〈 第二十二闋 藻璧門 ( さうへきもん ) 平安朝の幕を引いた 「平治の乱」 〉
「白光、日を貫く天象」が現れた時、信西はどうしたのか。渡辺氏の解説がここから始まります。
「信西は天文に通じていたから、夜になったら宮中に大事変が起こると察して、警告するため後白河上皇のおられる三條殿に出かけたが、たまたま上皇は宴遊会の最中であり、信西の息子たちも出席していた。」
「それで信西は上皇の楽しみを破ることを惧 ( おそ ) れ、直接に上奏せずに、女官たちに伝えてくれるように言って帰宅し、妻には〈 息子たちに伝えるように 〉と言い残して、自分は四人の家来と共に大和に逃げた。」
宏才博覧 ( こうさいはくらん ) にして、典故暗練 ( てんこあんれん ) の天才学者が、このような行動をしたと言うのですから、言葉を失います。恩義のある上皇を助けず、妻や息子たちも見捨て、自分だけ安全な場所へ逃げるとは、これが孔孟の教えを究め、仏の道を究めた者のすることでしょうか。
「果たせるかな義朝と信頼はその夜に三條殿を襲い、上皇を皇居に連れ出し、三條殿を焼き多くの男女を死なせた。また信頼と義朝の軍兵は信西の家を囲んだ。信西が女装して逃げるのではないかと、その家を焼き、女中や下女まで一人残らず殺した。」
保元の乱も酷い戦 ( むごいいくさ ) でしたが、平治の乱も凄惨な戦です。逃げた卑怯者の信西の末路も、哀れなものでした。
「いち早く逃げた信西は、石堂山 ( いしどうやま ) に来て星座を仰ぎ、〈 太伯 ( たいはく ) 、経天 ( けいてん ) に浸す 〉とか、〈 太伯、天を経 ( ふ ) 〉と言う現象を見た。これは金星が西南を過ぎることを指し、凶兆とされている。」
信西は若い時自分に剣難の相があることを知り、相者 ( 人相を見る者 ) に相談した時、彼に言われたそうです。
「僧になれば免れるであろうが、七十歳を超えてからのことは分からない。」
「それで信西は剃髪したのであったが、今は七十歳を超えている。そして太白経天の凶兆を見た。それで家来に穴を掘らせてその中に入り、竹筒を地上に出して呼吸し、念仏を唱えていた。」
「しかし見つけられて首を切られ、京都に首を晒 ( さら ) された。信頼はその見物に車で出かけている。」
平治の乱について最も詳しいとされている『平治物語』( 1200年刊 ) に、同じことが書かれているそうですが、『愚管抄』( 1220年刊 ) では、信西が胸を刺して自殺したことになっているそうです。
「天文についてはにわかに信じ難いが、『愚管抄』の方が正しいであろう。」と、氏が解説していますけれど、根拠は無さそうで事実は不明です。情報通信の発達した現代でもウクライナの戦況は、ロシアとウクライナ側の報道が正反対です。西側の記者たちも入っているのに、どっちが有利な戦いをしているのか、さっぱり分かりません。1000年以上昔の話ならば、違った記録が残っていて不思議はありませんので、事実の解明は歴史学者に任せることとし、書評を進めます。
「クーデターに成功した信頼は自ら大臣大将となり、朝飼所 ( あさがれいどころ ) にいて、衣服も行動も天子のごとくであった。源義朝は従四位下になり播磨守 ( はりまのかみ ) になった。後白河上皇も二條天皇も、信頼の捕虜になっているようなものである。」
しかしここで、事態が急変します。
「だが足元から、裏切り者が出た。藤原惟方と藤原経宗である。この二人は夜陰に乗じて二條天皇と中宮を運び出し、皇居の西方ある藻璧門に来た。門番の兵士たちが怪しんだ。」
「宮女 ( 女官 ) が外出されるのである。自分がついているのに、お前たちは何を疑うか。」と惟方が言ったが、番兵たちは信じなかったそうです。当時の武士たちは、身分の高い貴族の言葉でも簡単に従わなかったことがこれで分かります。
「彼らは弓で車の簾 ( すだれ ) を開け、たいまつを掲げて中を照らして見た。二條帝は艶麗な女物の美服を着て、中宮と一緒に乗っておられたので、番兵たちも本当の宮女と思い、門を開いた。それで天皇と中宮は、惟方と経宗に連れられて六波羅の平清盛の屋敷にお入りになった。」
さらに事態が急変し、どんでん返しとなります。
「惟方・経宗の二人は、後白河上皇のことは放ったらかしであった。二條帝と中宮が脱出したことに気づいた蔵人右少辨 ( くらうど・うしょうべん ) 藤原成頼 ( なりより ) が、後白河上皇に衣服を替えさせ、馬に乗せて仁和寺に逃げさせたのである。留守になった部屋にはお側に仕える者を入らせ、まだ宮廷にいるふりをさせた。」
「その直後、源氏と平家の戦乱になるが、天皇・上皇に逃げられた上、臆病な信頼を抱えた源氏は、賊軍にされて敗れ、平治の乱は終結した。」
ここまで読んで分かったことが、二つあります。
1. 「二匹のマムシ」とは信頼・信西でなく、惟方・経宗の二人だったこと
2. 頼山陽の詩の解説が、そろそろ始まるのではないかということ
次回で第二十二闋が終わりとなるのかどうか、自分でも分からなくなり、以前からの疑問も相変わらず解けないままです。
「なぜこの書が、幕末の志士たちに〈 倒幕の書 〉〈 愛国の書 〉として読まれ、明治維新の原動力となったのか。」