時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

るすばん

2015年11月07日 | フィールドワークから
11/4~5は一泊で、三重の紀北町海山地区へ。いっぽう岐阜のわが家は、若いときの事故の影響が高齢になってあらわれ、すっかり歩行困難になった父が、人工股関節にする手術の日。付き添いで母も病院、娘は学校、私は南紀。みんなをおくりだした嫁さんは、「ゆるキャラ出勤」の代休でひとり家に。ゆっくり読書して、ふだんできないかたづけでも、と思ってたところに電話。父の長姉が倒れて意識不明だと。

このかた、若い頃の奔放な行状もあって身寄りがなく、施設に入れられていた人。めんどうをみていた父夫妻は、手術で身動きとれず。「ともかく誰か来てください」といわれ、他にいないので嫁さんが病院に行くと、「明日までもたないでしょう」。甥にあたる私も(たぶん)会ったことがない、もちろん嫁さんも。名前を聞かれても確信なし、施設の住所を書けと言われたが知らない。病院側も困惑。というようなドタバタのすえ、初対面の、意識のない人を看取るかもしれなくなった嫁さん。

父の手術が無事おわり、母と、やはり急報をきいて名古屋からかけつけた叔母(病人の妹)がきたのが夕方。嫁さんが偶然代休だったのがさいわいしましたが、いろいろ、いっぺんにくることってあるものだなと。けっきょく、明朝、叔母は亡くなったそうです。

そんなこんなを、ただ聞くしかなかった私、調査でいろいろ教えていただけただけでなく、初日の方には藍の生葉染めのマフラーを分けていただき、Bloomingtonでの私たちの経験も聞いていただいて、もりあがりました。二日目の方には清流・銚子川沿いのドライブに連れて行っていただきました。

訪れた相賀地区の駅近くに Cafe do Brasil という喫茶店があって、調査後、時間があったので寄ってみました。案の定サッカー好き、どころか息子さんがJリーガーという方。高校時代からお知り合いという、JFA専務理事の原ヒロミさんのサインはあるし、ご主人は埼玉出身で、私の高校の当時の監督もごぞんじ。40分以上、楽しくお話しさせていただきました。と、ひとりだけ、暖かな南紀でいい思いをして帰ってきたのでした。

ゆるキャラダイエット

2015年11月06日 | かぞく
先々週のこと、嫁さんがつとめる「核融合科学研究所」のオープンキャンパス(大学院もあるので)があり、娘といきました。もう3回目なので、だいたいようすもわかっていますが、今回はわが家にとってちょっと特別なことがありました。

このイベントの目的のひとつが地域サービスらしいのですが、今回、こどもたちをターゲットに、写真の4人(?)の「ゆるキャラ」をよぶことに。この研究所のマスコット「プラズマくん」にくわえて、岐阜清流国体の「ミナモ」、土岐市の「とっくりトックン」、「志野田茶太郎」。とはいっても、着ぐるみをかりるだけで、はいるのは所員。その一人に嫁さんが抜擢(?)されました。

登場して愛想をふりまくだけでなく、ゆるキャラたちといっしょに、岐阜国体のテーマソング(はばたけ、未来へ)で「ミナモダンス」をおどろう、という企画もあり、イベント前の半月ほど、日に30分から一時間ていど、ダンスの練習をかさねてきました。「サクラ」のこどももいるといい、ということで、新体操4年目でダンス好きの娘も、ほぼ毎晩いっしょに練習。

さて当日、着ぐるみは手足の自由がきかないので、じたばたしてるだけ。いっぽう娘は「茶太郎」のおかあさんとおどっておおよろこび。着ぐるみは(しんどいので)交替で着るため、生身でおどる回もあり。各人、練習の成果は披露できたようです。

ところで、この企画には予期せぬ成果が。本番がちかづくにつれ、嫁さんの体があきらかにひきしまってきたのです。かんがえてみれば、週に4~5日、30分以上のエアロビクスをしているようなもの。ということで、ここ一発、体をしぼりたい、というかたは、ゆるキャラにはいっておどる役割を買って出てはいかがでしょうか。

…それから二週間、「ダンス部」の活動が復活したそうです(着ぐるみはありません)。効果をみんな実感したんでしょうか。あるいは、ストレス解消か。

鵜島再訪

2015年11月05日 | フィールドワークから
11/1の日曜日、昨年おとずれた鵜島へ。確認したいことがあって前回の話者にお願いして教えていただきました(結果、さらに謎が増しましたが)。朝、出発して、福山まで新幹線、そこから「しまなみライナー」で伯方島へ。タクシーに来てもらって、渡船の出る尾浦港へ… との算段でしたが、タクシー会社に電話してみると、「今日は用事ができたからダメ」。そんなのありか… でもそういえば、夏に学生と調査に行った長島町(三重県桑名市)でも、「2台の回すのは無理」と言われたっけ。ここはまして、きっと個人なんだろうし、ふだんはめったに客もこないのだろうし。

島内循環バスも2時間後にしか来ないので遅すぎ。万策尽きたので、話者の方に電話して、すこし待っていただくお願いをして、港まで歩くことを決心。地図上では近そうに見えたのですが、実際には4km強のアップダウン。録音装備の入った重いスーツケースを引きずって汗だく。途中の有津(あろうづ)は眺めがすばらしいのですが、楽しむ余裕なし。なんとか一時間後の、ひとつあとの便にまにあいました。

鵜島へのフェリーは今年3月に新しくなってキレイで快適、日に7便もあってとても便利…だけど行き、帰りとも、お客はわたし一人。鵜島に商店もないし、この船が島の飲料水も運んでいるので、なくすわけにはいかないそうです。(笑福亭)鶴瓶さんが来て以降、島に訪れる人が多くなって、今年はKAT-TUN(?)とやらも来たそうですが、この日の来訪者は私と、猪退治のスタッフ(とつれられてきた猟犬)だけ。

今回、日曜日に調査をおねがいした理由のひとつが、「うしまカフェ」。島の港にある、このかわいいカフェは、土日祝日のみ営業。この日のお客は、島民6名と、ふだんは(四国本土の)今治におすまいの、話者の方の娘さん。島の人が集まるところで調査ができれば、話者の方も気楽だろうし、他にも何かあるかも、とひそかに期待していましたが、じっさい、鵜島の歴史調査に携わっている島民の方と知り合え、たいへん意義のある再訪になりました。家族で来たかったのですが、また次回。

島には宿がないので、となりの伯方島にもどって旅館に一泊。風呂に降りてみると、その前の広間はカラオケで大盛り上がり。「♪親に捨てられ~女房に死なれ~♪」… おおお、そりゃたいへん(そんな唄あるんだ)。かなりの大音量でしたが、泊めてもらったへやにはほとんど聞こえてこないようで、気づかなかった。部屋の位置を配慮していただいたようです。