時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

冬景色1

2007年02月07日 | Bloomingtonにて
今日撮った写真をいくつかアップロードします。

まず、今日11時ごろ、雪が降り出した時点。写っているのが、きのう数人の学生がアイスホッケーをしてた池です。

こんな小さいところで、本当にスティック持ち出してきてやってました。かなりアホです。格好は普段着だったので、パックは打ってないと思います。

冬景色2

2007年02月07日 | Bloomingtonにて
その後、この冬初めての本格的な雪になりました。 図書館で粘って勉強していたのですが、交通が麻痺する前に帰らないとやばそうなので、帰途に。この寒さでは路面の雪も簡単には融けないので、バスものろのろ運転、ちょっと時間がかかりました。早めに切り上げて正解。

うちのアパートの正面にも、「池」(だからFountain Parkという名前)があるんですが、完全に凍って、さらに雪が積もってます。池があるんですけど、どこかわかんないですね。このあいだ氷の上で写真取ってる男性2人を見ました。もう上を大人が歩いても割れないようです。

冬景色3

2007年02月07日 | Bloomingtonにて
雪の量はまだたいした事がありません。3時半、4時間ほど降った時点で5、6センチでしょうか。気温が低いのでさらさら。

雪が降るということはちょっと暖かくなるということで、朝の気温は-14℃くらいでしたが、今は-8℃。ちょっと身体はラクです。私のアパートの脇からクロスカントリーコース方面を眺めた景色。「出口なし」か・・・

冬仕様

2007年02月07日 | Bloomingtonにて
写真は寒さ&雪対策で買っておいた靴。おしゃれが充実した国ではないと思いますが、こういうアウトドア関連は充実してる気がします。けっこうな出費だったのですが、防水・防寒とも完ぺき。

雪は夜まで降り続くという予報。夕方の授業はキャンセルされるかも(私は今日は午前で終わり)。言語学科の事務所も「天候が悪いので2:30で閉めます」とメールを回してきました。これが毎日続いては辛いですが、まあ冬はこうでなくちゃ、という気もします。

東北に調査に行くのは2~3月が多かったのですが、秋田の、海から離れた地域の降雪は、Bloomingtonの比ではありません。金沢にも住んだ事があるのでこの程度の雪はどうということはありませんが、暮らすとなると、東京より寒いところに住んだことはなく、こんな気温の低いところは初めてです。寒いところに適応したモンゴロイドの系統、適応できるはず(蒙古班残ってます)。でも、別ルートで適応したヨーロッパ系のコーカソイドさんたちの寒さへの強さには脱帽です。

We are the champion!! of the ...

2007年02月06日 | Bloomingtonにて
Indianapolis Colts、Super Bowl勝ったらしいですね。私は4Qをちょっとだけ見て「ありゃ、勝つよ」と思って観戦終わり、でしたが。今シーズンたまーに試合を見て、「まあまあ強いんだな」とは思ってましたが、チャンピオンになるとは。

その後ちょっとTVをつけてみると、試合終了後も同チャンネルで延々特番。パブで、街で、バカ騒ぎをする連中。何故かQueenのWe will rock you.大合唱。面白かったのは、オーナーのインタビュー。「ファンの人たちありがとう。World Championになれてうれしいです(涙目)」。その後も別の中継地からレポーターが「今夜こそ、Indianapolis市民は、われわれがWorld Championだと胸を張れます!」。「We ・ Are ・the ・World Champion」としっかりためて言ってました。

出た、USA=World。国内チャンピオンですけど・・・ まあなにしろ36年ぶり。IN は地味な州だから、あんまり自慢するものもないだろうし。州いちばんの有名人マイケルジャクソンも今や「全米アホNo.1」扱いだし、IN。。。 よかったよかった。

一夜明けて今日は今年一番の冷え込み、出かけたとき(7:40)は-17℃。学校の池でアイスホッケーしてたのには笑いました。かなりぶ厚くガチガチに凍ってるらしいです。さすがに「見た?」と数人に聞かれましたが、とくに騒ぎはなし。自分が接する大学院生たちは州外の出身者(留学生も)が多いので、当然かもしれません。

イタリアサッカー死亡事故についてパオロ・マルディーニの発言が新たに伝えられてきました。
「サッカーだけに責任を押し付けるのは問題の矮小(わいしょう)化につながってしまうように思える。(中略)多くの場合、緊迫した雰囲気が生まれるのは試合そのものが原因ではなく、社会の窮屈さによるものだ。」
全面的に正しいとは限らないでしょうが、ある側面を的確に言い当てているように思います。

サウジのMajdiと、今日の授業前この話になり、「日本の運営はどうなの?」と聞かれました。「最高だよ、世界で一番安全なんじゃないかな」と答えました。スタジアムも社会を映すのだとすれば、そう言える状況が続いてほしいものですが。。。

スポーツが、好き・・・

2007年02月05日 | Bloomingtonにて
朝、起きてすぐ体温を測る習慣がつきました。もう1年以上。意外なことに36.5℃を最頻値にやや左に歪んだきれいな分布。非常に安定。

ベッドに入ったまま測定するので、再び寝入ってしまわないよう、一日のうちそのときだけ、3分くらいTVをつけます。見るのはニュースショーですが、最近の話題はスーパーボウル。地元のColtsが登場ということでおおはしゃぎ。何日も前からスタジオにカウントダウン電光掲示。まだなーんにもやってないマイアミからそれでも中継、マイアミへ向かう人たちをIndyの空港から中継。。。(日本のTVみたい)

昨日スーパーに行ったときも、レジで私の次に並んだおばちゃんが買っていたケーキは、「スーパーボウルスペシャル」。Coltsのチームフラッグの模様のデコレーション乗ってました。Ericが私に引き継いだ音声学実習のwebsite管理者パスワードも「くたばれPurdue」みたいな意味。彼はカレッジバスケットボールの大ファンですが、IUとPurdue大学がライバルなんでしょう。ここまで見てきたアメリカ人の地域間の対抗意識は屈託なくかつ露骨。

ところで、先日のサッカーイタリアリーグにおける暴力事件は、スポーツにとってSuper Bowl~!!!よりはるかに重大なニュースだと思います。2004年の冬イタリアに行き、ブレシアという北部の地方都市で一試合見たのですが、スタジアムは古くスタンドは金属パイプで支えた粗雑な造り、ブーイングのたびに座席の下の薄い金属板を観客がかかとで蹴っ飛ばしてすごい騒音。観客は95%以上男(写真をご参照ください)。発炎筒は当たり前。やばい雰囲気。治安を含め観戦の環境整備がなっておらず、改善の努力も皆無、という指摘は前からありました。去年の八百長問題も含め、放置されてきた問題がついに爆発した体。

私はスポーツ、とりわけサッカーのファンではありますが、商業主義と腐敗、選手の売買に群がる金の亡者、同業者の選手生命を奪うことも厭わない暴力的なプレー、スタジアム内外の暴力など、嫌いな部分も多々あります。今はプラスの部分が勝っているのでまだ見て(それによってわずかながらも支持して)いますが、マイナスの部分が勝ると思ったら、捨てることに躊躇はしないつもりです。スポーツには功罪があり、スポーツが救う人々もいる。スポーツから「ならず者」を追い出しても、消えるわけではなく他に行くだけでしょうから、それで事足れりとしてはいけませんが。ともあれ、好きだったスポーツがだんだん素直に好きと言えなくなってきていることは残念です。

ちょっと怖い雰囲気だった上記の試合、現役最後の年のロベルト・バッジョが見られるという幸運に恵まれました。力みのない華麗な動き。ライン際まで切り込んで味方に戻したアシストは絶妙。結局2得点1アシスト。でも、審判への抗議はほんとに執拗でした。

Yin&Yangは知ってるが「陰陽師」はわからん

2007年02月04日 | 
昨日のPort先生の発表前に、たまたま友人(日本人)が持ってきていたDVD『陰陽師』について学生数人で話になりました。アメリカ人のNathanがタイトルを見て「漢字だね?」。彼は日本のゲームが好き、日本語も学習経験あり(クリスチャンです)。で、読み方を教えたあと、「陰陽師は何をする人か」解説を試みました。

私の説明は、「基本的には予言者(prophetsを使用)。でも悪い霊的存在を、彼の霊的能力を使って倒す役割もある」。Evil spiritという表現を使ったのですが、「何それ?」というので、「古代日本人の迷信上の存在で、現実の人間に悪さをするんだ」。友人にも同意が得られたので、おおよそあってるとは思いますが。

通じませんでした。最初は全く理解不能、繰り返しもっと丁寧に説明して、こっちの言いたいことがかなり分かってきた段階でも、やはり首をひねっています。私の英語の説明が完全だとは思いませんが、英語の問題というより、そういう事態が理解を超えているという様子です。漢字自体が好きな彼に「ともあれ『陰陽』という漢字の意味はYin&Yangだよ」というと、英語に借用されているのでこれはすっと理解。それでも、陰陽師の解説は最後まで腑に落ちなかったみたい。

不思議でした。「悪魔祓いみたいなもんだよ」と言えば通じたのでしょうか? それとも、唯一絶対神を信仰する彼らにとっては、他の文化にもパラレルな存在があるなどということは理解不可能なのでしょうか。文化的背景の違いが大きく現れた場面だったと思います。(やっぱり説明が悪かったか・・・)

実は「Ghost Bustersみたいなもん」って説明も頭をよぎったんですが、「ともかく理解してもらおう」と強引に結びつけた結果、イロモンのように理解されてはアジア文化に申し訳ないと、思い止まりました。

IU言語学コミュニティの住人

2007年02月03日 | Indiana大学
また一週間を乗り切れました。今学期はもう毎週ぎりぎりの勝負です。一週でも手を抜くと成績もまともにならないので、プレッシャーかかってます。

ついにというかやっとというか、冬らしい寒さがこのアメリカ中部にやってきました。画像はふだん見ているWundergroundというサイトの気象データ。現在の気温は –14℃。華氏(F)で一ケタ台の気温ってのはさすがにインパクトあります。今後数日こういう天気が続くらしい。冬はたまに – 20℃位になると聞いてましたが、ついに経験することに。で、さっき、夜8時台に外で走ってきました。

金曜日の授業は昼過ぎで終わるのですが、その後プロジェクトグループのミーティング、Working Paper in Linguisticsの編集会議、言語学科の研究発表会だのあって帰りが遅くなりました。授業準備・採点・宿題ともに多い上、会議、新教員採用のための発表など余分な行事も多く、時間が非常にきついので、逃げたかったのですが、発表者はBob Port先生。さすがに今組んでいる人なので、顔出したほうがいいかと。

内容は昨年のLanguageに載った論文の続き。「現在の音韻論で扱われている「音素」のような抽象的・離散的な単位は、認知・心理レベルで記憶・操作されている単位としては不十分で、実在する根拠がない」という主張です。言語学者が主な聴衆のせいか反対意見や疑問が多数。Keith Johnsonさん他が主張する「話者の声質や個人情報なども含んだ詳細な情報が認知・記憶されている」という点はいいのですが、じゃあ「抽象的な単位が本当に不要か」というところはまだ十分に説得力のある根拠を提出するには至っていない感がありました。

わたしは詳細(連続的)・抽象(離散的)レベルの表象単位、どっちも心理的実在性があると考えたほうがいいだろうと思います。後者だけではダメなのはもう明らかで、音声実質やバリエーションをまともに検討しない、離散的なシンボル操作・分析だけの音韻論は終わるべきだと個人的には思いますが。

終了後は昼の残りのベーグルを食べながら、学生仲間であれこれ雑談。そこで友人がBeckwithという先生を紹介してくれました。IUには「中央ユーラシア研究(Central Eurasian Studies)」という珍しい学科があるのですが、そこで日本語や高句麗の言語の歴史を研究している方だそうです。彼の高句麗の言語資料などに基づいた研究によると、高句麗・任那・新羅などの言語はおそらく日本語と同系統で、韓半島が後にやってきた現在の朝鮮語系の言語で塗りつぶされるとともに姿を消したのだ、という考え。だから日本語は、琉球を除いて同系統語を持たぬ準孤立語なのだとか。言語学科だけでなく、英語学科、スペイン語学科などの言語学系の人、認知科学、心理学の人なども来るので、IU全体の言語学関連人口はけっこう多い。今日も院生・教員など50人近く集まったでしょうか。まだまだいろんな人と出会うチャンスがあるようです。

-12℃の中を走ってみたところ、たしかに寒い。ひんやりとして、冷凍庫の中にいる感じ。でも風も強くないし、しっかり防寒をしていれば問題なく走れます。明日は-16℃まで行くらしいのですが、プログラミングの宿題が出ているので、図書館でみっちり取り組まねばなりません。さすがに「外に出たら凍死する!」と思うほどになるのかどうか、いまのところ、何とかなりそうな気がしてます。