から得る偏見に満ちた現状、子どもたちの世界では人と人を結びつけるのに、なぜ大人の世界では差別が行われているのかと悲しく思いました。


私の子どもは普通の高校生です。

アイドルが好きでバイトもします。でも違う部分もあります。それは闘う高校生です。無償化・補助金の問題が起きてからずっと闘っています。高校生になってからは街頭宣伝にも行きます。

夜、街に出て、ビラを配りアピールもします。これをどうか同じ子を持つ皆さん方と共有したい。私の子どもだけがと思っていません。日本の子どもたちと私たちの子どもたちがこの大阪で、よりよい社会にするため、これからもがんばっていきたいと思います。

















朴栄致さんのアピールです。

⁂アボジから


 6年以上訴えています。

先日、高校総体でラグビー部が準決勝で、強豪常翔学園に勝って、秋の花園出場をかけた秋の大会のAシードを獲得しました。

昨今の日本政府の高校無償化からの一方的な除外、そして大阪府大阪市の一方的な補助金停止、にもかかわらず、今回は花園に出場すれば、4年ぶりに全国大会に出れる、いいとこまで来ています。

大阪朝高の子どもたちは、日本政府から自分たちの学校だけが高校無償化から除外されていることを、そして大阪府・市が補助金をゼロにした事実もみんな知っています。

日本の少子化の問題もありますが、朝鮮高校も減ってきています。また補助金がないがために経済的に苦しくて朝鮮高校に送れない保護者もいらっしゃることも事実です。そういう中で子どもたちは逆風にも負けず、先日のラグビーの勝利があります。

今度決勝戦があります。ぜひとも優勝してほしい。子どもたちは本当に頑張っています。我々大人もがんばりたいと思う。

4月27日南北の首脳が出会いまして板門店宣言、朝鮮半島の平和・繁栄・そして統一に向けて、全世界に発信しました。各国首脳の感想も報道されました。すべての国の首相は朝鮮半島が平和になればいいと、そして、もともと一つの国なのだから、統一して発展することを心から祈っているとメッセージを発信されていました。

ところが日本のリーダーは、何か苦虫をかみつぶすような、口では歓迎するとおっしゃっていますが、本心はそうでないのか、何か梯子外されてもうたんちゃうかなみたいな顔をしておられたのが非常に印象的でした。


6月12日には朝鮮とアメリカが会談します。シンガポールでするらしいです。そこでの議題は主に朝鮮戦争を本当に終わらせるということです。朝鮮戦争が休戦になって65年、まだ終わっていないのです。これを終わらせようということです。

そして東アジアの平和を共に作っていこうではないかということだと思います。ですが日本国内では北朝鮮の非核化という1点だけを報道して、ほんとにできるのか、まただますのじゃないかという報道に終始しています。

でも宣言の中では朝鮮半島の非核化です。南北が平和で共存していくそして統一に向かっていくのだということが実は根本的な問題なのです。

そこのところを私たちも伝えていき、マスコミ報道も核心の部分を報道していただきたいなと思います。無償化問題も補助金問題も政治的判断で差別して10年です。

裏返して言えば政治的判断で無償化適用も補助金復活もあり得るのではないかと思います。

今、東アジアが平和に向かっていこうとしているとき、日本も早くコミットしていく方向を、早く打ち出さないとだめだと思います。もうすぐ300回を迎える火曜行動。大阪府・市から愛の手を差し伸べてこそ立派な行政と思われる。大阪からいち早く仲良くしていけると思います。









私も今日は耐えられずマイクを持ちました。

*ニョニョ

 この地に立って6年になります。かわいい孫たち6人が朝鮮学校に通っています。

皆さんは一つの家族が日本の植民地支配から今日まで、離散家族としてバラバラに暮らしている、そんな悲しさを感じたことが有りますか?


私の兄は1941年、植民地朝鮮の済州島で生まれました。私は1948年日本の青森で生まれました。7歳違いの兄妹でも皆さんのように家を行き来し楽しい時間を過ごすということはありませんでした。

でも今年4月27日、南北の首脳が板門店で会い、板門店宣言が全世界に流れたとき私は思いました。今年のお盆こそ故郷に行って、両親の墓参りをし、兄とまた会って、楽しい時間を過ごすのだと。なのに、先週5月8日に兄は亡くなってしまいました。

もちろん兄は4月27日のテレビを見たと思います。兄は済州島で26年間一人で過ごしました。26年前妻に先立たれ、子どもたちはみんなそれぞれの希望を抱いて、アメリカ、カンボジア、ソウルと別れ別れで暮らしていました。

兄はただ一人、自分の故郷の家を守るために、私たちが帰った後もみんなが集える場所を守るために故郷に残りました。でもその兄が亡くなったのです。

もしも私の国が植民地にならなくて、植民地の後続いた分断がなかったならば、私は私の故郷で暮らしていたと思います。でもそれすら許されなかったこの時代を皆さんはどうかんがえますか?それはあなたの勝手やろとそうおっしゃいますか?みんな心に傷を持って生きているけれども、人の痛みがわからない人は、人の上に立つことはできません。皆さんは自分自身の痛みと考え、自分自身の痛みととらえ、在日朝鮮人が受けている弾圧・差別、子どもたちが受けている、このとてつもない理不尽な差別と弾圧に対して、もっと胸を痛めてください。もっと自分のことととらえてください。


私たちのこの歩みを笑っている人もいますよ。そんなとこに立って何してんねん。もっとわめかなあかんやろ。と・・・


鉄砲でも持って戦えば闘うことになるんでしょうか?決してそうは思いません。私たちは、火曜行動行ってきたすべての方々は、ほんとに笑顔で語り合いたいし、皆さんと共に幸せな大阪、幸せな日本の国を一緒に守っていきたいと思っているんですよ。日本を恨んでいるのではありません。自分が生まれた国でしょう。もうすでに私の半分は日本の文化になじみ日本と同じになっていると思います。


なんで私たちだけが、こんなに長い間、同じ兄弟が70年間も別れ別れのまま暮らさなければならなかったのか、私は今、悲しさを通り越えて、この理不尽な世の中をどうすればいいのか、もう頭の中が真っ白になっています。みんなで一緒に考えていきましょう。






最後の歌はカンさんの音頭で「勝利のその日まで」❣️




















いつものように駐輪場で申し送りです。


























来週も頑張ります。


コメント (2)
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