韓国から帰る直前の晩、泊めてくれたチョルギュさんとちょっとゆっくり話す機会がありました。彼は国立銀行の行員で、ここんとこかなり忙しいらしいのですが、付き合ってくれました。
日本と韓国の比較についてかなり熱を入れて語り、「韓国社会には問題がある。日本は素晴らしい。アメリカでもアジアのなかで日本だけが一目おかれている」と言う(最後の点はたしかにそうかも)。彼が知りたいのが、Bloomingtonで知り合った日本の留学生に「選べるならアメリカ、日本のどちらに住みたいか」というと、ほとんどが「日本」と答える、その理由。私も日本と答えました。韓国人のほとんどがアメリカがいいと答えるのと対照的なのだそう。
「(韓国や他の多くの国より)自国内で、安泰な将来に対する希望が持ちやすいからでは」と、持論を話したのですが、完全には納得できないようす。じゃあなぜアメリカがよくないのかという話になり、環境意識が低すぎる、人と人の関係が実は冷たく、特定の金持ちだけが安楽な、金儲け競争で心が荒んだ社会に見えるなどと指摘(周囲の人に恵まれ私はたいへんよくしてもらってますが)。
最後に「けっきょく私は、日本人の人間性をまだ信じてるんでしょうね」と言うと、チョルギュさんはわが意を得たり、というようす。彼にとっては、そこが韓国を出たい第一の理由で、韓国はその点でよくないと思ってるんだそう。曰く、他人の領域に踏み込みすぎる、恩義の貸し借りを常に計算していなければならない、などなど。。。 それは韓国人のいいところと表裏一体ですよ、現にその恩恵を私はたくさん受けましたから、と答えたのですが・・・
ともあれ、彼には日本社会における人間関係が望ましいものと映り、日本の留学生が国に帰りたがることをその根拠の一つと思うようです。ネット社会やマスコミでのつるし上げの応酬などを見るにつけ、他者に対する寛容度を下げ、ヒステリックで窮屈な社会になってる気がしないでもないんですが、いいところを見つけてもらえるのはありがたいこと。本当にいいところがあるなら、維持したいものです。
ついでに。今回の学会では、あまり人の発表を聞きませんでした。が、参加した範囲で印象的だったのは、日本人ではない学者で、議論の傍証に日本語の例を出す人がたくさんいたこと。彼らはそれを自由にできるほど、十分な知識を持っているようでした。いかに多くの言語学者に、日本語に関する知識がかなり高いレベルで共有されているか、ということを再確認。学習者の数では中国語に圧倒されてるけど、研究対象としては、アジアの言語ではたぶんまだ圧倒的優位、ひょっとすると英語についで2番目かもしれない。日本語は幸福な言語で、それを母語として持つ言語学者も有利な立場にいるということになるのだろうと思います。
学会が休みの水曜日、一人でぷらぷら雨のソウルを歩き回りました。写真は狎鴎亭にあったユニクロ。同じようなものは売ってたけど、パンツが見当たりませんでした。
日本と韓国の比較についてかなり熱を入れて語り、「韓国社会には問題がある。日本は素晴らしい。アメリカでもアジアのなかで日本だけが一目おかれている」と言う(最後の点はたしかにそうかも)。彼が知りたいのが、Bloomingtonで知り合った日本の留学生に「選べるならアメリカ、日本のどちらに住みたいか」というと、ほとんどが「日本」と答える、その理由。私も日本と答えました。韓国人のほとんどがアメリカがいいと答えるのと対照的なのだそう。
「(韓国や他の多くの国より)自国内で、安泰な将来に対する希望が持ちやすいからでは」と、持論を話したのですが、完全には納得できないようす。じゃあなぜアメリカがよくないのかという話になり、環境意識が低すぎる、人と人の関係が実は冷たく、特定の金持ちだけが安楽な、金儲け競争で心が荒んだ社会に見えるなどと指摘(周囲の人に恵まれ私はたいへんよくしてもらってますが)。
最後に「けっきょく私は、日本人の人間性をまだ信じてるんでしょうね」と言うと、チョルギュさんはわが意を得たり、というようす。彼にとっては、そこが韓国を出たい第一の理由で、韓国はその点でよくないと思ってるんだそう。曰く、他人の領域に踏み込みすぎる、恩義の貸し借りを常に計算していなければならない、などなど。。。 それは韓国人のいいところと表裏一体ですよ、現にその恩恵を私はたくさん受けましたから、と答えたのですが・・・
ともあれ、彼には日本社会における人間関係が望ましいものと映り、日本の留学生が国に帰りたがることをその根拠の一つと思うようです。ネット社会やマスコミでのつるし上げの応酬などを見るにつけ、他者に対する寛容度を下げ、ヒステリックで窮屈な社会になってる気がしないでもないんですが、いいところを見つけてもらえるのはありがたいこと。本当にいいところがあるなら、維持したいものです。
ついでに。今回の学会では、あまり人の発表を聞きませんでした。が、参加した範囲で印象的だったのは、日本人ではない学者で、議論の傍証に日本語の例を出す人がたくさんいたこと。彼らはそれを自由にできるほど、十分な知識を持っているようでした。いかに多くの言語学者に、日本語に関する知識がかなり高いレベルで共有されているか、ということを再確認。学習者の数では中国語に圧倒されてるけど、研究対象としては、アジアの言語ではたぶんまだ圧倒的優位、ひょっとすると英語についで2番目かもしれない。日本語は幸福な言語で、それを母語として持つ言語学者も有利な立場にいるということになるのだろうと思います。
学会が休みの水曜日、一人でぷらぷら雨のソウルを歩き回りました。写真は狎鴎亭にあったユニクロ。同じようなものは売ってたけど、パンツが見当たりませんでした。