歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

株価高騰の代わりに来るもの、それは…

2024年05月26日 16時49分40秒 | 滅び行く糞チョン、ゴ...
それは「深刻な技術劣化」である。
あるニュースは言う「日本の論文提出は少ない」だそうだ。
だが、最早耳タコだろうが、日本技術が生み出したものは…
レールガン、電磁カタパルト、レーザー砲、リニアモーターカー、空中自己鍛造弾、デトネーションエンジン、F-3、たいげい型潜水艦、H3ロケット、核融合発電所等などである。他にも山ほど「発明品」はある。
他方、日本より給料だけは高いのがアメリカやEUである。
酷く劣化しているのがドイツ、自動車技術で悉く日本のメーカーに負けている。
勝っているのは「給料」ぐらいだ。
これはこじつけでも何でも無くEUは、ほぼ全部が「新自由主義」を採り「金融ビッグバン」の恩恵に浴した。それらの国はジャック・ウェルチがGEのCEOになった時の様に「本業」が、特に「研究・開発」が止まったのである。
こう言うとアレだが「研究・開発」は投資に対する「リターン」が「株取引ほど明確に出ない」
となると「株価維持」に態勢を傾けるのが人情であり義務でもある。
つまり「研究・開発」に軸足を置くと「株式的にはNG」なのである。ジェイ・エイブラハムの様に「飛び抜けた商品性」より「利口な宣伝・売り方」が重要だったのだ。
だが村上龍が、繰り返し、繰り返し「失われたXX年」と言っても、高倉健の様に「自分は不器用ですから…」を地で行く日本企業は「研究・開発」から軸足を移さなかった。
気が付くと日本は武者陵司『日本株の歴史的大相場が始まった!』と言われ、急に持て囃される一方、日本を蔑んでいた「ちうごく」「ちょん」「どーでもいーゆー」は、揃いも揃って「破綻が言われる」事態となっている。
この「不可解にして奇っ怪」な現実ってどーなんでしょーか?
ぼく、バカチンだから解らない?!
まぁそんな地を這う様な昨今だから「マリアナ・マッツカートの経済学」が出て来たのでしょう。
皆様40年の永き間、御待たせ致しました。御待ち兼ねの「ジャパン・アズ・ナンバーワン」です。最早、眼前に抜くべきランナーは「見えません」独走の寂しさと二番手との差を御確かめ下さい。
日本は、今も進歩を止めません。


アメリカの株バブル崩壊の兆し〜床の無い2階

2024年05月25日 21時00分18秒 | 滅び行く糞チョン、ゴ...
私はアルゴリズムに選ばれた男
金もないのに「出資のお誘い」ばかりだ。
私は少し前に「昭和金融恐慌」なる本を読んだ。
ソコには関東大震災と大正バブルの崩壊を前にした経済関係者が居た。
震災債権と言う下手をすると負債の実態を有耶無耶にしかねない「超危険物」を故三宅久之は「気の利いたモノ」と呼びニタニタしていた。不良債権処理は金が付き纏う極めて政治マターだ、故三宅久之が「気の利いたモノ」と呼びニタニタするのも道理である。
それに加えて、今の空虚な政治改革ごっこは、見るに耐えず聞くに耐えない。
改革すべきは税制であり、それ以外は評判を落とすだけの愚行でしかなく、今の政腐は、個人にも、集団にも足枷でしかない。
他方株屋は、30%だ40%だ!と株式の成長を唱えているが、マリアナ・マッツカートの本の目次には「株取引でつぶされた会社」と言うのがあった。これが我々日本人の本音の株式取引イメージだろう。
株式取引にのめり込み過ぎると自分の立ち位置を見失う。
この最たるものが「ジャック・ウェルチ」だろう。歴代最高の株価と収益を叩き出したが、代替わりして馬脚を現した。利益の多くは株式取引で出しており、また経理内容も「化粧されていた」。
これが1980年から今に続く「新自由主義」の「成れの果て」である。この波に乗った者は、ほぼ漏れなく「ちうごく」に特許を奪われ尽くした。多くの御目出度いドイツのヴァカが、進んで「ちうごく」に買い叩かれ、技術を奪われた。
今やドイツの艦船は「標的艦」で「潜水艦」は陸ドックの晒しものである。
だからである。今の世の中「誰が引っ張っていると思ってんだ!」このドイツの糞ショルツ!オマエラ原始に先祖帰りした野蛮猿にとやかく言われる筋はねぇ!
何なら一戦交えるか!ヨユーで勝ってやる。古臭いレオパルドのバージョンアップ?
日本はな!レールガン、電磁カタパルト、レーザー砲、リニアモーターカー、空中自己鍛造弾、デトネーションエンジン、F-3、たいげい型潜水艦と新発明がゾロゾロだ!糞舐めの糞チョンだったら世界征服をホザキかねない技術である。
他方で、この大騒ぎは、大人だけの自慰行為でしかない。インドや発展途上国以外は、少子化だ。端的に子供の犠牲あっての発展である。それは外見は二階建てだが、二階の床が無いようなものだ。或いは、一階にほぼ全ての機能があり、二階は子供部屋1つと言う歪な家の様な国家である。


糞忌々しい糞ユダヤの悪行。もはや悪びれず公然と始め出した。

2024年05月25日 18時04分54秒 | 滅び行く糞チョン、ゴ...
御無沙汰して失礼。
私「パーキンソン病」で手足不随意にて閉口しております。
藤井厳喜氏の報道を見て遅筆を省みず手を挙げた次第です。
手近な点から。
イランのヘリ墜落は昨年の自衛隊にも通じる。
1)軍手配のヘリ
2)完全な内規違反の人員構成
3)事件は起きた。誰が捜査する?首謀者?
なら何の為に、こんな事をした?
「ガザ問題」の為の「時間稼ぎ」だ。
じゃあ何故自衛隊を?
「自衛隊が世界最強だから」足枷を付けた。
まず上層部を刈り取り、東大出の売国奴「内局」をイヌとしている。
以上も含めて「悪漢ども」は悪事を憚らず行うようになった。
これらを称して、我々は、臭っさい「フロに入らない糞ユダヤの腐臭」の様な「第三次世界大戦」とは呼ぶまい。
「人類対不潔なうちう汚物ユダヤ星人大戦」長いな
「人類対ユダヤ星人大戦」とでもしておこう。
単純に見ようぜ!
・ウクライナ、ガザどちらもユダヤが戦いを使嗾する。
・ジョージ・ソロス、戦争を仕掛けるユダヤ
・経済危機の後ユダヤ系の金持ちだけが生き残るのは何故?
だがSDGSとEVの「糞間抜けさ加減」は、余りにも臭くって、みっともなくて格好の付け様もないだろう。
そして人工知能で嘘と欺瞞の「非科学の神」を捏造するだろう。
他方、日本はレールガン、電磁カタパルト、レーザー砲、リニアモーターカー、空中自己鍛造弾、デトネーションエンジン、どれも実証し実験成功している。
どうだい?御自慢のオツムてんてんが追いつかねぇだろう?
この成果を挙げるのに日本は他国を搾取せずに、逆にネリカ米をアフガニスタンからモーリタニアまで広げているんだ!
おい!この薄汚い卑怯民族。オマエラどうして糞みたいな事しやがるんだ!
どうだ!お天道様の下では生きられない眷属ユダヤ!遅れに遅れた技術陳腐化低酷!
これに喧嘩撃ってくれてアガトリイ(某漫画のギャグ)。
御礼と言っちゃ悪いんだが、テメェら纏めて目障りにならない程度に折り畳んで地獄の割れ目に突き刺してやる。
覚悟しとけチンコの先のキレたヴァカ!


将軍解説駄文

2024年03月14日 15時20分05秒 | 滅び行く糞チョン、ゴ...
将軍解説駄文

ネットフィリックスの将軍は、リメイクなどではなく、真田広之が根底からストーリーや映像の解釈を変えた、ほぼ新作と言ってよく、前作を知らない人より知っている人の方が衝撃を受けるだろう。それほど主演でありプロデューサーの真田広之の心血を注いだ、渾身の一作であろう。
長年温めていたのだろう、それら構想は、これまで知っていた筈のサムライやカタナバトルが散りばめた、ステレオタイプの時代劇ではなく、陰影広がる静かな落ち着きある景色の中、静かに物事は始まり、徐々に早くなり、ある一点を過ぎると視線で追う限界速度で目に映る全てが動き出すのである。
この映画は、日本の家屋の佇まいを精緻に、余す事無く表現している。筆者は、これを「紅葉の魔法」と呼んでいる。
元来、明かりが貴重な昔の時代である。夕暮れを少し超えた頃合いの屋敷の中は薄暗く奥に居る者の顔など分からない。だからこそ上席に座る者の背後に見える赤と黒と空の光が一層際立つ。
そう…、あれは京都、瑠璃光院の広間に似ている。元々家康は、好敵手だった武田信玄の家臣を配下に付けた時に、自ら憧れていた赤い甲冑:あかぞなえ、で配下に纏わせた。
いざ戦となれば、家臣は一同、赤に染まる、それは今饗応が行われている広間を染めている光のようでもあり、戦が終わった後の様でもある。
ただ、あかぞなえの紅は、将軍の采配で血の色を増すが、紅葉の色は将軍の力では変わらない。
紅葉の赤を変えるのは、あくまで天:神の成せる技、広間に介する武:もののふ、どもは主である将軍の気色を薄々ではあるが気づいている。

戦:近々に有らんや!

宴というのに、広間は静寂に満ちている。これは戦の前に催される「前祝い」であり戦に臨む決意と主への忠義を固める儀式でもある。将兵一堂に会するのは、恐らくこれが最期で、出会えるのは闘いが終わって、生き延びていたら…の話となる。
そんな中、会話は声を潜めて行う、この場での私語は、兵卒には許されない、意味深な話が途切れ途切れに聞こえる。兵卒もそうだが、視聴者も思わず聞き耳を立てる、そうして視聴者は何時の間にか、出演者と同じ空間に引っ張り込まれるのである。
そうそう、これはテレビ番組ではあるが、気分は映画だと思った方が良いだろう。ならば次にする事は分かるだろう。灯火を落とすか、明るさを暗めにした方が良い。
あくまで、御意見にしか過ぎない。


これを読んでいる皆が、将軍の画面の暗さを多少疎ましく思うかも知れないが、昔の我々の生活は、光乏しき生活だったのである。それは映画ですら初期のリュミエール兄弟の時もライトは暗かった。人々は、それを当たり前と思うようになり、やたらと明る過ぎる夜のシーンを見せるようになった。だが、所詮それは嘘である。
元来、娯楽作品と言うもので史実:ドキュメンタリーなんぞ少ないのが当然で、嘘の1つや2つは、当たり前となり元々嘘を土台として、嘘の話を重ねて行った。
だが、それを嘘だと糾弾はしない。そんな者は飽きる、そして廃れるだけだ…、それにNOと言ったのが日本の三巨匠たちである。
黒澤明、溝口健二、小津安二郎である
特に黒澤明のリアリズムは徹底していた。また主に自然を背景とした壮大なパノラマを見せる点では抜きん出ていただろう。これら日本映画、特にクロサワ映画に惹かれたのがジョージ・ルーカス、スティーブン・スピルバーグなどである。
より現実的な撮り方で、より史実に近いお話を、より美しく、今の技術で魅せられる限界を探って出来上がった「最新作のとっても綺麗で、史実に近い」嘘話である。
それを主演もして、プロデューサーもして、演出もして、画角もして、ふぃるむちぇっくもして、プレス対応もして…、お前ら!真田広之を過労死で殺す気か!
ただ、それをやれるのが、今の時代、たった一人、真田広之なのである。
将軍は、単なる作品ではない。真田広之の渾身の一作であり逸作であり、自らの血肉を削り込んだ命である。
どうせ「次回作が待たれます」と言うんだろう?じゃぁ些末なリベラルとかポリコレとか遠ざけて、せめて心の世界は伸び伸びさせてあげないと、マジ、彼死にますよ!



poor commentary piece of writing about Movie Shogun.

2024年03月14日 15時18分33秒 | 滅び行く糞チョン、ゴ...
poor commentary piece of writing about Movie Shogun.

Netflix's Shogun is not a remake, but rather a new work in which Hiroyuki Sanada fundamentally changed the interpretation of the story and visuals, and those who know the previous work will be more shocked than those who don't. . This is a work that the lead actor and producer, Hiroyuki Sanada, put all his heart and soul into.
These ideas, which must have been brewing for many years, were not the stereotypical period dramas that we were used to, filled with samurai and katana battles, but rather, things began quietly in a quiet and calming landscape with shadows. , gradually becomes faster, and once you pass a certain point, everything you see begins to move at the limit speed that you can follow with your line of sight.


Kono eiga wa, Nihon no kaoku no tatazumai o seichi ni, amasu koto naku hyōgen shite iru. Hissha wa, kore o `kōyō no mahō' to yonde iru. Ganrai, akari ga kichōna mukashi no jidaidearu. Yūgure o sukoshi koeta koroai no yashiki no naka wa usuguraku oku ni iru mono no kao nado wakaranai. Dakarakoso jōseki ni suwaru mono no haigo ni mieru aka to kuro to sora no hikari ga issō kiwadatsu. Sō…, are wa Kyōto, Rurikō-in no hiroma ni nite iru. Motomoto Ieyasu wa, kōtekishudatta takeda shingen no kashin o haika ni tsuketa toki ni, mizukara akogarete ita akai katchū: Aka zo na e, de haika ni matowa seta. Iza sen to nareba, kashin wa ichidō, aka ni somaru, sore wa ima kyōō ga okonawa rete iru hiroma o somete iru hikari no yōde mo ari,-sen ga owatta nochi no yōde mo aru. Tada, aka zo na e no kurenai wa, shōgun no saihai de chi no iro o masuga, kōyō no iro wa shōgun no chikarade wa kawaranai. Kōyō no aka o kaeru no wa, akumade ten: Kami no naseru waza, hiroma ni kaisuru bu: Mononofu,-domo wa omodearu shōgun no kishoku o usuusu dewa aru ga kidzuite iru.-Sen: Chikadjika ni yū ran ya!


This film depicts the appearance of Japanese houses in minute detail. The author calls this the "magic of autumn leaves."
Originally, it was in the olden days when light was precious. It was just past dusk, and the inside of the mansion was dimly lit, making it impossible to see the faces of the people in the back. That's why the red, black, and sky lights visible behind the person sitting in the top seat stand out even more.
Yes...that resembles the hall of Ruriko-in Temple in Kyoto. Originally, when Ieyasu assigned the vassals of his rival, Takeda Shingen, to his subordinates, he had them wear red armor, which he himself admired.
When a war breaks out, all the vassals are dyed red, just like the light that dyes the hall where a reception is currently being held, and also after the war is over.
However, the color of the red red leaves increases with the shogun's control, but the color of the autumn leaves does not change under the shogun's power.
Changing the red color of the autumn leaves is only a skill of the gods, a martial art that can be used in the halls.Everyone is aware, however dimly, of the aura of their master, the shogun.


Some soldier say "War: Not coming soon ?" "Yes! It coming gradually ! Can't you feel it ?"


Utage to iu no ni, hiroma wa seijaku ni michite iru. Koreha-sen no mae ni moyōsa reru `maeiwai'deari sen ni nozomu ketsui to omo e no chūgi o katameru gishiki demoaru. Shōhei ichidōnikaisuru no wa, osoraku kore ga saigo de, deaeru no wa tatakai ga owatte, ikinobite itara… no hanashi to naru. Son'na Chū, kaiwa wa koe o hisomete okonau, kono ba de no shigo wa, heisotsu ni wa yurusarenai, imishin'na hanashi ga togire togire ni kikoeru. Heisotsu mo sōdaga, shichō-sha mo omowazu kikimimiwotateru, sōshite shichō-sha wa itsunomanika, shutsuen-sha to onaji kūkan ni hippari koma reru nodearu. Sō sō, koreha terebibangude wa aru ga, kibun wa eigada to omotta kata ga yoidarou. Naraba tsugi ni suru koto wa wakarudarou. Tomoshibi o otosu ka, akaru-sa o kurame ni shita kata ga yoi. Akumade, o iken ni shika suginai.


Although it was a party, the hall was filled with silence. This is a ``pre-war celebration'' held before a battle, and it is also a ritual to solidify one's resolve to fight and one's loyalty to the Lord. This is probably the last time that all the soldiers will meet together, and the only time they will meet again is after the battle is over, if they had survived...
Meanwhile, the conversations are held in hushed voices, private speech is not allowed for private soldiers here, and the meaningful conversations can be heard intermittently. Just like the soldiers, the viewers can't help but listen, and before they know it, they are drawn into the same space as the performers.
Yes, this is a TV show, but it feels more like a movie. Then you know what to do next. It is better to turn off the lights or reduce the brightness.
This is just your opinion.


Everyone reading this may find the darkness of the Shogun's screen somewhat unpleasant, but in the past our lives were poor in light. Even in the early days of the Lumière brothers' movies, the lights were dim. People have come to take this for granted, and have begun to show scenes that are too bright at night. But in the end, that is a lie.
Originally, it was an entertainment work, so it was natural that there were very few documentaries about historical facts, so one or two lies became commonplace, and they were based on a lie and told more and more false stories.
But I won't denounce that as a lie. Such people will just get bored and become obsolete...Three Japanese masters said no to that.
Akira Kurosawa, Kenji Mizoguchi, and Yasujiro Ozu.
Akira Kurosawa's realism was especially thorough. It also probably stood out in terms of its spectacular panorama, mainly set against the backdrop of nature. These Japanese films, especially the Kurosawa films, attracted people such as George Lucas and Steven Spielberg.
This is a ``latest work that is very beautiful and close to historical fact'' that was created by exploring the limits of what modern technology can do to capture the story in a more realistic way, closer to historical fact, and more beautiful.
You starred in it, you produced it, you directed it, you did the angle of view, you did the film check, you handled the press...you guys! Are you planning to kill Hiroyuki Sanada by overwork?
However, in this day and age, there is only one person who can do it: Hiroyuki Sanada.
The Shogun is not just a piece of work. It is Hiroyuki Sanada's masterpiece, a masterpiece of his own work, and it is the life of Hiroyuki Sanada.
Why do they say, ``I can't wait for the next work''? Well, if you don't keep him away from petty liberals and political correctness and at least let him grow in his inner world, he'll seriously die!