歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

NHKスペシャル「マネー氾濫~世界に異変~」

2013年09月29日 22時09分38秒 | 日記

~っふぅ~。

 

今頃何か?

 

さてサマーズがFRB議長候補を降りたとの話。

 

今回の番組でバーナンキの発言を恨むとの話をした奴がいたが、これは東電の関係者と同じ事となる。

危機があるから人材が必要だが、皆逃げる方向へ動くので対策は最高でも次善以下となる。

分かる?

世論を気にして抜本的対策は取れないし、とって殺されても「バカ」と言われるので誰もやらない。

その際たるものは虫獄である。

つまり事態が悪化と言うよりも対策を採る当局が及び腰となり、また敢然と動いた人間が殺されて悲惨な目に遭って死に皆逃げるのです。

そして現場は会議の場所からどんどん遠くなって…。

そして戦争の歴史が始まるのです。

トンスル色の髪の毛の下衆ホモが戦争を起こすのですよ。それを思い知って、戦場のメリークリスマスの最初のシーンを見て下衆ホモ。卑怯で汚い連中の遠くない悲惨な未来を思い知れ。

じゃぁな。


ドイツ総選挙:すべてを支配する1人の女性」(JBPRESS)ソブリン債問題で何があったのか?

2013年09月17日 21時33分54秒 | 日記

どうもドイツを仲間に入れると言うのがフランス・イギリスの陣営=フリーメーソンの方法論らしい。
それを連想させるのが、ドイツのBASFなどのGM産業への傾倒の仕方である。
このGM産業は、例えば種苗ではモンサントとデュポンが占めているが、この二つは名前から分かる通りフランス語である。つ
まりフランス出身である。また古い記憶に縋っているが穀物メジャーはフランス=コンチネンタル、ルイドレフュス=ベルギー
、アンデレ=オランダ(だったかな?)なんかの、あの辺の独占企業であり、アメリカのカーギルが今も独占的No.1以外で
はナカナカ種苗のオーソリティーである日本がかなり小規模である。
脳内カンブリアの村上糸ミミズがバカ面を晒しているが、実は種に関しては第二次世界大戦で日本が負けなければ日本の天下は
ほぼ決定だった。だからタキイの種とかサカイの種とかが、あのシェアに有るのは、敗戦が原因であると当然売国奴の村上糸ミ
ミズは言わないのだろう。ちなみに近いような奴として、佐賀の社民党の松本糸ミミズが居る、糸ミミズを空想上の動物に変え
ると分かるよ。
実は今回のソブリン債の問題では、前大戦とは別の動きとなっている。
学校の洗脳・調教によって分からないだろうが、ピカソのゲルニカが描かれたのがフランコ統治時代である。この時ドイツのリ
ヒトホーフェン率いるコンドル部隊が行ったのがゲルニカ爆破である。このゲルニカ爆破の経験が、ドイツ軍のアルデンヌ攻撃
の後の電撃作戦=クーゲルブリッツに生かされたのである。
その時にドイツはスペインのフランコに請われて、やってきたのである。三国同盟ばかりを吹聴しているが、ファシストの本家
はムッソリーニとフランコである。
またハゲ嘘池上彰の適当な嘘だが、日本はポツダム宣言受諾直前に全世界を相手に戦っていたとほざくが、全くの嘘である。
先ずアルゼンチンは当時逃げ出したナチスの空軍の将軍の亡命を受け入れた。それ以外でもナチ関係者の亡命はアルゼンチンな
どの南米が多かった。
また日本軍の少数が「敗戦を潔し」とせず東南アジアの諸国で義勇兵として戦い建国の英雄としてインドネシア・マレーシアで
尊敬されている。ゴキブリ扱いされている虫獄・トンスルとは違って。
実は、三国同盟と三国連合だけの簡単な関係だけで当時の世界は切れなかった。無論、売国奴の自虐的史観を当たり前としてい
る非合理的な低能変態下衆外道調教を日教組としているクズはそんなものだろう。
またフランコはノルマンディー上陸作戦の時にアメリカに下っている。これによりスペインの攻撃を受けないでノルマンディー
に上陸できた。フランコが強硬に攻撃したらアメリカのノルマンディー上陸作戦は失敗したかもしれない。
またその後のスペインやポルトガルの歴史が1980年代までヨーロッパの動きに影響を与えた事と言えばテログループぐらいだっ
た。
実はフランス・イギリス・スイスなどのリードする「フリーメーソン的」な連中は、ヨーロッパ=EUでの「支配=弱いものい
じめ」をする時に敵にしてはならない強い奴=ドイツをバカだから敵にした結果、とんでもない状況となったのである。
味の素でも舐めてチョットぐらいマシになったのかもしれないが、それが「ヌーベルバーグ」だったのだろうが、その程度であ
る。
この結果ヨーロッパの問題が3国同盟ではなく「南北問題」となったのである。
それを決定付けたのがソブリン債問題であり、いまだにCDSが流通している詐欺嘘紙問題である。
この時のECBによるバブルのクズ債券を引き受ける為に3年間すったもんだをやっているのである。
その時一番最初にソブリン債のデフォルトを止める作業としてサルコジがやったのが当時のECB総裁のトリシエにフランスが
持っていたギリシア国債をECBに5兆円分買い取らせたのである。
これは当時FRBも嫌な顔をしていた。何故か?
債券の不履行の可能性が有るのに、EU経済の幹事国に近い立場を吹聴しているフランスが一番やってはいけないヤバイ債券の
現金化をしているのである。その他の債権国からすれば、吊るし上げが常道である。それを平気でやっているのである。
後々、フランスは、この「有得ない商業慣行」で吊るし上げを食らうだろう。
また、その時最初に金を出したのはフランスだが、これはEUの大企業のフランス本社化が進んだ為の事を隠すためもあった。
財源が豊富なはずだったのだが、サルコジは、すぐに白旗を揚げて、最終的にはドイツに泣き付いた。その時のJBPRESS
の記事を見れば、僅か1月で、この東独出身のメルケル首相の方針・考え方が変わっているのに気づくだろう。
つまり、このソブリン債の問題を踏み絵にしてドイツは仇敵フリーメーソン連合と同じ側に立った。種苗事業を含めて。
また昨年まで第一次世界大戦の敗戦賠償金を払っていたと言うのも、フリーメーソンに「ころぶ」事の契機だったのかもしれな
い。
思えば「アルプスの少女ハイジ」の中のクララは「ゼーゼマン」家の娘でフランクフルトの生活での様子は全くもって「産業革
命」で人を人とも思わないでこき使った様子が見えていない。
同じ事は「小公女せーら」も同じで折りも折、イギリスは「子供ですら容赦なくこき使う最低国家」として有名だった。ビクト
リア朝とは「幼児虐待こそイギリス王家の証、レイプぐらい屁の河童」と言う社会だった。
実際森鴎外や夏目漱石が「欧米では性交は出来るが情交は出来ない」というぐらい「即物的な交尾」だった。この当時文豪と呼
ばれたチャールズディケンズが入っていたフリーメーソンクラブ「地獄の業火クラブ」とは、その後映画化された「カリギュラ
」の19世紀版と呼べるものだった。
フリーメーソンの態度が、今どんなものか?は破綻した投資銀行モルガンスタンレーの上層部の一匹:パート・ノイの竹中平蔵
と並び証される無責任な外道の捨て台詞が思い出される。全く反吐が出る。
そんな中メルケル首相は、ソブリン問題が起きた最初の年度末である九月末には完全に「洗脳」が完了したのか?その後の方針
は殆ど変わらず、今に至っている。
パート・ノイがテレビカメラの前で豪語した「俺たちが振り出したクズ債券をお前らお人よしは有難がって、先を争って買って
いった」とはCDSの価値を「永久保障」を吹聴していた2013年初頭の頃のEUの金融関係者に聞かせたいものだった。
そんな思いを脳裏に浮かべると「ヒットラーって悪人だったの?」と思いたくもなる。
実際、産業革命の頃のフリーメーソンの好き放題は「ヒットラー」が可愛く思えるぐらいだった。
それとアウシュヴィッツの事を持ち出す手合いが多いが、このアウシュヴィッツと言われている写真の中には「別の戦争時の別
の国の捕虜収容所」が往々にして混じっている。実際私は「ローレンタインフィルム」の「南北戦争」の頃の捕虜収容所の捕虜
の様子は1868年のアウシュヴィッツだった。
もっと酷い事はイギリスやフランスが黒人奴隷を運ぶ時の「荷物としての扱い」でどれほど死んだか?酷い状態だったのか?フ
リーメーソンの会長にその身で味わわせてやりたいものだ。
実はフリーメーソンの「欲に目が眩んだ愚行」の結果発生する「竹中平蔵の合理性の非道」が再現される。その時には多くの人
が色々な意味で殺され苛まれるだろう。
無論、私の「心配性」は「考えすぎ」とほざく面々が多いだろうが2011年10月の「セシウム汚染しているアイナメ」を論
って「海中湧水の汚染」をこのブログはきちんと記録している。
それを「心配性」とは今言えるだろうか?
ソブリン債問題も過去の大戦直前の経済に準えると、何とも意味深である。
ちょっと過去の歴史を見直してはどうだろうか?
実際フリーメーソンは毎度毎度同じ様な経済の失敗を繰り返している。今回もフリーメーソンの空騒ぎの一つであると思うと、
全く持って馬鹿くさい。
ただ経済寝言を優先した行動は「法律を無視する妙な現実路線・詐欺路線」である。そうすると全ての「賢い決まり事」が「約
束を守らないクズ=ユダヤ・フリーメーソン・虫獄・チョングソ」の「小利口」が罷り通るのである。
それを破壊するのは世界の混乱である。そして、自分たちの身と利益を確保していた構造を破壊する。
そして「かつての見慣れた風景」が出てくるのである。
我々が今見ているのは、その前の「歴史に乗っている風景」である。
さて今度の新機軸は何なのだろう?原発?GM毒物作物?温暖化?シェールサンドオイルのカス?
だけど、それは私が分かっている位だから「奇抜さ」が無い。きっと私が驚くような「奇抜な惨劇」が待っているのだろう。
待つつもりも無いので私はさっさと死にたいな。
昨日、既に買っている砥石でステンレス包丁を研いだら、私は結構研ぐのが上手いと分かった。なくなったぺティーナイフは刃
先が尖っている。見つかったら、なるべく鋭く研ぐとしよう。だが、捨てた記憶がない。どこにあるのか?それが妙に気になる
昨今である。


鬼平知らずの鳥越俊太郎と違って、鬼平に違和感を感じる私です。

2013年09月16日 21時12分13秒 | 日記

私の母親がしみじみと話す。
「あぁばぁちゃんが入院している病院から実家までの道は本当に暗かったねぇ~。あの頃は街路灯も無かった、川に橋は架かっ
ていたけどガードレールは無かった。よくもまぁ川に落ちずに歩いて来たものだ。月の無い夜は、本当に懐中電灯なしに歩いて
きたものだった」と言う。
田舎の道は、そんなもので、月の無い夜は本当に足元が見えなかった。
街路灯が当たり前の時代、そんな事は分からないだろう。鳥越俊太郎も時代に乗っかるのが好きな小利口者らしく、すっかり昔
の風物を忘れておきながら池波正太郎のファンとは…。大笑い。
例えば、昔結構皆が持っていたものとして、懐中電灯があった。今となってはダイマグライトも古臭いものである。しかしペン
ライトは実用品としてよく使われており、有る意味生活必需品であった。
また警備員も松下や三洋の6.3Vのビリケン球の単一電池を4個入った懐中電灯が必需品だった。その後三洋が充電式の懐中電
灯を作り、警備員の世界を席巻した。
思えば防犯対策として無人のオフィスや店舗に電気を照らし続けて人がいないのを確認するとは昭和五十年ぐらいからの「豊か
になった国の常識」であり、原発再稼動でヒーヒー言っている国の「無駄な電気の使い方」に思いを致す。
衛星で見れば日本の明るさは異常であり、それ自身は良いのだが、そう電気を使って煮炊きするよりは電気にしか出来ない事な
ので。
それ程電気の光は有難い。剣客商売で「杏」が歩いているシーンを見たが、歩法は教わった通りにやっているようだが、惜しい
。足でまさぐって歩くのが見えていない。実際夜は目が見えている人も見えていない人も同じ様な歩き方だったりする。
提灯を持って歩くシーンを見ていて、昔の所作を知らない奴らの所作を見ると大笑い。
昔の時代劇を時代劇専門チャンネルで放送して貰いたいものだ。手代や丁稚が主の前を提灯を持って歩く。その時手代や丁稚は
横歩きとなる。その視野は狭く光の当たる領域は30cmの円の中にある。丁稚は、チョコチョコと横歩きとなる。提灯の光は常
に主の足元を照らしている。
通常、テレビではモノのわからないディレクターが馬鹿面をして満足げにしているが、主も足元が気になってしょうがない。
またタモリクラブでもよく、江戸の郊外にあった小さな橋を渡る時には、足をとられる恐れがあり、主に身体を当てる事を恐れ
る一方足を踏み外す事を気にしながら必死になる丁稚の姿を見せる番組があっただろうか?
再び母が言う。「ああ、あの頃、XXちゃんが居なくなってね。神隠しとか誘拐とか言われたけど…」と農業用水路を見た。
「あの頃から、この用水路はあった、今の様にガードレールも無くて、境界が分からず、ホント怖かった。多分XXちゃんは、
この用水路か川に落ちて、そのまま流れていったんだろう…」
そう。つまらない事で昔は良く死んだのだ。
タモリクラブなどのように過去の品川とか新宿とか秋葉原とかの風景を見ると、そんな危険な場所が多いのである。
鬼平犯科帳などでは夜馬に乗って走る鬼平に従う高い提灯を持っている従者を見ると、あの提灯は何なのだろう?と思う。本当
なら、馬の足元を照らす提灯が必要だと思う。
また結構「落とし穴」が盗賊の住処の近くにはあったのではないか?そうすれば夜目が見えない役人はいとも簡単に引っかかっ
ただろう。
地中海の文明についての放送大学の講義では、古代の王は「何も聞こえない筈なのに声が聞こえていたと言っている」と、これ
が「精神分裂病」だと決め付けていた。だが田舎の本当の静かさ、特に新月の暗さ、風のない晩秋・初冬の暗さ、静かさは、毎
度毎度耳が鳴る。これは耳の蝸牛が発生する生体雑音なのだそうだが、耳の聞こえない作曲家の耳に鳴る轟音ほどではないが、
確かに静かなのにキーンという音から、ざわざわと言う音がするのである。
この音の無さ、光の無さを体験すると、それ自身が立っているのが難しくなるほどの状態となる。
これは日立製作所の無響室に立った時の感覚に似ている。音が耳からなくなると、本当に耳の穴が吸われるような感じになる。
足が草原や砂地なら、踏みしめる感覚が無い為に足の力の入れようが分からなくなる。砂漠は、まだ水平線がおぼろげながら見
える。
田舎の闇は、本当に闇である。夜目が効くと言う話もあるが、私には出来なかった。
光と音に溢れる今の時代、様々なものが見えなくなっている。
よく都会の喧騒を離れて山に上ったりする人も居るが、その人工の環境は昔の人の状態とは違う。今のキャンプのライトは実に
明るい。八重の桜で月見酒を楽しむシーンがあるが、あの時室内での飲み会も、囲炉裏でもなければ、顔が若干見えるぐらいで
、酒も肴も当時の光では殆ど見えない。谷崎潤一郎の陰影礼賛という本も有るが、しかし陰影の文化は、今の生活からすれば、
とてつもなく暗く、また自分の耳や肌、手、足の感覚だけを頼りに判断する中では、自分の主観が先に立った妄想をするのも当
たり前だろう。日本の場合それが幽霊であったり妖怪だったりするのだろう。
古代の王の音が聞こえると言うのも、当時の言葉の発音とその場所の風の音を聞けば、新たな発見も有るのかもしれない。
思うに、演技のお勉強も大事かもしれないが、実体験としての生活をしてみると、もっと分かるのかもしれない。草鞋を実際に
履いて歩いて、どの程度で駄目になるか?蓑を着て雨の中を歩くと、どの程度で雨が染みてくるか?様々な傘を突けた状態で真
夏歩いてみるとどうか?
兵庫県知事はNHKの演出の平清盛が汚らしいとの事だが、あれは大した進歩と思う。昔、萩原健一が「股旅」を主演していた頃は日本自身が、兵庫県知事の言う所の「汚い」状態だったので、特に演出も必要なかったが、今の様に清潔な社会では、あの演出は必要だったと思ったのだろう。
そんな兵庫県知事は未開の発展途上国の状態を理解する事は無いだろう。
よく日本人の心と恥かしげも無く吹聴する馬鹿が多いが、日本人は、実はアフリカとかの人々に好かれていた。特に日本の田舎の百姓が好かれた、日本人の細かな生活の技は、彼らにとって驚嘆のものだったのだ。
また家を見ると家の母の生家の様子と似ている。
日本が経済大国であるとふんぞり返った姿を兵庫県知事に見える。そのふんぞり返った姿では、一旦停電になると足元が見えずひっくり返るだろう。
剣客商売に出ている杏ちゃんは知っているだろうが、身体の芯を正中に持ってくるとは、そんな時にひっくり返らないためだ。ただ足が長すぎる。武芸の達人は往々にして短足胴長だ。そして小男と相場が決まっている。見栄えが悪いが現実はそんなものだ。


池波正太郎の料理帳を見て思う、今と昔の料理とは?

2013年09月16日 19時53分41秒 | 日記

今日から始まった番組なのか?鳥越俊太郎がゲストだった。
まぁ例の如く池波正太郎の賛美ばかりで飽き飽きした。どうもファンとは言いながら濃いファンなら、絶対に付きそうな所が無
い。私も池波正太郎ファンとまでは行かないが、ソコソコ色々なものに凝っているので、その辺の指摘の仕方で、どの程度のフ
ァンか大体分かる。
そんな鳥越俊太郎のお追従はどうでも良かった。
池波正太郎の関係の料理番組では「美味しんぼ」の流れに似ている。今日も冷奴に油たらしての、梅肉を練ってのと、これは浦
里だったか?の素朴なものだった。
浦里には削り節が乗っけられていた。この削り節は東南アジアに似た食材が有る。削り節なんぞ、幾らでも有ると馬鹿がほざく
が、削り節は鰹が原料だ。鰹は痛みやすいので、量などと経済性を考え合わせると、生産量はどうだったのだろうか?一般人は
どの程度扱えたのだろうか?と考えてしまう。
今の供給と一番違うのが椎茸である。椎茸は、大正になるまでバカみたいに高かった。それこそ今の松茸と同じくらいの希少品
で、逆に松茸の方が多かった。
松茸の減少は共有林の管理が市販のエネルギー=ガス・練炭などの供給により廃れた結果、赤松の生育の管理が不十分となって
菌根菌である松茸の生育が悪化したのだ。
菌根菌は、先日の海外ドキュメンタリーでもあったが植物の生育・栄養の吸収の役に立つ菌類で、逆に朽ちた木の腐敗を促進す
る菌類を腐朽菌と言い、椎茸はこの類である。
今の筑前煮には、この椎茸が良く使われるが、このアレンジ自身も希少品である。
多分、今の日本料理基本である命の出汁ですか?鰹節と若布による出汁は両方とも量産品でソコソコあった筈なので別に奇異で
はないが、当然、今の風俗になれた連中は椎茸を安物と思う先入観が染み付いているだろう。
よく間違うのが、筑前煮に人参である。人参は明治以降のものである。玉葱も結構新しい産物である。
また、皆忘れているのが地元野菜である。長崎では雑煮に鰹菜と言う物を入れる。これがサニレタスと白菜か小松菜の合いの子
のようなものである。
日テレの「食べごろマンマ」でも「復活野菜」と言うものが何度か出ていた。実際「美味しんぼ」で辛味大根や辛味蕪などの廃
れかけていた大根で地元に根付いた固有種が復活しているし、蕎麦も何処かの神社の再建に一役買ったとの話も有る。
特に酷いのは先に述べた大根で、青首大根の生産性の高さから一気に普及して、その結果地方の大根や蕪が一斉に根を絶ったり
している。
大体においてそうだが竹中平蔵の「利口」である。手間がかかり、取れる量が少ない、だが味があり、風味も高い、無論後半の
人間ならではの「美点」は「銭の亡者」や「先入観の知恵無し」馬鹿文科系大学出には無縁の話だろう。
結局、経済的を一番追求しなかった頑固者こそが文化を残せるのだろう。その頑固者の最たるものが京都だろう。聖護院かぶら
、大根、かぼちゃ、を初めとして、様々な我々にとっての珍妙な形の宝が、京都の頑固でいやみな奴らだからこそ残せたのだろ
う。
今よく野菜を食べろと言うが、昔は基本的に穀類ばかり食べていて、野菜はあまり食べなかったようだ。特に江戸ではそうで、
米などの穀類に味噌汁、そして漬物だけだったらしい。田舎の方は栽培しない野草が多く、それを食べていた可能性が高い。特
にスベリヒユなどは東北に広く自生し、今も「ひょう」と呼んで食べている。東北の人は、ビタミン不足だけにはならなかった
ようだ。
北大路魯山人が好んで食べていたのが田螺であるが、これはジストマと言う豚と同じ寄生虫がいた。美味を優先して生煮えで食
べた魯山人はジストマによる肝硬変で死亡した。だが、れに似たものとしてホウネン海老が田んぼに育ち、それを食べたりして
いた。
田んぼには泥鰌も鮒も居るので、結構たんぱく質は田舎の方が良く採れていた様だ。またタイでも食べているがタガメも食べら
れる。蚕のさなぎも食べていた。
蚕だけではない、シロスジカミキリは松の寄生虫松食い虫なので、その幼虫を見つけては焼いて食べた。
鬼平を囃すだけ囃した番組だったが、私は、このような食べ物こそが、当時の切実な食生活と思う。
また調味料ももっと知りたいものだ。味噌醤油と言うが、醤油は江戸時代になってからの発明品で、醤と呼ばれたり、モロミと
呼ばれたりしたものだったりするし、味醂は今当たり前だが、味醂の出来たのも、この頃だろう。
良く分からないのが甘みである。水飴は、麦芽醗酵によって得られるが、この麦芽の醗酵は、鉄腕ダッシュを見ると毎度毎度で
きるものではないらしい。また時代劇で蜂蜜を飼う姿を見た事が無い。
大体において、この時代になって初めて佐藤が南国から大量に入るようになったが、それでも希少品だった。
この時期においての甘味として一番良くあったのが、大豆の煮汁と、名前の通り、甘酒である。
よく料理酒とか酒を料理に使うが、清酒の出来る前の酒は基本的に甘ったるかった。当然佐藤と同じ様な甘味としていただろう

また私の母方の実家は農家だった。そこでは味噌醤油は自作していた。実は醤油は味噌の上澄みを使っており、これが醤である
。この醤は、大体においてカビをふきやすく、よく醤を駄目にしたと残念がっていた。
味噌も、保存食と言う割りに腐ったり、カビをふいたりしていた。
このカビをふきやすい醤は、色こそ醤油の様だが、実際の所甘かったりする。
江戸時代の人は、とにかく甘いものに飢えていた。あんこ餅が御馳走である時代である。だが鬼平でも剣客商売でも、何か飢え
た感じが見えず、だから土産の菓子を当然の様に見ている姿が、何とも実態とは違うのでは?と思う私がいる。
また長崎では「長崎のアンチョビー」である「いしる」がある。醤油の代わりとなった「しょっつる」や「いしり」「魚醤」な
どがある。
また塩なども産地を限定して、何処何処の塩と、産地で味や風味を変えるなどの、出来る限りの知恵を見せる。
豆腐も大豆や苦汁の産地を選んで、必死に出来る工夫をしている姿を、そう猫殿などにやってもらうと、結構たまらない。
それにしても、鬼平犯科帳でも剣客商売でも良いのだが、当時の常識「なんだい!またマツタケかい!全く、食べ飽きたよ、そ
れよりも、ナメコか松茸を食べたいよ。」と言うシーンを見たいものだ。これは厳然たる事実である。


今ケンタッキーフライドチキン30%OFFセットを食べています。弁当危機と新興国危機

2013年09月16日 18時06分48秒 | 日記

このセットの存在自身がアベノミックスの失敗を意味しています。
と言うか「金持ち優遇経済政策」であり、今後それが採られないだろうと言う事が分かっています。
また私が主張する「弁当危機」を取り上げている所が無い。この「弁当危機」は一番問題となります。
何とはなれば底辺の消費を支えているのは食費なのです。そして「外食」にまで及ばない「中食」こそが一番経済の打撃を受ける事は分かっており、その状況は2007年ぐらいから継続しており、デフレ解消を吹聴しているが、実はデフレは主に「不動産」だけが解消され、消費デフレはしょうがないと言うのが当たり前で景気は回復しない。
所で何をしたいの?バブル大好きのゼネコンさん。
自分たちだけ良ければ良いと他人事が大好きですね。
もうすぐ地獄が好きなだけ見られます。
良く安部政権が右傾化とチョングソや虫獄がほざきますが、日本は徴兵制を採らない。
それは戦争の仕方を知っている人間を増やしたくないのだ。実は徴兵制を入れるとテロが起こしやすいのである。
思うに国内不安で武力を一番最初に使うのは徴兵制を採っているチョングソや虫獄だろう。
今シリアの問題だけを取り上げているが、別にエジプトの問題やリビアの問題が無くなった訳でもないし、イラクでは時折自爆テロが起きている。ハッカーニグループだろうか?
良く経済分析で新興国の通貨が下落していると吹聴している。だが新興国とは今までGDPを稼いできた経済の牽引車ではなかったのか?それが今停滞ではなく後退を見せているのである。
何度も取り上げるが柄本明がチリで強盗に遭ったとか?それで本人テレビ局共にビビッて居るそうだ。だが海外とは昔からそんなものだ。
今まで経済の発展に酔っていたので気にしなかっただけだ。だが彼らの社会は貯蓄でも社会制度にしても経済的制度にしても社会インフラにしても足りないのである。その様な社会は経済が悪化すると、あっという間にタクシー運転手や道路工事人やスーパーの店員が強盗に変わるのである。
彼らを底まで追い込むのは基本的な貧しさであり、モノを欲しがる強い欲望である。その中でも一番酷いのと二番目に酷いのが日本のとなりに蔓延っている。
だが日本人も大概弱っている。その結果、国内でも仕方ないから犯罪に周り国の一番の厚生施設は、更正施設である刑務所であり、福祉はココで行われる。何より一般の世界では「死ね」と放置するのに刑務所でお勤めしているから面倒を見て貰える。ならば、まともな清貧な人間こそが一番酷い目に遭わせられると言う事となり。
一番利口な事は、なるべく酷い犯罪を起こして、長く食らいこむのである。誰に?貧乏人に?誰が儲かるの?
そう、オメデトウ、他人事の一般人をデフレに追い込んだ所の金持ちは、別のコストを取るんだよ。
多分お前たちの間抜けな奴が酷い殺され方をするんだよ。そして、それがヤクザか、もっと利口な奴の儲けとなるために使われ、使い捨てにされる犯罪者は刑務所で悠々自適な死を迎えられる。
もうそんな時代になっているんだ。大体経団連自身は自分たちだけ法の執行が甘い事を要求する存在である。法を破るヤクザとはキャノンの元会長であるお手洗いと同じで何より好きな相手だろう。元々非人間的な利口主義者の集まり、島耕作クラブだろう。
まぁヤクザと手に手をとって、そのうちチョングソや虫獄と同じ様な国に日本がなるのだろう。
また世界の各所で「お前らの代わりになる奴は一杯居るんだ」とほざいた当日の夜にマシンガンで撃ち殺されるがいいだろうさ。実際徴兵制のある国で、徴兵を抜けた兵士が銃を持って出るのは、よくある事だ。
貧国の弱い馬鹿な奴らと思っていたら柄本明と同じか、もっと酷い目に遭うだろう。
NHKのドラマで錦野あきらが出ていた商社のドラマがあった。この中で主人公と錦野あきらはマシンガンで撃ち殺されるシーンが有る。
海外とは、元々そう言う所で、別に根本が変わっているわけではない。
また日本人も何も出来ないと思い込んでいるだろうが、それは頭の悪い馬鹿文科系大学出が吹聴しているだけだ、だから馬鹿が危険な薬物や装置を適当に扱って酷い事になっている。所詮馬鹿文科系大学出だ。
アラブの多くが大混乱。通常の経済が運営できない。新興国も通貨安が食糧危機を生み出す。また折角食糧生産国として復活しつつあるパキスタンもタリバンと通貨問題で、また荒れる可能性が有る。アフガニスタン政府も経団連と似たような下衆品性の集まりで、破綻するのは確実視されている。
どうだろう?旭化成に「何故コスモポリタンを気取ってシンガポールに出て行って日本なんてどうでも言いとほざいていたのに、ノコノコ戻ってきたの?」と聞いてみてはどうだろうか?
回答は「日本が何のかんのと言って一番安全だ」
だが、それは「過去の話」となる。
何故か?
お前たちがそうするんだ。お前たちは、日本人に殺されるんだ。
分かった日本から逃げ出せ。そしたら、その国で殺されるんだ。
世界は自分だけが利口と無く聞くにも見るにも耐えない蛆虫によって心も魂も荒み出す。
だが毎度の如く他人の事で済ませるお前らの鈍さのお陰で、荒み切って、もう、残虐さを当たり前と思うようになるだろう。
思えば今から30年前にはイタリアでは「誘拐産業」と言う誘拐専門の犯罪者組織があり「暗い月曜日」だったかテロ組織もあった上にマフィアも居たんだ。今の経済危機に陥り、頭の悪い馬鹿文科系大学出が上から目線で「利口ではない上に勤勉ではないイタリア人には当然の報いだ」と吹聴するのを聞いたら、イタリアの誇りの為に馬鹿文科系大学出を皆殺しにするかもしれない。そのぐらいの力はイタリアもスペインもギリシアも有る。もし馬鹿文科系大学出が自らの愚劣さからされたら、イタリア人に祝福したいぐらいだ。その屑がゼネコンのバブル不動産の関係者なら尚の事大喝采だ。
今海苔弁は270円だ。この価格こそが深い痛みを底辺の人々に与えているのだ。苛み続けるのだ。
その意味を馬鹿文科系大学出が知るのは何時も爆発的現象によってだろう。或いは、文字通り爆発によってバラバラになってしまった自分の身体で感じるのかもしれない。実際、40年前には東京都のど真ん中で、そんなテロ事件があっただろう?
どうだろう?池上彰や辛坊治郎に聞いてみては?