時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

大さんばし

2017年01月19日 | 
授業のため毎週、関東にきていますが、宿泊するのは横浜港周辺。手頃な宿泊先があることと、勤務先へのアクセスがよい(みなとみらい線〜東横線)のが理由で、このパターンに固定。ランニングがしやすいというのも利点(みなとみらい地区は、朝、人も車もすくない)で、パシフィコ横浜の脇にある、臨港パークをめざします。起伏があって、クロカン的なトレーニングができる。

今朝、そこからホテルのある山下公園近くをめざしてもどる途中、ばかでかい客船が見えてびっくり。どうやら大さん橋(Wikipedia)の脇に停泊しているもよう。いままで、何度も通過しているけれど(上をランニングしたこともあるけれど)、船が停泊しているのをみるのははじめて。

そうか、この桟橋は本当に船が泊まるのに使うのか。たしかに、何の役割もないのに、あんなバカでかい施設を作らないか、と。山下公園周辺はじつに観光地っぽいので、あるものはみんな観光用の形だけのもので、実用には供されていないと漠然と思いこんでいました。見ると、大きな荷物の積み下ろしもやってる。ちゃんと使えるんだ、使ってるんだ...と、朝からまた一つ無知を発見。その客船、日本の名前だったようですが(目が悪くて見えない)、バカでかかったから、海外にでもいけそうでした。どこへ行くのでしょう。。。


追記:よめさんに話したところ、『飛鳥II』という客船だそうです。/さらに今朝、こんどは Wallenius Wilhelmson と書かれた船が停泊。貨物っぽかったですが、調べるとそのとおり、スウェーデン/ノルウェーの海運会社だそう。船ってバカでかいんですね。

大晦日に、救急車にのる

2017年01月03日 | 
三日前、家族で出かける準備をしていたときのこと、下階にいる娘にコートを持って行こうと、階段を...駆け下りてしまいました。

足元が目に入り、「踏み外した、まずい!」と自覚、左に傾いたまま落ちていく身体を止めようと、階段についた左腕に激痛!! 踊り場で動けず、嫁さんがきて姿勢を直してくれましたが、どうやっても激痛は引かず。《骨折→大治療→家族に大迷惑》という構図が浮かび、心中しょんぼり。あいにく大晦日・土曜日。嫁さんが電話で問い合わせたところ、市内の岐阜県立の病院が「今日は専門医がいないが、きてください」との対応。家族ではうごかせないと判断、人生初、救急車に乗りました。

ストレッチャーに乗ったまま、TVドラマのERみたいな扉から中に入って、やっぱりERみたいなスペースで服をぬがされ、あれこれたずねられた結果、自分でも途中から「むしろ...」と思っていたのとおなじく「脱臼かもしれませんね」。X線写真の撮影中から(腕の姿勢変化・維持を要求され、これも痛い)、技師と医師が「やっぱり脱臼ですね」。しばらくあって、いないと聞いていたが実はたまたまいた、整形外科の医師が登場、「整復(関節をもとにもどすことだそう)をやってみます。これでダメなら麻酔もつかってもっとたいへんなことになるんですけど...」。腕をぐっと引っ張ってくいっと押し込むと、...突然痛みが軽くなり、どうやら成功。もういちどX線写真をとって、入っていることを確認して終了。なんとか、嫁さんと娘を神奈川へ「派遣」することができました。

リハビリを兼ね、翌日からランニングをしていますが、左腕だけ肩にしっかりつながらず、ぶらさがっているような感覚で、ふだんのようには振れない。肩の関節が外れるほどの強い力がかかったわけで、嫁さんの従妹(医療関係者)によれば、周辺の筋肉や腱にもかなりの損傷があるはずとのこと。

階段から落ちてから、家族が状況判断→病院に連絡→救急車をよぶ→搬送→緊急治療室→X線撮影→整復まで、救急車のクルーも、ERの医師たちも、状況確認や判定はするものの、痛みを緩和するような処置はまったくなし。やりようがないんでしょうが、おそらく1時間ほど、ここまで人生最大の痛みにずっと耐えるはめになりました。

脱臼、めちゃくちゃ痛いです。みなさんもお気をつけあれ。ていうか、すみませんでした。。。

「めかぶ」を使う

2016年10月18日 | 
学生が卒論の計画でもってきたアイデアに触発されて、「それなら、みんなで構文解析を勉強しよう」と私が言い出し、前期途中からR言語の学習を導入。卒論のテーマもかたまってきて、10人中4人が、テキストマイニングの手法の利用を決定。石田基広先生の『Rで学ぶテキストマイニング』をお手本に、構文解析システムのMeCabを、R言語のRMeCabライブラリを使って実行する、ということに。先週、「こんなことができるよ」というデモのため、スクリプトを作成し、データファイルもわたして、実行させようとしたら、トラブル続出でまったく進まず。

「RMeCabのインストールができません」
「RMeCabがみつからないって言われます〜」
「これ実行するとエラーが出るんですけど」

などなど。ひとつめは、「家のインターネット環境で試してみて」で解決。ふたつめは「ユーザー名にアルファベット以外が入っているからでは」と、別のユーザー名を作ってきてもらって、成功。みっつめの、Mac上のRでは問題ないコマンドラインが、学生のWindowsマシンではエラーを生むのは、文字コードのちがい(UTF-8とShift-JIS)のせいで、文字化けが生じていたため。家のWindowsマシンでスクリプトを書き直して、動作確認をして、解決。自分も習いたてのころは、かんたんなことでいちいちつまずいていたので(今でもだけど)、トラブルは予想してたものの、3時間まるまる無駄にするとは、なさけない。

昨日、やっとこちらが作ったスクリプトで、構文解析の結果を加工して、ヒストグラムを作って、発話の長さの統計検定を実行して、文末形式を取り出して、頻度を調べる、という一連の作業に成功。(その前に、データファイルが格納されたディレクトリを見つけ出して、プログラムに書き入れる方法を教えるのに、これまた時間がかかった) こっちの作ったスクリプトのコマンドラインを実行するというだけだけれど、感激していました。成功体験でモチベーションもあがったようで、来週からは、各自のとってきたデータを使った分析ができそうです。

9年ぶり

2014年11月09日 | 
ケータイ電話を持つことにしました。日本を離れた2005年8月以来、9年以上、持たずに来ました。聞かれるたびに「ケータイ持ってないんです」と答えて驚かれてきましたが、このごろ、調査をお願いした方々に聞かれて、「ないです」と答えるのは、お願いする側としてさすがにまずいと、ついに観念。

その間にケータイも進化して、スマホが普及したんだか、でもスマホって何がちがうの? ラインって何? ケータイと関係あるの? というわけで...ともかく何にもわかりません。今日の契約に際しても、嫁さんに頼りっきり。ここまで当たり前になっているメディアに背を向けつづけたワタクシ自身がガラパゴス、というわけで、もちろんガラケー。今後も、できるだけ使わない生活にしたいと。

あなたが生まれてからの地球の歴史

2014年10月19日 | 
BBC.comで Your life on earth という記事をみつけました(こちら)。あなたの生年月日を入力せよ、とあります。娘のを入れてみると、2008年に生まれて以来、地球がどう変化したかについて、さまざまなデータが表示されました。たとえば、今日(2014年10月20日)の時点で、彼女の心臓は約2億5千6百万回脈動したとか。地球の人口は4億9千万人ほど増えたとか。

とくに心ひかれたのが下のスクリーンショットのもの。彼女が59歳の時点で世界の石油が、61歳で石炭が枯渇する。



もちろん、無くなるのも困るでしょうが、残り少なくなったとき、その奪い合いになり、それが引き金となったいさかいがおきたら... というのは悲観的すぎるでしょうか。ともかく、彼ら未来の世代に「親たちの世代は私たちにこんな世界しか遺さなかった」と思われないようにしたい。

彼女が生まれてから6年で世界の気温は0.2℃上昇して、海水面は2cm高くなったそうですが、一昨日のジュニアクラブでのヘニさんのお話によると、インドネシアには、近年、水没して失われた島がいくつもあるそうです。

ジュニア・クラブ 8月

2014年09月03日 | 
本年度、多治見市国際交流協会の事業の一つ、「ジュニアクラブ」の企画・運営を担当しています(Website)。これは、小学校3~6年生の有志の子たちに、国際関連の交流・学習機会を提供する、年6回のシリーズ。2ヶ月に一回、1時間30分を費やして、ゲスト講師の話を聞いたり、いっしょに活動をしたり。引き受けたのは私なのですが、忙しいのと、こどもへの対応の技量の関係で、嫁さんに全面的に手伝ってもらっていて、実質、二人運営体制。先日、本年度の第3回を実施しました。

今回の講師は、フランス人のニコラさん。こどもたちの「直接英語で話してみたい」という希望に応じて、ニコラさんには主に英語を使っていただき、子供たちが直接いろいろ質問しようという企画。たくさんの質問を英語で準備してきた子(通訳になりたいそう)もいて、ニコラさんを感心させていましたが、そのほかの子も私たちが手伝って、全員、すくなくともひとつは英語で質問して、答えをもらったはず。

質問の一つに「フランスの人の服の着方の特徴は何ですか」というのがありましたが、答えは「フランス人はおしゃれでもなんでもなくて、特徴はないと思う」。ニコラさんは、ポスドク研究にあえて日本を選んだ日本びいきの方で、映画もフランスより日本、食べ物も日本食が好き。日本人のフランスへの過大評価には、日本に来てさらに驚いていて、TVのCMや店の名前等にフランス語がやたら多い、でも、ヘンテコなのが多いと。今すんでるアパートも、Maison de plaisir、ちょっとヘン(画像検索をするとわかる)。。。むしろ、日本人の親切さに感銘を受けていると言ってくれました。

「フランスの国歌を歌ってください」というお願いもありましたが、「暴力的な歌で...」と戸惑い、歌い始めたものの2フレーズくらいで「その先なんだっけ?」。サッカー好き&歌好きの私が、♪Contre nous de la tyrannie…と助け舟を出して「そうそう、あなたの方がよく知ってますよ」。「フランス人は国歌を歌いたがらない人や、ちゃんと知らない人も少なくないですよ」とのこと。

最後に、フランス語で「お菓子を3つください Je voudrais trios bonbons.」と言ってみるのに挑戦(するとニコラさんがくれる)。これが意外と敷居が高く、撃沈多数。理由はたぶん、口蓋垂音の[R]が、さらに dr, tr と cluster で現れること。多くの子が全く知覚できず、したがって生成もできなかったもよう。

講師を見つけて、テーマを考えるのは一苦労ですが、幸い、子供たちはとても積極的で、毎回こちらがうなるような質問を出してくる。こどもの教育に携わる機会が与えてもらえたのはありがたいことで、あと3回、いろんな方に助けていただきながら、いっしょに楽しもうと思っています。

ゆるし

2014年08月21日 | 
きのうの午後、娘がやってきて「自転車に乗れるようになりたい」。5歳の誕生日に買って以来、たいして乗っていませんでしたが、何に刺激を受けたんだか。涼しくなるのを待って、夕方、外へ。

大きくなったし運動能力も上がっていて、すいすいと走るので、もう少しやれるかなと、軽い坂道へ移動、先導して走り始めると後ろから「あ~!」という通りがかりの人の声、振り返ると、自転車は横倒、娘は、体全体を道路わきの溝にすっぽりはまり込ませて倒れていました。体中血だらけかと思いましたが、あわてて抱き起こしてみると、幸いにも左の親指の先を少し切っていただけ。聞くと、坂道でうまく登れずハンドルをとられ、あげくにバランスを崩して倒れたようです。

見た瞬間は「何やってんだ!」と思いましたが、これは自分のミス。慣れない人にいきなり上らせる判断がいけなかったうえに、後ろから様子を見るのを怠った、と二重に×。さらに、「まあ大丈夫でしょ」とプロテクターを着けず(ヘルメットは装着)。わりとすぐ泣き止んだ娘に「ごめんね」と謝り、とぼとぼ帰宅。

はたして今日の午後、また「乗りたい」と言ったので外へ。今度はプロテクター着けて、坂道も慎重に。自転車が嫌いになってしまわなかったようで、ホッとしました。

思い出せばここまでも、判断ミス等で怖い目にあわせたり、理不尽な叱り方をしたり、いろいろ彼女からするとひどいことをしてきました。でも彼女はじつにあっさりと、そんなことなかったかのように、笑い、甘えてきてくれます。昨日もそうで、夜は野球ごっこで遊び、今日もいっしょにお絵かき、自転車。彼女とよく似た性格(逆ですが)の、そのお母さんにも、ここにはとても書けないほどひどいことをしてきたのに、これまた驚くほどあっさりと、快く、ゆるしてもらってきました。二人には一生の借りがあると思うし、じつに幸せな人間だと思います。

ひさしぶりに映画 3 idiots

2014年08月18日 | 
日本に戻って以来、お盆には嫁さんの生家に(娘と嫁さん二人で)行っていましたが、休みを他で取りたい事情が生じて、今年は見送り。昨日は、ずっと休みなしでがんばってる嫁さんの気分転換に、久しぶりにDVDで映画。Tsutayaで「何も考えず笑えそうなのを」と選んだのが 3 idiots というインドの映画。たいへん評判だった作品だそうで、インド映画も世界展開をしてるからでしょうか、海外でもウケることを狙った感じがところどころにあって、ちょっと気になるけれど、たしかに面白い。個人的には、友情や恋のお話しよりは、ランチョーが本当は何者なのか分かっていくところがすき。

基本はたぶんヒンディ語。でも頻繁に英語が混じる、いわゆる mixed code。大衆映画で使えるんだから、ふつうに理解されるのでしょう。音楽もすき。とくに最初の歌 Behti Hawa Sa Tha Woh の節回し。最後のシーンの場所がとても美しくて、合成映像で創作したかと思ったら、実在の場所だそう(ココ)。

それから、そこはやっぱりインド映画。みんなで踊る。ただしやや抑え気味かも。このとりあえず踊るの法則を知らなかった嫁さんも、「これくらいなら受け止められる」と。娘は、神頼みのシーンを見て「ゾウ!」。ときどき行くインド料理屋に置いてあるようなカードが壁に貼られているのに注目。

この映画の背景にはインドの教育問題がある、とのことで、実際、登場人物の多くに、エンジニアとして成功することへの強いこだわりが投影されています。それで思い出したのが、むかし勤めていた大学に入学して来た、スリランカ人の学生。「インドでは(でスリランカでも)、工学部に行くのが優秀で、自分もそれを目指してがんばったけどダメだった。それで、そもそも人生に対する希望を失い気味なんです」というようなハナシと記憶してます。

お肉が食べたい

2014年03月03日 | 
うちの嫁さん,留学生や一時滞在のゲストを中心に世話をする部署で働き始めてもうすぐ二年.先週からあらたに,ある国からの留学生を三ヶ月受け入れることになりました.その国は多くがイスラム教徒,その人もそうで,となると問題の一つが食事.ここまでは,昼食だけ(必ずうどん).一人で食べるのは寂しいから,夕食も食堂でとりたい.でも夕食は1メニュー固定なので,メインに肉料理が出されたら食べられない...

昨日,この留学生の件で食堂から呼び出し.肉を持ってきて何か依頼しようとしているので,意思疎通を助けて欲しいと.出向いて話を聞くと,自分が食べられる,ハラールの肉(鶏)を買ってきたので,「これで夕食のメインを作ってほしい」という相談.

食堂の人たち,ハラールは初耳.ちなみに,Bloomingtonのアメリカ人向けでないスーパーには,「Halal」という札がつけた肉が売っていました.「こういうものなのか~」とながめてみたものの,どこが違うのかはよく分かりませんでした.この留学生はどこで探してきたものか,食事の問題は重要とはいえ,行動力と交渉する意思には驚きました.食堂側の検討の結果,食中毒等の責任が持てないから,ということで,「自分で調理して持ってきてください」となったもよう.

「ムスリムの食習慣に合わせるのは面倒だな~」と思ったのですが,考えてみれば,彼らの国ではきっと,ごくふつうに行われている,面倒でもなんでもないことなのかも.日本の教育機関も,今後ますます,あらゆる国,もちろんイスラム圏からも,優秀な学生を獲得したいはず.今日はさらに,医療,洗濯など,新たな相談が来て,対応に奔走したもよう.研究とは直接関わらない,瑣末な件かもしれないけれど,ここで日本側が対応力を発揮できるのなら,悪いことではないのでは.今後,同様なケースで起こりうる問題について知り,対処の方法を考える好機でもあります.

Bloomington生活を思い起こすと,とくに娘を授かったときには,友人などにはもちろん,大学の留学生課にもとてもお世話になりました.最適な保険についてのアドバイスをくれたり,年度切り替えの手続きが滞って$5,000近い請求書が届いたときも,どこで手違いが生じたのか調べてくれて...おかげでたいした不安も問題もなくことが進んだし,費用的にも,たぶん日本で産むよりむしろ安く済んだのでは.今回のように,援助する側に回る機会が得られるのはうれしいことです.

「欲望」と「科学」の相性

2014年02月26日 | 
深澤真紀さんの「うまないうーまん」という連載コラムに興味深い記事がありました(コチラ).「遺伝子」と「姓」という,異なるものをそれぞれ「残したい」という理由で,不妊による問題に苦闘する人たちの件.とくに注目したい一節を引用させていただきます.

個人的に注目したのは、向井が「血縁のある子供が欲しい」というだけではなく、「高田の優秀な遺伝子を残したい」という欲望を明らかにしたことだ。実際に向井は、自身の卵子が使えない場合は提供卵子を使ってもいいから(つまり自分と血縁がなくてもいいから)、高田の遺伝子を残したいと考えたのである。高田も「自身の優秀な遺伝子」を残すことを望んでいたのだろうし、血縁だけではなく「優秀な遺伝子」という思想に苦しめられた向井自身の複雑な感情がうかがえる。

コラムのタイトルや,引用部分直前の「法律が医療に追いついていない」という記述からすると,深澤さんはこのような「欲望」や「感情」を尊重し,われわれの社会が対処すべきかどうか考慮するに値するものとして取り上げているようです.連載コラム全体も,結婚・子育て等をめぐる人の思想・選択の多様性を肯定し,サポートできないかというテーマに貫かれているので,それと整合しています.

この点には賛成できなくもないのですが,「遺伝子を残す」には,引っかかりをおぼえました.素人なので誤りがあるかもしれませんが,ここで「残したい」と考えられている個人に固有の遺伝情報とは,ある特定の遺伝子の組み合わせの総体ということになるのでしょう.それは,直接の子どもには概略1/2ほど伝わるのでしょうが,世代を経るごとにどんどん断片化して,子孫が所属する集団の遺伝子の海の中にバラバラに存在することになり,個人としての痕跡はほとんど見出されない,ということになるのでは.もちろん,さらに突然変異もあるし,ある系列では子孫が途絶えてそのタイプの遺伝子型が失われることもある.ちょっと長い目で見れば「特定の人物の遺伝子を残す」という考えはどんどん意味を失っていくように思われます.クローンでも作り続ければ別ですが.

とはいえここで,「この主張には科学的な根拠がない!」と批判をしたいわけではありません.上記引用部分のような主張は額面どおり受け取るのでなくて,その裏にあるもっと原初的な欲求,たとえば「愛するこの人の子が欲しい」というような,真意を汲み取って議論すればよいのでしょう.

もっとも,批判に対抗する根拠の一つとして「遺伝子」云々を持ち出した,という面もあるのかも.だとすれば,皇位継承問題で男系維持支持派が持ち出した,「Y染色体」云々に似てる,という感じがします.くわしくは,専門知識のある方の発言をごらんいただきたいですが(たとえばコレ),kikulogというブログの記事(ココ)のコメント欄での議論での管理人さんの発言が的を射ていると思うので,そこを引用させていただきます.

「科学的な根拠」は欲しいけど、「科学的に理解したい」わけではないんですね。「科学」は「権威」だとは考えられている。いや、それこそが「ニセ科学」を受容する最大の理由だと思っています。科学不信ではなくて、むしろ科学盲信なんですよ。ただし、その「科学」とは「自分の希望通りの内容を言ってくれる科学」なんですけど

このような意味で,「遺伝子を残す」とか,「Y染色体が」という議論は,この管理人さんのおっしゃる「科学のつまみぐい」の一例で,足下をすくわれる隙を作るだけで,真の説得力はないように見えます.もし,そういう意図はなく持ち出しているのだとすれば,理解できていない(でも権威は感ずる)概念に振り回されているわけで,深澤さんの「「優秀な遺伝子」という思想に苦しめられた」という言い方は,その意味で適切.以上,欲望やら,イデオロギーやらを主張・正当化したいとき,それを科学で根拠付けようとしても,あんまりうまくいかないのでは,というハナシでした.

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半可通を承知で,自分の浅薄な理解に基づいて蛇足を.もし本当に「遺伝子を残す」のが重要と考えるんだったら,自分の子だけじゃなくて,兄弟の子,従兄弟の子,近い遺伝子型を持っている可能性が高い,近隣の子... も大切に,という議論だって成り立ちそう.あるいはグローバリゼーションの進む未来を思えば,海外の子供だって...... 途方もない,愚かな議論かもしれませんが,このように考えると,私には,自分が未来の世代全体と(必ずしも自身の子を通してではなく)ゆるやかにつながっているような感じがして,穏やかで豊かな心境に至れるような気がします.