2. 幣原元首相との会見の回想 ( 164ページ )
「幣原男爵は、昭和21年1月24日の正午に、私の事務所を訪れた。」「それは丁度、松本博士の憲法問題調査委員会が、」「憲法改正案の起草に、取り掛かろうとしている時だった。」
幣原氏は、元帥にもらったペニシリンの礼を言った後、しばらく躊躇っていました。英語に堪能な氏には、通訳がいらないので、元帥と二人きりです。
「私は男爵に、何を気にしているかと尋ね、」「苦情であれ、何かの提議であれ、」「首相として意見を述べるのに、遠慮する必要はないと言ってやった。」
「首相は、私の軍人という職業のため、どうもそうしにくいと答えたが、」「私は軍人だって、時折言われるほど勘が鈍く頑固なのでなく、」「心底はやはり人間なのだと、述べた。」
次が、問題となっている、幣原氏の「戦争放棄の提案」に関する叙述です。
「首相はそこで、新憲法を上げる際に、いわゆる "戦争放棄" 条項を設け、」「その条項では、日本は一切の軍事機構を持たないことを決めたい、」「と提案した。」「そうすれば、旧軍部がいつの日か、再び権力を握るような手段を、」「未然に打ち消すこととなり、」「また日本は、再び戦争を起こす意思は絶対ないことを、」「世界に納得させるという、二重の目的が達せられる、」「というのが、幣原氏の説明だった。」
「私は腰が抜けるほど驚いた。」「長い年月の経験で、私は人を驚かせたり、異常に興奮させたりする事柄に、」「ほとんど不感症になっていたが、この時ばかりは、息も止まらんばかりだった。」
私は既に、二度も本を読んでいましたが、この部分の重要性を知らなかったため、読み流していました。塩田氏の著作を読まなくても、幣原氏の「戦争放棄」提案は記憶しているべきでした。
「原子爆弾の完成で、戦争を嫌悪する私の気持ちは、最高度に高まっていた。」「戦争を国際紛争の手段とするのは、時代遅れのものとなり、」「全廃することは、私が長年情熱を傾けてきた夢だった。」
「私がそう言った趣旨のことを語ると、今度は幣原氏がびっくりした。」「氏はよほど驚いたらしく、私の事務所を出るとき、」「感極まった表情で、顔を涙でくしゃくしゃにしながら、」「私の方を向いて言った。」
「世界は私たちを、非現実的な夢想家と笑いあざけるかもしれない。」「しかし百年後に、私たちは預言者と呼ばれますよ。」
文章はもう少し続きますが、肝心の部分は以上です。果たしてこの叙述を読んで、「戦争放棄」を幣原氏が元帥に提案したと、断定できるものなのか。回想記の出版は、幣原氏の死後ですが、元帥は二人の会話について、折に触れ側近たちに話していました。いわば、幣原氏が戦争放棄説を提起したと語っていたのは、元帥自身でした。
幣原氏への疑問が語られた時、何回目かのブログで、「『マッカーサー回想記』を思い出す」と言ったのは、このことを指します。大胆な意見ですが、「陛下のお言葉」と「幣原氏の戦争放棄提案説」の二つは、元帥の「作りごと」ではなかったかという推測です。
全くの嘘や捏造でなく、事実としてあったことに、元帥が脚色し周辺に語った・・根拠のない推測で無く、元帥にはそれをする正当な理由がありました。これまでの読書で得た教えの中から、思いつくままに列挙します。
・GHQの統治で日本を改革し、成功させることが元帥にとって最大の使命だった。
・改革の成功は、同時に米国の成功であり、歴史的偉業でもあった。
・改革を成功させる鍵は、天皇陛下のご協力だった。陛下を尊敬し、賞賛していることを世間に知らせるのは、元帥の政策でもあった。
・戦勝国が、占領国の現行法を変更することは、ハーグ条約に違反していることを元帥は知っていた。
・日本の憲法を改正したのは、あくまでも日本側の自主性だったと、元帥にはその虚構が必要だった。
・幣原氏との「戦争放棄談話」は、元帥には渡りに船の材料だった。
日本において当時の元帥は、陛下の上に君臨する絶対の権力者でした。彼の言葉や行為について、異論を挟む者は、誰もいません。陛下との面談には通訳がいましたが、実質的には二人の会談であり、幣原氏との対話は文字通り二人だけでした。元帥が多少違ったことを語っても、事実を確認できるのは、当事者しかいません。
「マッカーサーとの約束だから」と、記者の質問に答えられなかった陛下と、金森大臣の質問に対し、「それについてお話しするのは、時期尚早です。」と応じた幣原氏の様子に、私は共通するものを感じ取ります。
つまり二つの話は、事実無根の嘘でありませんが、「いずれも元帥の、作りごとだった。」・・という推測です。
その根拠として、塩田氏が引用している吉田元総理の言葉を紹介します。
「戦争放棄の条項を、誰が言い出したかということについて、」「幣原総理だという説がある。」「マッカーサー元帥が米国へ帰ったのち、米国の議会で、」「そういう証言をしたということも、伝えられておって、」「私もそのことを質ねられるが、私の感じでは、」「あれはやはり、マッカーサー元帥が先に言い出したことのように思う。」
「もちろん、総理と元帥の会談の際、そういう話が出て、」「二人が大いに意気投合したということは、あったろうと思う。」
また塩田氏は、571ページで、マッカーサー元帥が解任された後、幣原氏が総司令部を訪ねた折、ハッシー大佐からこの話を持ち出された時、口にした言葉も紹介しています。
「元帥が、憲法第九条の発案者が私であると述べたことについては、」「正直に言って、迷惑している。」
同じ資料を扱っていても、執筆者の姿勢によって異なる事実が語られると、ここでも私は言いたくなります。
「戦争放棄の発案者は、マッカーサーか幣原か、という疑問は最後まで解けなかった。」「それは日本国憲法をめぐる、最大の謎として残されたのである。」
これだけの資料を集め、検討しながら、氏はこんな結論しか述べません。私に言わせれば、氏の思考回路こそが、「最大の謎」です。
次回は、「東京裁判」に関する米国人の意見と、「再軍備」に関する昭和天皇のお言葉を紹介し、このシリーズのまとめといたします。
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