
曜日を間違えて・・・突然、イケちゃんがやってきた。
頼らず・一人で田中正造の足跡を訪ね・・・帰りにちょっと会ってお茶・・と計画していたらしいが、見事に暇だった我。
おせっかいながら、案内した。

まず、合同慰霊碑。

汚れ、毒を大量に含んだ水の貯水のため・・・肥沃な土地・・豊かな稲穂の恵みのあった1ヵ村が強制的壊された村の痕跡。
渡良瀬川遊水地・・谷中村跡に向かった。


富国強兵・・・先進国になり、隣国の植民地化と、巨大な歯車を回した時代・・・
古河市兵衛・・・古河財閥を作り上げた、立志伝中の人物が、20世紀最大の公害の元凶である。
古河とつく、巨大企業群は、多くの土地と、暮らした人々の命と引き換えに、今があることを忘れてはいけないと思うのだ。

共同墓地跡は、まだ・・・魂が残っているように思う。

田中の遺骨は、祀らずに居られなかった、ゆかりの人々・同志によって5つに分骨されている。
写真・・生家前にある墓。

正造の生家。生まれた地、栃木の小中に建つ。

群馬側の農民の蜂起の拠点、雲龍寺。


「現在を救いたまえ!」という、正造の言葉に由来する「救現堂」・・その前にやはり墓がある。

イケちゃんのお陰で、僕は又、正造に出会う事ができた。
編集者とか、もの書きの文章は無駄が無い。
イケちゃんから、お礼のメールが届いた。
「一昨日はお世話になってしまった。
田中正造はやはり偉大な存在だなぁ。
一面の葦原の風景も、土にうもれかけた墓も、生家の風情もよかった。
谷中から秩父へ、そして八王子へ。
八王子ではほぼ同時期に「御殿峠事件」という「蜂起」(押し出し)事件が起こっている。
事件を起こした媒介物は、米と絹と銅。そして借金。
もはや、土地の記憶にしがみつく産物の痕跡を見ることは難しくなっている。
だが、近代化してわずかな期間に同心円状に広がったこれらの反乱は、1世紀後の民主主義になにかを訴えている気がしてならない。」
その訴えている何か・・・・は、僕の頭では解き明かせない・・
イケちゃん・・・それは何か?解き明かしてくれ・・・
そしたら、僕は、それを歌うぜ!