時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

それでも気になる日本

2007年01月29日 | 
日本のことは分からなくなった、と書きました。だから、実際に感じ取ることのできない日本の事情について発言するのも控えないと、と。でもやっぱり気になるんですけど、アパホテルとか不二家とか、フジTV等等に対して、本当に怒ってるんでしょうか? どの程度の人が?? いいことをしてたとは言わないけど、魔女狩りのように次々と標的を求め、それに応じてマスコミもネタを提供しているかのように見えます。

さらに昨日、閣僚の誰かの「女性は産む機械」発言という記事も出てきて、うんざり。記事本文の発言の引用からすると「女性は産ませる機械・道具である」という主張自体をしているわけではないようです。たんに「計量的に、頭数で考えると・・・」というだけ。施策のターゲットが女性だから、女性についてのみ比喩が用いられた(ってかこの点について男性は役に立たない)。発言の意図を敷衍すれば、「男性は種を作る(+育てるための生産をする)機械とみなせる」ということになるでしょう。もし「そもそも人間の行為を計量的に考えるな!」と言うなら、政策なんか立てられないし、「特殊出生率も、人口推定もけしからん」ということになるけど、そんなことは言わないでしょう。重要で正確にやってもらいたい計量化です。

たしかにうかつ。「機械」という比喩が必須なわけでもないのに、わざわざ突っ込みどころを提供する必要はなかった。でも、本人は使っていないであろう「AはB」構文に仕立て直して、「女性=産む機械」と発言したかのように見せる見出しには意図的な歪曲を感じる。朝日新聞ですらやってる。自分たちが批判したばかりの「捏造もありのマスコミ」のストーリー仕立てを、ここでは支持するんでしょうか。「納豆でダイエット」なんかよりよほど罪が重いと思うんですが。

「ほら今度はこれを叩け!」と煽られて、それに乗ってたとえば閣僚の一人を辞任させて溜飲が下がるのか知らないけど、それで誰がどんな得をするのか。むしろ閣僚ポスト1つに関わる税金とか、提起された、議論されるべき内容に目が向かないこととか考えると、損の方がはるかに大きい気がして、ため息が出ます。彼に賛成だということじゃありません。むしろとんでもない政策かもしれないのです。だったら阻止しないといけない。野党も便乗して揚げ足取りなんかがんばっていないで、本質の議論で貢献してほしい。

わたしの目に映る、こういう他者に対する非寛容、神経の尖り方は何なんでしょう。実際の日本の雰囲気はやっぱり分かりません。外野の勝手な言い分だったかもしれませんが。。。 今日は気温がぐっと下がりました。今-9℃。寒いときにあまり雪は降りませんが、降ればこんなかんじ。サラサラだし、融けにくいので小麦粉かメレンゲのようにうっすらと広がり、吹き飛ばされます。

近くて遠き・・・

2007年01月28日 | Bloomingtonにて
日本を離れてそろそろ1年半、だいぶん日本の様子は分からなくなりました。音楽はインターネットで買える時代だしと思っていたら、日本のオンラインショップは海外とは基本的に取引せず。決算が難しいからでしょうか。そもそもオンラインでは音楽を提供しない人たちもいるし。ということで、2005年夏以降の日本の音楽は全く知りません。もう四半世紀アメリカにいる北川先生は、Mr.Childrenというバンドの存在を全く知らないそうです。でも、MISHAは知ってる(謎)。

日本にやっぱり興味があるんだか、たださびしくて何でもいいから情報がほしいんだか、ついつい暇じゃないはずなのに日本の情報をネットで探し回ったり。先日も日本にいる家族に「『しょこたん』って何?」と聞いて、「聞くんじゃなかったぁぁぁ」とがっくり。本当に必要な情報などわずかだと分かっているつもりですが。去年12月で5年のBloomington滞在を終えて日本に帰った知り合いから「日本という国にまだ慣れません」というメッセージが来ました。やはり5年を過ごす予定の自分も、そうなるんだろうなあと。浦島太郎化着々と進行中。

二つ前の記事で、サイトや家族から仕入れた情報を元に、「納豆問題」について考えを書きましたが、日本にいる人たちがどんな影響をどの程度うけて、どう考えているか、本当のところは分かりません。外から日本のことについて口出しするのは慎まないと。

情報技術や物流の発達で、こんな田舎町でも日本のモノ・情報が手に入る。想像以上でした。でもたとえば家族に何かあったとして、どんなにすばやく行動しても岐阜に帰るには3日かかるでしょう(実際に経験した知り合いがいます)。台湾に帰国し、いろいろあって新学期になっても戻ってこない友人もいます。このまま二度と戻らない可能性もあるとか。やはり「遠くにいるんだ」という認識の方が正しいようです。元気でばりばりやってくれている日本の家族には感謝しないといけません。

物流といえば、ずっと買っていた袋入りの「あんこ」がスーパーからなくなりました。店員に聞くとただ「もうないよ」。次の入荷予定を聞いてもムダだろうとあきらめました。入ってくるときに入ってくる、あるときにある、ないときは、ない。私が子供のころ、数十年前の日本のような感じ。物流が発達し切って、商品が切れることがまずない今の日本こそが異常なのであって、これが本当なんでしょう。だから悪い気はしませんが、できればあんこは食べたいです。やっぱり遠い・・・

付記 デザイン変えてみました。まだまだ寒いですが、日差しが明るくなって春が近づく感じがしたので、早めながら春の装いです。

Gordon, M. (2005)

2007年01月22日 | Indiana大学
起きてみると雪でした。写真のように、除雪車がアパートの敷地内の道路を走っています。まだ気温が高い(最高気温3℃くらい)ので、雪は湿っぽい。今年はここまで超暖冬でしたが、ついに冬らしくなるようです。

今学期はDavis先生のSeminar in Phonologyを聴講しています。テーマは音節量。大変Reading Assignmentが多く、正直全部はとても読めません。今週のテーマが「音節量にOnsetは貢献しうるか」なので、「読んでおけList」には入っていませんが、個人的に読みたいと思ってきたMatthew Gordonさんの論文を読んでいます。

Matthew Gordon (2005) A Perceptually-driven account of onset-sensitive stress, NLLT 23, pp.595-653

知覚上のエネルギーの強さ(のコントラスト)に注目すると、ストレス位置を決める、Onsetにかかわる音節量の序列が説明できる、という主旨。面白いと思って読んでたんですが、実験のところまで来て、あれ~っと思い始めてます。なんで目的変数が一つしかない(ちゃんと実験デザインが書かれていないけど、そう読める)のに、あえて判別分析をやるんだろう。で「Wilkesのラムダはサンプル数に依存するから差の大きさの指標として適切じゃない」って、じゃあふつうに分散分析をやればいいのに。そもそも、自由度が書かれていないなんて。と疑問だらけ。

聴覚神経の反応パターンに基づいてインテンシティを変換して算出したPerceptual energyなる指標が、インテンシティや持続時間といった音響上の指標より優れている、これがストレス位置の決定に関わる音節量の序列にぴったり一致するぞ、という主張なんですが、統計にこう疑問があると、「どうかなあサンプル数が少なかったり、アンバランスだったりすれば、序列なんかひっくり返るぞ、自由度出せ~!」と思う。また時間があれば最後まで書きたいです。昔、Languageに載った論文を読んだときは「すごい、これからは音韻論ってこういうふうになるんだろうなあ」と思ったんですが。。。

詳しい方法を知りたいので、出版されている博士論文を読むことにしました(Routledge)。ご本人のWebにも、これだけはpdfでは提供されていません。「買ってね」ということでしょうから、Amazonで注文しました。

オイシイ話をきかせましょう

2007年01月21日 | 
私の友人で、話がやたら面白い人がいます。年に二・三度研究会で会うだけだったのですが、彼には研究発表以外にもう一つ独演会コーナーが設けられるのです。話術も巧みで内容もめちゃくちゃ面白いのですが「本当かよそれ~」と思うような話。私も「まあ良く毎回考えるな」と突っ込むのですが、彼は「いや、これホントなんすよ」と笑う。聞く側も話半分に受け取りつつも、「今回は何を?」と期待しています。彼の授業は予備校でも大人気だそうです。

納豆騒動のその後(捏造?)を聞き、暇じゃないはずなのにあちこちのぞき見しました(しかもこんな記事まで書くバカ)。放送局の責任を問う声。「ほら見ろやっぱり」という声。「ウソだったの、ガーン!」という人、など。面白いと思うのは「TVが信用ならないなら、何を信じたら」という人がけっこういたことです。

TV会社の社長が不承不承謝罪したとの話もありました。もちろんほめられた話ではないのですが、その人の気持ちも分かる気がします。「正しい話を作ったらみんな見たのかよ、みんなが『面白い話が聞きたい』って言うから、作ってあげたんじゃねえか。それなのになんで怒るんだよぉ」ってところじゃないかと。

今回問題になってるたぐいの番組は「エンタテイメント」であって、「正しい内容を伝える報道の義務」とか何とか言うレベルの話ではないと思っています。「実験とかして、いかにも根拠がありそうに装ったじゃないか」と言うかもしれませんが、あれも、「正しそうに見せてほしい」という心理に応えているにすぎないとも言える(たいていまともな検証になっていないのはちゃんと見れば分かると思うんですが)。いわば「生物学的根拠に基づく血液型性格診断」とか、「天文学や統計学に根拠に基づく占い」みたいなもんで、「科学的偽装も(ありがたがるための)サービスのうち」、「信じるものは救われるかもしれないじゃん!」ってところかと。

今回の件で番組は終了に追い込まれるかもしれません。でも、手を変え品を変え、似た番組が復活することでしょう。「何を信じたら?」という反応を見てそう思いました。どうやら「自分で考え、判断する」ということは苦手な人が(それもかなり)いて、人にどうすればいいか教えてもらいたがっている。かといってそういう人に、「食べるだけで痩せるわけないなんて『考えれば』わかるじゃん!!」と言ったり、「あのねえ、痩せるためにはカロリー摂取を減らして運動して・・・」と「正しい話」をしたから耳を貸すか、疑問です。ひたすら「どこかにうまい話はないかなあ」「こうすれば大丈夫!って教えてくれないかなあ」とばかり考えているんですから。そうである限り、「そんなに聞きたいなら、うそでも『こうすればいいんですよ』とうまい話を聞かせてあげましょうか」という人は出てくるに決まってる。それが占いであれ、「科学的ダイエット法」であれ。私の友人の話のように、こっちも話半分に聞きながら楽しむ、あれはその種の番組なんじゃないでしょうか。またこんなどうでもいいことを考えてしまいました。勉強しないと。。。

馬にお灸をすえる

2007年01月16日 | 
もう去年の年末ことですが、あるホームパーティに行きました。来ていたのは主にIU関連の人ですが、そのご主人(日本人)が太極拳を習っていて、その友人でIUとは無関係の人も来ていました。立食だったのですが、ある日本人の女性が食べ物を紙皿に取ろうとして一部床に落としてしまいました。「あ~」と声を上げてチラッと床の食べ物に目をやったあと、でも放置して次を取ろうとしていると「大丈夫4秒ルールだから」といって、拾い上げて食べようとする女性が。私が「日本では3秒ルールって言うんです」というと、カラカラと豪快に笑って「あ~、じゃあ1秒差でだめだったのか」。(あとで調べたら「5秒ルール」が一般的らしいが。で、結局その方が食べた)

その女性は動物のお医者さんだそうで、現在、Bloomingtonの隣町、Nashville在住ですが、もとは南隣のKentucky州、Indianaと接しているLoiusvilleにいたのだそうです。そこはダービーで有名な町で、当時は競走馬の治療をすることも多かった。開業医をするかたわら学校に通って新たな医療を学び続けていて、しだいに中国の医療法にシフトしてきているんだ、との話。漢方薬も使うし、馬に鍼灸を施した経験もあるそうです。どんな長い針を打つのかと思ったら「長いのも使ったことはあるけど、人間と同じサイズ、同じ本数でいける」と言う。で、アジア的な生活にも関心が高まり、だんだんそっちにシフトしてきている、太極拳もその一つ、とのこと。気さくで楽しい人でした。

あとから思うと聞いてみたかったのは、人間と同じサイズ、同じ本数で「大丈夫」ってのは、どうやって判断するのか、ということです。まさか馬が「うぇ~、先生、効くっすよ~ 肩が軽くなりました」とか言うわけはないし。

太らない冬

2007年01月15日 | Bloomingtonにて
米を買ってきました。安いのでまた韓国のお米。40ポンド(lb)≒18Kgで、$19≒2,200円。「利川米」(京畿道利川市のこと?)だそうです。物価が安いBloomingtonですが、アパートの家賃は上がっているし、保険料も高騰しているので、やはり食費を抑えるしかありません。パンより割安な米を確保して「これで乗り切れる」と一安心。大げさに写るかもしれませんが、車がないし時間がない、外食は不可、という状況では、主食確保は重要課題です。

日本の家族から「納豆が品薄になっている」と聞きました。なんでも「ダイエットに(体脂肪を減らすのに?)効果がある」とTV番組が紹介したんだとか。次々よくネタを考えて、つぎつぎよく引っかかるもんです。「やせたい」と思うほど食える上に、さらにものを食うことでその欲求を達成しようとする結果、生産能力の限界に達するほどいっぺんに買える(でも痛くも痒くもない、またつぎの「消費」に走る)、さまざまな欲求を金で簡単に達成しようとする「金持ち」振り。。。 日本人だけじゃないのも確かだけど、世界にはそんなことができる人ばかりいるわけじゃないと思う。

納豆は大好きで日本ではほぼ毎日食べていましたが、こっちでは高いので一度も買っていません。切り詰めた生活とはいえ、授業料も生活費も州の財政から負担してもらっている現状は恵まれたもの。納豆菌を入手して作っている人もいますが、ふつうに手に入るものを食って暮らせればもう十分ありがたいです。

異常な暖冬が続いているアメリカ東部~中部。そのせいか、去年の冬は自然に1Kg弱増えてたのですが今年は冬になっても太らず、夏の体重のまま。この国の人は寒さに強い(逆に暑がり)らしく、建物の中が寒いので、教室で座ってじっとしていると耐え難いほど寒いです。私はもう少し太ったほうがいいかもしれません。

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ところでショックを受けたニュースが。テナーサックス奏者のマイケル・ブレッカーが亡くなったそうで。身体のトラブルで「もう吹けなくなった」と聞いたのはずいぶん前のこと。その後復活、まだ活躍すると思ってました。57歳とは早い。NY Timesの記事によると、1年間だけIUにも在籍してたそうです。吹きまくっているBrecker Brothers、Chick Coreaのカルテットの演奏も好きですが、いちばん印象に残っているのは、Donald Fagenの'The Nightfly'に入っている'Maxine'の間奏のソロです(1982年の発表、まだ30代前半)。合掌。

誰かに似てる

2007年01月14日 | Indiana大学
新学期から一週間。前学期は日本語のクラスに週5日関わりましたが、今学期は音声学の授業に週4日関わり、事務的なことも含めて英語を使う機会がぐっと増え、留学生活らしくなりました。

Randall Bramley教授のA521という、今学期初開講の授業を受講しています。内容はC++を使ったプログラミングと、Matlabという計算・グラフィックのソフトウェア。先生ご自身の専門は、コンピュータ上の高速処理。大学から学生指導で表彰を受けたほどで、面倒見がいい方らしい。

初日、先生が話し出してすぐ「私はこの人にそっくりの動作をする人をよ~く知っている!」と直感しました。視線、手の動かし方、姿勢などなど。さらにPC画面を教室のプロジェクターで映せず、持参した延長コードをコンセントに差し込もうとして、(ちょっと視線をそっちに移してちゃんと差し込めばいいのに)こっちを向いたまま話ながらやろうとする。方向がよく合ってないものを無理やり押し込もうとしているから、にこやかながら手元は全力(顔も力んでる)。落ち着いてるようで落ち着きがなく、動きがせかせか。「似てる。絶対似てる!! 誰だ~!!??」。もう授業の内容よりそっちが気になって。。。

授業を受けること10分ほど、ついに気づきました。それは日本の元同僚(先輩)、やはりコンピュータを教えている先生でした。アメリカ人と日本人、全然関係ないとは思いますが、「日本に兄弟か従兄弟はいませんか?」と聞きたくなるほど動作がそっくり。日本の元同僚は、個人的見解では職場の「いい人ランキング」No.1かNo.2。いろいろお世話になりました。Bramley先生もいい人そう。ひょっとすると、車で送ってくれて、道中いろいろ親切に説明してくれた挙句、話に夢中になって道を間違える(たまに事故る)ような人だったりもするかも。

本当のドシロウトなのでついていけるか不安です。とりあえず、Practical C Programmingって本を読んでます(写真参照、2冊ある教科書の一つ)。まあ、日本で売られているマシンでも、プログラムのレベルになるとけっきょく英語なんだから、最初から英語で勉強した方が分かりやすいかもしれません。「Libraryって・・・本を保管するところじゃないですよね?」って聞いたら、「いい質問ですね」ってにこやかに教えてくれるくらいですから、こっちのレベルは踏まえてくださると思います。

明日から新学期

2007年01月08日 | Indiana大学
おとといの金曜日の夕方4時過ぎ、キャンパスの北にあるJordanという通りをなんとなく選んでジョギングしました。ここはSorority(ΦとかΩとかギリシャ文字の名前の女子限定の寮、男子バージョンはFraternity)がずらっと並んでいる通りなのですが、休み中はひっそりとしていました。が、その日はどこのSororityもドアの前に女の子たちが並んでいる。

思い出せば来週から2007年春学期がスタート。どうやら彼らはSororityの学生で、ドアを開けてもらうのを待っていたようです。休み中は寮にはいられなくなるとは聞いていましたが、再入所できるのがどの寮も一斉で、学期前の金曜日だとは知りませんでした。個人で車を乗りつける人もいれば、(おそらく空港あたりから)大型バスで一斉に来る人々もいる。不思議なのがその多くが、黒っぽいドレスを着て着飾っていること。再会パーティでもあるのか?

私はこのSorority、Fraternityというアメリカ特有(?)の文化について無知で、来た当初あちこちにあるΠとかΘの付いた建物に、「この大学には妙な文化があるのか?」と思ったものです。そういうのと無関係の男性の話では、このような寮の目的は結局、ある社会層の子女たちのネットワーク作りで、就職時も就職以降も、いろいろなところで効いてくるのだそうです。Bush大統領について(彼はYale?)彼のFraternity生活を伝えているのを観た覚えがありますが、その番組はナゾの地下秘密結社のように伝えていたので、こっちに来てΣやΥを発見したときも「ああ、あれか」とはつながりませんでした。Nステだったと思いますが、かなり誤解を生ずる伝え方だったと思います。私の好きなSteely Danの曲にも、「I was the dandy of Gamma Chi」(Hey nineteen)というフレーズがあって、カレッジのFraternityのことだったのですが、最近やっと気づきました。

たしかに共同作業や、修業というかイニシエーションみたいなことをするらしいですが、日本でも部活なんかでままあること。教えていた学生の一人が、悪趣味で派手な格好をしてきて「Sororityのきまりで、一週間この格好なんだ」と言ってましたが、多くはそんな程度でしょう。所属することに一定のステータスはあって、本人たちには誇りらしい。アメリカが「日本なんかよりよっぽどコネ社会である」と言われることの一つの端的な現れとは言えるように思います。ということで写真はクリスマス前に取ったFraternityの写真の2枚目です。

忘れていた、とはいっても準備は始めていて、動き出したのは3日。Bob Port先生と担当する音声学の授業について打ち合わせを開始。私の仕事の柱が、学生の宿題の採点。とくに音声ファイルのIPA記述の採点は最も神経を使う。「これでも合ってるじゃないか! 点数をくれ」という文句が予想されます。一つ一つ必ず測定をして、正解・許容・不正解の基準を念入りに準備しておこうと思ってます。時間はかかるでしょうが、きっと自分のためにもなるでしょう。

去年のTA、Ericから引継ぎ資料をもらってびっくりしたのが、学生の期末レポート。みんな異常なほど長いのです。中には60ページ以上書いた人も。長けりゃいいってもんじゃないだろう。これをテスト期間の一週間のうちに全部読みきって成績をつける、気が遠くなりそうです。

注:この文章には6箇所ギリシャ文字が使ってあり、設定によっては文字化けしているかもしれません。

年始年末のTV

2007年01月03日 | 
年越しのTVを11:57あたりから見てみました。Times Squareから生中継。John Lennon の「Imagine」が流れる。なんて数の人でしょう。ビルの壁からでっかいミラーボールみたいなのが降りくる。降りきった時点がちょうど新年。そこで「2007」というでっかい電光掲示が点灯するという趣向。こんな大掛かりな仕掛け、誰が金を出す?

別のビルのスクリーンに表示された数字を見てみんなでカウントダウン。年明けと同時に大歓声、キスするカップルに、それを撮るカメラ。年が変わったら「ほたるの光」、それからすぐにシナトラの「New York, New York」に変わる。しばらくすると年明けライブが開始。ここで切りました。5分見たかな、もう来年は見ないと思う。

日本では大晦日の格闘技系の番組に「過去のVTRとか流して引っ張りすぎだ!」という苦情が殺到したとか。こういうのを聞くたび「タダなんだから、文句言っても…」と思います。番組編成側の仕事は直接の顧客であるスポンサーにどれだけ高く番組を売るかに専心することで、商品価値としての視聴率がどうやったら上がるかを、過去のデータの蓄積から最適化した結果が現状の番組なのでしょう。それが気に入らなくて番組作りに影響を与えたいなら、できることは唯一「見ない」ことしかない。でも見たいんだよお~というなら、直接金を支払っているのでない以上、自分に向けられたものではない演出も我慢するしかない。(言わずもがなですね)

インターネット上でも、YahooだのGooだのの無料総合サイトには同種の「扇情的な見出し」や「もったいぶり」が目に余るようになりました。視聴率同様、ヒット数かなんかを売るシステムがすっかり機能してきたのでしょう。アホかと思うこともありますが、TVと同じことで、タダで享受してるものに影響力は行使できない。私の場合、「有料のメディアを利用して、面白いものだけを買う」という(まああたりまえの)方法を採ることにしていました。これなら直接の顧客である私たち自身を楽しませるものを作ってくれることを期待&要求できる。日本人は世界的に見れば超金持ちになり、しかも多彩な娯楽にアクセス可能です。満足な水準の娯楽には対価が発生するものだ、と考えるべきじゃないかなあ、と思います。

(この点で、聴取料を要求してくるにもかかわらず、ちっともこっちの期待に応えないNHKには大いに不満がありました。あそこには独自の使命があり、それを果たしてもらうために聴取料を払っていたつもりなのですが。薄っぺらいドキュメンタリーや中途半端なエンタテインメントを作って視聴率を取りたがるのは許せないものが。)

こちらではTVを(持ってても)ほぼ見ない状態が続いていますが、それですごく勉強が進む、というわけでもありません(どうせそこまで努力が続かない)。よかったのは、好きだったはずの音楽に触れる時間が格段に増えたことです。聴く方も演奏するほうも。写真は9月に買ったステージピアノ。この国を離れるときには手放すつもりなので、アメリカのメーカーのものを買ってみました。Kurzweil SP88といいます。税抜き$1,000弱。脇にあるのは小型のギターアンプ、$69。これでギターやキーボードを鳴らします。音楽学部が有名なので小さい町なのに楽器店がいくつもあるのはラッキー。おかげで比較でいえば、学生時代音楽サークルにいたときより腕が上がりました。でも、日本にいたら「箱根駅伝」見てたかも・・・

年頭のゴタク

2007年01月02日 | 
新年おめでとうございます。知り合いの方もたまにのぞいてくださっているようですし、ご挨拶申しあげます。本年もよろしくお願いいたします。年頭に当たって、今年の課題を考えておきたいと思います。読み返しても「大風呂敷...」と思いますが、そうやって自分を追い込まないとついサボりがちなので。

1) ここまでやってきた仕事を形にする

書きかけの論文、やりかけの仕事が4つほどあります。そろそろいったん区切りをつけないと。ということで、年末~年始は友人とのプロジェクト。測定が半分ちょっと終わったところです。

2) 音韻論を勉強する

私は方言の音韻研究からスタートしたのですが、疑問と限界を感じて音声学的なアプローチを個人で勉強してきました。フォーマルな教育を受けたくてIUに来ましたが、ここへ来て音韻論を勉強する必要を感じています。実験音韻論(Laboratory Phonology)を標榜する研究者たちが1980年代後半からやってきたことも浸透し、形式主義的な分析が主流だった音韻論も、ようやっと計量的・実験的な手法を利用するのが一般化してきたようです。最近のBruce Hayes氏の論文とか、Languageの最新号に掲載されている川原さんのご論文なんかそのいい例かと。そろそろ音声学と音韻論の壁が取り払われて、言語音声について研究するなら両方の手法&理論を使いこなせて当然、ということになっていきそう。それなら、もう一度もっとつっこんで勉強しないと、と。幸い、8日からの春学期、Davis先生がSeminar in Phonology(テーマは音節量)を開講するのでそこで自分なりに知識や方法を発展させたい。

3) 弱点を克服する

ただ、そうなるといろいろと自分に不足している点が見えてきます。今年の柱は二つ。一つ目はプログラミング。中国語のToneの音声実現についてガンガン研究しているYi Xuさんと一度お話した際「きみも音声を研究するならプログラミングは必ずやりなさい」と言われました。それから4年経ってしまいましたが、授業もあってチャンスなので今年こそ。

もう一つは(恐怖の)数学です。音声にかかわる現象はとんどが非直線の関数でないと捉えられないし、自分にとって必読の論文や、今後やろうとしていることを考えると、微積分までどうしても必要になります。必修単位を優先せざるを得ないので、すべて授業で習うことは不可能。知り合いのPrinceton大学の数学科の院生に相談したところ「IUのカリキュラム編成だと時間がかかりすぎるので、自習した方がいい」とのことで本を紹介してもらいました。写真がそれ。初学者用に前提なしで書いてあって簡単らしいのですが、見てみたところ私にはやはりかなり怖い。でも、これが数学を克服する人生最後の機会でしょう。今年の終わりに「やっぱりダメでした」と書かずに済むよう、あきらめずに続けていこうと思います。

ということで、「絵に描いた餅」になりそうな匂いのプンプンする、年頭の決意表明でした。