時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

伊吹島と第二次大戦

2009年08月25日 | 旅行記
伊吹島では、とくに昔の暮らしぶりについて聞かせていただけました。その中で驚いたのが、この島も米軍に攻撃された、ということ。もう一つの調査地である詫間町沖の粟島なら、海兵学校があったので、米軍側としては攻撃の理由もあったでしょうが、いりこ漁で豊かだとはいえ、こんなところまで。今夏父母が回顧していたところでは、故郷の岐阜の多治見も空襲にあったとか。あんななんでもない田舎町まで攻撃されるまで引っ張るとは。知識がないので、迂闊なことを言ってしまうことを恐れますが、やっぱり「降伏遅すぎ」と思わざるを得ません。

(後日訂正 粟島にあったのは「海員学校」で、普通の船員を養成していたのだそうでした。軍事には関係なかったのかもしれません。)

最近、知り合いのドイツ人(日本在住)と広島の平和公園の記念館への滞在について話したら「あそこの展示内容はがっかりだ。被害者的観点があまりに強くて、この結果を招いた日本側の責任に目を向けていない」という意見でした。上記のことを考えると、分からなくはありません。

伊吹島民俗資料館によると、伊吹島の人口が最も多かったのが1931年。面積が1.05平方Kmしかないところに4448人もいたっていうんだから、大阪府並みの人口密度だったことになります。今は、島で本当に暮らす人は500人程度だそう。この静かで平和な島に、もう爆撃などないように(かつ活気が続くように)願いたい。

一昨年の招待講演に来てくれたBarrettという先生(たぶん)が「言語学者は、地域の人が望むことをしないので嫌われることが多い」と言っていました。現地の人が言語学者に期待するのは、言語復活のための再教育に使える教科書や辞書作りなのだそうです。

音声研究をする私などその典型例で、そんなことをする興味も力量もないのですが、幸い伊吹島方言は(とりわけアクセントで)有名だし、ご当地の人もそれなりのプライドを持ってくださっているようで、調査はさせてもらいやすいところだと思います。振り返ってみると、どの地域でも一方的に世話になりっぱなし。たとえば今回のように、他の分野の研究者とのつながりができることで、何か道が開けて、少しでも恩返しができる機会があるといいのですが。

おねくり(完成)

2009年08月24日 | 旅行記
さて、おねくりの作り方を理解した限りで記しておくと。。。

下準備
 かんころ(干し芋)を水で戻しておく
 小豆は水につけたうえでゆでておく(塩を一つまみ入れる、煮汁も使う)
 サツマイモは、テキトーな大きさに乱切りする
 
で、あとは材料をいっぺんに鍋に入れ、中火で煮る。そのうちに水分が飛んできて、なべ底が焦げるので、底から返して焦げを防ぎつつ、煮続ける。液体分がほぼなくなったら、最後にちょっと火を強めてから落とす。で、放置。

本当は砂糖を入れるんだそうだけれども忘れたとのこと。味はというと、ほのかに甘い。もた~っとしたかんころと、もち米の食感が、絶妙というか何というか、ともあれとても素朴なおやつです。写真が出来上がり。

作った後は炊いておいてくださった菜飯やら、漬物やらでお昼。全体的にとても健康的な食生活で、伊吹島のお年寄りたちが元気で長生きな理由が分かります。娘もとてもかわいがってもらえて、とてもいい滞在になりました。また家族で訪ねたい。

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日本ではいよいよ選挙戦が始まったワケですが、今回、残念ながら私に投票権はありません。日本に帰国した際、いったん住所を移したのですが、当然「移住後3ヶ月」には満たないわけで(さらには選挙公示直後にまた国外に出ちゃったわけで)。在外登録者としての投票権も、いったん日本に住所を持ったから、たぶんありません。そもそも投票のための登録をする努力を怠っているのですが。

日本でもらった資料によると、「現時点では海外在住者は比例代表区のみの投票権」ということだそう。選挙権は国民として基本的な権利だから、取り上げられたくない気はしますが、実際にはどうやって行使させるのか、難しいところなのでしょう。小選挙区のほう、可能性としては、直前にいたところか? といっても、その自治体からの恩恵もなくなるし、そこへの貢献もしなくなる(住民税は発生しない)わけだから。。。

だからといって例えば「友人が出馬したから鳥取1区にしよう。石破さん落としたいし(どっちもウソです)」なんてことができちゃったら選挙権の濫用だし。日本にずっといるアメリカ人の友人は一つ前の大統領選に投票した、と言ってた気がしますが(そして結果に怒ってましたが)、いったいどの州で投票したんだろう?

「おねくり」(材料)

2009年08月23日 | 旅行記
Bloomingtonに帰ってきました。5年目のアメリカ生活になります。ここはもう秋の気配、なんと木の葉が一部色づき始めました。朝方の最低気温が10℃台前半にまで落ちているからでしょうが、葉のない木を見て「春はまだかな」と思う期間が長くなりそうで悲しい。

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香川県、伊吹島への旅行について書き残したことを。今回は以前から調査でお世話になっている方のところを訪ねました。お邪魔するといつもお手製の漬物やら料理やらを出してくださるのですが、たまたま民俗学、とくに食文化の調査をなさっている研究者の方と居合わせて、出してくださったものをいただきながら情報交換などができたのは、うれしい偶然でした。

最初にお邪魔した2004年に作ってくださった「おねくり」という、伊吹島の昔のおやつの話になり、「一緒に作らせてもらおう」ということになりました。そこで、調査に関して他の仕事を済ませた2日後、再び島に渡りました。

写真がその「おねくり」の材料。メインはサツマイモ、それを干しイモにした「かんころ」。さらに、あずき、もち米。もち米は昔はぜいたく品で入れないことも多かったとか。

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9月から始まるインディアナ大学の2009-2010年度にはちょっと変化があるようです。長く増加の一途だった新入学生が、今年はかなり減りました。具体的には、7564人から7100人。その前の年のレベルに戻っただけ、だとはいえ6%以上の減なので、影響は小さくないでしょう。また、今年度の予算編成について理事会がやっと承認を出したそうで、教授陣の昇給が凍結、というニュースも。やっぱりアメリカの大不況の影響ということでしょうか。

友人の奥さんに昨日聞いたところでは、彼女の行っている英語学校(公立だけど授業料無料)でも、教員・クラス数が減らされるという影響が。けっきょく土壇場で資金が得られて元通りになったそうですが。さらについこの間の新年度の登録で、例年は多数いる韓国人学習者がうんと減ったとか。こっちは韓国の不況の影響だろうとの話(韓国企業が派遣を減らした→同行する家族も減った)。日本についても同様の話は去年当たりから聞きます(口頭会話が導入されて日本人には辛くなったTOEFLの影響という説も)。オバマ大統領の言う通りなら、今が「底」だということ。我々院生へのサポートにも当然影響することなので、アメリカ経済の改善を期待したいところです。

Jリーグをみよう

2009年08月17日 | サッカー
以前の記事に書いたとおり、Bloomingtonで知り合ったブラジル人家族と日本で落ち合い、サッカーを見に行きました。行ったのはJ1リーグ、等々力競技場の「川崎フロンターレ 対 鹿島アントラーズ」。宿泊先の有楽町から、川崎市は武蔵小杉まで出てきてもらいました。

来たのは友人(イタリア系ブラジル人)、その奥さん(日系)とその両親(ブラジルに移住した日本人)、息子さん(アメリカ育ち)、とさらに奥さんの弟さんとその息子(2人ともブラジル育ち)。日本で出稼ぎ中の弟さんと話してみましたが、日本語はかなりおぼつかないし、英語もほぼ無理のようで、完全にブラジル人だという印象。ご両親は最後に日本に来たのが10年以上前で、さすがに変化に対応しきれない。お父さんは帰り際にSUICAを(なぜか何枚も持っていた)自動改札の読み取り機にタッチさせる代わりに、カードリーダーに通して詰まらせ、駅員を呼ぶ羽目に。

武蔵小杉で落ち合って 、まず駅近くのお好み焼き屋へ。メニューを英語で相談して、あーだこーだ言ってる10人ほどの集団に戸惑ったと思いますが、お店の人は親切に対応してくれました。食事はかなり楽しめたのですが、スタジアム到着は試合開始前ぎりぎり、これは拙かった。もう座席が完全に埋まっていたのです。さすがに首位と事実上2位の直接対決。

ということで、あちこち探し回った挙句、跳ねて応援している川崎サポータの中に、子供だけでも混ぜてもらって、我々はその後ろからのぞかせてもらいました。しかし、それも前半だけで、24時間以上かけてブラジルから前日着いたばかりのお子さんたちが完全にグロッキー。なぜかその日は風が強く、体調を崩しかねないということで、後半途中で帰途につきました。ぐったりと友人の背中で寝る息子さんを連れて武蔵小杉に戻り、正しい切符を買うのを手伝ってそこでお別れ。

友人やご家族は感謝のことばをくれましたが、無理をさせてしまったか、とかえって申し訳なく思いました。さらに、写真のとおりお母さんがブラジル代表のレプリカユニフォームを買ってきてくださいました。私は(お母さんがお気に入りだそうで)ロベルト・カルロス、娘がロナウジーニョでした。こんどはこれを着て、ブラジルにおいで、と言ってくれました。行きたい!

海老沢泰久さんを悼む

2009年08月14日 | サッカー
直接知り合いでもなんでもないんですが、今日、訃報を見てショックを受けることがありました。それは、作家の海老沢泰久さんです。ご著書を読んだわけではありませんが、月一回のSports Graphic NumberのWebの連載をずっと楽しみにしていました。

その連載、「スポーツの『正しい』見方」(『 』による強調はワタクシ)というタイトルはどうかと思いますけど、その通りだな、と納得することがしばしば。かなり世の支持を集めているような団体や、その行動などについても厳しい批判を加えていたので、ちょっと心配になることも。たとえば、2004年8月、2005年7月、2007年2月の野球の日本代表の監督人事をめぐる一連の記事なんか。私は、「なるほど、よく言ってくれた」と思いましたが。

(興味をもたれた方は、ぜひご一読ください。下のURLは記事一覧です。)
http://sports.goo.ne.jp/others/column/?page=1

2007年12月3日に、このブログで「サッカー日本代表監督への岡田氏の起用は拙速。一から考え直す好機と考えて、人選の範囲を広げないのは残念」という趣旨のことを書いたんですが、そのすぐあと(12/17付け)、海老沢さんの「サッカー協会の人脈の弱さを露呈した」という趣旨の記事が発表されて、僭越ながら我が意を得た、と勝手に思ってました。(あの逸機による「後退」は今や完全に取り返しのつかない所まできてしまった、と見ています)

連載が最近滞り気味で「歯に衣着せぬ発言が行き過ぎて、書かせてもらえなくなくなっちゃった?」と思っていたのですが、ご病気とは知りませんでした。まだまだいろいろ書いていただきたい、と思っていたので残念でなりません。たとえば、今回のオリンピック種目の決定(ソフトボール落選、ゴルフ推薦)と、その報道について、海老沢さんならどうおっしゃるのか、うかがってみたかった。そもそも東京の立候補、どうなんでしょう。。。 59歳とはあまりに早い。ご冥福を。

今年は好漁

2009年08月13日 | 旅行記
ご存知の方はご存知のとおり、伊吹島は漁業(カタクチイワシ)で人が集まった島です。港につくとすぐにいりこの匂いがします。伊吹丸で話したおばさん(海を渡った観音寺市の加工会社に勤めているそうです)のお話では、今年は伊吹島、漁が好調とのこと。

写真は、漁を終えて加工場に着けた船です。ここから直接パイプを通して、舟に溜めた収穫を、写真左側の加工場に向けて送っていました。船の左側にパイプが見えます。考えれば当たり前ですが、漁船は速くて、伊吹丸を追い越してすっ飛んでいくのを見ることができました。

また伊吹島へ

2009年08月12日 | 旅行記
方言アクセント研究の最重要地の一つ、香川県は燧灘にうかぶ伊吹島へ、今年も訪れました。今回は、たんに家族を連れて遊びに。調査で知り合った方にご連絡して、尋ねさせていただきました。その顛末を少し記録したいと思います。

日本はこの夏、大雨、水害続きですが、行った日は幸い四国中国地方に梅雨明け宣言が出され、滋賀あたりまでは大雨でしたが、写真のとおり伊吹島はいい天気でした。幸い、これまでの3回の滞在で、いずれも伊吹島に行く直前に、天気がよくなっています。写真は島の表玄関の真浦からのものなので、ほぼ南向き。海の向こうに愛媛県の四国中央市辺りが見えるはずですが、この日はもやがかかって見えませんでした。

島に行くには連絡線「伊吹丸」に乗るわけですが、乗り合わせたお婆さんが「この船は自分の知る限り3回新調されて(実際現在の船の名前は「ニューいぶき」)、そのたび速くなった、昔は25分では着けなかった」と教えてくれました。

平和記念資料館にいった

2009年08月11日 | 旅行記
広島での実験最終日、時間があったので友人が平和記念公園に連れて行ってくれました。高校の修学旅行のときに行ったのですが、ガキのワタクシは学校や運営側のやりかたに反発して真面目に見なかったので、この機会にと。

今回は記念館をけっこうゆっくり廻りました。印象的だったことは・・・ 

まず来てる人。ガイジン率高し。以外にスペイン語を話す人(子供も)がたくさん。どこの国の人かは分からず。写真のように、翻訳聞きながら、と~ってもマジメに一つ一つ見る人が多い。小学生くらいの子供連れも多し。つぎに内容。無知なワタクシは展示からいろいろ学べたのですが、そこから感じたことの一つが「日本の降伏が遅すぎた」です。「ここまでいろんな人・場所が叩かれるまで粘るなよ~」と。それから面白かった展示品はアメリカの戦略に関する文書。どこに落とすか、どうやって等等、紆余曲折がけっこうつぶさに分かる。へー、情報開示したんだ、と。いちばんじっくり見ました。もっと詳しくして欲しい。

周囲にも引き取り手のいない遺骨を集めた供養塔などの施設があるわけですが、雨の中そこへも訪れている(たぶん)アメリカ人家族が。今日付けの日経ビジネスONLINEの伊東乾さんのコラムで、インタビューを受けている土山秀夫さんという方が

  アメリカに行きますと、依然として「原爆投下は正当な行為だった」
  「原爆投下のおかげで50万、100万という生命が救われた」というこ
  とが今もって定説になっていて、若い人たちもそれを信じている。

とおっしゃっていて、それはたぶんそうなんでしょうけど、同時に日本の発信する、こういう情報にもひじょーにマジメに目を向ける個人もいることを再確認しました。

滞在後すぐ広島を離れたのですが、その夜から雨が強まり、次の日にはまた洪水で被害が出たようす。二つの水害の間に行ってこられたわけで、幸運でした。

広島行き

2009年08月10日 | 旅行記
日本に来ました。もう一月以上過ごして、もうすぐアメリカに帰りますが。

神奈川と広島で、実験をさせてもらいました。フィンランドでやったものと同じもの。今回、再確認したことが、日本人は実験の作業の遂行が律儀、ということ。指示通りに、ミスをほとんどせず、休憩もせず、大量の作業をこなしてくれました。フィンランド人以上でした。感謝。

広島行きの日は大雨で新幹線が遅れて、最初の実験に間に合いませんでした。その後は天気も良く、快適。部分日食も見たりして。

世話してくれた友人に連れられ、最終日は広島風お好み焼きを食べました。彼の話では、(当然ながら)どの店もおいしい、というわけではなく、当たり外れがある。写真の店は、お奨めどおり、美味しかったです。