時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

いない間に

2009年12月30日 | Bloomingtonにて
一か月日本にいた間、いくつかのことが起きました。Bloomingtonで長い間親しくしていただいた人たちが、プログラムを終えて帰国。一家族は、日本へ。もう一家族は、ブラジルへ。どちらの引越しにも居合わせることができず、すれ違いになりました。6月にも、ずっとお世話になったご家族が、私がフィンランドに行っている間にボストン近郊に引っ越した、ということもありましたが、いずれも、仕事のタイミングがそこしかなく、今回も残ってくれた家族がお見送り。

------------------------

この3年半ずっと会ってきた、同じアパート内に住む仏系アメリカ人で中国人と結婚して死別、30年間一人で暮らしている「おばあちゃん」がいます(2008/1/19に記事)。彼女が、わたしが日本にいる間に、心臓の病気で倒れました。食事などの管理が必要な状況ではあったはずですが、突然の悪化でした。で、入院。しばらくして、リハビリもしてくれるNursing homeというところに移りました。

状況はニョーボからずっと聞いていたのですが、帰ってすぐ尋ねてみました。姿を見て愕然としました。「この人だ」と教わらない限り気づかないほど、顔が変わっていたので。いっぺんに10歳くらい歳をとったか、というほど。もっとも彼女も90歳。いままでが歳よりずっと若かったが、ここで一気に歳相応に老けた、ということでしょうか。でも、人はこんなに短い間に一気に衰えるものなのか。。。

大学から帰ってバス停を降り、アパートの部屋までの歩くと彼女の部屋の前を通る。しばしば外に面した窓の前で待ち構えている彼女に捕まり、しばらく話をすることになる。今年のとくに秋ごろは自分に心の余裕がなくて、「ちょっと勘弁してくれ」と思うこともあったんですが、もう、彼女がアパートに戻って暮らすことはないでしょう。

今いるNursing homeはすぐ近くですが、子がいないばーちゃんの面倒を見られるのが、これも病気を抱えた妹夫婦なので、その人たちの便利のため、隣町の施設に近々移動するとのこと。でも、ときどき行けるかな。

------------------------

大腿骨を折った(本当の)祖母が、ちょうど日本で親元に滞在している間、リハビリの結果なんと寝たきりにならずに復活、戻ってきました。96歳で! 「化け物」としか言いようもない強さですが、母によると、流石にちょっとボケが入ってきたもよう。私が日本を離れた直後、お風呂で転んでまた肋骨を折ったそう。

とても元気な二人だったので、勝手にいつまでも元気なような気になってしまっていたのですが、当然、いつどうなってもおかしくない。ちょっといない間に、ということが立て続けに起こって、それを実感しました。

------------------------

これもいない間にBloomingtonは季節が進み、いつものとおり、降れば雪。降雪はわずかで、うっすら砂糖をまぶしたようだけど、気温が終日零下なので、なかなか消えない、という「いつもの冬」になっていました。写真は学生会館の前、ここのコンピュータルームで仕事をするんですが、食堂もStarbucksも閉まってて、ひっそり。静かな年の暮れです。

Christmas time is here

2009年12月26日 | Bloomingtonにて
アメリカに帰ってきました。ミネアポリスで乗り換えてインディへ。家を出てから20時間以上。いつものようにへろへろ状態で到着ゲートへむかうと、珍しく人でごったがえしていました。それは到着する人を待ち構える人の群れ。一緒にクリスマスを過ごすのでしょう。家族を見つけて声を上げ、抱き合う姿を見て温かい気持ちになりました。

ところで、愛読している小田嶋隆さんのWeb連載コラムの最新記事(日経ビジネスOnline・12月21日づけ)は「クリスマスが女に対する男の誠意と価値を試される時であったのは、商業主義に毒されて日本人がおかしくなってただけで、不況を契機にそんな仕掛けに乗らなくなった今の若い世代こそがマトモ」という趣旨(だと思う)。

2年前、ずっとお付き合いしているマイヤーさん一家のクリスマスツリーの飾りつけを一緒にやり、Charlie Brown Christmasというビデオを一家と見ました(2007/12/12の記事)。このお話のテーマが「クリスマスの行き過ぎた商業化を反省して、本来の意味を考えよう」であることも説明してもらいました。子供たちの歌声が静粛な冒頭の「Christmas time is here」から、全編かなり地味。これを子供と見る、というところがマジメなクリスチャンのこの一家らしい。

このお話が初めて放送されたのが1965年。今でも繰り返し放送されるらしく、相変わらずクリスマスの商業化は止まらず、宗教的意義も毎年喚起し続けなきゃいけないほど、信仰心も薄れがち、ということでしょうか。そういえばアメリカにも、たとえばマライア・キャリーのあのおバカ歌とかあるし(歌手がバカ、とは言ってません)。何が言いたいかというと、上記コラムの趣旨はもっともなんだけど、クリスマスが商業主義に冒されてるのは日本だけじゃないということ。ていうか、この日本の浮かれ騒ぎも、これまた(もともと)アメリカの真似、というのが真実だったりして。

枝葉の話だけど、この小田嶋さんのエッセイの中の一節、

セックスは消費財ではない。(中略)カネを払うに値しないと言っているのではない。そもそも無料だということを私は言っている。だって、貨幣経済ができる以前から、まったく日常的な動作として、それはわれわれの前にあらかじめあったものだからだ。

にはちょっとびっくり。貨幣経済なんかよりはるか前、サルと分化する以前ですら、セックスは「服従」等等さまざまな社会的価値の代償として「交換」されてきたんだと思うし、もちろん今でもそう。経済学には疎いけど、貨幣ってそういう「交換」を形式化しただけじゃないの?(派生した余剰的な面はあるにしても) 「歴史上最初の商売は売春」なんて怪しい話を持ち出すまでもなく、どんだけの収入があれば結婚してあげるか、なんて女性が「値踏み」をするのでも明らかなとおり、結婚に関してもセックスは無料じゃない(ていうか、場合によっては売春より高くつく)。セックスに「交換価値」があるのなんて当然でしょ、「そもそも無料」なんて意外に純粋(?)と思いました。

冒頭とトーンがえらく異なってしまったでしょうか。とはいえ、こういう「現実」を踏まえた上でも(それでこそ)、人と人との関係は温かいものだと思うのですが。

-------------------------

クリスマスのブルーミントン(25日)は、官公庁はもちろん、バスも運休、スーパーもレストランもみーんなお休み。食い物を準備し忘れた人が仕方なくドラッグストア(CVS)に駆け込んでいたそうな(冷凍ピザとかくらいなら買える)。夜から雪になり冷え込みました。

京都駅から南を見る

2009年12月20日 | フィールドワークから
京都駅に、あの巨大な階段ができたのは何年前だったか。すごいけど、なぜあれを京都に作るか、と思った人は多いのでは。久しぶりに来たけど、やっぱり「?」。ガイジンさんを含め、写真を撮ってる人も多くて、目を引く建造物ではあるけど。

いちばん上まで登ると、京都の南も見える。ガラス越しに、これからむかう方向を撮ってみました。誤認していなければ、遠くに見える右側の山が天王山、左側の低い山が男山、そこに石清水八幡宮があって、周辺が八幡市。二つの山の間が木津川、宇治川、桂川の合流地点。ここまで京都から、「京阪のる人、おけいはん」の京阪に乗って八幡市へ。

(つづく↓)

先達アリ ~石清水八幡宮~

2009年12月20日 | フィールドワークから
八幡市調査2日目、調査は午後からだけど早めに到着、石清水八幡宮に行くことにしました。ケーブルカーもあるけど、歩いて30分くらいとのことなので、徒歩で。八幡市駅前の観光案内所でもらった「あるきマップ」もあるし、あちこちに案内板もあるので、徒然草に出てくる仁和寺のお坊さんみたいなことはなく、ちゃんと八幡宮まで到着。

着いてみると、八幡宮周辺は修復中。写真は脇の建物ですが、屋根なんか見ると、かなり痛んでて、正直、ちょっとみすぼらしい。冬の平日とはいえ人もまばらだったし、お金ないのかも。近くの松花堂とか、上津屋橋とか、けっこう観光資源はありそうなので、頑張れば何とかならなくもないという感じがするんだけど。

(つづく↓)

せせらぎルート

2009年12月20日 | フィールドワークから
帰りは参道を通らず、マップに従ってハイキングルートを通ってみました。「せせらぎルート」という名前は、谷の脇を通ってるからか。この谷はかなり深くて、水はなかったけど、大水が出たときの跡か、枝が折り重なって落ちてる。水が染み出してぬかるんでる箇所もある。道の整備が不十分なところや、坂がかなり急な場所もあるので、転びそうでかなり危ない。足腰の弱い人には勧められません。上りのほうが安全だったかも。季節柄、すれ違う人は一人もいない。周囲はすべて竹やぶで、夏は涼しそう。

下りたところはふつうの住宅地沿いの道路、高野街道という旧街道ではあるのだけど。そこから駅まで20分近く歩いて、合計1時間ちょっとのウォーキングでした。

(つづく↓)

上津屋橋

2009年12月20日 | フィールドワークから
2日目の調査終了後、いちばん最後の方が、駅まで送っていってやるとのお申し出。さらに、録音中、(インターバルを取るため)八幡市にある、いわゆる「流れ橋」の話をしたのを憶えていて、見に行きたければ連れて行ってやる、とのこと。ありがたくお言葉に甘えることにしました。

写真がその上津屋橋。秋の洪水で流れたそうで、橋げたが脇に寄せて積まれてます。連れて行ってくださった方は、この橋のすぐ近くで、お茶栽培(抹茶用の高級茶だそう)を営んでいらっしゃるそうで、この橋の入り口のすぐ脇の茶畑も所有。そもそも、洪水の多いこの場所に、それでも橋を渡すのを行政に要請した理由が、このあたりの農家が、川の向こう側(久御山町)にも茶畑を所有してるから。それまでは、ずっと舟で渡っていたそうです。

わざと流れるようにしてあるこの橋げた、修復するためには数千万円かかり(人件費、クレーン費用等だそう)、すぐには費用が出ないのでしばらく放置されている状態だとのお話でした。それでも、橋げたを初めから作り直すよりは安いのでしょう(少なくとも計画当初は)。

---------------------------

この八幡市で、今回のデータ取得の旅は終わり。話者のみなさんだけでなく、各市役所の方々も、年末のご多忙のときにもかかわらず快く助けてくださいました。それぞれこちらのお願いした日にほぼ合わせてくださったおかげで、週末以外は全てどこかにうかがってデータを取ることができました。今回の橋の話とか、伊吹の漁の話とか、いろいろ面白い話も聞かせていただきました。この場を借りてお礼申し上げます(ご覧になってはいないでしょうが)。

ところで、この調査の渡航費、滞在費、国内交通費、録音機材の購入費、話者のみなさんへの謝礼等は、NSF(National Science Foundation)の研究費(Doctoral Dissertation Improvement Grant)でまかなわせてもらっています。アメリカの奨学金は「US Citizenに限る」というものが多いのですが、これはアメリカの教育機関にいれば外国人でもOK。思えば、応募書類を作成したのは、去年の今頃。2回の渡航調査と2、3回の学会参加くらいやるには十分な額ですが、USドルの暴落が痛い。かなり目減りした計算になるはず。ドル頑張れ~!

(12/20の記事、おしまい)

さすが京都

2009年12月19日 | フィールドワークから
今回の調査の最後は京都。中心都市ではなくやや周辺地域で、という方針に従って、京都市でも大阪市でもなく、中間の八幡市にお願いしました。調査はいずれも午後2時から2日間。単純な効率の面では低いかもしれないけど、1日目にミスが見つかり、その晩に修正。2日目は完全なデータを得ることができたので、むしろありがたい日程でした。

ビジネスホテルは八幡市周辺には見つからず、京都に宿泊。午前中、時間があったので、朝ごはんのあと、ゆっくりジョギングに出てみました。京都は道が分かりやすいし、何度となく来ているので、適当にぐるぐる、ときどき止まって写真を撮りました。さすがは京都。町並みの整備に手がかかってて、美しい。やっぱり京都にはこうあってもらわなくちゃ。写真は祇園の一角。奥が深い。

(つづく↓)

Ma mu a mi tha bul

2009年12月19日 | フィールドワークから
知恩院へも行ってみました。まあ、何の変哲もない、ただし非常によく整備された、立派なお寺(それ以上の価値が理解できないだけ)。改修作業を行っている区域があって、そこのフェンスに写真のようなハングルが。

「な・む・あ・み・た・・・ぷる」。「南無阿弥陀仏」らしい。周囲を見ると、他にも、中国語(本土の簡体字)、キリル文字などのバージョンが。さらに別の場所に「あなたの声で聞きたい 南無阿弥陀仏 いままでも、これからも」と書いてありました。最近はお寺もこんなことするのか。

(つづく↓)

namo amitabha buddha

2009年12月19日 | フィールドワークから
そしてとどめはサンスクリット語。なんていう意味なんだろう。「南無阿弥陀仏」の最後の「佛」はやっぱり「ブッダ」?

Googleで調べてみると、勿体つけた説明がいっぱい。サンスクリット語そのものとしての構文、意味が知りたいのに。まあ、わざわざWeb上に情報を載せる人には、その(私から見て)勿体つけな部分が重要なんでしょう。本当に面白いものは、分かりやすく説明しても面白いはずだ、と思うんだけど、仏教関連の議論は、ときどき、わざわざ話を分かりにくくしてるんじゃないか、と思うことがある。

と思ったら、的確な説明、発見。

「南無阿弥陀仏 namō amitābhāya」は、「阿弥陀仏さまにごあいさつ申し上げます」。もっと軽く訳せば、「アミダさま、こんにちは」という意味です。

だそうです(http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1223068922)。これですっきりした。なら、フェンスの文の、最後の「buddha」は蛇足かも。

(12/19の記事、おしまい)

観音寺の実力

2009年12月18日 | フィールドワークから
四国滞在最後の2日は観音寺に宿泊。夕方ジョギングに出てみると、駅周辺の通りがクリスマスの電飾だらけ。写真の通り、ラーメン屋までやってる。それに導かれてあちこち走ってみるとけっこうお店があるのを発見。老舗旅館、ブティック、楽器店、生花店、バー、割烹等。伊吹島の宿のご主人によると、ライブハウスもあるとか(なにしろ『青春デンデケデケデケ』の舞台)。そんな夜の街を、ウォーキングする人がなぜだか多い(とくに中年夫婦)。

地方都市はどこも駅近くの商店街に活気がない、観音寺もそうかな、と思っていたけど、それはまだ目が行き届いていなかったからと認識。新しい家も店も多いし、店を開けてる率も高くて、観音寺は比較的さびれていないかんじ。

伊吹島の人が、いりこ漁は島でやるけど家は新たに観音寺に買って住むパターンが多い、と聞いて、「それほど違う?」と思ったのだけど、確かにそれなりに生活を楽しめるかも。燧灘という豊かな漁場があって、遠浅のビーチもある。カトキチが力を落としたのは打撃だろうけど、まだ底力はある、少なくとも、周辺のどの都市よりも上という印象でした(個人的には丸亀にも勝ると評価したい)。

(つづきます↓)