田舎住まい

吸血鬼テーマーの怪奇伝記小説を書いています。

友だちが友だちを殺す? イジメ教師は悪魔の顔/麻屋与志夫

2011-09-27 09:03:35 | Weblog
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(体育館のマットのなかで中学生が窒息し、
殺されていた問題もなにも解決していない。
刑は確定したもの動機などは解明されていない。
そこえきてこのところ毎日のようにイジメによる自殺がテレビをで報じられている。
どうしてそういうことが起こるのか。
なぜ友だちを死においこむそんな残酷なことのできる子供が育つのか。
わたしたちの敵には姿がないのかもしれない。
あるいは、絶えず姿をかえるモノにわたしたちはとりこまれてしまうのかもしれないのだ。それが学校にはながいこと棲みついているのだ。学校ほど、外部の人間には未知の領域はない。
教師とまだ認識力の曖昧な子供たちしかいない広がり。
闇だな)

それは、学校が、教室が密室を形作っているということによるものだろう。
おおぜいの人間がいるのに、密室というのはおかしい……と誠はながいことかんがえてきた。
教師のまわりは、認識力の低い子供たちばかりだ。
なにか、事件がおきても、けっして客観的な判断はできない。
翔太が鞄の蓋をカッターナイフできられたときも曖昧なまま事件にもならずに、無視され……担任教師の一存で処理されてしまった。

もし、あのまま転校しないでいたら、どうなったろうか、刃物が事物にむいているうちはいい。      

翔太の体にむけられていたらとおもうとふるえがくる。

現に翔太の姉の冴子は小学3年のとき男の子にコンパスのとがった先で胸をつかれたことがあった。
じぶんたちが、暴力の国にすんでいるのをあらためて思いおこした。
暴力は形をかえて、いまだにいきのこり、われわれの理性を麻痺させ、われわれを支配しょうとしているのだ。

「それは、問題をおおきくとらえすぎるよ。誠はいつも、そうなんだ。かわっていないな……おまえさんの思考パターンからすれば、……」
「いや、おおきくとらえることが、小野崎はじめ、教育の現場にいるひとたちへのおもいやり、遠慮なのさ。個人攻撃はこのさいつつしむべきなのだ」
「教育だけが……マスコミの手つかずの……伏魔殿みたいなもんだ……。なにがおきても根本的な反省や解決策がこうじられない」

組織の中で生きたことのない人間がなにをいうという、中島や小野崎の声がふいによみがえった。
 

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