吸血鬼ハンター美少女彩音
「このブラウンストンの建物は、混沌の上に架けられた橋なんだ。地獄の門と現世の境界とが連結するところなんだ。現世の天使である歩哨が部署について、地獄の軍勢を見張っている場所なんだ」
『悪魔の見張り』 ジェフリイ・コンヴイッツ 高橋豊=訳
1
「あの橋……そのうち解体されるんだって」
彩音の声は澄んだハイトーンで耳に快く響く。高架ブリッジの『幸橋』を仰ぐ。かたわらの慶子に話しかけた。古風なうりざね顔をすこしかしげて、青空に視線をはねあげた。どこからか声が聞こえた。だれかに呼びかけられたような気がした。
「どうしたの、彩音」
「慶子、いまなにかいった」
「あら、どうして」
「高いところから声がふってきたようだった」
彩音は慶子を見上げている。
「それって、わたしを朝からオチョクッテいるの」
バスケ部のデヘンス慶子は東中学の2年生。175センチもある。まだ背はのびている。
「そんなんじゃないって。空から声が降ってきたと思ったのよ」
北関東は鹿沼。舟形盆地の初春の空はピーンとはりつめている。
盆地にある街。北に古賀志山。西に岩山があるので雷鳴が反響する。とんでもない方角から聞こえてくることがある。いまも、春雷でも空で騒ぎたてのかと彩音は思った。
彩音は立ち姿そのものが一幅の掛け軸になっている。純日本的な美人なのだ。
空から音が響いてくる。ときには四方から音源のわからないあいまいな音が聞こえる。
だから、こだまかしら。だれかが高いところでヤホーと叫んだのかもしれない。と彩音は思った。とくにこの幸橋の下を通るときに耳鳴りがするのだった。
日本髪をどうしても自宅で結いたい。校則違反なのだが、特別ゆるされている長い黒髪が朝風になびいている。
まさに鹿沼流の舞手としての美少女だ。
「下を歩くのコワイモノネ」
慶子がからかわれているのではないと知って話題をもとにもどす。彩音の最初の問い掛けに答える。
橋には両サイドの昇り階段はない。
彩音の記憶にある幸橋はすでに渡れなくなっている。
東西の工場をむすぶ国産繊維専用のこの橋は黒川の上に架かっている。高架橋で階段を昇らないと渡れない。
工場が縮小され、両側の階段がきり離された。
西工場と女子寮の跡地はヨーカドーになっていた。
それもあまりに売上がのびないので撤退してしまった。
いまは、ヨークベニマルとホームセンターVIVAになっている。
「たれさがっている鉄板が落ちてきたらケガをするわ」
「しょうがないわよ。百年モノの橋よ」
鹿沼の幽霊橋。
そのうちスクラップとなる運命の古い橋。
鉄骨の橋げた。
欄干。
橋脚。
どこもかしこも赤サビだらけ。
それでも、鹿沼の全盛時代を思い出させる懐かしい橋。
朝日に照らされている。黒川の河川敷きは冬の終りの雪がとけた。枯れ葦が川風にそよいでいる。
凛とした川風が彩音と慶子の頬にここちよい。
まだ、寒い朝があるが、春はそこまで来ている。
図書館の駐輪場を横切る。
まだ、時間が早いので、自転車は一台もない。
『川上澄生美術館』の前にでた。
川上澄生の版画がいつでも展示されている日本で唯一つの美術館だ。明治時代の西洋館を模した赤レンガの建物だ。
川上版画を立体化した風情がある。
正面玄関に東中学校のオケラ部がせいぞろいした。
横断幕を手にしている。
「ええ、これってなぁに」
彩音はおどろく。
『川端彩音 川上澄生版画大賞 おめでとう』
やだぁ、こんなドハデナカンゲイ会なんて。
わたし、こまる。
コッパズカシイよ。
こんなの、きいていないよ。
「サプライズ・パーテイよ。彩音、おめでとう]と慶子。
「彩音、おめでとう」
「おめでとう」
「ダブル受賞だね。版画大賞と演技賞」
「彩音ちゃん。おめでとう」
合奏の音が高鳴った。
曲は校歌だぁ。
てれちゃうな。
バンとシンバルが彩音の耳元でひびいた。
フラッシュがたかれた。
彩音と慶子は逆光線のなかに立っている。
写真部の長原洋平まできている。東中のパパラッチ。学校新聞のフトッチョのカメラマン。美少女のオッカケ。
カメラのフラッシュがまばゆい。
フラッシュ、が彩音の瞳をカッとあぶる。
フラッシュ。
「もう一枚」
洋平から元気な声がとぶ。
彩音は戸惑いながらも、ピースサインできめる。
慶子がいつのまにか脇に退いていた。
フラッシュ。
めまいがする。わたしおかしい。頭の中がチカチカする。どうかしちゃう。彩音は洋平
の声を遠いところできいている。
ふいに耳元でひびいたシンバルのひびき。
バンという金属音が遠のく。
余韻がプッンととぎれた。
フラッシュに網膜を刺されて彩音の意識がゆらぐ。
彩音に異変が生じていた。
眩しいフラッシュ。金属音。
光と音。あまり唐突な光とシンバルの音に現実の風景と音声が消えてしまった。
このとき、彩音はなぜかいまはトムソンと化した幸い橋を見ていた。
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