初めのページには
大正十三年二月十五日に二歳の男児が亡くなった記録が書いてありました。
平成六年に長男が亡くなったこと
平成四年には私の長男が亡くなったこと記入してあります。平成五年には実の兄が亡くなっています。
平成五年には夫が(私の父)の命日が記入されています。
昭和八年に母親が亡くなっているようです。
昭和廿年には父親が亡くなっていますね。(この件については母から戦後の混乱期だったので、お葬式に行けなかったことがいつも悔まれていた様子でした。時々何気ない時に私に零した時がありました。どうしていかなかったのかは聞きませんでした。その当時は私が生まれた直ぐ後で幼子を残してお葬式にで出る気持ちが無かったようです。そのころは「ぁそういうもんなのなのだなあと」何も知らないながらも感じたことを記憶しています。
縦が15㎝横が21cmのCampusのNOTOBOOKです。
日々の動きを箇条書きにしたもののようですがドキドキして読んでいます。
あのときこんな気持ちで書いたのだわ!
都合の悪いこともしっかりと書いてあります。普通なら隠してしまいそうなこともしっかりと淡々と感情を入れずに書いています。
ただ最後のページの端に
「優しさとは人の憂ひが 思ひやれる能力です (てる 」と書いてありました。どなたかのお言葉が心にしみたのでしょうね。言っていたのは?書いてたのは・〇〇てるという人なのでしょうか??
最終ページには
「国連安全保障理事会」と書いてありました。何を言いたかったのでしょうね?
高齢になって独り暮らしになってもろもろのことが淡々と書かれています。
少しずつ書いてまいります。驚きのことが多く心がゆすぶられます。
私にはできないことだわ・・・
これらは多分知らない人が読んでも何も感じないことです。私の兄弟や親せきなどは良く分かると思います。
凄い記録があるものです。これをどうしたら良いのでしょうね。
弟のお連れ合いが亡くなったという電話が入りましたが、遠隔地なので体調も悪いし、多分行けないでしょう!
代わりにお手紙を書きましょうかと便箋を出したらこのノートが出てきました。
母が良く読んでいましたから・・・間違いないと思います。
ありがとうございました。
読んだ記憶が朧ですが、わたくしもその想いに惹かれたことがあります。
勘違いならご容赦くださいませ。