時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

ふたたび西条・小松へ

2015年02月28日 | フィールドワークから
きのうは、去年9月に訪れた、西条、小松地区へ。そのとき気になったことがあったので、もうお一方、旧石鎚村出身の人にあっていただけるよう、お願いしてありました。結果、その方にも問題の特徴がみられ、個人的なものではない可能性が高まりました。

旧石鎚村は、住みつづけてきたさいごのお一人が、この冬、山をおりたあと、もう戻らないことにしたそうで、ついに無人に。今回お会いできた方は、昭和48年に小松町に移住したときが37歳、すでにこちらでの生活の方が長くなりました。それでも地域固有の特徴(?)を残しているのは、アクセントとはそういうもんだ、という以外に、集団移住した「石鎚団地」で暮らしてきた、ということもあるのかもしれません(前回もリンクしたこちら参照)。今回も教えていただけた前回の方とも「以前のご近所さんとあって話すのがいちばん落ち着くなあ」と話し合ってらっしゃいました。この村の事情をさらに知りたくなったので、郷土史研究家である館長に相談すると、小松温芳図書館の学芸員の方を紹介してくださいました。活字化されていない郷土史書があるそうで、近いうちに再訪して見せていただくことにしました。



終了後、伊予小松駅前のMARUBUNへ。前回来たとき気になったのですが、松山を中心に8店舗を展開するレストランで、ここが本店。入ってみると、大繁盛。世話をしてくれたオネエサマが、大きな荷物をみて「電車大丈夫ですか?」。状況を話すと、早めにサーブするよう取りはからってくださいました。伝票には「1時の電車」(赤の下線で強調)とありました。ということで無事、13:01の予讃線で帰途に。愛媛はもうポカポカで、「春になったんだ~」と思っていましたが、名古屋に戻ってみるとぐっと寒く、春はまだもうちょっと先、というかんじ。


今回はここでおしまい。得られた知見そのものもさることながら、鵜島、小松(石鎚)と、また訪れるべきところができたのが、大きな財産でした。

大島・宮窪地区

2015年02月26日 | フィールドワークから

昨日に引き続き、やはり今治市所属の、大島・宮窪地区へ。大島は御影石の産地として有名だということを今回、知りましたが(そんなことばっかりですが)、今治市宮窪支所、元宮窪町役場の前の「閉町祈念碑」もそう?(見ても分からない)。町としての歴史を終えるにあたって作った記念碑を見たのは初めて(ググってみたところ珍しくないようですが)。複雑な想いがこめられている気がしました。昨日の鵜島から、海を隔てて1Kmあるかないか。だけどアクセント体系ははっきりと違う。下の写真は、鵜島への渡船が出る宮窪港から振り返って撮ったものですが、奥の山の一部がすっかり削り取られていて、映っているところから下もずっと穴状に掘られているそうです。



「一人ずつはちょっと...」と、お三方同時の面会だったので、コーパスに沿った調査を全員にやるのはあきらめ、お二人にマイクを装着していただいて、会話を録音。今回のために買い足したヘッドセットマイクを使って、LRチャンネルに分離して録音。いろいろな話を聞かせていただきました。採石は死亡事故も珍しくない危険な仕事で、ほぼ男性のみの仕事だったそうですが、最近は男性に混じって働く女性も若干いるそう。「しまなみ海道」のおかげで、今日は今治駅前からバス一本、32分での到着でしたが、話者のみなさんの若いころは、島を出る交通手段は宮窪港からの船で、主な行き先は今治(四国本土)、行き帰りは、早くても丸一日がかり。大島内で山を隔てた吉海町とのつながりは、深くなかったそうです(吉海でも同じ情報→こちら)。でも、アクセントはほぼ同じなもよう。。。

鵜島へ

2015年02月25日 | フィールドワークから
今日は、今治市の鵜島へ。大島と伯方島の間、現在16戸、27人、60代前半のお二人がもっとも若い、という小さな島。でも、私たちの調査にとってたいへん重要な島ということになりそう。島の生活や、その移り変わりも含めて、お三方に2時間じっくり教えていただき、感激でした。


小さな港にはあひるが5羽。調査のお世話をくださった区長さんたちがめんどうをみているそう。



大島~鵜島~伯方島を往復するフェリーの待合所が、土日と祭日だけオープンするカフェになっていて、お客はほぼ島民、値段も(島民は)半額にしているんだけれど、なんとか採算がとれているそうです。再訪の必要ありなので、こんどは週末に。


新居浜で調査

2015年02月25日 | フィールドワークから
月曜日から、愛媛東部に来ています。スタートは新居浜市泉川地区。会場の泉川公民館へむかう途中、写真の看板を発見。よくあることですが、赤の文字が先に消えて、伏せ字だらけ。調査に応じてくださったお二方はたいへんよくしてくださり、調査終了後は、ホテルまでわざわざ車で送ってくださいました。



こちらの不備で、確認したいことの結論が下せなかったので、調査のなかった昨日は、調査コーパスの改訂作業。ホテルから出る時間になったので、近くのカフェに行きましたが、しゃれたインテリアに、「オリエンタルカレー」等の古い看板、と不思議な空間(Webpage)。写真右奥に顔だけ見えるペコちゃんは、セーラー服姿。あとからやってきたオネエサマ達が、毒を吐きまくっていて、圧倒されましたが、落ち着いて作業を終了。ここまでの東予の調査で耳に残ったのが、「××しょーわい」「いんでこーわい」のような「わい」という文末形式ですが、ばんばん使ってました(引用形式が多かったが)。