ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

黒澤明の映画

2015-10-11 19:05:41 | 徒然の記

 雨の日曜日だ。猫庭の木が、かすかに紅葉しだした。

 春には、華やかにピンクの花をつけ、緑葉を茂らせたハナズオウも、すっかり葉を落とし、枝ばかりとなった。たわわに赤い実をつけ、沢山ジャムを作らせてくれたサクランボが、枯葉を庭一面に散らしている。


 背を丸くし、庭のテーブルに眠る飼い猫の姿もなく、冬に向かう、小さくて静かな庭だ。なるほど、こうなってくると秋の庭は寂しい。
為すこともなくバソコンに向かい、映画に行き当たり、黒澤明の作品にたどり着いた。昭和25年に作られた「醜聞(スキャンダル)」という映画だった。

 私は、長い間黒澤明のファンだった。ダントツの映画監督と惚れ込み、「七人の侍」から始まり、「天国と地獄」、「椿三十郎」、「赤ひげ」、「用心棒」と、ほとんどの作品に夢中になった。

 リアリティーを追求した彼は、火災の場面で、本物の家を惜しげもなく燃やし、人斬りのシーンでは、肉の塊を切る音を流した。乱作する他の監督を尻目に、時間と金をかけ、年に一作しか作らず、名のある俳優たちの演技でも、納得するまでやり直させた。彼の作品はどれも面白くて、堂々としており、常に圧倒される思いで見た。

 しかし昭和25年の作品は、何という薄っぺらなお芝居だったことか。本当に彼の手になったものかと、首をひねってしまった。
敗戦の5年後という時代がそうさせるのか。家々の有り様も、登場する人間も、貧しくて侘しい。密集した貧乏住宅の路地を、バイクで走る主人公は、当時としては颯爽たる姿だったのだろうか。

 ぺらぺらの日本家屋の一部屋で、クリスマスの飾り付けをし、人気絶頂の美人歌手が、その家の娘のために賛美歌を歌う。イケメンの画家が同席し、オルガンを弾きつつ唱和する。こんな近所迷惑な大騒ぎを、つつましく暮らす当時の日本人が、本当にやっただろうか。

 あるいはクリスマスの酒場で、酔っ払いの老人が、「諸君、来年からは頑張ろう。」と演説し、もう一人の老人が、客に「蛍の光」の合唱を懇願する。店の楽団員が応え、客や女給や全員が、声を合わせだす。やがて誰もが感動し涙をこぼす。

 しかしクリスマスを祝う酒場が、当時はあったのか、占領下だから、そうせずにおれなかったのか。第一、酔った客がどうしてこんな陰気な「ホタルの光」を歌ったりするのか。私が見てきた黒澤映画の「リアリティ」は、欠片もなかった。

 物のない戦後の貧しさの只中とはいえ、衣装も建物も、洋風の部屋の家具や置物も、何もかも、ちゃちで貧乏くさかった。
昭和25年の私は6才だったから、小学校一年生の時の映画だ。日本が独立する一年前が、どんな時代だったのかネットで調べてみた。「出来事」という項目の表題を書き抜いてみよう。

 「NHK テレビの実験放送開始」「プロ野球 初の日本シリーズ」「1000円札の発行」。へえ、こんな時代だったのかと改めて驚いた。しかし、驚くにはまだ早い。

「女性の平均寿命が60才を超える」・・・・、こんなことがニュースになったのだ。「GHQが日本国内線の開設を許可」・・・・、注釈がないのでハッキリしないが、おそらく空の国内線のことに違いない。ああ、こんなことまで制限されていたのかと、敗戦国日本の悲しみを知らされる。

 「新製品」という項目を見てみよう。

「森永ミルクキャラメル」「ヤクルト」・・・・、この頃から出始めたのか。黄色い箱に描かれたキューピッドと、甘いヤクルトの味が思い出される。当時は子供だったから記憶になく、懐かしくもないが、「トリスウイスキー」「ポケットサイズ ニッカウイスキー」というのもある。もっと懐かしくなるのは、桃屋の「江戸むらさき」だ。

 ヒット曲という項目を見ると、時代が強く感じさせられる。私の子供たちは、美空ひばりだって知っているかどうか。
昭和生まれの親父は、胸がしめつけられるような、強い懐かしさに包まれ、しばし己を忘れてしまう。物好きのついでに、1位から6位までを列挙してみよう。

「 1. 夜来香 山口淑子」 「 2. イヨマンテの夜 伊藤久男」

「 3. 星影の小径 小畑実」「 4. 越後獅子の歌 美空ひばり」

「 5. サンフランシスコのチャイナタウン 渡辺はま子」

「 6. 東京キッド 美空ひばり」

 ブログに向かっているうちに、秋の陽が落ちて来た。こうなると、一気に夜が来る。
だから結論を急ごう。若い頃夢中にになった黒澤明が、はかない昔の夢の一つだった気がしてきたということだ。

 初期の作品には、和風建築の中に、洋風のセットがあちこち置かれ、日本文化に、無理やり西洋を接木したような、不自然さに違和感を覚えた。朝日新聞の社説でも読まされているような、登場人物の人道主義的セリフも、素直に聞けなかった。

 彼についてほとんど知らないけれど、もし生きていたら、平和憲法擁護者の一人だったような気がしてならない。思い違いなら許してもらいたいが、俳優に喋らせるセリフに、左翼人道主義者の正義の匂いが漂う。今なら彼の映画を見ても、若かった昔のように、感動しないだろうと思えてきた。

 大事なのは、国を捨てて欧米化することでなく、日本を大切にした上で、異風を取り入れる知恵だ。
国を滅亡の危機に晒したまま、反戦・平和を叫ぶのでなく、国を守りながら反戦・平和の主張をすることでないのか。黒澤氏がどういう人物か知らないまま言うのは、誠に申し訳ないが、作品を見た感想を率直に述べるとこうなった。


  淋しい秋の猫庭の、淋しい別れのひとつだった。

コメント (4)
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