ついこの間まで雪が降ったり気温が0℃以下になったりしていましたが、その後数日雨がちの天気が続いたあと、ついに空気が入れ替わって暖かくなりました。今日などは昼の気温が24℃、いきなり5月かという天気で、自転車で走っていて汗をかきました。でもとてもいい気分。グラウンドや寮の庭で、サッカー、野球、フリスビーに興じる学生も急に大増殖。花もまもなくいっせいに咲き出すでしょう。私は花粉のシーズンになると鼻水が出る代わりに頭痛がひどくなるのですが、すでにしばしばひどい頭痛に襲われています(違う病気かもしれませんが)。
働いていた学校でわたしの「演習」に所属していた4年生4人も全員卒業したようです。彼らが3年生のとき私のゼミを選んでくれた時点で、私はすでに留学のための受験をひそかに考えていたので、彼らの卒業より先に自分が日本を離れることになると予想していました。実際そのとおりになり、ちょうど1年前の3月いっぱいで退職した私は、その後実際に日本を離れる8月まで非常勤として演習の授業だけ担当させてもらった上で、メールや掲示板を使って連絡を取りながら、卒業論文提出まで指導をさせてもらいました。
一方私自身は「学生」として、アメリカ言語学会の発表のためにKen先生に週一度指導してもらっていました。私は「研究は学生の自主性によるべきであり、指導する教員はあまり口出しをしてはいけない」のだと思っていたのですが、Ken先生は私のデータを見ながら、分析のアイデアから理論的解釈まで、かなり一緒に考えてくれるのです。こちらでも先生によってちがうでしょうが、私にとっては新鮮なことでした。
だからといって、先生の言ったとおりただ作業してくることはまずなくて、次週までの一週間、データに向き合ってあーだこーだ考えた末、しばしば先生との間で合意したこととは違うことをやってきたり、ちがう結論に至ったり、ということになりました。この繰り返しが(方法・成果の両面で)自分に多大な進歩をもたらしてくれたと感じています。この経験は、同時に行っていた「教員」として指導のアプローチにかなり直接的に影響しました。
これは「あとから思えば…」ではなくて、その当時も意識していて、日本にいる学生が何かアクションをくれる限り、方法や議論についてかなり具体的な助言をしようと心がけたつもりです。で、しばらくすると、自分の予期しないような進歩を持って返ってくるので、何度も驚かされました。こういうのは10年教員をやっていて初めてだった気がします。それまでの自分が至らなかったんだとも思うし、最後の最後に、新たな試みのチャンスがもらえたということでもあると。おそらくは「学生」「教員」を同時進行でやれたからこそ生じた稀有な状況で、私にとってはとても幸せな体験でした。タイムラグのあるアメリカから間接的にあれやこれや指示を出されるほうはストレスが溜まったかもしれませんが。
ここにいて卒業式には出席しませんでしたし、去年の退職時点で卒業した気でいましたが、実際には彼らの卒業までいちおう付き合わせてもらって、これで本当にいったん教員としては終わったんだな、と思います。
あと1ヶ月で今学期が終わりますが、そうするとこちらでも卒業する人が出てくる。日本語会話グループを引っ張ってきたイワンさんも学部を卒業。日本に帰る知り合いもいます(「復職」というパターンも多い)。半年ちょっと過ごしてみた感覚から判断すると、MA取得の人は1.5-2年なのですが、けっこうあっという間だろうなと思います。一方Ph.Dのこちらはこっちは5年くらいはかかるわけですが、悠長なこと言ってないで本物の「卒業」をしっかり目指さないといけませんね。
働いていた学校でわたしの「演習」に所属していた4年生4人も全員卒業したようです。彼らが3年生のとき私のゼミを選んでくれた時点で、私はすでに留学のための受験をひそかに考えていたので、彼らの卒業より先に自分が日本を離れることになると予想していました。実際そのとおりになり、ちょうど1年前の3月いっぱいで退職した私は、その後実際に日本を離れる8月まで非常勤として演習の授業だけ担当させてもらった上で、メールや掲示板を使って連絡を取りながら、卒業論文提出まで指導をさせてもらいました。
一方私自身は「学生」として、アメリカ言語学会の発表のためにKen先生に週一度指導してもらっていました。私は「研究は学生の自主性によるべきであり、指導する教員はあまり口出しをしてはいけない」のだと思っていたのですが、Ken先生は私のデータを見ながら、分析のアイデアから理論的解釈まで、かなり一緒に考えてくれるのです。こちらでも先生によってちがうでしょうが、私にとっては新鮮なことでした。
だからといって、先生の言ったとおりただ作業してくることはまずなくて、次週までの一週間、データに向き合ってあーだこーだ考えた末、しばしば先生との間で合意したこととは違うことをやってきたり、ちがう結論に至ったり、ということになりました。この繰り返しが(方法・成果の両面で)自分に多大な進歩をもたらしてくれたと感じています。この経験は、同時に行っていた「教員」として指導のアプローチにかなり直接的に影響しました。
これは「あとから思えば…」ではなくて、その当時も意識していて、日本にいる学生が何かアクションをくれる限り、方法や議論についてかなり具体的な助言をしようと心がけたつもりです。で、しばらくすると、自分の予期しないような進歩を持って返ってくるので、何度も驚かされました。こういうのは10年教員をやっていて初めてだった気がします。それまでの自分が至らなかったんだとも思うし、最後の最後に、新たな試みのチャンスがもらえたということでもあると。おそらくは「学生」「教員」を同時進行でやれたからこそ生じた稀有な状況で、私にとってはとても幸せな体験でした。タイムラグのあるアメリカから間接的にあれやこれや指示を出されるほうはストレスが溜まったかもしれませんが。
ここにいて卒業式には出席しませんでしたし、去年の退職時点で卒業した気でいましたが、実際には彼らの卒業までいちおう付き合わせてもらって、これで本当にいったん教員としては終わったんだな、と思います。
あと1ヶ月で今学期が終わりますが、そうするとこちらでも卒業する人が出てくる。日本語会話グループを引っ張ってきたイワンさんも学部を卒業。日本に帰る知り合いもいます(「復職」というパターンも多い)。半年ちょっと過ごしてみた感覚から判断すると、MA取得の人は1.5-2年なのですが、けっこうあっという間だろうなと思います。一方Ph.Dのこちらはこっちは5年くらいはかかるわけですが、悠長なこと言ってないで本物の「卒業」をしっかり目指さないといけませんね。