歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

猟が趣味という人が居ました。

2014年02月26日 23時13分05秒 | 日記

トンスル臭い井筒=ヤクザ+チョングソ=アルカポネとなっていた。まぁへっぽこマシンガンを撃ち回っていい気になっていたらしい。

だが前のブログに書いたが、このマシンガンはチョングソの「虚勢」同様へみたいなものだった。

では凄いのは何か?

今では猟銃もショットガンの2連発程度のモノしかない。実際10年ほど前の佐世保のルネサンス銃撃事件では馬込(驚くことに、こいつはルネサスの名簿に今も会員として名が載っている)がショットガンを2丁も持って押し込んだ。

ライフルスラッグと言って、重心にライフリング(線条溝)が切ってないが、弾丸の方に切ってあり、似たような効果が若干期待されるものだ。

これもアル・カポネのマシンガン同様、短距離で素人さんを脅すのには通用するが、私には通用しない。弱点を知っているからね。馬鹿は簡単に殺せるし。勝ったつもりのチョングソと馬込は簡単に殺せるよ。

さて昔は、この猟銃が違っていた。昔月刊ジャンプに家族を熊に殺されて、その復讐をする少年の話があったのだが、その中では、まぁ馬鹿が描いたのだが、村田銃を使うという設定になっている。当然警察に見つかると捕まる。何より、何年も放っておいた銃弾が使えるという時点で「おかしい」のだが、まぁそれもいいとしよう。

このライフルはショットガンと同じくCP(センタープライマー)と言う中央に雷管(かんしゃく玉と似たもの)が配置されているものである。ただ、この村田銃がどんなものか知らないが、ショットガン全盛になる前は、実は6.5mmのライフルが使われていたのを覚えている。確か、猟が趣味の芸能人が見せているのを見たこともある。

この6.5mmライフルは「浅間山荘事件」以降、この手のライフルは徹底して世間から消えた。何しろ威力が半端ではないのだ。

6.5mmは今のM189BALL(5.56mm)の倍近くの重さを持っていて、有効射程距離が悠に1000mを越える。また当時スコープも10倍以上のものを付けた奴が多かった。これでやられるとアル・カポネやチョングソヤクザ=井筒を1500m離れて撃ち殺せる。

この6.5mmか7.62mmは今でこそ少数派だが、第二次世界大戦では幅を効かせた。5.56mm高速弾頭は1965年に出てきてアメリカ正式銃弾となったがアメリカは長い間5.56mmと6.5mmの併用が続いた。フランスは今も7.62mmNATO弾を使っているのだ。これは今歩兵の銃器として最強である。それの連発性が低いモノが40年前まではおおぴらに出回っていたのである。

また、こういうまともな銃器はヤクザ=チョングソは使えなかった。ヤクザは大体拳銃かドス(たいしたものじゃない)かスッカスカの長刀である。マグロ引きの方がマシだろうと言うものだ。

大体隊伍を整えられない寄せ集めの集団は、仕掛け爆弾を配置して、その中にガスをバラ撒いて、目と、スタングレネードで耳も塞いで、ご自慢のトンスルに硫酸入れて、臭い臭いガスをプラスしてやると、それだけでパニックになるでしょう。

後は何を使うか?色々選べます。守りが固ければ中で蒸し焼きにしてやりましょう。一番楽しいのは、ヤクザの火薬庫を燃やすと鉛の玉の飛び出す花火が見られますよ。

今の時代になっても、やっぱり押収される銃器を見るけど、想定している戦闘が極局地戦以上のモノがイメージできない。

それと扱い下手なのに手榴弾は定番ね?最近スタングレネードも見つかるけど、どうすんだよ!そんなの相手はしばらく動かないが、その周囲は皆動くよ。

そんで妙なソードオフ(銃身と銃床を切る)の銃・ライフルが多い。かと思うと、妙なカスタムを入れたり。毎度チョングソ=ヤクザの色々な物々しいフリの事を後で見ると、本当に「馬鹿?」実用性を考えているの?と思う。

まぁ狩猟をやる場合は弾丸の数が50発程度しか貰えなくて、それが事件後数が減り、チェックが厳しくなった。

ただ、狩猟の動物が、ああいや、虫がチョングソゴキブリだったら、ゴキブリ撃つのに躊躇は無いだろう。楽しく確実に無駄弾なしで撃ち殺そうよ。


岩合光昭の世界猫歩きを見て思う。コタツ猫の変遷

2014年02月26日 22時51分08秒 | 日記

「猫はコタツで丸くなる。」と言うのだが、この歌は、昔と今では丸で違う。

何故か?掘りごたつと電気コタツの違いである。

昔は掘りごたつと言うもので、段がついていた、その下には七輪などが置かれていた。

だから猫といえどもコタツの中に頭を入れていられなかった。だから寒くても猫は頭を出していた。

皆この事を忘れている。

今、東北ではガスファンヒーターの熱をコタツに入れているが、これは「正統的なコタツの加熱方法」の延長線上にある。

一時期掘りごたつの中に石油ストーブが入っていた事もあった。

特に時代性を見せるモノとして「豆炭あんか」があった。

これは豆炭を燃料とした「あんか」があり、コタツの中身が段がつかない場合、電気ではなく「豆炭あんか」が入っていた事もあった。

「電気あんか」も珍しい今、湯たんぽヨリもよっぽど実用的で暖かくて長持ちする「豆炭あんか」は冬の必需品であった。

我々の時代には「炭団(たどん)」はなくなり「練炭」か「豆炭」の形になっていた。

江戸時代は火鉢に当たっていたのだが、石綿(アスベスト)が出回り、安価に手に入るようになって、これを中に入れて、全体的に暖を取る事を我々は覚えたのだ。

江戸時代には、猫は「暖房の一種」であり、炭火に当たる姿を見ると、手は炭火に、膝の上には猫というのが定番だった。それは手と足を同時に温めるモノだった。

江戸時代にもコタツはあったが、膳が、躙り膳(旅館での食事の様に一人一人の個人用お膳)だったのと同じで、実に小さな個人用コタツで、往々にして火鉢を入れたものだった。この頃、コタツの天板は無く、上も布団のままの事が多かった。

無論膳があるので、何かを載せる事もあり、銚子とつまみを載せている絵もあるが、往々にして、それを載せているのは丸いお盆である。

だが、この様な姿を見せる時代劇は無い。大体鬼平犯科帳は「嘘ばかり」である。色々と学べば学ぶほど鬼兵の粗が見える。

一方で、過去の生活を見せる田舎の竈とかがなくなった。不思議なもので、竈があるとないとでは匂いや雰囲気が丸で違うのだ。

これは田舎だから?と思っていた。鶏も飼っていたから、きっとこんな匂いだったと思うのだが、それは間違いだった。匂いの違うのは、田舎+竈だった。

私が田舎の匂いと思ったものの多くは、竈の匂いだった。そして、その竈を目の前にした食事は、独特の匂いだったと今となっては思い出す。

何とも私は「贅沢な食事」をしていたのだと今になって思う。

だが、今の子供は、そんなものを知らない。豊かさを知るには足らないものを知らないと十分に味わえない。また、今豊と思っているものの中で、欠けているモノも、私は知っている。

あの独特の匂いの中の生活は、やはりある意味「貴重なもの」だった。

「座敷童の宿」に出世の権化が行くのだが、亡者と化しているのだろう。座敷童も迷惑だったろう。それよりも、座敷童、いや座敷童のいそうな古民家に居る贅沢さを出世の権化の俗物のゲスのカスのチョングソの島耕作のレイプの糞食いは分からないのだろう。

田舎では牛の糞の匂いがするが、チョングソの臭さと違い、何か懐かしさを感じる。チョンのトンスル屋の前の薄汚さとは違う。

やっぱりチョンは牛以下、いや、牛を遥に下回る愚かさ、みすぼらしさ、臭さを持っている。

炭火で焼いて消毒しないといけないな。炭化するまで。それも世のため人のため。


岩合光昭の世界猫歩きを見て思う。コタツ猫の変遷

2014年02月26日 22時51分08秒 | 日記

「猫はコタツで丸くなる。」と言うのだが、この歌は、昔と今では丸で違う。

何故か?掘りごたつと電気コタツの違いである。

昔は掘りごたつと言うもので、段がついていた、その下には七輪などが置かれていた。

だから猫といえどもコタツの中に頭を入れていられなかった。だから寒くても猫は頭を出していた。

皆この事を忘れている。

今、東北ではガスファンヒーターの熱をコタツに入れているが、これは「正統的なコタツの加熱方法」の延長線上にある。

一時期掘りごたつの中に石油ストーブが入っていた事もあった。

特に時代性を見せるモノとして「豆炭あんか」があった。

これは豆炭を燃料とした「あんか」があり、コタツの中身が段がつかない場合、電気ではなく「豆炭あんか」が入っていた事もあった。

「電気あんか」も珍しい今、湯たんぽヨリもよっぽど実用的で暖かくて長持ちする「豆炭あんか」は冬の必需品であった。

我々の時代には「炭団(たどん)」はなくなり「練炭」か「豆炭」の形になっていた。

江戸時代は火鉢に当たっていたのだが、石綿(アスベスト)が出回り、安価に手に入るようになって、これを中に入れて、全体的に暖を取る事を我々は覚えたのだ。

江戸時代には、猫は「暖房の一種」であり、炭火に当たる姿を見ると、手は炭火に、膝の上には猫というのが定番だった。それは手と足を同時に温めるモノだった。

江戸時代にもコタツはあったが、膳が、躙り膳(旅館での食事の様に一人一人の個人用お膳)だったのと同じで、実に小さな個人用コタツで、往々にして火鉢を入れたものだった。この頃、コタツの天板は無く、上も布団のままの事が多かった。

無論膳があるので、何かを載せる事もあり、銚子とつまみを載せている絵もあるが、往々にして、それを載せているのは丸いお盆である。

だが、この様な姿を見せる時代劇は無い。大体鬼平犯科帳は「嘘ばかり」である。色々と学べば学ぶほど鬼兵の粗が見える。

一方で、過去の生活を見せる田舎の竈とかがなくなった。不思議なもので、竈があるとないとでは匂いや雰囲気が丸で違うのだ。

これは田舎だから?と思っていた。鶏も飼っていたから、きっとこんな匂いだったと思うのだが、それは間違いだった。匂いの違うのは、田舎+竈だった。

私が田舎の匂いと思ったものの多くは、竈の匂いだった。そして、その竈を目の前にした食事は、独特の匂いだったと今となっては思い出す。

何とも私は「贅沢な食事」をしていたのだと今になって思う。

だが、今の子供は、そんなものを知らない。豊かさを知るには足らないものを知らないと十分に味わえない。また、今豊と思っているものの中で、欠けているモノも、私は知っている。

あの独特の匂いの中の生活は、やはりある意味「貴重なもの」だった。

「座敷童の宿」に出世の権化が行くのだが、亡者と化しているのだろう。座敷童も迷惑だったろう。それよりも、座敷童、いや座敷童のいそうな古民家に居る贅沢さを出世の権化の俗物のゲスのカスのチョングソの島耕作のレイプの糞食いは分からないのだろう。

田舎では牛の糞の匂いがするが、チョングソの臭さと違い、何か懐かしさを感じる。チョンのトンスル屋の前の薄汚さとは違う。

やっぱりチョンは牛以下、いや、牛を遥に下回る愚かさ、みすぼらしさ、臭さを持っている。

炭火で焼いて消毒しないといけないな。炭化するまで。それも世のため人のため。


岩合光昭の世界猫歩き「沖縄」は最高だった。

2014年02月26日 22時33分27秒 | 日記

中でも虎毛の子猫が撮影中の岩合さんの頭に乗って鳴くシーンを見ていて、ふと思い出すことがある。

それはジャングルジムで一人遊んでいた子供が、天辺に立って「見てぇ~!」と叫ぶのを見た事がある。

一人で遊んでいて、自分が、やっている事を誰も何も反応してくれない。それに対しての反応なのだろう。

同じ様な事は北九州の新日鉄社宅の公園でも見た事がある。

砂場で作った、自分の作品を褒めてもらいたいのだ。

思えば、子供は見て貰うだけで喜ぶ。歩くだけで喜ぶ、お父さんと一緒で喜ぶ、お母さんと一緒で喜ぶ、喜びの塊の様だ。

虎毛の猫も、そんな風に、岩合さんの頭の上で、回りにいる猫に自慢したのではないだろうか?

「ほら、僕はてっぺんにいるよ、このオヤジの頭に登ったんだ!」と自慢していたのだろう。

子供は何の根拠もなく、これを越えると何かがあるんだ?!と言うわけの分からない目標を立てて、それに懸命になる。

それを子供が母親の調教が効いて恥ずかしがり屋になった。その恥ずかしがり屋ばかりの人間世界の中、猫だけが昔と同じく馬鹿である。

だから皆、かつて自由だった、子供の自己顕示が掛け値なしに見られる猫を愛おしく思うのだろう。

最近の子供は親が贅沢になったので可愛くなければならない、賢くなければならない、行儀よくなければならない。

掛け値なしの馬鹿は、猫しかいない。

愚かな生き物は我々だろう。だが、愚かであればあるほど「利口」を多用する。猫も分かってみているのだろうが、私も分かる。

きっと鳥達も見ているのだろう。トリや猫と目が合うと、少々恥ずかしい昨今である。


チョングソが目障りなのですが「アル・カポネ」(ザ・プロファイラー)

2014年02月26日 21時38分32秒 | 日記

装甲車の話が出ているのですが、この装甲車をチョングソ並に頭が悪く能が無いアルカポネは7トンの重量の装甲車を作ったそうだ。

馬鹿だね。

何故か?

この頃の戦車も大体そのくらいで、そんな事するぐらいなら戦車に乗っていろよ。

さて、装甲車はバラク・フセイン・オバマ大統領も乗っている車は装甲車で窓ガラスはアルカポネの車同様5cm程度の防弾ガラスだが、防弾性が違う。チョンじゃないからねぇ~。

実は大統領の乗る車は、まぁ天皇陛下のお乗りになる車もそうなんだけど、カラシニコフと付き物の「RPG」の通常弾頭で穴があかないのである。どうだろう?チョングソのパクリの乗っていやがるボロクズ糞車を撃ってみては?多分簡単に穴が開くと思うよ。

このカラシニコフで撃たれるというのは、相当に凄いのだが、それを耐えるらしい。このRPGで実写する実験映像は何回か見たが、まぁ凄い爆発で、これを実際に耐えられるのか?パクリの糞車で実験したいものだ。当然パクリは載せておいてである。

実は、この装甲車はアメリカ製あるいは日本製で、この二ヶ国の技術は相当なモノなのである。何故か?鉄の技術が凄く、化学製品の技術が相当なのである。固い装甲と減速をする化学繊維。特に日本は炭素繊維やカーボンナノチューブの技術がアメリカより凄いので、この耐弾性は相当なものである。これに遅れてロシアの技術なのである。

鉄の方は、微細硬化(アモルファス)や単結晶硬化(ウィスカー)などチョングソが聞いても分からない技術がオンパレードである。何しろ、鉄の素材技術の限界は日本で発見され研究されている。

これから大分遅れて、ドイツとなるのだ。実はスーパーカーは往々にして、その多くが「防弾装備」が備え付けられている。驚くだろうが、スーパーカーは最初から防弾装備を前提に設計されている。

その証拠に、ドアから、その下の部分の構造(これを「サイドシル」と言うのだが)がやたらと長い。100mmはある。このサイドシルは通常のバージョンではドアがその程度の厚さが無いので、スッカラカンである。だから、スーパーカーに乗ると偉く広々とするのである。

また驚くのは、ポルシェだったが、防弾だけじゃなくて反撃用の銃眼が備え付けられているものもある。

この防弾車両と言うのは、まぁ重いので、結構細かい所で困るものである。例えばバラク・フセイン・オバマ大統領の大統領専用車は道の段差に引っかかって動けなくなった。これは踏切の高さに引っかかって動けなくなったトレーラー見たいなモノである。正直、これは大いにSPの面子を落とした。

これは重量がやっぱり重いから発生したもので、実は、道の悪い所を防弾車は走れない。走っていても泥濘むと、タイヤが取られる。オバマさんも車高の高い車なら問題なかったのに?である。

また、ドアが重い。これは水平なら問題ないが、傾斜して止まると「ドアが開かない」のである。

最近、防弾車両がスライドドア化はドアが開かない状態を無くす為に進んでいる。だがワゴン車では攻撃を受けるとボロボロになる。やっぱりセダンの骨格は不可欠なのである。

この防弾車両というのは、装甲さえ厚ければと言う「チョンの馬鹿ニダ」品性では、簡単に見る、甘く見るのだが、トンスルOS同様「簡単ニダ」とほざいて簡単に出来た試しが無い。チョンの無能さは無限大である。

装甲車両は、その防弾性から逆算した動力性能、或いは最終的に無理を聞かせるのはタイヤであると言う「根本的なモノの見方の変更」が必要だが「馬鹿なら分かる」事も「馬鹿以下、いや馬鹿をはるかに下回るチョングソ」が理解出来る筈もない。

また装甲装甲とチョンや左巻きウンコは目につく所にしか囃し立てない。しかし、基本的な大問題「溶接」特に鋼板と鋼板の繋ぎ目の問題を分かっていない。

装甲装甲と全部を頑丈にするのは「アル・カポネ」レベルか「井筒=チョングソ」レベルである。全部ではなく要人の命を守る所のみ守れればいいのである。この様な技術の見切りは「馬鹿なら分かる」事も「馬鹿以下、いや馬鹿をはるかに下回るチョングソ」が理解出来る筈もない。

またドアの蝶番やロックは点で支えている。それがドアを支えている。これが外れると丸裸である。ドアが開かなくても、その隙間があけば、そこに対人地雷を投げつければ終わりである。

事程左様に、装甲装甲と言っても意味が無い。

大体、装甲車の現実を示したのは1980年代にスペインの蔵相を襲った爆弾テロである。この爆弾テロでは200kgのTNTを車の真下で爆発させた。その結果、装甲車は耐えられたが、中の蔵相はペシャンコとなり、近くの建物の上に乗っかっていた。

今度は是非パクリに体験して貰いたい。

ナニ、別に爆弾でなければというものじゃない、要は30から100Gで車を動かせば何て事無い、パクリのペシャンコが見られます。

見たいですね?

見られますよ。

世界はそれを信じている。

必ず起きる。

カリアゲ君!ガンバ!