時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

「征服」は避けたい

2007年08月31日 | Indiana大学
秋学期開始。授業の一つがIntroduction to Historical Linguistics。必修で、2年目に受講するのが普通ですが、他の授業との関係で、3年目に持ち越してました。教科書はR.L.TraskのHistorical Linguistics (Arnold)。イギリスで書かれたものだし、アメリカで最も使われているものではないようですが、ユーモアと独特の視点があって面白そう。

初回から一章を読んできて討論。「言語が変わるのは避けられない」というテーマの例として、英語史が例に。英語史で必ず聞かれる言葉に、Norman Conquestがありますが、これを先生を始め、アメリカ人の学生がNorman Invasionと言うので私は「!?」。ご存知のとおり11世紀、フランスのノルマンディ公がイギリス王に勝ちイギリス王を兼ねることになり、その後イギリス王室および貴族にフランスの影響が強まり、高級語彙を中心に大量にロマンス語系の語彙が入り込んだ、という話ですが、私には初耳の言い方。

不思議に思って、授業後に近くの学生に尋ねてみると「Conquestとは言わない、だって後に追い出してて、征服されてはいないもの」だそうです。韓国と日本の間にあったことについて「日韓『併合』」と条約に基づく正当なものであるように言うのは許せんと、韓国では「日帝強占」のような言葉を使うのと似たことでしょうか。歴史をどう解釈するのが正しいのかはさておき、教科書にもまちがいなくConquestとあるのにあえて避けるのは興味深い。

今日、Noahという友人に聞いてみると「それは意識的だと思う。Conquestってのは、勝った側から見て『大成功!』っていう肯定的な意味があるから」だそう。それは不愉快だ、ということなんでしょうが、この国はイギリスじゃない。元の本国と言ったって、イギリス系じゃない人もいっぱいいるし(たとえばインディアナ州はドイツ系やアイルランド系が多い)、だいたいイギリス本国の支配を嫌って独立してできたのがアメリカなんだし... どういう感情なのか分かりません。別の友人Brianに聞いても「不快になる理由はないと思う」とのこと。自分の言語の話だからでしょうか。謎は解けません。

とくに写真はないので、フランスつながりでドイツの学会のついでに行ったストラスブールの写真を。旧市街地区には運河があり、金持ち側とそうでない側で水位差があったそうな。現在その運河を運行する観光ボートはその地点に来ると、写真の中心奥に見える水門を閉め、水を入れて高い側に水位を合わせてから通過します。

世代ごとの事情

2007年08月27日 | 
先日Webで、「住宅は「賃貸」と「購入」のどちらが良い? 」という特集を発見。以前は圧倒的に「最後は持ち家」的ライフプランが主流だったが、ライフスタイルに合わせて「購入」か「賃貸」かを選択する時代にシフト中、「賃貸派」増加傾向も続いている、という趣旨。これを見て、数年前、仕事上の知り合いと通勤電車内でした話を思い出しました。

当時の私は仕事の都合で、東京世田谷区の成城学園前駅から1Kmくらいのアパート暮らし。一方、サラリーマン生活の大先輩であるその人は、東京から1時間以上電車を乗り継いだ地の持ち家に帰るところ。たまたま家の話に。「キミも将来はいいところに家を持てるんじゃない?」(まさか!)という問いに私は、そのつもりはなく、むしろ借家で暮らし続ける選択にもう少し目を向けた施策を望んでいると述べたんですが、話すごとにその人は不愉快になったようで、こちらも当惑。彼の主張は、けっきょくみんな最後は持ち家が欲しいと思うものだということ、借家も選択可能な社会にというのは、お前の個人的な意見にすぎないということ(そのつもりで言ってますけど…)。同僚に聞かせると「キミは彼の人生を否定したんだよ」。どうして?

話は変わって、以前NHKで中国の老夫婦にスポットを当てた番組を見ました。夫妻はかつてともに×州料理(どこだか忘れた)の名料理人で、番組中、現役料理人の厨房を訪れるんですが、自分たちの受け継いだ「伝統」が守られていないことに憤慨し、「×州料理がだめになる」と嘆く。現役たちも「客の好みを考え、工夫した結果こうしました」と弁明してましたが。

上記の先輩の不愉快の理由は今となっては不明ですが、忖度するに、下の世代も彼と同じ達成目標を持っている、という前提で話していたら、相手の私がそれには乗らず、彼が「劣るもの」と見なしてきた生き方を語り出したからでは。でも、だからといって不機嫌にならなくても。その人の人生を否定するつもりは毛頭ないのです。

料理の話も同じことで、現役の彼らは、前世代に反抗したり、否定したりするつもりで変更を加えてきたわけではなく、生き残りをかけ、試行錯誤の末、必要な変更を加えただけなのでは。そもそも「伝統」と呼ばれるものも、そういう工夫の積み重ねの末に到達した「ある時点の姿」であって、次世代はまたそこを基点に、変容させつつ「伝統」をまた次につなげる、そういうことだと思います。老夫婦にとって自分たち世代が築いた「ある時点の姿」は特別で、それが変容を受けてしまうのは辛いかもしれませんが、自分たちもそうして来たということも思い出し、後輩を応援してやってもいいのでは。番組の趣旨は老夫婦の人生を描くことなので、伝え方に異を唱えるのは適切ではないでしょうが、気になりました。

住宅や職業選択だけでなくて、料理も、(あるいは研究も)同様で、前世代の蓄積や達成が出発点となる後世代にとって、同じことの繰り返しじゃ上手く行かない場合は少なくない。「伝統」や「過去の栄華」と心中というわけには行かない。まだ何も達成していないし、その先の人生は長いのだから。二十以上歳の違う彼と私では、たんに生まれ、生きる時間の違いのせいで、所与の条件が全く異なるし、個人的な状況も違う(私は、すでに辞職・留学を考えてました)。その結果至った考えが「持ち家より借家」だっただけ。若造が違うことをやったからといって、彼の人生の「達成」の価値が劣ったものになるわけはないと思うのですが。

最近「高齢者は賃貸が困難、という時代は終わり、高齢者向け賃貸住宅が整備されつつある」という記事も見ました。「一生賃貸で終わる」という選択もありになるとすれば、私には望むところ。「オレが正しかった」と言いたいのではありません。その時代・状況を生きる人が感じ、要望するように事態が動くのは自然なこと、というだけだと思います。

ちなみにBloomingtonの家賃は合衆国全体から見ればとても安く、現在住むところは日本の1LDKのような間取り(6+10畳くらい)で、$510(5万円台)です。でもIUの学生のおかげで次々借り手がつき、家賃の相場はここで得られる収入に比して高くなりがちなので、低所得者がホームレスに陥りがちなのだとか。今のアパートも500戸くらいが全部うまっているそうです。

気温100度

2007年08月24日 | Bloomingtonにて
ついに夏休みも終わり、来週2007年秋学期が開始。昨日(22日・水曜)は入学式のようなものがあり、寮に戻ってくる学生もいて大学周辺はどこも大渋滞。市バスは予告もせず適当に迂回する、時間通りにまったく来ない。夏の間がらーんとしていたアパートも車でいっぱい。

昨晩、Bloomington Worldwide Friendshipというプログラムの紹介で知り合い、一年お付き合いが続いているMirerさん一家が、夏の旅行等から戻った私を食事に誘ってくれて、2ヶ月ぶりに再会。学校には行かず、Home-schoolで教育していた上の男の子はこの8月から高校、下の女の子もPre-school(幼稚園みたいなものだと)に通いだしました。

食事のときに聞いた話。夏の間ふだん通う教会が休みだったので、教義がほとんど同じ別の教会に子供さんを連れて行っていたら、そこで別の家族と親しくなった。で、職業を聞いてみるとインディアナ大の言語学科の教員だという。え、もしかしてKenjiを知りません? と聞くと、その人はわが師匠De Jong先生だったとのこと。Bloomingtonの世間はかなり狭いようで、こういうふうに人がつながることが少なくありません。

Mirerさんちのお嬢さんは手足が一目でわかるほど長くなり、小児の体型じゃなくなってました。2ヶ月ってこれほどの変化が可能なのかと驚嘆。別の知り合いのお子さんも這い這いを始めたとのこと。母国へ、新たな留学先へ、就職先へ、と去っていく知り合いもいて、物事は動いているのだと思い知らされます。振り返って自分がこの2ヶ月何をしたか考えると情けないものが。気を引き締め直して前進しないと。

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いまアメリカは、中西部を中心に1世紀に一度、という洪水に見舞われてるらしいんですが、そのゾーンからちょっと南にずれたBloomingtonは「10年に一度」という猛暑。今日はついに出た100F(≒38℃)。99度とするサイトもありましたが、ともあれ日本でもめったに体験したことのない気温。F(華氏)100度は、体温の高いアメリカ人にとっても体温以上で、非常に危険という認識らしい。砂漠の中にあるPhoenixみたいな、よほど暑いことで知られている場所以外ではあまり見ない気がします。

ということでいちばん暑い夕方にアパートのプールへ。プールは住人獲得要件の一つらしく、大きなアパート群なら当然あるみたい。行ってみると、こんな暑い日に、10人近くいるのに、写真のとおりプールの中には一人もいない。たまにちょっと水に漬かってはすぐ上がってプールサイドで陽に当たる。アジア系、中東系の住人も多いうちのアパートですが、わざわざプールに来て、でも外にいるという、(私から見て)奇異なことをするのは圧倒的にヨーロッパ系のアメリカ人。泳いでるのは私だけ、というケースがとても多い(他のアジア系の人もたいてい来たら泳ぐ)。あんたら俺たちよりメラニン色素少ないのにそんなことしたら、皮膚ガンになっちゃうぞ、と思うんですが、やりたいらしいです。

暑い日は扇風機

2007年08月20日 | 
私はときどきPCを初期状態に戻します。削除し切れないソフトやファイルがたまって動作が遅くなることが理由ですが、もう一つ、Wavesurferが測定を繰り返していると不具合を起こす(ズーム機能がおかしくなる)、ということも理由。インストールし直してもだめ、PCごと初期状態に戻してやるのが一番。

(研究者が作って公開しているフリーの音声分析ソフトでは、Praatユーザーが圧倒的多数のようですが、必ずしも万能でない、Wavesurferのほうが優れている点もあると私は思っています。)

リカバリーディスクを使った初期状態復帰、ずっとやりたかったのですが、そうするとIUの学生なら$25で1年間使用権を買えるSPSSのライセンスが切れてしまうので、バージョン切り替えがある夏休み、一仕事落ち着くところまで待って今日実行。

ところが途中で大トラブル。ハードディスクにファイルをコピーしている途中、5-20%書き込んだところでヒュン! とPCの電源が落ちてしまうのです。サポートセンター(ちなみにToshiba)に電話すると、アメリカ英語ではなく、でも流暢に英語を話す人が応対。予想はしてたけど、避けたかった事態。

たぶんインドの方面の訛りがある上、えらく速い彼の英語はなかなか理解できないし、PCは落ち続けるし、とほほ・・・ 症状を伝えた結果、無料補償期間が過ぎているので、電話でアドバイスを受けると$35、さもなくば自分で持ち込み。最も近いサービスセンターは、Indianapolis! 往復したらもっとお金はかかるし、いつ直るか分からないし。話にならん。。。

困った揚句の苦肉の策が写真の様子。我が家のコンセント、電流だか電圧が、とくにタコ足にしてると足りないと見られるので、他に使ってないベッド脇のコンセントを使い、CPUに負荷がかかり過熱して落ちると見られるので、PCの底から扇風機で冷やし続けてみると・・・ なんと成功! そんな問題なのか!?

その後、MS Officeインストールの時にもう一度止まったので、再び扇風機。日本で買って運んできた扇風機、洗濯物乾燥のみならずここでも大活躍。ていうか、なかったらどうなってたことか。でも考えてみれば、「PCがときどき落ちる」という怖~い問題は解決してない。Toshibaなんだけど。日本に相談はできないんだよね(悲)。ちなみに、サービスセンターでは英語かスペイン語の二者択一でした。

ENERGY!! (says Billy)

2007年08月18日 | Bloomingtonにて
Webニュースを見ると、わが故郷多治見が話題に! と思ったらまた国内最高気温とかいう話。今のところ年老いた祖母やら親戚やらで暑さで倒れた人がいるという話は聞きません。

ひと仕事終えて学期前にちょっとリラックス、ということでダウンタウンにある郡立図書館(Monroe County Public Library)に行ってビデオを借りてきました。今回は日本関連のもの多し。「鬼婆」という日本の映画(1964年、監督 新藤兼人・主演 乙羽信子)はエライ怖い。なぜここに? アメリカ人観るのか? 東海道の歴史を紹介するビデオ(制作はたぶんアメリカ)は、誤解というか思い込みのオリエンタリズムをちょっと感じる。トトロは吹き替えもがんばってたけど、やっぱり源音声の勝ち。

もう一つがTAE BO。春ごろから、夜10時を過ぎると毎晩複数のチャンネルで、ムキムキのアフリカ系男性を中心したダイエット&トレーニングプログラムのシーンを流してるのに気づき、面白がって見て(時どきまねて)ましたが、聞くところではそのBilly Blanksという人のプログラム、日本でも流行しているのだとか。なぜか図書館も所蔵。

借りたのはテコンドーとボクササイズの合成、TAE BO(2004年版)。Billyさん、日本で流行しているらしいBoot Campではなく、アメリカではこれのセールスに熱心。物は試し、やってみました。ストレッチも入れて45分くらい。きつい、というよりは動きが難しい。キックとかパンチのコンビネーションで、体幹がしっかりしていないとバランスが崩れる。Billyの脇を固めるオネエサマたちはスマートでお腹の筋肉も割れているんですが、TAE BOだけでそこまで筋肉はつかないでしょう。逆に、体脂肪燃焼ということなら(エアロビックスの)ダンスの方がいいかもしれない。でも観てて一番辛いのはやってる人々のノリ。Billyが「Energy!!」と叫び、取り巻きが呼応し、汗だくの苦しげな顔で一体感を醸し出す。ちょっと怖い。

先日ドイツとアメリカの比較をちょっと試みましたが、もう一つ。Bloomingtonではそこいらにいるジョギング中の人を、ドイツではほとんど見ませんでした。でもやせている人が多いのはもちろんドイツ。アメリカは絞り込んだ一部のフィットネスマニアと、歩行困難になりそうなほど太った人たちのコントラストが極端。

思い浮かぶのはドイツで、公共交通を利用して、駅からは歩く、または自転車、という移動手段が主流だったこと。自転車はトラムや都市間の電車にもふつうに乗せられるらしく、利用者も多数。写真はフランクフルト中央駅。TAE BOもいいけど、やはりフィットネスの基本は生活に運動を持ち込むこと。車社会のアメリカですが、最後の最後、どうしても仕方がなくなるまで車は拒絶したいと思ってます。

初めてのドイツ 感想 (2)

2007年08月16日 | 旅行記
前回の続きで、ドイツの印象、残り3項目。

4 思ったより生活費がかからない

Saarbruckenの駅周辺しか知りませんが、コンビニ等の商品が充実。品揃え豊富、安いわりにデザインも気が利いてる。(これもアメリカがひどすぎるだけかも。帰ってきて買い物に出てみて、とくに価格の安い商品のあまりの質の悪さを再確認してげっそり。)

ヨーロッパの物価は高いと聞いていたけれど、ドイツに関しては消費税が19%と高いのに内税。食事も一品ごとの量が多いし、チップもアメリカほど必要じゃないらしい。ビンやペットボトルには預かり金(Pfand)が含まれててあとで返って来る。ホテルもサービス料、チップは不要だから予約時の値段に上乗せなし。滞在全般を通して思ったよりはるかに安上がり。持って行ったユーロは3分の1以上残りました。

食べ物も全体的にドイツ圧勝。Frankfurt駅のパン屋のショーケースの写真を。みんなせいぜい税込みで2ユーロちょっと。アメリカなら$3以上しそうな感じ。
話に聞いたとおりトルコ系移民が多く、街中にKebab屋が多数。ホテルの近くにある、テイクアウトもできる店に3度通って顔なじみになりました(若いトルコ系兄ちゃん2人。英語は全然できないけどとても気さく。繁盛してました)。

5 分煙が不十分 

街角で、バス停で、駅のホームで、ホテルのフロントで、間接喫煙を余儀なくされることがしばしば。タバコを吸うドイツ人もけっこう多数。Saarbruckenが田舎だから、ということもあるそうです。これは私にはアメリカの方が快適。

6 性関連がおおっぴら

TVのサッカー中継をつけたまま寝込み、目を覚ますと、ハダカのお姉さんが四つんばいでくねくねやっている映像が飛び込んできて「なんじゃ~こりゃ~!!」ということ数回。深夜といってもまだ午前0時台。さらに、夜10時台ごろの宝くじの番組(だと思う)でも、なぜだかトップレスのお姉さまが一人写り続けて進行。さらに背景に胸のどアップを映してダメ押し。

ごくふつうのチャンネルなので、たまたま遅く起きていた子どもが見る可能性十分。街にも「ERO××××」という看板を堂々と出しているお店が自転車屋とかフツウの店の隣に。「ドイツ人はお堅い」ってイメージがあったけど、「それはけっこう誤解」との話。思えばむしろアメリカ社会のほうが(やや歪んだ)ストイックさを感じることが多い気がします。

(話はちょっと違うけど、ホテルのプールで泳いでいたある晩、併設のサウナから出てきた老夫婦が真っ裸でプールに入ってきたのにもびびりました。)

以上、全体としてはドイツ圧勝。公共交通も充実してるし、ゴミの分別も進んでる。住めるならこっちのほうがいいかも(ロコツなEROの氾濫は要らんが)。

初めてのドイツ 感想(1)

2007年08月15日 | 旅行記
記憶が新鮮なうちにドイツの印象を、一部アメリカとの比較で書きとめておきたいと思います。とはいってもFrankfurtとSaarbruckenだけ、アメリカもほぼBloomingtonしか知りませんが。両国の田舎の場合、ということで。今日は前半3項目。

1 建物が美しい

よく言われることだし、ヨーロッパはどこでもそうかもしれません。色のバリエーションも豊富。窓の形なども凝っているし。これに比べたらBloomingtonの家は正直いって粗野。街の景観はドイツ圧勝。写真はSaarbruckenの通り。日曜日でほとんどの店は休み。

2 接客態度がいい

むしろ、アメリカがひどすぎるということかも。愛想がいいようでチップが欲しいだけだし、すぐサボるし。Hospitalityはチップ社会ではない日本の方が(今のところ)さらに上。

3 一般人は英語がヘタ

知っているドイツ人はみんな英語堪能なので意外。ホテルの人はまあOKだけど、たいていのレストランは全滅。友人が理由を説明してくれました。「ドイツはドイツ語が強いということ。その国のことばが強いと英語は上達しない。日本語も同じ。オランダ人やスウェーデン人が英語が上手いのは、逆にオランダ語やスウェーデン語が弱いから。」納得。自前の言語で豊かな言語生活が営めるということを意味するなら、悪くない。

ドイツ→アメリカ

2007年08月14日 | 旅行記
混乱のうちに学会旅行は終わりました。発表や人と会えたことについては有意義なことも多かったし、無事に帰れたので文句なし。

ところで、Frankfurtの空港でシカゴ行きの便にチェックインするとき、これまで経験のないことが。乗ったAmerican Airlineのカウンターだけが長蛇の列で、カウンター前にもう一つ臨時カウンターが設置されて、全員詳細な質問を受けたのです。

「預け入れ荷物は誰のものか」「誰のものが入っているか」「どこで荷物を詰めたか、いつ? 誰が?」「ホテルということなら滞在を証明する書類を出せ」「荷物はずっと自分の手元にあったか」「誰かに物をもらって持っているということはないか(買った物は含まず)」「今回の渡航目的は何か」「学会ということならプログラムはあるか」「あなたの名前が載っているページがあれば示せ」「パソコン、デジカメ、i-pod、ケータイなどの電子機器を持っているか、所有期間は?」など、非常に詳細。

その後、ホテルの領収書、学会プログラム、I-20、ビザ、パスポート、全部職員が預かり、その職員の上司がチェックして、書類にハンコをもらって終了。日本からアメリカへ入国する際にもなかったことでちょっと不思議でしたが、ヨーロッパ→アメリカこそが最も警戒を要する便なのかもしれません。空港へは離陸3時間前に到着していたので余裕はありましたが、かなり時間がかかりました。

係員も最後にThank you for your cooperation.と言っていましたが、こちらにとっても真に重要なのは、例外なくきっちり調べてもらって、自分の乗る便にテロリストが紛れ込むという最悪の事態を未然に防ぐこと。「面倒だ」などと思わないようにしたいものです。

シカゴでの乗り継ぎはいつもの通り大混雑。新参の留学生らしきひとがちらほら。書類が多くて処理に時間がかかりがち。私のような再入国組に掛けている時間はないようでさっさと終わり。ごくふつうに見えるアジア人らしいご家族が審査に引っかかり「別室へ」。どこを見ているんだろう???

朝8時にホテルを出発してIndyの空港に到着したのが午後8時30分ごろ。時差が6時間あるので合計18時間30分。預け入れ荷物が出るのが遅れてぎりぎりシャトルバスに乗れず、次は10時40分。その他の手も尽き、あきらめて空港のフードコートに戻ると、シカゴからの便で隣に座っていた男性が一人で食事。着陸直前に話になり、「妻の迎えを頼んでBloomingtonに帰るから、シャトルに間に合わなかったら乗せて行ってあげるよ」と言ってくれていた人で、本当にお世話になることにしました。

その人は、週日はテキサス州ヒューストンの原油ブローカー会社で働き、週末は家族のいるBloomingtonのLake Lemonの湖畔の別荘で過ごす日々で、ちょうど帰ってきたところ。湖への道は私のアパートへ向う道の先で、彼らにとっては帰り道。ラッキーでした。

写真はFrankfurt空港で撮ったもの。日本にもあるSegafredoは、イタリアではコーヒー会社であって、看板は見るもののそういう名の喫茶店はないようですが、ドイツにはあるようです。Saarbruckenの街中にもありました。

わたしのドイツ土産

2007年08月13日 | 旅行記
食中毒でヘロヘロになりつつ自転車レースのスタートを見たという件ですが、その後なんとか学会会場へ。ポスターを見る元気もなく、むしろミルクティを飲んでトイレで吐き、数人に挨拶ができただけ。会場までわざわざ行った意味はほとんどなし。閉会セレモニーもフェアウェルパーティも不参加、4年後の開催地が発表されたはずですが、どこか分からないまま。

しんどい思いをしても行ってよかったのは、いつも親切なNさんがヘロヘロな私の様子を見て、現地の友達に聞いて薬局の名前と、症状に効く薬の名前をドイツ語で書いてもらってきてくれたこと。ダウンタウンのApothekeという薬局に英語が分かる薬剤師さんがいて、次の日飛行機に乗ることを説明して買ったのが写真の通り。左から乗り物酔い止め、胃薬、下○止めです。

これまでは高熱でも食欲がなくならなかった私ですが、丸一日まったく食えず、垂れ流す一方(再度尾籠御免)。ひたすら寝ていました、たまたまブンデスリーガの開幕日、TVではStuttgartとSharkeの試合の中継、二部の試合も一つ一つ時間を割いて丁寧に振り返ってました。アーヘンの監督になった元レッズのBuchwaldさんも見られて、しばしば気が遠くなりつつも満足。彼は相変わらず情熱的でした。

(今回電車であちこち移動したのですが、線路沿いにいくつもサッカーグランドを見ました。どれも全面芝! サッカーをやっている様子は一度も目撃しなかったのですが。)

なんとしても回復させたかったのは長旅が辛い、ということもありますが、なにしろアメリカの入国管理局が心配だったから。高熱があってヘロヘロの様子を見せては伝染病でも持ち込むかと思われて、メディカルチェックを命じられて足止めを食らうかもしれない。薬のおかげもあり、翌日Frankfurtから飛行機に乗り込む昼過ぎくらいにはなんとかまともに。ふつうに食べられるようになったのはやっと今日からです。

ということで今回得た教訓、外国に行ったら無理をしてはいけない、何より無事に帰国することを最優先に考えるべし。元を取ろうとして食いすぎたり、運動不足を気にして無理やり泳いで体を冷やしたりといった無謀なことは避けよ。

当たり前でした。経験しないと身に沁みない奴です・・・

最終日のアクシデント

2007年08月12日 | 旅行記
ICPhS 2007 Germanyから帰国しました。よく帰ってこられたとホッとしています。というのは帰国一日前の学会最終日、食中毒症状になって丸一日寝込んだからです。前の晩は参加費とコミになっているバーベキュー。朝からの雨で寒かったのですが「せっかくだから」とガンガン食べ、飲めないのにビールも飲み、さらに「食ったから運動!」とホテルに戻ってから泳ぎ・・・ ムチャでした。

(泳いだ、というのは泊まったホテルにプールがあったから。申し込んだところが外れて回されたところでしたが、プールがあるのを知っていて水着持参)

早朝3時ごろ腹痛と吐き気に襲われて目覚めたときには「2日酔いか?」と思いましたが、その後むしろ下○(尾籠に付き伏字)が続き、熱も出てフラフラ。
ともかくせっかく会った人たちに挨拶だけでもと、会場に行こうとしたらまたアクシデント。学会会場にはホテルからトラムで2駅行ったJohanneskircheという教会の前でSaarland大学行きのバスに乗り換えるのですが、到着するとバスの通るはずの道路が封鎖されていてバスが来ない。

そこで思い出したのですが、その日はDeutschland Tourという、Tour de France とかGiro de Italiaのような自転車レースのドイツ版がSaarbruckenを10時スタートするのでした。看板が街のあちこちに出て知ってはいましたが、出るのが遅くなって偶然居合わせてしまいました。体調がよければ楽しめたのでしょうが、熱があるのに雨で寒いし気持ち悪いし腹は痛いし。早く来て・・・

でも来るのはケーサツの先導バイクとか自転車を積んだチームの伴走車ばかりでなかなか選手は来ず。15分くらい経ってやっと来たのは緑のカッパを着た警官(パトカーも含め、警察の色は緑らしい)、選手を待ちかねていた沿道の人たちはその警官に大声援。警官も乗り乗りで手を振って応える。。。 と、しばらくするとようやく選手の大集団が、まだ街中でややゆっくり、でも一瞬で通り過ぎておしまい。この様子はその後TVでも中継してました。Websiteは以下。コースの地図が見られます。

http://www.deutschland-tour.de/

レースの写真は充電切れで取れなかったので、その場所にあるRathaus(=City Hall)という建物。この地下にあるKoenig von Bayernという料理屋は、オススメ。ビールとドイツ料理、量が多いので日本人なら一品で十分、しかも美味しいです。って、わざわざこんなところ行く人はあまりいないでしょうけど。

(でも、Saarland大学にも日本人留学生はいました。たまたま会った方の話では数人いるそうです。)