菅直人の増税論などの出し方を見るに付け、一言「安っぽい」と述べたいと思う。
大体「けいざいのおべんきょう」の真っ最中の「立派な経済音痴」(竹中平蔵を含む)の糞馬鹿野郎が財政論議の中で「日本の特殊状況を考えずに」世の中の「流行」と言う事で「お安い増税」を打ち出した。
最近ジョージアのコマーシャルに出ているトミー・リー・ジョーンズ氏に似て来ている菅直人には突っ込みどころ満載である。(トミー・リー・ジョーンズ氏には失礼極まりない事だが。)
消費税増税には、いくつかの特徴がある。先ず、増税直前の駆け込み需要。そして、増税が始まるや否や消費の沈滞。そして暫くしての消費の若干の蘇りである。
これらを「おやすい」菅直人は分っているのか?
これらの中で重要なのは、先ずは「保存の効くモノ」が中心として動いている。そして、その結果、「サービス」が置いていかれるのだ。
保存の効かないものは置いていかれる。その際たるものは「エネルギー源」である。だからガソリンやLPGの消費量は、あまり消費税の影響は受けない。(これは熱等量換算で、そうなり配分が変わる可能性はある。これが石炭となると様相が変わる。保存施設に対しての制限が低いのだ。って、こんな事も「市民活動家=低脳の馬鹿」を証明した菅直人には分らんようだが)
何れにしても、この「民主党にとってありがたい」消費税はサービス関連業種にとって「刻苦の税」となるだろう。どんだけ潰れるか想像したくないな。
この間のリーマンショックで博多の歓楽街では50%が倒産、長崎でも60%が倒れたと聞く。果たして「菅ショック」では、どこまでになるのか?何しろ怖さが分っていない無痛症のバカがやるのだ、さぞや派手になる事だろう。
何れにしても市民活動家とほざく「浮世離れしたスローガン宗教家」にとっては、何とはなれ関係の無いものだろう。すぐに他人の所為にしたがる癖が抜けない能無しだが、政権を取った今、誰に責任を押し付けるのだろうか?
政策の云々を除いても、この導入方法には疑問の余地が満載である。先ずは、いきなり消費税、そして、財界への擦り寄り、政治生命を賭けるとの意気込みの後のトーンダウン、何日かはナリを潜めたが、暫くすると税について説明が出来ていなかったとか、また吹き出す始末。
この首尾一貫しない態度の所以は、この政治生命を賭けたとほざく政策自身が「とってつけた」程度のものだからだ。
それからすれば「全てにおいて他人事」の谷垣(今後コノガキと呼ぶ事にする。)に比べると、首尾一貫している。ちなみに忘れっぽい連中に言うがコノガキは、自民党が政権を取っていた時の「消費税増税論者」の急先鋒で竹中平蔵と似た「ニタニタしながら酷い事を自覚も無しにほざく」糞馬鹿野郎だった。
今となっては発言を遮られると、すぐに口を閉ざす「変に物分りの良い役立たず」となっているようだ。(ちなみに誤変換で「辺に」となったが、これもコンピューターの神様の粋な計らい。「辺に」とは「端っこ」に、とか「主流ではない」って意味で、毎度想像力に感服する)
こいつらには政治に関する「拘り」とか「粘り」とか「熱意」が無い。基本が「お安い」政治目標「っぽいもの」で構成されているからだ。
大体強い財政・強い福祉・強い経済って、どうやって構成するの?それが消費税?なら何で今までやらなかったの?理由は簡単、増税では、強い財政は出来るが、強い福祉は、ちょっと問題があり、強い経済は寝言と成り下がるだろう事は明白だからだ。
つまり、この3つを構成する事は容易ではないからだ。
政治では、このような「三竦み」があるのは至極良くある話で、逆に言うと、これがあるから制御機構が成立するのだ。つまり、上げる効果のあるものに対して下げる効果を発揮するものが別にある。それで制御は成り立つのだ。
つまり、3つが上げるのも邪魔しなければ下げるものも邪魔しないとなると、何を持って、これを制御するのかの方法論が無い。これは「ありがたいもの」として考えるものなのだ。だが代償として、3つがいっぺんに良くなる事も無いのである。(ああ、見事なり「等価交換」!)
最初に、増税のお陰で財政を「ちょっとマシ」にする事は「三宅久之の寝言」通りだが、その結果経済の悪化が出てくるだろう。ここで重要なのは、法人税減税をともなって財界は若干の被害は無くなるものの、その結果、消費税の分担が国民の方に重くなる来る事は先ずもって間違いは無い。
ここで歳相応に思考能力のなくなった「ソラマメに眼鏡をつけたような」糞爺は、政治目標とか言うスローガンの達成こそに、存在意義をかけており、その結果、財政の安定のみが目的であって、最終的な目的、国民の平和と福祉に関しては「ポピュリズム」と、毎度、舌を噛みそうな言葉なのに、この発声練習だけは欠かした事のなさそうな発言の滑らかさで、吐き捨てる。
この状況が明確化すると「たかじんの委員会」からお馴染みの「消費税増税論者」の登場は「主に健康上の理由」でなくなるだろう事は明白だ。
馬鹿の社会的生命を奪うのに、その本体の生命を殺す事は無いのだ。事実が、馬鹿に馬鹿と言い、そして、その馬鹿の発言力を殺す。今回のこれは、相当な威力を持つだろう。
って事で、三宅久之を殺そうとネット上で発言するキミ、無駄な事は止めなさい。
何れにしても「老い耄れの悲願」は、達成されるだろうが、それが「日本の金持ち優遇」を重くする事はあっても「財政の健全化」「経済の活性化」「日本経済の強化」は共に、全部駄目だろう。
つまり「消費税増税」のみで財政は「ちょっと良くなる」のだが、財界に擦り寄りたい糞馬鹿の媚態は、その「ちょっと」分を「綺麗さっぱりぶっ殺す」だろう。これで「強い財政」は無くなるのだ。
そして先に述べた「保存できるモノ」の先行景気は出るものの、今までの経験上から、平均値としてみた国内消費経済は「確実に下がる」ので、我々からすると実感の無い経済だけが「活性化」し、国民として見た経済は「確実に悪化する」。
そんで、強い福祉は「税源の枯渇」により「悪くなる」のである。見事な格差拡大の手法。いやぁ~見事なものだな。さすが「労働貴族」や「無能な教師」の為だけの奉仕者集団だけの事はある。
こうまで悪くなる見通しを確実化してくれて「ありがとう」。
馬鹿。
こんな事も分らないのか?お前、レッドカードに代わって「ドドメ色カード」を突きつけてやろう。
これも去る事ながら、菅直人と枝野、連、その他マシと思われる連中は「孤立して」やっているのであり、それ以外の民主党の「政治家」と称している「能無し」は「何も分らない」「何も考えられない」「何も出来ない」の「3ない体制」である。
民主党の8割がコノ程度である。
前のブログにも書いたが、政治とは、コンセンサスであり、現状であり、その為の事実や思考・試みの積み重ねの歴史であり、その結果としての法案であり、政令やそれに付随するものの集大成である。
しかし、赤松を中心とした「3ない体制」の糞馬鹿野郎は、そんなものを見た事も聞いた事も、ましてや自分で行う事も無いだろう。要は「品性下劣な馬鹿の分際で先生と呼ばれたいだけの自己顕示欲が服着た連中」なのである。
これは「良くて」であり「一般的」の典型では、赤松の「農政完全虐殺」程度の「害にはなっても役には立たない糞馬鹿野郎」である。これで「悪い例」となれば、どうなるか空恐ろしい。
そして、それは「頭目」の汚沢自身がそうである。
政策と言う「気難しい女の扱い」(女の立場からすれば馬鹿の分際で「文学」とやらの権威を傘に着ているつもりの石原慎太郎の扱いと見てもらえば良いだろう)に似ているコレは、あれを触れば文句が出て、コレを触ると嫌味が出る程度のもので、ナカナカ難しい。それを一人でこなすのは無理だが、残念ながら、同僚は「雁首」の最たるもので「数を揃えているだけ」のものである。
だから「孤立」していると言うのだ。
汚い面をしていながら、良い顔をしようと、あっちに良い事、こっちに良い事と「都合のイイ」を連発するのだが、菅直人の寝言同様、どれも良くしようとしても、馬鹿がほざくので結果論として「どれも悪くなる」のがオチである。
その最たるものが「迷走する高速道路料金」である。その経過は珍しく新聞が良く伝えている。だから新聞を見直すと「バカの程度」が分るだろう。つまり「無料化」を触って御機嫌を取ったら、財源不足、特にバカみたいに利益誘導にくっついて回る土建屋の「建設工事」の不足を招いて「ぱぁ~」である。
あっちを立てれば、こっちが立たず、こっちを立てれば、あっちが立たない。これこそが政治の現実である。菅直人にしても汚沢にしても、この矛盾を見ていないし認識していませんよと、バカ面を伴って公言しているに過ぎない。上手く行かないのは当然である。「バカな役立たず」なのだから。
これが上手い人がやれば上手く行くから不思議である。所詮馬鹿は馬鹿でしかない。
私は政策・行動として宮沢喜一の「ブリッジバンク」の時ほど、胸がすっとした事は無い。
記者が問う「大臣・どうなさいますか?」
彼が答える「ブリッジバンクです。あれしかない」
これで全てが終わったといって過言ではない。多分・摩り合せは既に終わっていたのだろう。大蔵省も金融庁も普段の馬鹿さ加減を脱ぎ捨てて、立派に役に立った。
もう何もぶれる事がなく、やるべき事ははっきりしている、だから、ただ単にやるだけだ。
処理が終わった後、それまでの混乱が嘘のように「平常」となったのだ。あまりに上手く行ったので、っ誰も、それがあった事を覚えていない程度だった。
やった側もやった側で「ああ、あれってあんなモンですよ」と何処吹く風だった。
だから汚沢を見ろ!汚いだろう。だから汚沢だ。汚いのは顔だけではない、行いはもっと汚く、その根源となる存念は汚いという言葉では、とても表現できない程度のものだ。
今、民主党は「何も出来ない御用聞き」に成り下がっている。何も出来ないなら、辞めろ。馬鹿。
さて菅直人の渾名として「イラ菅」と言うのがあるが、今後は「いやぁ~ん、バ菅ぁ~ん」ってのは、どうでしょうか?
木久翁に歌ってもらうと、これが実に調子が良い。
おすすめです。
って事で、このブレさ加減は、この連中が、政治と言うものを実態として考えてこなかった事が一番問題であるという事である。初めて、政治の力を使うと、こうなるとスペース鳩にしても菅にしても思ったのではないだろうか?
だが、その言行が示す通り、何も考えられないのだ。何も分らないのだ。その結果何も出来ないのだ。
残ったのは、累々たる死屍である。それは今後も増える事はあっても減る事は無い。
もっと見たくないものを見る事となるだろう。我々は今後、政治を強く意識するだろう。その所以は、悪い点を色々見せられるからだ。
今まで上手く行っていた事が、上手く行かなくなる。それは影になって支えてくれていたものが無くなっていて、それに今気づくのである。
それは自民党政権の時から始まっていたのだ。そして、良いものが支えていてくれた悪いものの影響も今後強くなる。連合・朝日・毎日・電通・慶応・NHK・日教組。害にはなっても役に他は立たない。責任は問うが、責任は取らない。
あれ?菅直人の生き方そのものか?
どうでもいいが、国の金を使って、見たくも無い菅の顔を載せたCMってのも辞めてくれないかな?
ちなみに、あれでテレビ局に媚を売っているんだよ。
最近、日本が慶応スタンダードになってきていて、安っぽく仕上がっている。「日本の製品はオーバークオリティーなんですよ。」と日本はおろか、世界で一番安っぽい偽塾の世界で一番安っぽい寝言を吐く世界で一番安っぽい教授がほざく。
しかし、この安さの先にあるのは「自滅」である。
安くしろと、3手先には発言の自己矛盾を起し、自分の行った事をすぐに忘れたがるのは、菅に似て、スペース鳩に似て、汚沢に似ている。安くしても、売っている会社は、今の状況を維持するとなると、安くして安っぽく仕上げて、沢山売るとなる。そうなると、慶応の持つ唯一の寝言、労働生産性に引っかかり、最終的には、日本の企業に向かって「あなた達が滅びるのが一番賢い事なんです。」とニタニタしながらほざくだろう。
この論法は、自己矛盾が服を着ていて出来損ないのトミー・リー・ジョーンズ似のバカ面をつけている「阿呆ぅ」にも適用できる。
かくて、予告された愚行は実行されるかどうかは、選挙次第だろう。
早く崩れろバカの集まり。
大体「けいざいのおべんきょう」の真っ最中の「立派な経済音痴」(竹中平蔵を含む)の糞馬鹿野郎が財政論議の中で「日本の特殊状況を考えずに」世の中の「流行」と言う事で「お安い増税」を打ち出した。
最近ジョージアのコマーシャルに出ているトミー・リー・ジョーンズ氏に似て来ている菅直人には突っ込みどころ満載である。(トミー・リー・ジョーンズ氏には失礼極まりない事だが。)
消費税増税には、いくつかの特徴がある。先ず、増税直前の駆け込み需要。そして、増税が始まるや否や消費の沈滞。そして暫くしての消費の若干の蘇りである。
これらを「おやすい」菅直人は分っているのか?
これらの中で重要なのは、先ずは「保存の効くモノ」が中心として動いている。そして、その結果、「サービス」が置いていかれるのだ。
保存の効かないものは置いていかれる。その際たるものは「エネルギー源」である。だからガソリンやLPGの消費量は、あまり消費税の影響は受けない。(これは熱等量換算で、そうなり配分が変わる可能性はある。これが石炭となると様相が変わる。保存施設に対しての制限が低いのだ。って、こんな事も「市民活動家=低脳の馬鹿」を証明した菅直人には分らんようだが)
何れにしても、この「民主党にとってありがたい」消費税はサービス関連業種にとって「刻苦の税」となるだろう。どんだけ潰れるか想像したくないな。
この間のリーマンショックで博多の歓楽街では50%が倒産、長崎でも60%が倒れたと聞く。果たして「菅ショック」では、どこまでになるのか?何しろ怖さが分っていない無痛症のバカがやるのだ、さぞや派手になる事だろう。
何れにしても市民活動家とほざく「浮世離れしたスローガン宗教家」にとっては、何とはなれ関係の無いものだろう。すぐに他人の所為にしたがる癖が抜けない能無しだが、政権を取った今、誰に責任を押し付けるのだろうか?
政策の云々を除いても、この導入方法には疑問の余地が満載である。先ずは、いきなり消費税、そして、財界への擦り寄り、政治生命を賭けるとの意気込みの後のトーンダウン、何日かはナリを潜めたが、暫くすると税について説明が出来ていなかったとか、また吹き出す始末。
この首尾一貫しない態度の所以は、この政治生命を賭けたとほざく政策自身が「とってつけた」程度のものだからだ。
それからすれば「全てにおいて他人事」の谷垣(今後コノガキと呼ぶ事にする。)に比べると、首尾一貫している。ちなみに忘れっぽい連中に言うがコノガキは、自民党が政権を取っていた時の「消費税増税論者」の急先鋒で竹中平蔵と似た「ニタニタしながら酷い事を自覚も無しにほざく」糞馬鹿野郎だった。
今となっては発言を遮られると、すぐに口を閉ざす「変に物分りの良い役立たず」となっているようだ。(ちなみに誤変換で「辺に」となったが、これもコンピューターの神様の粋な計らい。「辺に」とは「端っこ」に、とか「主流ではない」って意味で、毎度想像力に感服する)
こいつらには政治に関する「拘り」とか「粘り」とか「熱意」が無い。基本が「お安い」政治目標「っぽいもの」で構成されているからだ。
大体強い財政・強い福祉・強い経済って、どうやって構成するの?それが消費税?なら何で今までやらなかったの?理由は簡単、増税では、強い財政は出来るが、強い福祉は、ちょっと問題があり、強い経済は寝言と成り下がるだろう事は明白だからだ。
つまり、この3つを構成する事は容易ではないからだ。
政治では、このような「三竦み」があるのは至極良くある話で、逆に言うと、これがあるから制御機構が成立するのだ。つまり、上げる効果のあるものに対して下げる効果を発揮するものが別にある。それで制御は成り立つのだ。
つまり、3つが上げるのも邪魔しなければ下げるものも邪魔しないとなると、何を持って、これを制御するのかの方法論が無い。これは「ありがたいもの」として考えるものなのだ。だが代償として、3つがいっぺんに良くなる事も無いのである。(ああ、見事なり「等価交換」!)
最初に、増税のお陰で財政を「ちょっとマシ」にする事は「三宅久之の寝言」通りだが、その結果経済の悪化が出てくるだろう。ここで重要なのは、法人税減税をともなって財界は若干の被害は無くなるものの、その結果、消費税の分担が国民の方に重くなる来る事は先ずもって間違いは無い。
ここで歳相応に思考能力のなくなった「ソラマメに眼鏡をつけたような」糞爺は、政治目標とか言うスローガンの達成こそに、存在意義をかけており、その結果、財政の安定のみが目的であって、最終的な目的、国民の平和と福祉に関しては「ポピュリズム」と、毎度、舌を噛みそうな言葉なのに、この発声練習だけは欠かした事のなさそうな発言の滑らかさで、吐き捨てる。
この状況が明確化すると「たかじんの委員会」からお馴染みの「消費税増税論者」の登場は「主に健康上の理由」でなくなるだろう事は明白だ。
馬鹿の社会的生命を奪うのに、その本体の生命を殺す事は無いのだ。事実が、馬鹿に馬鹿と言い、そして、その馬鹿の発言力を殺す。今回のこれは、相当な威力を持つだろう。
って事で、三宅久之を殺そうとネット上で発言するキミ、無駄な事は止めなさい。
何れにしても「老い耄れの悲願」は、達成されるだろうが、それが「日本の金持ち優遇」を重くする事はあっても「財政の健全化」「経済の活性化」「日本経済の強化」は共に、全部駄目だろう。
つまり「消費税増税」のみで財政は「ちょっと良くなる」のだが、財界に擦り寄りたい糞馬鹿の媚態は、その「ちょっと」分を「綺麗さっぱりぶっ殺す」だろう。これで「強い財政」は無くなるのだ。
そして先に述べた「保存できるモノ」の先行景気は出るものの、今までの経験上から、平均値としてみた国内消費経済は「確実に下がる」ので、我々からすると実感の無い経済だけが「活性化」し、国民として見た経済は「確実に悪化する」。
そんで、強い福祉は「税源の枯渇」により「悪くなる」のである。見事な格差拡大の手法。いやぁ~見事なものだな。さすが「労働貴族」や「無能な教師」の為だけの奉仕者集団だけの事はある。
こうまで悪くなる見通しを確実化してくれて「ありがとう」。
馬鹿。
こんな事も分らないのか?お前、レッドカードに代わって「ドドメ色カード」を突きつけてやろう。
これも去る事ながら、菅直人と枝野、連、その他マシと思われる連中は「孤立して」やっているのであり、それ以外の民主党の「政治家」と称している「能無し」は「何も分らない」「何も考えられない」「何も出来ない」の「3ない体制」である。
民主党の8割がコノ程度である。
前のブログにも書いたが、政治とは、コンセンサスであり、現状であり、その為の事実や思考・試みの積み重ねの歴史であり、その結果としての法案であり、政令やそれに付随するものの集大成である。
しかし、赤松を中心とした「3ない体制」の糞馬鹿野郎は、そんなものを見た事も聞いた事も、ましてや自分で行う事も無いだろう。要は「品性下劣な馬鹿の分際で先生と呼ばれたいだけの自己顕示欲が服着た連中」なのである。
これは「良くて」であり「一般的」の典型では、赤松の「農政完全虐殺」程度の「害にはなっても役には立たない糞馬鹿野郎」である。これで「悪い例」となれば、どうなるか空恐ろしい。
そして、それは「頭目」の汚沢自身がそうである。
政策と言う「気難しい女の扱い」(女の立場からすれば馬鹿の分際で「文学」とやらの権威を傘に着ているつもりの石原慎太郎の扱いと見てもらえば良いだろう)に似ているコレは、あれを触れば文句が出て、コレを触ると嫌味が出る程度のもので、ナカナカ難しい。それを一人でこなすのは無理だが、残念ながら、同僚は「雁首」の最たるもので「数を揃えているだけ」のものである。
だから「孤立」していると言うのだ。
汚い面をしていながら、良い顔をしようと、あっちに良い事、こっちに良い事と「都合のイイ」を連発するのだが、菅直人の寝言同様、どれも良くしようとしても、馬鹿がほざくので結果論として「どれも悪くなる」のがオチである。
その最たるものが「迷走する高速道路料金」である。その経過は珍しく新聞が良く伝えている。だから新聞を見直すと「バカの程度」が分るだろう。つまり「無料化」を触って御機嫌を取ったら、財源不足、特にバカみたいに利益誘導にくっついて回る土建屋の「建設工事」の不足を招いて「ぱぁ~」である。
あっちを立てれば、こっちが立たず、こっちを立てれば、あっちが立たない。これこそが政治の現実である。菅直人にしても汚沢にしても、この矛盾を見ていないし認識していませんよと、バカ面を伴って公言しているに過ぎない。上手く行かないのは当然である。「バカな役立たず」なのだから。
これが上手い人がやれば上手く行くから不思議である。所詮馬鹿は馬鹿でしかない。
私は政策・行動として宮沢喜一の「ブリッジバンク」の時ほど、胸がすっとした事は無い。
記者が問う「大臣・どうなさいますか?」
彼が答える「ブリッジバンクです。あれしかない」
これで全てが終わったといって過言ではない。多分・摩り合せは既に終わっていたのだろう。大蔵省も金融庁も普段の馬鹿さ加減を脱ぎ捨てて、立派に役に立った。
もう何もぶれる事がなく、やるべき事ははっきりしている、だから、ただ単にやるだけだ。
処理が終わった後、それまでの混乱が嘘のように「平常」となったのだ。あまりに上手く行ったので、っ誰も、それがあった事を覚えていない程度だった。
やった側もやった側で「ああ、あれってあんなモンですよ」と何処吹く風だった。
だから汚沢を見ろ!汚いだろう。だから汚沢だ。汚いのは顔だけではない、行いはもっと汚く、その根源となる存念は汚いという言葉では、とても表現できない程度のものだ。
今、民主党は「何も出来ない御用聞き」に成り下がっている。何も出来ないなら、辞めろ。馬鹿。
さて菅直人の渾名として「イラ菅」と言うのがあるが、今後は「いやぁ~ん、バ菅ぁ~ん」ってのは、どうでしょうか?
木久翁に歌ってもらうと、これが実に調子が良い。
おすすめです。
って事で、このブレさ加減は、この連中が、政治と言うものを実態として考えてこなかった事が一番問題であるという事である。初めて、政治の力を使うと、こうなるとスペース鳩にしても菅にしても思ったのではないだろうか?
だが、その言行が示す通り、何も考えられないのだ。何も分らないのだ。その結果何も出来ないのだ。
残ったのは、累々たる死屍である。それは今後も増える事はあっても減る事は無い。
もっと見たくないものを見る事となるだろう。我々は今後、政治を強く意識するだろう。その所以は、悪い点を色々見せられるからだ。
今まで上手く行っていた事が、上手く行かなくなる。それは影になって支えてくれていたものが無くなっていて、それに今気づくのである。
それは自民党政権の時から始まっていたのだ。そして、良いものが支えていてくれた悪いものの影響も今後強くなる。連合・朝日・毎日・電通・慶応・NHK・日教組。害にはなっても役に他は立たない。責任は問うが、責任は取らない。
あれ?菅直人の生き方そのものか?
どうでもいいが、国の金を使って、見たくも無い菅の顔を載せたCMってのも辞めてくれないかな?
ちなみに、あれでテレビ局に媚を売っているんだよ。
最近、日本が慶応スタンダードになってきていて、安っぽく仕上がっている。「日本の製品はオーバークオリティーなんですよ。」と日本はおろか、世界で一番安っぽい偽塾の世界で一番安っぽい寝言を吐く世界で一番安っぽい教授がほざく。
しかし、この安さの先にあるのは「自滅」である。
安くしろと、3手先には発言の自己矛盾を起し、自分の行った事をすぐに忘れたがるのは、菅に似て、スペース鳩に似て、汚沢に似ている。安くしても、売っている会社は、今の状況を維持するとなると、安くして安っぽく仕上げて、沢山売るとなる。そうなると、慶応の持つ唯一の寝言、労働生産性に引っかかり、最終的には、日本の企業に向かって「あなた達が滅びるのが一番賢い事なんです。」とニタニタしながらほざくだろう。
この論法は、自己矛盾が服を着ていて出来損ないのトミー・リー・ジョーンズ似のバカ面をつけている「阿呆ぅ」にも適用できる。
かくて、予告された愚行は実行されるかどうかは、選挙次第だろう。
早く崩れろバカの集まり。