時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

土曜の過ごし方

2010年02月28日 | Bloomingtonにて
土曜日、ESPN2でイングランドプレミアリーグのLIVE放送があるのを先週偶然発見(娘が)。今日も朝ごはんを終えて視聴(7:30から)。チェルシーとマンチェスターシティ。ESPNの実況席も試合前のTerryとWayne Bridgeには注目してたらしく、「No handshake」とコメント。チェルシーがホームで惨敗とはびっくり。久しぶりに快速ベラミーのいいシーンが見られて満足。

その後は学校に出かけて勉強。どこへ行ってもじっと座ってると冷えてくるので、多少は暖かい、学生会館内のStarbucksへ。コーヒー一杯、$1.40(130円くらい)でずーっと粘る。

店内の音楽、なんか知らないモダンジャズ、ピアソラ、またエラ・フィッツジェラルドと続いた後、日本語の歌が聞こえてきた。聞き覚えのある男の声、陰鬱なメロディをぼそぼそと。。。

坂本龍一でした。知らない曲だったので、Amazon.co.jpを使って調べると、「Tango」という曲名(いまはどこでもそうかもしれませんが、大学の校舎内はだいたいどこでも、ワイヤレス接続可)。大貫妙子が関わってるから、あんな感じなのねと。アメリカで聴かれてるのか?世界のサカモト。そのあとはアメリカンカントリー、脈絡のない選曲だこと。

いつものとおり、4時台のバスで帰宅。今年は写真のように、雪の多い冬でした。帰ったら、大喜びの娘とちょっとだけ遊んですぐランニングへ。彼女の好きな「いないいないばあっ」のワンワンをやってるチョーさんをみならって、一日10キロに練習量を上げるのが今の目標。怪我しないように徐々に距離をあげて、あとちょっとで到達。

夕食後、チキンカレーを作り、娘を風呂に入れる。8時過ぎにやっと落ち着く。娘と一日付き合ったニョーボも疲れて寝て、静かで孤独な夜がまたやってくるのでした。(おしまい)

読書録2 ”Statistics in Language Studies”

2010年02月27日 | フィールドワークから
始めてみた読書録ですが、さっそく教科書。なにしろ、留学以降、楽しみのための読書は諦めてしまったので。

これは、2005年秋、アメリカに来て最初の学期、John Paolillo先生の授業の前半に使用。まだ最初の学期で、他の授業と平行してこれを読むだけでもきつかったことを覚えてます。今思えば、短いし、読みやすくて、やさしい。出たのはもうずいぶん前(1985年)だけど、効果サイズや信頼区間の重要性なんかにも触れてあって、古すぎてダメ、という気はしない。

本を見直してみると、長さの割りにかなり盛りだくさんという印象。確率論とか統計的推定の考え方という基本からスタートするけど、分散分析のランダム要因とか、細かいところまでちゃんとカバーしてある。後半にはすこし多変量データ分析(主成分分析とか多次元尺度構成法とか)まで紹介してあって、「こういうものがあるんだ」という入り口を作ってくれるのもいい。どっちかというとパラメトリック統計が中心で、ノンパラはカイ二乗+ちょっとというかんじ。音声学のような、ふつうの測定をする分野を専攻する学生にむいてるんじゃないかと。逆に、シンタックスの人なんかは、ここでは自分の研究に利用できることが見出せないかもしれない。

ところで、こういう教科書についていつも思うのですが、例は別に言語の研究じゃなくてもいいんじゃないかと。というか、身近な、自分が実際に利用するような題材は、むしろ理解の妨げになるのではという気さえする。他の分野の例を通して学ぶほうが、数式や手法のもつ意味そのものの理解が促進されるんじゃないか。で、それを自分の問題にどうやって適応するか、と考えるほうが生産的だし、楽しいような。でも、それは統計を自分の研究にすでに使っている人の言いぐさで、統計が研究にどう使えるか皆目見当がつかないという人には、この方がいいのかな。そういうことはむしろ研究論文そのものを読んだほうがいい気もするんだけど。

本に戻ると、やっぱり盛りだくさん過ぎて一つ一つの説明は手短になりがちなので、これ一冊読めば完璧、というものではない。英語で勉強する必要があるというのでなければ、主に心理学関連で、日本語で書かれた良質の統計の教科書があるので、そっち読んだほうがいいんじゃないかと。例えば南風原朝和『心理統計学の基礎―統合的理解のために』(有斐閣)読んだけど、とってもいい本だと思いました。カバーしてる範囲は"Statistics in ..."より狭いんだけど、やっぱり統計って一つの本だけでOKってことはないから。読んで、実際に利用して、またその段階に適したもうちょっと進んだのを読んで、って勉強し続けなきゃいけないものだと、思います。

インディアナ州のおかげさま

2010年02月25日 | Bloomingtonにて
我が家は、ここ2年ほど、食品購入の補助を受けています。2年ほど前、子供ができたことが分かり、WICという州の福祉プログラムに加入させてもらいました。Woman, Infant and Childrenの頭字語だそうで、最初は妊婦に、生後しばらくは母と子に、1歳以降は子供に必要な食品をスーパーで購入するためのチケットがもらえます。買えるのは「チーズ、牛乳、卵、シリアル、パン、乾燥豆、ジュース」など。BloomingtonにあるWICの事務所に行くと、写真のような「購入可能品目リスト」といっしょにチケットをくれる。

WICは低所得の世帯のためのインディアナ州の福祉事業。低所得層は栄養管理の知識が不足していて、子供にロクな食事を摂らせないことが多いらしい。子供は社会の財産だから、栄養指導を行い、妊婦や新生児に不足しがちな食品を補助しましょう、と。子供にいきなりソフトドリンクを与えないよう、無添加のジュース。チーズ、牛乳はカルシウム補助。パンも全粒粉でミネラルをと、細かい指定があって、それ以外を買うためには使えない。子供の成長とともに食品の種類が変わって、新生児の頃は粉ミルク、最近は野菜も買える。だから、うちは一度も粉ミルクをお金を出して買わないで終わりました。

ただ、ちょっと困るのが、チケットを細かく分けて使えない(ひと月4回)ので、一回これをつかって買い物すると、牛乳2本と、チーズ450gとか、いっぺんにすごい量が来ること。牛乳2本とは、1ガロン(4リットル弱)2本。補助対象外の父親がおこぼれに与りまくっても、悪くなる前に飲みきれない。先日ニョーボが分けてくれないかと頼みに行ったら「そういうお願いは多くて、こちらも何とかしたいんだけど、州がシステムを変えてくれないんです」とのこと。いいシステムのようで、ちょっと抜けてるところはこの国らしい。

そもそも、これほど大量に牛乳とチーズを支給するのは、それくらいしかカルシウムの摂取方法がないからだとか。日本食中心の家庭なら、他にもカルシウム源は多種ある。うちでいえば、ひじきやら、(伊吹)いりこやらが日常的に食卓に上るわけで。まだ体重10キロに満たないうちの娘が、2週間ていどで、牛乳8リットルも飲んだら(飲めたら、だけど)、アメリカの肥満児のみたいになりそう(アメリカで生まれたので国籍上アメリカ人ですが)。

さらに、娘の医療費は、完全にタダ。これまたHoosier Health Wiseという州の事業で、最も有利な医療保険に加入させてもらえているから。このようなサービスが得られる理由は、我が家が「最低所得層」に分類されるから。額面の収入はそりゃ低いけど、(研究助手とか、授業のアシスタントとか仕事をしてるとはいえ)、州のお金で学費を免除してもらって、生活費もらって、いい教育を受け、高給職に就く訓練をさせてもらってる、思えばかなり贅沢な身分なのに、もっとも有利な条件で食品や医療費まで補助してもらって、ちょっと申し訳ない気もします。

サッカー日本代表の監督問題

2010年02月19日 | サッカー
東アジア選手権が結果、内容ともにひどく、監督替えて何とかしろ! との声がすごかったとの話。ちょっと考えを書いてみたい。

このブログでは、岡田さん就任か、という2007年末に記事を書きました(「危機?」 2007/12/3)。まだ2年以上ある、ここでじっくりいい人を選んだほうが、という趣旨。けっきょく拙速に彼が選ばれて2年、事態は予想よりもっと悪くなったように見えます。よく見るブログにも「絶望感や閉塞感が漂っている」とありました。日本サッカー、停滞、あるいは後退してるかも。

いろんな意見があっていいんですが、私には違和感があるのが、監督交替の是非を論ずるときに「すぐそこに迫ったW杯を乗り切れるか」ということが焦点になっていること。当然ではあるんですが、はっきり言えば、手遅れでしょう。ドイツ大会以上の酷いことになるかもしれない。

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ここからでもできることはあるとか、「可能性があるかぎり」とか言うのもいいのですが、思い出したいことがあります。画像はサッカー協会のウェブからコピーしてきた「JFA2005年宣言」の一部。2015年には世界のトップ10に入るいう「約束」が書かれています。今年の大会の次、2014年のブラジルW杯でベスト8に進出する、くらいのイメージでしょうか。この宣言には「2050年にW杯で優勝する」という「約束」もあります。この宣言が出されたときには驚きましたが、遠い目標としてはこれくらい志高くありたいものです。

私の理解では、トップ10に入るとは、一時でもいいからFIFAランキングで10位くらいに達する、とか、その前後はともかく、W杯でベスト8、ということではなくて、常時10位くらいを行ったり来たりする強豪になること。現在のFIFAランクで10位前後というとアルゼンチン、イングランド、クロアチア、ギリシャ、ロシアあたり。この辺りの国と日本が対戦と聞いて、世界のサッカー好きが「いい勝負だね」というくらいになりたい、ということでしょう。

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5年後の日本代表の主力が、若くても現在20歳前後の選手だとすると、2015年に、というのはもう困難(英国やアルゼンチンの20歳前後と比べれば瞭然)。高い目標なんだから、達成の遅れは仕方ない、でも、一つ一つの戦いは、それを目指したものでありたい。だから、こんどのW杯も、「これならきっと将来、イングランドとも互角に戦えるようになっていくだろう」と思えるような戦い方、負け方をしてきてほしかった(もう、私の中では終わってるので過去形)。

でも、今の戦い方は、勝つ確率が低い相手に、それでもなんとか勝てないか、その答えだけを探した結果そうなったのか、見ててちっともわくわくしない。まして、ベスト4なんてとてつもない達成をするため、その低い確率の目を4回、5回と出し続けなくてはいけない。それでも、今勝つところが見たい、という人はいるかもしれませんが、私はそんないわば「まぐれの連続」に興味はないし、狙ってほしくもない。目標とすべきは、そして見たいのは、強豪にも勝つ確率が40%、50%・・・という勝負ができるようになった代表です。そのために、現時点での位置に見合った目標があり、戦い方があるはず。だから今回はドイツの反省を生かして、大きな目標に向けて前進しているというところが見たかった(2009/6/18の記事に書きました)。そんなチームこそ、2018年なり、22年なりに主力になるかもしれない人たちに見せたい日本代表であって、それでこそ、トップ10も、W杯優勝も、たんなる夢想ではなくなっていくと思うから。

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現実の指揮官が、「結果は度外視です」と言えるはずはありません。でも、「我々の長期目標に沿った強化・指揮をお願いします」と、強化委員会は言えるはずだし、言う義務がある。その目標に対して適切な人選をした上で、長期目標に沿ったその時点での達成目標を与える役割を担っている。今大会でいえば、それがベスト4であるはずはないでしょう(だって次の大会ベスト8が長期目標なんだから)。でも今の指揮官は、「とてつもなく難しい目標を、それでも達成するための解」を探すのに精一杯で、その過程で新たな才能を見出したり、大きなポテンシャルを持つ人材を組み入れられる戦術を見つけたりという、代表のスケールアップのための引き出しがあるように見えません。

だから、今回のW杯の結果より、こういう状況を生んだ、拙速なコネ人選の繰り返しを断ち切りたい(岡田さんだけじゃなく、ジーコも、オシムも含む)。そのためには・・・正直、ひどい目にあってきてもいい。協会が「やっぱり手近なところで間に合わせてはダメだ、誤魔化しはきかない」と痛切に確認するくらいに。ファンにこれだけ詰め寄られても擁護した現体制です。いよいよ結果が悪かったとき会長にも強化委員会にも逃げ場はないでしょう。たいへんな「リスク」をしょったものです。

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ちょっと追記:みんなそうでしょうが、私も、東アジア大会の結果だけを見てこのように言っているつもりはありません。岡田氏の起用には最初から反対だし、どの時点でも更迭するというなら賛成でした。かつて「日本はアジアのトップになった」と思った時期がありました。そこから凋落は始まっていたのでしょう。今回、結局たまたまそれなりの結果が出るかもしれない。でも、それでこの6年以上にわたる後退から目をそらさないでほしいものです。「一流の監督はお金がかかって・・・」なんて交渉もしないうちから言うなんて、「ごめんなさい2005年宣言は本気じゃありませんでした。撤回します」と言うに等しいように聞こえる。このままなら、私は日本代表への興味を失いそうです。だからといってサッカーを見る楽しみはちっとも減らないので、いいのですが。

読書録 『アメリカのベジタリアンはなぜ太っているのか』

2010年02月17日 | 
今日から、たまに、読書録を記していこうと思います。とはいえ、ほとんど本を読む時間はないので、取り上げる本が教科書だったりする予定ですが。誰のためにもならない、単なる個人の覚え書きです。

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で、最初の本は教科書ではなく、それも日本の出版物。日本人の子供たちの週末日本語教室の書庫の整理であふれたものの一部です。もちろん子ども用ではなく、親が置いていったんでしょう。タイトルに惹かれてもらってきました。というのは、本当に太ったベジタリアンが身近にいるから。

内容はというと、アメリカの在住暦のあるジャーナリストが、アメリカかかえるさまざまな矛盾を取り上げ、取材を交えて考察したもの。「クリスチャンなのに離婚が多い」とか「豊かなのに格差社会」とか、まあ、もっともなんだけど、なんか食い足りない。生活していて確かに感ずる点も多々あるだけに、どういう背景なり、歴史的推移なりのせいで、こうなってるのか、という分析を期待してたんだけど、そこまで深く切り込まれることはなくて、たとえば「自己の自由と権利ばかりを主張するから」なんて、どの国のどの人にも当てはまりそうな結論出されても、肩透かしを食わされた気分。

気になったのが、男女平等について。社会的に高い地位にいる女性の割合がまだまだ低いのはそうなんでしょうが、だから「男性優位社会だ」という見方でいい? 社会的地位だけが、優位性の尺度なのか、また、それは、筆者が示唆するように全て男性側のコントロールによるものなのか。映画「Gran Torino」に、「女の子は、アメリカ社会に適応してカレッジに行ったりもできるけど、男の子は、することを見いだせなくて牢獄に行くの」という台詞があったけど、こっちにこそむしろ、移民以外にも当てはまるアメリカ社会のある側面が的確に捉えられてる気がする。自分自身でも、女性に人前でぶち切れられたり、説教されたりして、シュンとなる男性を見たことも数々。日本の男もかなり生きにくいと思うけど、アメリカはその比じゃないなと。これで、男性優位だ、なんて言われたら気の毒というのが生活実感なんだけど。アメリカに15年もいたという筆者は、こういう点には目を向けなかったんだろうか。

なんか、えらく悪口になってしまいましたが、各章の切り口が面白いだけに、期待しすぎてしまうところがあるかと。表紙に英語で「Why is the vegetarian in America fat?」と書いてあるので、学校に持っていくのは危険。家で一気に読みました。

確率のモンダイ

2010年02月11日 | Bloomingtonにて
新学期始まってひと月。忙しいし、目新しいこともないので何にも書かなかったんですが、最近の様子でも、なんとなく。

この不況でインディアナ大も州の予算が削減されたのをうけ、大幅な予算カット。教員の給与削減とか、大学院生のTA枠の縮小とか、さまざまな影響があるようです。幸い、今学期は統計学科のTAに雇ってもらえました。Introduction to statisticsという大学院の授業で、扱うのはせいぜい分散分析までだけど、確率論などを正面から深く扱うので勉強になる。過去に覚えたことが、「そういうことだったか」と、初めてつながったことも多々。

また、Math and Logic for Cognitive Scienceという授業を聴講していて、こっちも確率モデルをあれこれ(ベイジアンネットとか、エントロピーとか、今やってるのは隠れマルコフモデル)。難しくて頭が吹っ飛びそうだけど面白い。この両方が少しずつ重なった内容を扱うので、ちょっと助かる。TAの仕事も宿題の採点なので、頭の中は確率だらけ。

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小田嶋隆さんの朝青龍引退に関するコラムを読んでいると、気にかかる一節が。

  「……まさか、仏壇買おうとか思ってないか?」
  「……いや、今のところは考えてないけど……」
     (中略)
  「だってお前、死んだらやっぱり誰かに線香あげて貰わないと
   しょうがないわけだろ?」
  「大丈夫だよ。お前が死ぬ頃にはデジタルの線香が発明されてるから」

うちの娘の誕生は、子がいない伯母も大喜びで、会うたびに「お墓を頼んだよ」と言います。上のコラムの一節もそうですが、こうやって死後のことを気にかける話をきくたび、不思議な気持ちになります。

授業でも出てきた確率計算を利用してちょっと考えてみました。わりと新しい国の統計によると、2000年(でももう10年前)で、40代以上の独身家庭が16.8%だそう。このまま生涯独身で終わる確率が、少なく見積もって10%だとします。さらに、同じ統計で、妻が40~49歳で、子のいない家庭が9.9%。これも控え目に、最終的に子がないままの確率を5%とする。うちの両親には、孫がうちの娘一人だけ。今後増えることもないでしょう。そんなところもいくらでもあろうし、ホントは生涯独身率ももっと上がってるだろうから、ある代で「家」が途絶える可能性はもっと高いかもしれないけど、それはとりあえず計算に入れないとして・・・

その代で途絶える確率が、生涯独身率の10%、さらに残りの90%のうち、子を残さないで終わる夫婦が5%だから、0.9×0.05で、4.5%。「家がn代続く確率=家が途絶えないでn代過ぎる確率」は、家が途絶える「10+4.5=14.5%」の補集合の確率、すなわち「家の存続率」100-14.5=86.5%のn乗になる(んだと思う)。つまり、

n代続く確率 = 0.865^n

この控え目な推定でも、5代続く確率(6代目で断絶する確率)が0.865の5乗で、0.484。早くも50%を切る。10代続く確率が約23%、20代になると、もう5%ちょっと。さらにいえば、nがどんどん大きくなれば、確率は最終的に0に収束する。まあそもそも、日本とか世界がずっと存在するわけないけど。私も仏壇に花を添えたり、墓参をしたりしますが、ホントの所は、生きている人たちに喜んでもらおうと思ってるだけだったりして。。。

世は移ろい、「デジタルの線香」が、子孫のいなくなった人の仏壇に、予めプログラムされたタイミングで灯る日が来るかも。でも、誰のために? こんなふうにモノを見る癖がつくと、しばしば実も蓋もない結論に至ってしまいます。「ということで、お墓の面倒を見てもらえるようになんて考えてもしょうがないんだよ~」と言うと、ニョーボは「人は確率なんかでこんなことについて考えないよ」。

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写真はボルティモアの港。Subwayの看板の上にあるのは飾りじゃなくて、ホンモノの鳥(カモメ?)です。