渋川から中之条、そして名湯草津をめざす街道に、それはそれは新緑やあきのもみじが美しい渓谷がある。「耶馬溪しのぐ吾妻峡」とカルタで歌われた秘境であった。
街道にはこじんまりとしていたが、そのこじんまりさを求めて湯治客には人気だった「川原湯温泉」などもあった。
その街道145号線は、吾妻川の縁をつなぐが、草津の硫黄分の多い強酸性の水質は魚類の生息を拒み、下流の用水への悪影響など考慮し、上流で石灰を投入し中性化の作業が黙々と行われ、何とか流れているのだった。
八つ場ダム・・・・「コンクリートから人へ」のスローガンで、中止するかと見えたダムは、国民から忘れられて、再開ありきの「有識者会議」などで、お茶が濁されて、巨費の投入は続いている。
かつて、大きな反対運動が地元で起こり、やがて、勝利者なき疲弊の果てに、過疎の町は原発と「同じように」有り得ない「ばら色の未来」と引き換えに、「いいかげんに、進んで欲しい」「いまさら、元には戻らない」とうめき声が聞こえるようであった。
国道のバイパスが開通し、何十分もかかった峠超えはわずか数分の便利さになって、道の駅は、祝開店で、賑わっていた。
進んでしまったから、どうにもならないか?
ダムの本体工事は始まっていない・・・・いまなら、人類史より長い歳月が作った、見事な自然と、その渓は壊れないですむが・・・
ひどい政権になった。
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