時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

帰国前日1

2006年06月30日 | Indiana大学
ついにあす帰国となりました。準備もほぼ終わり。

現在学生が少ないのを利用して、キャンパス周辺のあちこちで工事。
この10th Streetもずっと片側通行。道の真ん中にでっかいブロックを敷いて、完全封鎖。バスも西へ向かって走るときには迂回します。

帰国前日2

2006年06月30日 | Indiana大学
工事は何をやっているかというと、どうやら古い学生寮をぶっ壊している模様。ここは、Forey Hallという建物。瓦礫の山となりました。IUの卒業生の方で、「かつて俺が過ごしたところが消えてしまった~」とお嘆きの方もいるかもしれません。

奥に見えるのはEigenmannという寮です。

帰国前日3

2006年06月30日 | Indiana大学
図書館に行ってみると、ここでもPCの入れ替え。だいぶんスピード低下が目立っていたPCを、新しいものに総入れ替えするようです。契約しているらしく、またDell。ところによってはすでにこの新しいマシンが入っていますが、けっこう速くて快適です。

今日はPhonology Festにちょっとだけ顔を出して、Ken先生に挨拶。それからある韓国人の先生に韓国語の実験文を修正してもらいました。さらにそのあとStat/Math Centerというところへ行ってSPSSという(よく知られた)統計ソフトを購入。

このSPSSはそのときの最新バージョン(本年度は14.0.1)が学生なら$25で買えます。その代り、1年で期限切れ。使えなくなります(今回のものは来年の8月いっぱいまで)。でも、日本でも高いこのソフト、アメリカでもオプションも含めたフルセットで買うと$2,000位するようです。1/80程度の値段で使えて、また同じ値段で最新版が手に入るなら悪くない。

とくに来年度は、秋学期・春学期と連続でAdvanced Statistics in Psychology(I&II)を受講する予定。講師のKruschke先生がSPSSを購入しておくことを勧めています。学校にもあるのですが、おそらく次々出される宿題をこなすには、自分のPCに持っているほうがいいでしょう。そういう意味でも惜しくない。また、このあと日本でやるSyntaxの実験にもさっそく使用する予定、ということで、帰国前に急いで買いに行きました。

このことを先の先生に話すと、「学生なんだ、(タダの)海賊版を使ってもいいんじゃない」と言います。彼には韓国での調査のことも話をしていたのですが、宿泊場所の話になりました。そこで「モーテルかなんかに泊まります」「高いだろう」というやり取りがあり、私は「いえ、まあ日本の水準じゃあ安いですよ」と言ったのですが、すると彼はこう諭してくれました。

「日本人の水準で考えてはいけない。今きみはアメリカにいる貧乏な学生なんだ。お金は大事にしなさい」

おっしゃる通り、日本の水準の給料がもらえているわけでなし、「日本の水準で考えれば安い」など、思い上がった失礼な発言だったかもしれません。発想を変えるべきでした。ありがたい助言です。いちおう自分の知的所有権を主張する可能性もある人間の端くれとして、SPSSのライセンスを侵すのはやめて購入しましたが、韓国ではできるだけ安い宿泊方法を考えようと思います。

たまたま読んでいてくださった方、ありがとうございました。またできれば日本で記事を書きたいと思います。まずは久しぶりの時差克服からスタートです。

一年目を振り返る 番外編

2006年06月29日 | Indiana大学
こちらに来て一年目に主に一緒に仕事をしたのは、韓国の学生でした。韓国語を研究対象言語に考えていた、ということが大きいのですが、同時に「ともかく大勢いる」ということもあります。そうして関わっていると、韓国人の留学生としてここにいることと、日本人留学生との違いを感ずることがしばしばありました。

日本に帰ったら、7月の2週目に韓国に行ってフィールドワークをやりますが、その準備のため、共同研究をしている韓国の学生二人と仕事をしていたときのことです。午前中から仕事を開始、12時近くになり、ちょっと席を外して戻ってきた彼らは「先輩がお昼を食べに行こうって言ってる。ごめんね。一時間で戻ってくるから。」と言う。で、「分かった、ここで続きをやってるよ」と送り出しました。「先輩の誘いだから、断りにくいんだ」とのこと。

授業の宿題やら何やら片付けながら待っていたのですが、ちっとも現れません。私もおなかが空いてきたし、冷房も効きすぎて寒いし、その日はW杯のアルゼンチンvs.コートジボワールという魅力的なカードがあったので、見たかった(そこまでに仕事は終わるだろうと思っていた)。3時近くなっても戻らないので「ここまで待てば許してくれるだろう」と思って、置手紙をして出ました。

彼らは後でずいぶん謝っていました。「予定したすぐ近くの食堂ではなく、初めて行く遠いところに連れて行ってくれたので、時間がかかった」のだそうです。先輩に連れて行ってもらって「仕事がある。一緒に仕事をしている同級生も待たせているので帰ります」とは言いにくいのでしょう。約束をして一緒に仕事を始めたのに、中座して3時間待たせるとは、日本人ならちょっと考えられない気もしますが、こういういい加減さと背中合わせの、彼らの大らかさのおかげで、研究主任である自分の仕事の遅さを大目に見てもらってきていることも、逆にある。幸い宿題が完全に終わって、多少分析の続きもして次の作業方針を彼らに残せたので、まあよしとしました。サッカーも見られたし(ここまで見た中でベスト!)。

それでも思うのは、このように「図書館で仕事をしていると、そこに誰かしら先輩がいて、その誘いがあると断りにくい」という状況は面倒そうだなあ、ということ。もちろん彼らはそういうネットワークの恩恵も受けている。例えば、この大学(I U Bloomington)には、彼女たち出身大学の学生の会(一大学単独の!)があって、彼女はそこのWebかなんかで募集をかけて、初年度のルームメイトを見つけたのだそうです。ここでわれわれの実験のパイロットテストが順調にこなせたのも、そういうネットワークのおかげ。

韓国人留学生の話では、韓国人社会ではある程度のレベルの職に就こうと思ったら留学による学位が当たり前とのこと。だから、多くの人が来るし、いろんなタイプの人が来る。そのせいでしょうか、彼らは「アメリカにいても韓国人社会の中で生きている」という感じがします。どこに行っても同国人に会う、同国人の目を気にしている、何をやっているかという情報も、すぐに回るらしい。一方、日本人同士の、とくに大学院生のつながりは概して薄いようで、そのせいか、私は自分が日本で出た大学の出身者は、今のところ一人も知りません。お互い関心度も低い。たまに会って「ああ、元気ですか? 何してるんです最近~」みたいな感じ。それは気楽でもあって、私はその距離感が嫌いでない。

一年間、日本人は教室に自分一人という状況でやってきましたが、留学してるんだし、そのほうが英語の勉強になるし、どうということはありません。日本人の先輩に助けてもらったこともいろいろとありましたが、できる限りは自力で生活を整えてきたつもりです。自国にいてもそれなりの職にありつけることの多い日本人で、わざわざこんなところまで来る人は、私のように「日本じゃないところに来たのにまた日本人コミュニティにがっちり組み込まれるのはうっとうしいし、つまんない」という傾向の人が多いかも(私はたんなるはぐれ者ですが)。

(でも、先日の引越しのときは、日本人お二人にたいへんお世話になりました。それに、日本語の実験では皆さんにお世話になってます。感謝!!!)

以上は、たんなる「違い」ですが、「困るな」と思うこともありました。先日、ある方のお宅でお昼を食べながらW杯を見よう、という集まりがありました。韓国の学生も二人来ていて、ビールまで出していただきました。酒に弱いし、あまり好きでない私は、乾杯だけ付き合ったのですが、一人の韓国人女性が「Kenji~なによ~、がっかりよ~」と強引に飲ませようとするのです(がっかり、って・・・)。「このあと実験がある」と言っても(本当でした)許してくれず、注がれるし、飲み干すまで許してくれませんでした。お酒を無理にでも進める文化は日本にもありますが、私は嫌い。「あなた方は、ここでも韓国人社会の中にいるのかも知れないが、ここはアメリカで、私は韓国人じゃないのですよ。」と言いたい。ここでも自分たちの社会・文化の中に生きるのは構いませんが、違う社会背景をもつ人のことは、尊重してほしい。この件に限らず、そのことを忘れがちな傾向が、なくもない気がします。

夏に韓国に行くことにもなるし、今後も自分のフィールドとするつもりですが、仲良くなりたければ、ぐでんぐでんになるまで飲め、という文化に付き合えといわれるのは勘弁してほしい。こういうような食い違いのせいで仕事に支障が出てくるのは避けたいので、なんとか、上手くやりたいものです。

写真は今日買ってきた、保存食料。一ヶ月離れるので、計画的に冷蔵庫の生ものは使い果たしました。これは8月に帰ってきたときの、当座の食べ物。一つは台湾のチキンラーメンもどき、$0.69。あとの二つが韓国のものです。日本でも売っている「辛ラーメン」が$0.79、チャジャンミョンが$1.19です。こんなものがこの安さで当たり前に手に入るのは、韓国人がたくさんいる恩恵です。

一年目を振り返る 後編

2006年06月28日 | 
去年の8月16日にここにきて、10ヶ月ちょっと。あと3日でいったん日本へ帰ります。先日に引き続き、ちょっと意外だったこと、思った以上だったことを中心に一年目を振り返ります。

5. 思ったより仕事ができた

授業だけで手一杯かと思っていたら、一年目からやろうと思えば学会に出ることもできるし、論文を書くこともできるらしい。というか、学位を取った先があるのだから、そういう気合でやったほうがいいらしい。先生方もプッシュしてくれます。その代わり学期と学期の間も休憩はできません。まあ、仕事と同じですから、それで文句はないです。2年目の以降の学生に話を聞くと、多くはこの夏一度も帰国せず、あるいは郷里に帰らず、学会に出たり、論文を書いたり。ということで、それが当たり前みたいです。

6. 孤独だ

授業のあるうちはまあ、人と会うのですが、休暇になればみんないなくなる。先生も休暇を取ってどこかにいっちゃう。私はもともとひきこもりタイプですが、他にも「最近ひきこもり状態で」といっている日本人は少なくない。「アメリカ人はフレンドリー」ってのはある種正しいかもしれません(愛想はいい、確かに)が、実際には少なくともここにいるアメリカ人は知らない人には絶対話しかけない、そういう意味では一般的な傾向としては決してオープンな人たちではない。

行動範囲も車がなければやっぱり狭くなる。単調な生活、話す人もなく、ひたすら勉強という状態に陥って、業績や成績(ひいては資金繰り)のプレッシャーもかかる。学業よりむしろ精神的なバランスを維持するほうが難しいかも。私はジョギングを気晴らしにしました。クロスカントリーコースが目の前のこの場所からは離れ難い。

7. 幸運だった

指導教員が学問的にも頼りになるのですが、そもそもに実に「いい人」でした。彼を直接知っている人が異口同音にそう言っていたのですが、そのとおり。その点、非常に恵まれていると思います。やっぱり苦しいことが多いだろうと予想していましたが、ここまでは拍子抜けするほど苦労は少ないです。私は幸い彼に2004年に直接会って話ができたので、会ってみないと分からない、という状態ではありませんでした。指導教員との関係は最重要なことなので、留学を考える方はできる限り直接コンタクトを取ってみることをお奨めします。

8. 環境意識は低い

ゴミ、分別全くしません。ビン・カンをどう捨てたらよいか分からず、聞いてみると「よほど大きい? 家具とか? じゃなければ普通に捨てて」。車は整備不良、中古車には環境規制が適用されないとか。冷房はシーズンになると常にガンガン。外は30℃なのに相変わらず裏地の入ったブルゾン着て、「う~風邪ひきたくない~」と震えながら図書館で勉強してます(SPSS、Matlabなどの高いソフトがそこにしかないから仕方がない)。京都議定書、踏みにじるよなそりゃ。でも、環境学科(SPEA)はアメリカでも指折り。この理論と実践の大きなギャップは日本の非じゃない。

9.文具がだめ 

細かいことですが、学生やってるので重要。でかいだけでデザインや機能の工夫がないものが多いし、重い。高い。日本はすばらしい。料理器具はバラエティもあってデザインも機能もよさそうなのに。分からん。韓国のものも安くて品質もいいので、行ったら買いだめする予定です。

1年目、やっと終わったかという感想。ぐっっったり。。。ここを離れるのは一ヶ月だけ、そのうちの一週間は韓国、ということで慌しくはありますが、とりあえず一区切り付けられて、うれしい限りです。写真はこの週末に引っ越したアパートの窓からの眺め。見えているのがクロカンコースです。

先祖がえり?

2006年06月24日 | Indiana大学
Phonology Festで参加した、John McCarthy、Arto Attilaさんの講義の感想を書きます。まず前者の率直な感想は「結局OTはうまくいかなかったんだ」。具体的には、不透明性(*1)Opacityを解決するのをついにあきらめ、一度は捨てた派生(*2)の必要性を完全に認めるに至ったらしい、ということ。(参考までに、注をつけます。めちゃくちゃじゃないといいのですが)

*1 Opacity=出力そのものからは入力からの変容/または変容が起こっていないことの原因が見えないこと)
*2 Darivation=出力から入力至る過程

McCarthyさんのその試み、OT-CCは今年のうちに出版される予定だそうです。重要な変更は「入力と出力の間を結ぶChainの候補をGenが生成し、正しいものをEvalで選ぶことで、不透明な出力が正しく選ばれるようにしよう。正しいChain(すなわち正しい派生過程)を保証する制約(PREC)を使おう」というもの。いくつかのChain、すなわちいくつかの派生過程を考える点で、既にOTのアイデアの中核は捨てられています。

このPREC(*3)はFaithfulnessのみにかかわるもので、派生過程(Chain)で、入力からの逸脱(Unfaithfulな変容)が、ある順番で進まなければいけない、というものだそうです。既に長年Syntaxで検討されていたアイデアだ、と同級生が指摘。たしかに、move-α(移動)は必要があるときだけせよ。移動は痕跡(t)を残し、移動した先とのChainが適切でなくてはならない、という考え方と同じ。Syntaxでは、じゃあどういうChainが「適切」なのか、細かく検討されてきた経緯があります。さて、音韻論はどうか。

*3 Precedenceだと思う

私の理解による音韻論の「制約」とは、音韻部門で、なんらかの意味で「望ましくないことが起こる」ことに対する制約です。たとえば、「Parse(入力が出力に出てこない)」とか「No-Coda(閉音節)」とか。でも(PREC(X, Y))=(派生の過程で、Xという入力からの逸脱が、Yという逸脱よりも先にで起こること)には、それ自体で何か本質的に「望ましくない」ものがあるとはどうも見えない。別の派生をする言語だったら、逆の順番が「望ましくない」ことになることがありうる。たんに正しい出力を保証するための仕掛けにしか見えない。

で、思い切ってご本人に聞いてみました。私の質問は、いわばPRECという制約のground(根拠)は何なのか、というものでしたが、「正しい出力を得る、ということだ。groundがない制約もある」という答えで、正直あまり感心はしません。もっとも「その言語の歴史変化や語彙構造の反映でもある形態論上の構造に矛盾する」という「望ましくなさ」もあるのかもしれません。

McCarthyさんはわがIUのDinnsen先生、Ashleyの音韻習得の研究も傍証として取り上げました。それら総合すると、PRECなりOT-CCは「語彙的な対立が保持されなくてはまずい」というgroundを持つのかもしれない、という印象を持ちました。どこまで本気で聞いていたか分かりませんが、McCarthyさんも「それもありうるだろう」との答え。

不透明性の説明に苦しんだ挙句、OT以前の生成音韻論にだいぶん近くなった印象。これが「らせん状の進歩」なのか、単なる「先祖がえり」なのか、ちょっと後者のようなにおいも感じ取ってしまいました。

一方のAttilaさんは、社会言語学などでずっと研究されてきた確率論的バリエーションの出現の予測をOTでやろうという試み。ある異音の組み合わせは見られるけれど、ある組み合わせはありえない、という類型論的な予測(*4)もOTで、と考えていて、これをT-orderと呼んでいました。いくつかの制約ランキングの選択肢をある語が(おそらく言語生成のときに)ランダムに選ぶと、いくつかのバリエーションの出現確率はこうなる、という予測もしてました。だからStefan Frischさんのように、制約自体を確率論的(*5)なものと考える説は採らないようです。

*4 たとえば英語の-stの縮約でcos usと母音の前でも縮約が起こるのに、cos meという子音の前の縮約は、起こらない、という言語(方言)が存在しない。
*5 stochasticの意味で使いました

これが本当なら、ランキングが違うとバリエーション出現確率がこのように変わる、という予測まで可能、はなずですが、Attilaさん曰く、実際の語彙のふるまい方は社会的要因や意味要因などの影響をうけるのでランダムではない。その要因もかかわってくるとのこと。そんなにたくさんの変数を計算に入れねばならないとなると、確率の予測が事実上不可能で、結局、離散的(*6)な制約の組み合わせで説明できるとする枠組みが正しいのかどうかを検証する方法がない、ということになってしまう。実証可能性(falsifiability)のないモデルを提唱されても、いいとも悪いともいえんなあ、という印象。

*6 discreteの意味で。確率論的に対して。

金・土のWorkshopも充実。ほとんど小規模の学会のよう。これを一大学の一学科がやるとは。Davis先生(学科長)すばらしい。写真は院生の会、Indiana University Linguistic ClubのTシャツセール。売れませんけど。私は、店番をやったので、一枚もらいました。

試合が終わったあと

2006年06月24日 | サッカー
私は試合終了後が好きです。スタジアムに見に行っても、最後まで残って選手やサポーターの姿、片付けるボランティアの姿などを見ます。ゆっくりその試合を味わう時間です。

昨日はPhonology Fest、McCarthy、Attila両講師の最終回。それから夕方まで仕事、「日本vs.ブラジル」は見ず。しかし、幸いビデオを見せてもらう機会に恵まれました。でも、ESPNは試合終了後せいぜい20秒そこそこで「Thank you for being with us」終わり。そこから視聴率がぐんぐん落ちるのでしょうから、仕方ないですけど。

さてワタクシ、予想が外れまくっております。中でも日本の躍進を予想、外れました。暑さに強い、ヨーロッパで試合に出続けた選手がほとんどいない、という理由で、コンディションがいいと予想。大はずれ。一方、当たりそうな気配なのが、「ロナウドが通算得点記録を破る」。でも、それに貢献したのは日本。まして、ヘディングがヘタクソな彼にめったにないヘディングを決められるとは(私は初めて見た)。近くにいた中沢は、競れてもいませんでしたから、それ以前に勝負がついてました。

でも、日本の動きはまあまあ、あんなもんでしょう。玉田、けっこう効いてました。囲まれながら一発で逆サイドに出した稲本のパスも、かなりのレベルでは。一方、ジュニーニョのシュートすごかった。ボールをセットできるFKならまだしも、プレイオンの状態から無回転シュート。たぶん、ボールはゆれてたと思います。川口のミスじゃないのでは。これでもロベカルにFK蹴らせ続けるのは試合を投げてるとしか思えない。

ピンポイントのヘディングを逆サイドのロナウドへ折り返し、アシストしたシシーニョ。川口の脇の下に見事にコントロールした、鋭いシュートを決めたジルベルト。ベテランに一息とか言わないで、このまま彼らを使ったほうが優勝の確率が高くなるのでは。

前半から後のことを考えずぶっとばしたこと、ブラジルが効果的にボールを回し続けたこともあり、日本の選手、最後は足が止まりました。ロナウドの4点目は久しぶりに彼らしかったけど、そのころには既に好き放題回されてました。

練習も含め毎試合鬼気迫る働きを見せた中田英選手でしたが、最後はピッチを動かなかったとか。その姿を目に焼き付けたかったのですが、残念。彼の生き方全体に興味はありませんが、競技者としての生き方には注目してきたし、教えられたことも多い。その彼がキャリア上での集大成をこんな無惨な形で終えるとは。高いレベルで戦う以上、勝ちはほとんどなく負けばかりになるのは仕方ありませんが、他人事とはいえ、傷み入る部分もあります。宮本などだけでなくアドリアーノとかが慰めていたとの報道。国際的な選手移動が盛んになって選手が仲良すぎる、という意見もあるようですが、敵・味方の壁が消えてこういうことが起こるのはとても好きです。

彼は技術的に突出しているわけではなく、一人で試合を決められるようなタイプではない。それでも選手としての姿勢では彼が「突出した存在」であることが、明らかだったと思います。それは彼の価値を確認させるものではありますが、同時に彼のような人間が「突出(=浮いた)存在」になってしまうことが、彼らのチーム、ひいてはわれわれの社会の特徴を現している、と思います。

W杯が1998年に24から32カ国へ膨張し、自国開催によるボーナスの恩恵も受け、2しかなかったのが4.5まで拡大されていたアジアの出場枠。今回いかに韓国ががんばってくれても、まちがいなく減る。オーストラリアも入ってきて、中国が伸びてくる。これで日本のW杯本大会出場は(しばらく)見納めかもしれません(FIFAはお金持ち日本には出てほしいでしょうけど)。規模拡大の恩恵を受け、経済的にも手厚くサポートを受け、脚光浴びて大舞台でブラジル相手に戦えた彼らは、やっぱり幸せな人たちです。その経験を次につなげる義務があるでしょう。「お疲れ様」ではありますが、彼らの「日本代表」としての仕事は、終わったわけではない、と思います。

彼らを「代表」と呼ぶなら、彼らの姿はわれわれの姿でもあり、彼らへの期待や失望は自分に跳ね返るのでなければいけないと思っています。こっちは彼らとは戦うレベルが比べ物にならないし、常に「予選敗退」みたいな状況ではありますが、それでも世界と伍せるようになりたいと思って日本を出たつもり。持てる力を出し切って仕事したいと思います。(写真は中央図書館のロビーから、西棟(学習スペース)の入り口を写したもの。ここで宿題やったり、待ち合わせたり、ディスカッションをしたりします)

休日 1

2006年06月21日 | 

先週末、3日の休みがあり、日曜はちょうど興味がある試合が続いたので、朝から夕方まで、W杯を3試合見続けました。最初は「日本vs.クロアチア」。行ってみると私のほかには1人だけ、だんだん増えて最後には4人。で、ついに会話が始まりました。どこの学部? どこを応援してるの? など。チュニジアから来た学生、インドの学生で別の週の大学所属なんだけどIUで6ヶ月の研修中の学生、など、留学生多し(たぶんテレビがない&サッカーが好き)。

クロアチアは8年前より弱かった。日本は(たぶん)「ちょっと」強くなった。あの時と同じような暑さの中、ほぼ互角に戦って、「あとは入れるだけ」というチャンスも二度作った。でも、勝つところまでは行かなかった。これが現状。悔しくても、こうやって進むしかない。

次に「ブラジルvs.オーストラリア」。オーストラリアがブラジルを脅かした、なんて見方もあるようですが、私は、これぞブラジルの勝ちパターンで、はっきり力の差が出た試合と見た。ブラジルは相手より力が上回っている場合でも、あっという間に、こてんぱんに叩きのめすようなことはあまりない気がする(アルゼンチンと対照的)。特に近年は、わりと僅差が多いはず。

むしろ戦い方はいわば「老獪」。隙が見つかるまでじっくりとボールを動かして攻めるので、勝負を決めるのは早くない(日本代表の戦い方じゃん! 同じようにはできてないけど)。で、点を取ったらキープ力を発揮して、ゲームを落ち着けつつゆっくり追加点を狙う。それで点を取られたら、またペースをあげる。いつでも点を取れる自信があるんでしょう。

写真はおやつに食べたもの。学生会館にあるお店で、スターバックスコーヒーが売ってます。セルフサービスで$1.50。それから、パンプキンブレッド、$0.69。倹約のためにこういう出費は避ける方針ですが、たまのささやかな贅沢。

休日 2

2006年06月21日 | 

試合と試合の間に持ってきたお弁当食べて(そこまでやるか)、最後は「韓国vs.フランス」。そのころには観客は15人程度になり、多少の会話も。韓国人の学生がいて、「フランス、フィットしてないみたいだから、ひょっとして一泡吹かせるかもしれませんよ」と言っていたのですが、前半を見て、こりゃ力がずいぶん違うという感想。その人も「今日はだめだ」と言っていました。

しかし! またまた彼らはやりました。いかにフランスが「もらった」と思ってペースを落としたといえ、明らかなゴールが認められなかったといえ、ここまで何度も、しかも自国開催でない大会でも同じようなことが繰り返された以上、もう偶然だとは思えません。いつも彼らは、最後の最後までペースが落ちない。2002年のスペインも、イタリアも、本当の敗因は先に足が止まってゲームを決めそこなったことにあり、決して不当なジャッジだけが原因ではない。フランスも終盤走り負け続けた挙句、サイドを思い切りえぐられたのが同点にされた原因。韓国代表は永年の負け続けの末ついに、こういう大会でヨーロッパ各国に伍せる戦い方を確立したのだな、と思いました。

ジダンに今大会2枚目のイエローカードが出されたとき「これがジダン最後のインターナショナルの試合になるかもしれません」とABCの実況が言うのを聞いて、大変なことだと思うと同時に、こんな偉大な選手のキャリアに引導を渡すお隣の国の代表が、とてもうらやましく思えました(マルディーニだって、最後のW杯は韓国戦、アン・ジョンファンと競り合って、決められて終わってるはず)。

ところで日本に関しては、FWにいつも批判が行くのは個人的には疑問なのです。上手な選手が中盤になる傾向のある日本で突破力・決定力のあるFWがなかなか出てこないのは、仕方がない。私はむしろ「優秀なはずの中盤の得点力にこそ問題がある」と思ってきました。FWがだめなら、つぶれ役になってもらって、中盤が点を取ればいい。今ならチェルシーのランパード、その昔のリトマネン、プラティニもシャドーストライカーとして優秀。ジーコがいたころのブラジルだって、ジーコ本人がブラジル代表の得点記録3位あたりだったと思うし、ソクラテス、ファルカンも、ばんばん点を決めてたはず。

クロアチア戦で言えば、左サイドで勝ちっぱなしだったアレックスがえぐり切ってセンタリングをあげてるのに、MFどこにいるの? 一方、韓国は最後に決めたのがMFのパク・チソン。あそこに入ってきてるんですよね。ランパードみたいでした。再びうらやましい。。。

サッカーでまただらだらと書いてしまいました。3試合見終わって、インドの学生と話しながら学生会館を出ました「で、きみはどこの国?」「日本だよ(わかんないんだ、そうだろうなあ)」。。。 で、「じゃあ、また次の日曜に」だそうです。ついに「サッカー観戦仲間」形成かもしれません。

写真は、おやつを買った、学生会館内のカフェです。

レセプションの雑談 Phonology Fest 1

2006年06月20日 | Indiana大学
Phonology Fest初日。聞いていたとおり、McCarthy先生、いい講義です。小さい人で驚いた(勝手な思い込み多すぎ)。日本人でもやや小さいほうの私とあんまり変わらない。でかい人だと思ってました。午前中二番目のAttila先生(スタンフォード大)、まだこういう経験が浅いそうで進行には若干のもたつきがあるものの、内容は面白い。OTでバリエーションを扱おうという人なので、いちばん期待していたのですが、勉強になりそう。どこの名前かと思ったら、フィンランドの方みたいです。

OTSoftというソフトウェアご存知でしょうか。OT(ご存知かと思いますが、Optimality Theory)の制約と、入力に対する出力候補をいくつか、それぞれの候補の違反の数などをExcelの表として準備して、そのソフトで計算させると、理論上可能なすべてのランキングの組み合わせと、その場合選ばれる出力などの可能性をはじき出してくれるというもの。紙の上の分析で見逃している制約ランキングの序列や、制約の立て方が適切でなくて決定不可能に陥っている場合のチェックができる(計算がクラッシュする)、などの利点があるし、それ以上の利点もまだあるそうな。友達は「何がいいのか分からない。自分でやればいいのでは?」でも、「あんたは使ってみたいと思うタイプだよね」と言われました。すっかり把握されてます。開発者はUCLAのHayes先生だそう。Attila先生のWebサイトからダウンロード可。
http://www.stanford.edu/~anttila/teaching/indiana/variation.html

さて、夕方からレセプション。スナックが出て食いまくりましたが、講師とはたいして話さず院生たちでおしゃべり。アジアの学生が集まるとW杯の話に(私が振ったんじゃありません)。出場しているうち韓国、サウジアラビア、日本の学生がそろいました。サウジのMajdiは0-4で負けたばっかりでへこんでました。韓国のドンミョンさんは控えめながら余裕。日本はどうなの? 引き分けでも可能性は残るの? と聞かれ、「だめ、ブラジルに2点差以上をつけて勝たないと望みがない」というと、吹き出したあと「ごめんごめん」。いやいや、いいですとも。いっしょにいたアメリカ人のNathanは、興味なし。

なんだか最近、政府が補助を出しているそうで、キャンパス内にアラブ諸国の学生が一杯いるのです。英語ができない人が多いらしくて、とりあえず英語をやらされている人が多いよう。で、サウジの試合は、学生会館のTV周りのギャラリーがすごい数になり、みんなヘコんでたそうです。

レセプションも終わって残った人たちとしゃべっていたのですが、たまたま私を除くと全員アメリカ人の男性。こっちは話題がNBAファイナル。そりゃW杯どころじゃないでしょうよ、あなた方は。私は「戦ってるのはマイアミと・・・ どこでしたっけ?」と聞く始末。「ダラスだよ」と言われて、さらに「ダラス、って、どこ?」 ここでもいたNathanは、NBAも興味なし。そういう人もいますね。ともあれ、せっかくの機会なので、一生懸命くらいついてしゃべりました。ネイティブのおしゃべりに入るのがいちばん難しいので。

昨日にさかのぼると。自転車で走ってたら「Kenji!」と車からガーナのAbudraiが声をかけました。帰ってなかったみたい。政府から飛行機代が出してもらえなかったようです。代表チームの快勝、喜んでました。

写真は内容と関係なし。これがキャンパス内でよく見るタイプの普通の大きさのウサギです。葉っぱ食ってます。