「南京事件」について、一番詳しく書かれている本は、平成19年に出版された、田中正明氏の『南京事件の総括』です。
中川氏の本が出された9年後ですから、この本を知らなくて当然ですが、たとえ知っていたとしても、氏は自分の主張を変えないと思えます。
教科書問題が事実無根の誤報と判明していても、氏は南京記念館の設立理由として使っています。良心的な人物なら、内容を修正するか絶版にするかして、読者に正しい事実を伝えようとします。
現時点で明確になっているのは、「南京事件」と「東京裁判」がワンセットのもので、切り離しては考えられないという事実です。
敗戦国となった日本の戦争責任を追求し、政府の責任者を処刑するという結論が最初にあり、見せしめとして行われたのが東京裁判でした。
南京事件が初めて世に出たのは東京裁判で、日本人には寝耳の水の話だったと言います。田中正明氏は著書の中で、南京事件を否定する根拠として、二つ上げています。
1. 鎌倉市より狭い南京城内に、日本の記者とカメラマンが約120人占領と同時に入場している。
2. 当時、中国のニュースを独占していた、ロイター、AP、UP、アブスなどといった大通信社の記者も、南京や上海に常駐していた。
虐殺があったとされる期間に、各社が書いたのは、日中兵士の戦闘や、衝突事件など、ほとんどが小さな一段ものの雑記事でした。
虐殺事件に関するニュースが無かった事実を根拠に、氏は南京事件の捏造を訴えています。
「アウシュビッツに匹敵するような中国人の大量虐殺事件を、彼ら記者が見過ごしていたということはとうてい考えられない。」
氏は冤罪で処刑され、弁明の機会も与えられなかった松井石根大将の秘書として、氏は身辺のお世話をしていました。
南京陥落後に大将とともに入城し、敗戦後には共に引揚げ、東京裁判中もそばを離れなかった人物です。
南京事件が持ち出され、大将が裁かれる法廷を見ながら、必ず無実を世間に訴えると心に誓い、著作の準備をしたと言います。同じ二つの理由をあげても、中川氏のようにいい加減なものではありません。
外国の新聞記者が、虐殺記事を書かなかったと同じように、日本の記者たちも、報道していませんでした。
・朝日、毎日、読売、日経など全国紙の支局や、地方紙や通信社も、南京に特派員を派遣している。」
・南京に入城したのは、約120名の新聞記者やカメラマンだけではない。
・大宅壮一、木村毅、杉山平助、野依秀一、西条八十、草野心平、林芙美子、石川達三といった、高名な評論家や詩人、作家も陥落とほとんど同時に入城している。
・これらの人々は帰国するや、いろいろな雑誌や新聞にレポートを書き、講演もしている。
・終戦になり東京裁判が始まり、軍の作戦や、旧軍人に対する批判が高まった時でも、これらの作家や評論家や詩人の誰一人として、南京事件を告発したり口にする者はいなかった。
・批判力旺盛な、口八丁、手八丁といわれた大宅壮一氏でさえ、南京虐殺には終始否定的であった。
名前を出された大宅氏は気の毒な気もしますが、これが事実ではなかったかと思います。作家や評論家たちがGHQに異論を唱えられるはずがなく、口をつぐむのがせめての抵抗ではなかったのでしょうか。
紹介したのは、氏の著作の一部分だけですが、中川氏の嘘を証明するには、これで十分でないかと考えます。
中川氏の著書は、現在208ページ、「インド」に関する叙述です。ホテルのボーイにチップを騙し取られ、タクシーの運転手に料金を法外にふっかけられ、両替商からはごまかされと、こんな話ばかりです。
どうやら氏は中国と韓国以外は好感が持てないらしく、欠点や短所を並べています。
残るのは「イギリス」ですが、書評は本日で終わります。息子たちには何の役にも立たちませんし、「ねこ庭」を訪問される方々をこれ以上不愉快にさせたくありません。