時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

大流行中

2013年01月29日 | 日本のくらし
昨日、週があけて幼稚園に行くと、娘の「うさぎ組」は過去最高の5人の欠席。娘の話では、そのうち2人がインフルエンザ。いよいよ流行か、と話していたところ、今日、嫁さんの職場で情報の回覧が。こちらのリンクがそれ。岐阜県が調査・提供している情報のようです。

われわれのいる多治見市を含む「東濃」(東部美濃地方)は濃い赤、大流行中。さらに下の地図を見ると、中でも多治見市が県内でいちばんの「大流行」。県でもっとも南で、気候も太平洋側、名古屋の衛星都市だから、そこから運ばれる量も多いことでしょう。一方、県の北のほうの豪雪地帯は、カラカラになりにくいから、これよりはマシになる傾向にあるということ?

昨年末に娘に予防接種を受けさせようと思ったらもう予約がいっぱいで、今年になってようやく2度の接種を済ませました。私も同時期に打って、とりあえず家族3人とも対策済み。今年は米国でもH3N2というタイプが流行中だそうで、NPRで「どう対策するか」という番組が組まれていました(こちらから)。

アドバイスをくれる専門家として登場したBouvierというお医者さんの話では、インフルエンザは一年中、世界のどこかにいるそうで、北半球が夏の間は南半球の国で暴れてるんだと。思えば当然なのですが、考えたことがなかった。そちらのデータなどを参考にして、「このタイプが流行るだろう」と予想を立て、予防接種のタイプを決定するらしいのですが、まあ、外れることも。実際、神奈川にいる娘のいとこは、予防をしたのにかかり、寝込んだらしい。

うちの近くの話に戻ると、いま、近所の小学校で3年生に学級閉鎖。娘の幼稚園も去年、4歳児クラスで学級閉鎖があったそうで、ここまで復帰した1人を含めて3人が罹ったうさぎ組はどうなるか。注射を2回、痛い思いをしてがんばったのだから、そのかわり、高い熱に苦しむことなくシーズンを終えてくれるといいのですが。

無事復帰

2012年12月11日 | 日本のくらし
娘の水ぼうそうは、予防接種も、処方してもらった薬もよかったようで、熱も出ず、ほとんどトラブルもなく終了。月曜日から何事もなく幼稚園に復帰。嫁さんの勤め先の先輩のおかあさん方の「予防接種がよく効くので、出席停止になっても、実際には家で元気なのよね」という話どおり、うちの娘も夕方になっても元気で、かといって外に遊びに行くのは禁じられているので、ちょっとしたことで大笑いするし、ものすごい勢いで家の中を走り回る。ふだんはこのとてつもないエネルギーが、幼稚園に行くことで、その日の終わりにはちゃんと使い果たされているわけで、その恩恵を再確認。

幼稚園ではむしろおたふく風邪が流行っているらしく、おともだちのお母さんも、息子さんからうちの子が水ぼうそうで休んだと聞いて、母「ホント? おたふくじゃないの?」子「ちがう。たしかに『水』がついてた」という会話があったとか。

言語習得がごくふつうに進行中の彼女は、だいぶん発音できない音が減ってきて、単音レベルではほとんど妙だと感じるものがなくなってきました。苦手な音の連鎖も克服してきたようで、以前は聞かれたいろんな「言いまちがい」が聞かれなくなってきました。今も残る「かだら(体)」もそろそろ修正されそう。あと、目立つのは「リディンブ(リビング)」くらいでしょうか(思い出して追記:「レボブロック」(Lego block)がありました)。もうそろそろ、ふと気づくと、全部なくなっていた、なんてことになりそうで、なんだかさびしい。ベランダで、ビンを箱から箱に移し替えては、覚えたての語を「これもビン」「これもビン」と確認するように、「び」、「び」、「び」(「ん」の部分をまだ習得していなかった)と言っていたころの彼女に会いたいなぁ、とよく思います。

出席停止

2012年12月05日 | 日本のくらし
昨晩、娘が体(太ももの裏)がかゆいと言い出しました。「虫に刺された?」と言ってたのですが、いつものとおり嫁さんもいっしょに3人でお風呂に入り、体を洗ったところ...

私 「ねえ、ぽつぽつあっちこっちにあるよ。足だけじゃない。」
嫁 「あら!」

これはもしや、と、今日は幼稚園に行かず病院へ。それほどひどく痒がる様子はなく、熱も出ず、元気なので、半信半疑でしたが、診断は予想どおり、水ぼうそう。かかりつけの小児科医によれば、今回、症状が軽いようなのは、「予防接種が効いてるんだろう」と。

この先生に、米国の小児科で作成してもらった診断記録を見てもらったことがあります。彼は「(日本のように親の判断に委ねず)アメリカのように、義務化して一通り済ませたほうがいい」という意見。娘はもちろん、水ぼうそう(Chicken Pox)も接種ずみ。もも(足の付け根近く)に無造作にブスッと注射され、毎回、大泣きでしたが、今回、その苦労(?)は報われたようです。

ということで、今日から「出席停止」。夕方まで、家の生活の面倒を見るのは私。一日中家にいることになり、仕事をこなすのがちょっと大変になりますが、まあ、なんとかするとして、不安なのがこの土曜日の筑波大での講演。娘との接触が多い私もウイルスを浴びてるのは確実。予定に急に穴を開けてご迷惑にならないよう、「這ってでも行きます!!」と言いたいところですが、もし発症したら、娘と同様、いることが迷惑になるわけだから、そういうわけにもいかないでしょう。こちらからお願いしたことなのに...

Domino

2012年10月09日 | 日本のくらし
運動会の日の午後、昼寝をしなくなってきた娘が、ほんのちょっとの昼寝で目を覚ましたので、すぐ近くの「児童センター」へ。下校後の小学生や、就学・就園前の小さい子が遊ぶスペースと道具があり、遊びを指導し、イベントを企画する職員がいる(みんなは「先生」とよぶ)。

娘は降園後、ほとんど毎日ここへ。親が自営で忙しかったので、お客さんも含めてみんなで育ててもらった、という嫁さんに似て人なつこい娘は、みんなに覚えてもらい、かわいがってもらっています。住んでいたBloomington市にもCommunity Centerと呼ばれる、この児童センターとほぼ同じ構成、機能の場所がありました。

平日なら、連れてくるのは私の役目(幼児なので保護者はいなくちゃいけない)。休日のこの日、久しぶりに家族3人で行ってみると、ドミノを並べている女の子(小学生)二人。最初に娘が参加、嫁さんも参加して、最後は私も。でも、女の子が倒し、嫁さんが倒し、「なにやってるんだ」と非難していた私が倒し。。。 完成させるまで倒さないのがいかに難しいのか、知りました(やったことがなかった)。ともあれ、手伝うつもりだったのが、足手まといになってしまったのが申し訳ない。

5時半が近づき、女の子は帰る時間が迫ってきたけど、もういちどだけ挑戦、なんとかできたのが写真のもの。まず右奥のベンチからドミノが落ち、もう一つのベンチの足の下のハートを倒したあと、二手に分かれる。私が作ったのはさいごの渦巻。いたずら心を起こしてドミノの周りを飛び回る男の子たちを斥け、今度はなんとか崩さず。娘も最初のピースを倒すのに加えてもらいました。

結果は写真のとおり。みごと全部のピースが倒れました(厳密には、椅子の上から落ちたところで倒れなかったピースが一つ)。これでたぶん200ピース弱。大喜びの女の子を見て、こちらはホッとしました。



運動会で

2012年10月08日 | 日本のくらし
娘の幼稚園で運動会がありました。私は、足の指の骨にヒビが入っているので、抑え気味に参加。娘はというと、まず、クラスで2番目に背が低いことが判明。本人は背が高くなりたいはずですが... ともあれ、友達と楽しそうに話していて安心。

最後の種目はリレー(5歳児)。紅白に分かれてスタート、逆転・再逆転の好レース。閉会式が終わって、保護者も手伝って片づけ。テントをたたみに行くと、たまたまリレーで負けたほうの子たちのところだったらしく、一部の女の子が、もう、ホントに、号泣。。。 勝てなくて悔しかったらしい。

担任の先生が、たしか「君たちはよくがんばった。でも人生では負けを受け入れることも重要」というような趣旨のことを、熱く伝えていて、さらにびっくり。これは、中学あたりのスポーツチームか何かが大会で敗退した後かと。そういえば前日に配られた文書に、「年長さんたちについては、真剣にがんばっている姿を見てやってください」とあったのですが、どうやらそれは、まったく水増しなしの、大真面目な話だったらしい。幼稚園の年長でもうこんなふうになるものなのか~と驚嘆。

それまで子供と接する機会がほとんどなかったので、ここまで4年、子供との関わりを通して初めて認識することだらけですが、今回もまた衝撃的。うちの娘もあと2年経つと、こんなふうに物事に取り組むようになったりするものなのだろうかと。今は、まだぽわ~んとして、「どうぶつ将棋」で親に負けて泣いたりする程度。これは単に、個人のタイプの問題?

特別な趣向があるわけではない、ふつうの運動会でしたが、その実現に向けての教職員や保護者の努力には頭が下がるものがありました。とくに「父母の会」と呼ばれる、保護者の一部から構成される集団の働きぶりは大変なもの。予定通り、安全に終えられたのですが、たぶんヒーローは彼ら。関東方面からわざわざ来てくれた義両親も喜んで、写真を撮ってましたが、しばしば他の子を撮ったり、頭が切れたり。その写真を載せてみました(左が娘)。


お誕生日ありがとう

2012年09月19日 | 日本のくらし
火曜日18日、娘が4歳に。2学期(というのでしょうか)が始まった幼稚園では、まず8月生まれの子のお誕生日会をするので、9月生まれの彼女やおともだちは月末。「夏休みが終わったらお誕生日会だよ」と言われ、夏休みが終わったとたんに誕生日を祝ってもらえると思っていた娘は、ずっと「いつ? 明日?」と「となりのトトロ」のメイちゃんのよう。そのメイちゃん(の映画のとき)と同じ年齢になりました。

自分で作りたいと言ったので、おかあさんとケーキを作ってお祝い。何かあるとすぐパーティ、の米国ではどのスーパーにもお誕生日用のろうそくがあったのですが、なぜか日本では見つからなかったそうで、仏壇用のろうそくを4本。近所のおねえちゃん、イトコのママ、おばあちゃんから、とたくさんのプレゼントももらって、幸せな子です。

生まれたのは午後6時過ぎで、13時間の時差があったので、日本時間に直すと、9月18日ではまだ生まれていません(19日の朝7時過ぎということになる)。米国の日本領事館に提出した出生届は、出生証明書の日付どおり、だから日本の国籍でも、18日生まれ。

思い出せば、予定日が嫁さんの誕生日の9月20日と近かったので、「同じ日だといいね」と言ってたところ、出てきたのは2日前。でも、上のリクツで細かいことを言うと、実質1日違い? ともあれ、この二人と一緒に、また一年を過ごせたことになります。

そんなわけか、おめでとうというより、自分たちの子として生まれ、ここまで4年間、一緒に生きてくれたことに感謝したい気持ち。それを伝えたあと、「あとどれだけ一緒に生きられるかな」とうっかり言ってしまったら、もうそういうことばの意味もある程度分かる + 感受性の強い彼女がメソメソっとなったので、慌てて「ずっと一緒にいようね」とフォロー(反省)。

夏に家族で早稲田の天麩羅「いもや」に行ったのですが、話してみるとおばさんは娘と同じ誕生日。こちらは75回目とのこと。おめでとうございます。

待っててくれた

2012年05月28日 | 日本のくらし
この一月、私の祖母が亡くなったのですが、先日、こんどは嫁さんのおじいちゃんが、87歳で亡くなりました。一月、そして今月と、娘の曽祖母、曽祖父が相次いで亡くなり、これで娘からみて三世代上の人は一人もいなくなりました。リンパ腫発見の第一報をもらったのが3月末、ご高齢でも血液の癌は進行が速く、辛い処置は取らない方針を決めたこともあり、あっという間に悪化して二ヶ月で亡くなってしまいました。正月にひ孫3人に囲まれてご満悦だった時からは想像もつかない急展開。二人とも娘の誕生を喜び、会えるのを楽しみにしてくれていたので、昨年日本に帰ってこられて、「なんとか間に合った」ということかと最初は言ってましたが、むしろ、二人ともがんばって、ここまで待っててくれた、ということなのかもしれません。

さて、この土日が通夜、告別式で一族が集まりました。献花のときに娘が大はりきり。初孫で、結婚するために家を出るまでずっとかわいがってもらった嫁さんが大泣きするのに反応して自分も涙をぬぐいつつ、初めから終わりまでずっと花を添え続け、さらに自分で庭から採ってきた花や楓の葉も散らす。これには、とうちゃんぐっと来ました。彼女ははりきりすぎて限界に達し、7時過ぎに撃沈。ところが夜中に起きて、珍しいことに眠れなくなり、泣きながらしきりとあれこれ訴える。多少のねぼけもあるのか、言ってることの理屈はいまいち理解を超えていましたが、人の死の意味に対する理解が彼女なりに進み、何らかの「怖さ」も感じていた結果ではないかと。

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ところで、昨日の儀式の合間に親族の一人から「あなたのところは宗教は何だ(たぶん仏教の宗派でも尋ねている)」と聞かれ、「分からない」と答えて相手を絶句させてしまいました(何だっけ...)。これを筆頭として、今回も自分のこの手の儀式に対する極度の無知にいろいろと気づかされました。無神論者は日本でも暮らしにくいということか、単に私に一般的な知識がなさ過ぎるということか。今回焼骨を壷に収めるのに初参加しましたが、(当たり前ながら)これを専門の職業にしている人がいるということに気づかされました。日々、何年にも亘ってこの作業をし、知識や経験が積み重なる、というのはどういう感じなのか、聞いてみたい。そもそも、あれは何という職業なのでしょう。。。 その人が骨を一片示して、「これが、喉の骨です」と言うので、「まさか、化石でも残りにくい喉の軟骨(だから、古代人類の言語音声生成能力に関する証拠を得るのが難しいはず)が焼けないで残るのか?」と思ったのですが、あとで調べてみると、やはりそれはないようで、思い出せば担当の方も、喉の辺りの頚椎の骨、と言ってました。

地域に大貢献した方だったので参列者も多い立派な式で、それを無事に取り仕切った義父はカッコよかった。それにひきかえ、みんなが悲しみにくれているところでこんなことを考えていた私は、ホントに人でなしです。

まだ現役

2012年05月20日 | 日本のくらし
4月から母校で非常勤をやらせてもらえることになり週一日、早稲田へ。先日、以前よく行っていたお店に行ってみました。天麩羅の「いもや」は早稲田通りの一つ裏、あまり目立たない通りにあります。渡米以前、おそらく8年前ごろはまだやっていましたが、ご夫婦(だと思う)ともだいぶんお歳をめしたはず。さすがにどうかと思ったのですが、うれしいことにまだ続けていらっしゃいました。

味も出し方も、全然変わっていなくて、たいへんおいしくいただいたあと、ちょっと話してみると、ここで店を開いて29年目、とすると私はちょうど開店当初に通いだしたことになります。あちらも顔を覚えてくださっていて、「まだやっていてくれてうれしかった」と話すと、もうお二人は75歳を回っていらっしゃるのだけれど、「どちらかが倒れるまで」続けるおつもりとのこと。

岐阜から一週間に一度通っていると話すと、お土産にしなさいと、天かすを持たせてくれました。写真のようにうどんに入れましたが、うどんが大好きなはずの娘が、天かすだけを拾って食べていました。

新しい生活パターン

2012年04月15日 | 日本のくらし
4月になり、先週から娘が幼稚園に行きだしました。さらに嫁さんが週5日働き出したので、仕事が少ない(トホホ...)私が家でより家事を担当することになりました。米国ではずっと二人にサポートしてもらっていましたが、今度は私がサポートに回る番。とはいえ、木曜日には言語類型論の授業を担当することになったので、その準備や研究をする時間も確保せねばなりませんが、同居の父母も帰宅後の娘の面倒をみてくれます。

朝の登園が8時30分。6時にみんなで起きて、朝食や身支度。娘は嫁さんが幼稚園へ連れて行き、居残る私は後片付け。帰りは私が迎えに。幼稚園を出てすぐに公園があるので、娘はすぐにかばんをおろしてダッシュ。花を摘んで、シーソーで遊んで、猫を見つけてなでなでして...と、大人が歩けば10分の道を、30分以上かけて帰ります。「下園する子を迎えに行く」とはたんに安全に連れて帰る、ということではないのだ、と初めて知りました。

さらに、わが家は、幼稚園の「交通安全委員会」の一員になったそうで、娘の所属する「うさぎ組」の見張り当番の配置を決めたり、陣頭指揮に立ったり、ということをするようです。さっそく先日、幼稚園で一時間半ほどの会議があり、午前中がまるまるつぶれました。子供が幼稚園に行くと子供だけでなくて、親もかなり忙しくなる。。。 知りませんでした。

その際ちらっと教室内をのぞくと、椅子の上に立ち上がってなにやらしゃべっている女の子たちがいて、早くも「女王」として君臨か、と。娘もそこに混じっているか、と思うとさにあらず、そこからは遠く離れた床に座って一人で絵本を見ていました。いまのところ、マイペースで淡々とすごしているようです(このあたりは父親似)。たずねると、「楽しいよ」と言いますが、本当のところはどうなのか、さっぱり分かりません。こんなふうに、これからますます、われわれ親の知らない世界が広がっていくのでしょう。

嫁さんが事務職員として働き出したのは、お隣の土岐市にある「核融合科学研究所」というところ。話を聞いた人がみんな、「核」という言葉にぎょっとして、「大丈夫なの?」と言うのですが、「核分裂」と「核融合」はぜんぜん違うそうで、原発との直接的な関係はないらしい。所属はそこのビジターセンターで、国内外の客員研究員の宿舎のアレンジと連絡の担当。楽しい職場のようで、英語を使う場面も出てくるとのこと。大好きなお母さんが夕方まで帰らないので、娘にとっては幼稚園と併せて二重の試練ですが、みんなで協力して、この新しい生活パターンを軌道に乗せていきたいものです。