時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

4年後をめざすこと

2006年02月28日 | 
冬季五輪が閉幕したとのこと。私は今回一つの競技も見ていません。いつも見ているスポーツ専門のWebページ(SportsNavi)で多少ようすを追っていましたが、選手の競技後のインタビューで印象に残るものがたくさんありました。

音声学の分野にも4年に一度の大きな大会があります。ICPhSというもので、前回は2003年8月にスペイン(カタルーニャ)のバルセロナで開催されました。私はFCバルセロナ(サッカー)の大ファンなので、バルセロナ行きたさに申し込み、何とか審査を通ってポスター発表をすることができました。

ちなみにその時バルセロナは、シーズン前の練習(出稼ぎ)でアメリカにいて不在、私はスタジアムツアーに参加して、彼らのホーム、Camp Nouの中を見てピッチにも立ちました。さらにジョギング好きの私としては、森下・中山・有森・山下らが活躍したマラソンコースの難所、モンジュイックの丘を自分で走れたことも、うれしかった(この丘の名前を「心臓破りの丘」と同様の「悶渋一苦の丘」だと思っていた人を私は知っています)。

まじめな話、すでに留学を考えていた私はそこで何人かの先生や学生に会い、話を聞いてもらうことができましたし、Indianaの教員・院生もたくさん来ていて、話しませんでしたがKen先生もいて、結局今いるIUBに入れてもらうきっかけにもなりました。たくさんの人が集まるセッションのスピーカーになるといった、いわばメダリストのような立場ではなく、いわば参加しただけでほとんど注目されない存在でした。それでも、「参加することに意義がある」と思っていたわけではなく、その時点での全力は出して来たつもりです。

一週間の大会が終わり、ビーチ(地中海)に座って夜の海を見ながら話したことが今でも印象に残っています。華やかな閉会式が終わったあと、私は呆然として、そのとき一緒に来てくださったとある大学の先生に「閉会式で『4年後に会いましょう』と言ってたけど、4年後どうしてるかなんて、想像もつきませんよ」と言うと、「それはみんな同じですよ。わたしだってそうです」という答えが返ってきました。

気が遠くなるほど先に思えたその「4年後」はもう来年。今回はドイツだそうです。その大会に間に合わせて何か仕事ができるか、たぶん全部で2,000ドルは下らない費用が捻出できるのか、今は分かりません。でも、とりあえずそのときのイメージどおり留学はできて、ここにいます。

トリノ五輪にもどると、記事を見る限りトップクラスでさえ経済的サポートが満足に得られない状況の人が多いそうですが、それでも「4年後を目指す」と言う選手たちは意志が強んだなあと思います。その努力を繰り返して何度も出場する人たちなんぞ、超人に思えます。逆に引退を表明する人にも「これ以上周囲に迷惑をかけられない」とか、「資金が得られず、もう限界」とかさまざま事情があるようで、思いを残しつつ一線を退くことを決断するのも、勇気が要ることでしょう。

とはいえ、世の中いろんな人がそれぞれの分野で努力を続け、時に「続ける」「断念する」の選択もしているわけで、これはスポーツの世界に限らないことでしょう。自分の好きなことを続けるかどうかの選択をするのだから、まだ幸せなのかもしれません。まして、われわれの分野はスポーツ選手よりは「現役」でいられる期間が一般的には長いので、元気でがんばれば好きなことを長く続けられる可能性がある。それでも、さまざまな事情で研究からは遠ざかる人もいるでしょうから、私はとりあえず現時点でまだ「現役」で、「オリンピック出場」を視野に入れて努力を続けられる状況にある、というだけでも、幸せなことです。

写真はその時バルセロナで撮ったお気に入りのもの、有名なサグラダ・ファミリアの敷地内、すぐ脇にある集会場の庭の夕暮れ時です。黒猫はちょうどそのときゆっくりとプジョーの前を移動していくところでした。

実験台

2006年02月26日 | Indiana大学
もう2週間くらい前のことです。いつも見ているCognoscenteという認知科学のメーリングリストの募集に反応して、ある実験に参加しました。とても面白かったので紹介します。これはNosofskyというカテゴリ学習に関する認知心理学の研究をしている先生のグループのポスドク、Marioが募集をかけたものです。幸い使ってくれて、セッションに参加。

あまりにも詳しいことを書いて研究の邪魔になってはまずいのですが、もうこの実験セッションは終わったはずですし、しょせん実験の本当の意味は私には分かりませんので、大丈夫だろうと。日本の認知科学研究者のみなさんなら、逆にこんなことが行われているのは、先刻ご承知でしょうし(←こんなブログ読んでないって)。さて、アポイントの時間に行くと、PCが1台置かれている暗~い部屋に案内されました。

詳しい説明は(実験台ですから)受けなかったので、細かいことは分かりませんが、手順は以下のとおり。画像として挙げたようなものがPC画面のど真ん中に表示されます。これは本物ではなく私が似せて作ってみたもので、上下左右に4種類挙げました。これを見て、
A 左の四角の色が明るい赤であるか、右の3本の棒の真ん中の短いのが左に近ければ、マウスの<左クリック>、
B そうでなければ<右クリック>
ここでいえば、左上と右下は、赤が明るいので、左クリック。右上は赤は明るくないけど、棒が左に近いので左クリック。右クリックは左下のものだけです。色や棒の位置は、明らかなものから、「どっちだ?」と迷う微妙なものまでさまざまなものが現れます。

「ピー」という予告音が鳴ってこの図形が現れ、たぶん1秒くらいで判断しないといけません。間違ってれば「Wrong」と宣告されるし、時間切れでも「Time out」と宣告されて×。速くかつ正確な判断を要求されるのです。慣れて来たところで数えながらやってみたところ、1回に120個の図形が表示されるようでした。休みを入れつつ6セクションですから、720個。所要時間は休憩を抜かして35分くらい。集中力が必要とされるので終わるとくたくたになります(ちょっと授業に影響)。

ちなみに、参加費あり。正解率が95%以上だとボーナスが出ます。

面白いのは、色も、棒の距離も「ここがグループの境目だよ」とはあらかじめ教えてくれないこと。「ちがうよ」という教示だけを頼りに、境目をだんだん学習していくということみたい。カテゴリ学習の実験なんだから、当然なのでしょう。微妙なゾーンのものはしばしばまちがえて「あ! ちくしょ~」などとぶつぶついいながら、暗い個室で図形に向かいました。(つまり、ものすごく真剣にやりました)

さらに面白いのが、一晩寝た次の日の結果です。別に何にもやってないのですが、なぜか境目を見分ける能力が上がっているのです。正解率がすごく上がり、なんと98%。ボーナスげっと。たぶん「限界までがんばるヤツ」と判断されたからでしょう、さらに2日間のセッションに呼ばれ、計4日間連続で同じテストを受けました。そんなわけで2日目以降はボーナスももらえてかなりもうけました。助かったの何の、しばらく食費の出費がかかりませんでした。

2日目で自分の判別能力のほぼ限界まで向上したらしく、最終日まで約2%の不正解率は残り、最後も720個のうち12、3個間違えました。それにしても、ただ一晩寝るだけで、学習した恣意的なカテゴリが安定して強化されるんでしょうか。睡眠と記憶の定着の関係もさかんに研究されているようですが、自分のことながら、人間の能力って不思議です。

ともあれ、Port先生のに続き、これまた自分の結果が論文に使われる可能性があるとは楽しみ。4日間でいったい自分の何が変化して、何が飽和したのか、ぜひ知りたい。もうかるし、またこういうのがあったら、絶対やりたいと思ってます。

印刷媒体デビュー(ただし声だけ)

2006年02月24日 | フィールドワークから
この世界も狭いもので、あちこちの音声学研究室のサイトで手に入る音声は、だいたいその時の院生や研究員が発音して吹き込んだものだったりするようです。音声学の授業でIPA転写の試験が毎回出ますが、この間は「これはKeith Johnsonさん(UC Barkeleyの先生)」とEricが教えてくれて、「ほぇ~」と一驚き。講談社ブルーバックスの『英語リスニング科学的上達法』シリーズのデモビデオに写っているのも、Ann BradlowというNorthwesternの先生だそうです(本人が研究グループの一員)。共同研究をした事のあるNさんによれば、あの本のビデオには他も知っている人がいっぱいだそうです。Ladefogedの本も本人の横顔があったりするし、みーんな研究者本人がやる。他の誰かに頼めばいいのにと思いましたが、顔を出すとなると、お金かかるか。

ところが私にもなんだかそんな機会が。もう先週の話。その日も院生室の「主」となって勉強していると、音声学のBob Port先生がやってきて「ちょっといいかい?」。何か雑用だろうと思ったのですが、もうちょっとだけ頭を使う頼みで、日本語のミニマルペアを一緒に考えてくれ、とおっしゃる。どうやらいわゆるモーラ音素(とくに促音・撥音)のあるなしで対立するペアがほしいらしい。で、一つ二つでいいらしく、思いつくままアクセントが一致している例を探して「鳥・通り(助詞をつけるとダメですが)」「肩・勝った」を提案。途中からKen先生も参加して、「鳥・通り」は助詞無しで発音すればいいだろう、とかアイデアをくれました。結局、条件がそれほど厳しくないらしく、最初の提案がそのまま採用になりました。

Port先生のことはご存知の方もいらっしゃると思いますが、タイミングの研究をずっとしていて、最近は「音素」という単位の音声情報処理レベルでの存在を否定しようという考えで研究をすすめているらしい。で、その例についてネイティブスピーカの録音がほしいという、誰かと思えば、私。。。

私は、岐阜生まれ(多治見市)で両親も岐阜の人。3歳で名古屋市に引っ越したので岐阜の記憶はほとんどありませんが。そのあと、中学を金沢、中学以降を埼玉・神奈川・東京とあちこちで過ごしているので、自分の音声を「日本語代表」として使っていいとは、ちょっと思えない。私自身が研究をするなら、絶対使いません。そもそも実験などについて無知ではない、という問題もありますが。(ちなみに、誤解が少なくないのでぜひ書いておきたいのですが、岐阜は一部を除いてほとんどが東京式アクセント(の一変種)の地域です。ですから私も私の家族も、金沢の3年間を除いてずっと東京式アクセントの地域で暮らしてきました)

さて、ともあれ頼まれたので、アパートでフィールドワークに使っている装置で録音したのが画像のもの。「肩・勝った」ペアとアクセントを一致させようと考えた「取れ・通れ」ペア。授業で教わっているWavesurferの画面です。上が「あいつは『取れ』と言った」下が「あいつは『通れ』と言った」。さすがはTVも何にもなくて静かな(寂しい)わがアパート、ノイズがなくてきれいな音声。「行った」の「っ」の無音区間が本当に無音(フォルマントの動きがない)ことでご確認いただけます。

Port先生はどうやら音声の質など気に入ってくれたらしく、どれかを使うそうです。どんな文脈で用いるかは、まだ謎ですが。だからおそらく、スペクトログラムだか、音声波形だか何かが、いずれ発表される論文のどこかに(ちょっと)載ると思います。ということで、私もついに不特定多数が見る印刷媒体にデビュー。写真などじゃなくて幸いです。でも、私なんかが日本語代表でいいのか、やっぱり不安です。

合格しておくように、それが宿題だ

2006年02月18日 | Indiana大学
今日はL541・Introductory Phoneticsの実験セッションの日です。毎回宿題が出てますが、今日のはちょっと変わっていました。それはProtection of Human Research Participants Certification Testというのをオンラインで受験して、合格するというものです。これはIU学内の試験ではありますが、HDDSとFDSとかいう機関が定める、合衆国全体の基準に準拠して各大学で設置する、ということらしい。この試験にパスしたうえで、研究計画を提出して許可を得ないと、人を使った実験はできない(学会発表・論文などにできない)、無許可でやったらきつい罰則がある、ということのようです。

アメリカでは人を使った実験について非常にうるさい、とは聞いていましたし、思えば以前マサチューセッツ大学のSさんの実験に参加したときも、実験内容を理解した上で参加の意思を表明してサインをする手続き、つまりはインフォームド・コンセントがありました。自分自身もそういうことをする必要がでてくるとは、宿題に出されるまで思いつきもしませんでしたが、言語学科ならたいてい研究対象は人間ですから、音声学でなくともいずれ必要です。

オンラインのテストは合格するまで何度でも受験可能で、金曜日までに合格すればいい。Web上に50ページほどのチュートリアル(PDF)が用意されていたので、難しい問題については関連箇所を検索して読み、20問を1時間近くかけて解答しました。なんとか一発合格。70%の合格ラインで80%でした。間違えた4問のうちの1問を以下に。

You are interviewing parents about child rearing practices. Your informed consent document should include

1. an assurance of absolute confidentiality.
2. a statement that you are required to report child abuse to state authorities.
3. a promise to go to jail rather than give up your data pursuant to a court subpoena.
4. only a general statement that confidentiality cannot be guaranteed under all circumstances.

裁判沙汰も関わるし、医学での人体実験などを念頭において作られていることもあり、単語がところどころ難しい。subpoenaとかpursuantとか、初めて見ました。悩んだ末、「4」と解答しましたが、違ったようです。受験結果ページに正答は出ませんが、不正解の理由説明は表示されます。勉強して考えて再受験せよ、ということみたい。たぶん正解は2。子供の虐待の可能性があったら、守秘義務よりその通知を重視せよ、ただしそのことは親にははっきり断っておけ、ということだと思われます。

宿題OK。ほっとしました。ここまでは入学以前に日本で録った音声データを分析するだけでしたが、今後は学内のInstitutional Review Board (IRB)ってところに書類を提出して、許可を得てから実験を開始、ということになります。多少めんどうですが、日本にいても近いうち同じことになるでしょうし、研究者の果たすべき社会に対する当然の責任、と考えなければいかんのでしょう。早く本物の書類審査も経験したいものです。

院生室の主

2006年02月17日 | Indiana大学
忙しくて記事を書く暇がありませんでした。書きたいことはあるんですが。。。

写真はMM318、言語学科の大学院生の談話室です。去年の5月にはじめてIUを訪れたとき、学科秘書のマリリンが「ここが院生の談話室、ここでみんなお昼を食べたり読書をしたり、おしゃべりしたり...」と説明してくれるのを聞きながら、「狭い・・・日本の大学の院生室のほうがよっぽどましだ」と愕然としたのを思い出します。IU言語学科が裕福な学科でないことがうかがい知れました。実際その通りでしたが。

部屋の写真は新しく買ったデジカメで撮ったのですが、実際の印象よりもきれいに写ってます(断言)。おそらく6畳程度のスペースに、二人くらい座れるソファ、黒板、古~い電子レンジ、PC(つい最近新調、なぜか絶対Mac)があります。椅子3つ、机1つ。いつも新聞やらチラシやらが散乱して、雑然とした感じ。

最近は月・水の午前中の音声学の授業が終わるとここに来て、午後の音声学ゼミまで勉強します。火・木の文法論のあとも復習しながら、もう一つ授業をこなして戻ってくる北川先生を待って、質問することが多い(LF、難しすぎ)。学生や先生がかわるがわるやって来ますが、たいてい私がいる。そのせいか(?)長々といる人は少なく、授業へ図書館へと去って行きます。「またいるの」と思われてるかも。図書館に行くことも多いのですが、ここだとお弁当が広げられて、応用言語学科のキッチンに用意されているコーヒーが飲めるので(タダです)、コーヒーショップにすら行かない貧乏(ケチ)なワタクシは、この部屋の「主」と化しています。

デジカメはCanon製、日本でIXYと呼ばれているものとほぼ同じだと思いますが、名前は違います。PCに続き、またも日本のもの。ニューモデルが出たところだったので、値下げしており$306くらいと、かなりお買い得でした(Amazon.comの通販です)。PCやカメラなど精密な電子機器は、どうやら日本製がまだなんとか優位を保っているみたいです。

明日か明後日には、最近参加した実験について報告しようと思っています。

ルーツが重要

2006年02月10日 | 
毎朝NY Timesの見出しだけはチェックして、面白そうなものを読むのですが、Businessのカテゴリにちょっと不思議な記事を見つけました(2月5日)。DNAを使った先祖探しアメリカで商売として規模拡大中、という記事です。たとえばハワイ在住のBoppさんは、父方をたどっていくと1650年ごろのマサチューセッツにさかのぼり、母方をたどっていくと1748年にドイツから渡ってきた人たちにたどり着いたのだそうです。ある会社の需要は1年で2万人、500万ドルの売り上げだそうです(!)。

なんでも商売になる国だなあと呆れ、いや関心したのですが、待てよ…と。ご存知のとおりアメリカはキリスト教が圧倒していて、いわゆるIntelligent Designの提唱者が「進化論による生物多様性の発生の理論と並行して、神…とは言わんが神の「如き」知的な存在による世界の創造を科学として認め、授業で教えよ」という、裁判まで起こしているという国です(勝てないみたいですが)。

進化論の成果の象徴のようなDNAテストと、神による創造を唱える信仰心とはどう折り合いがつくんだろう? と一瞬悩んだのですが、不思議ではないのかも。先祖が、自分のルーツが知りたい、という気持ちと、自分が無目的な自然の作用によって偶然誕生したなどと思いたくないという気持ちは、自分の存在に確固たる根拠を求めたい、という意味で根本的には同じなのでしょう。DNAテストがどういう考え方を根拠に持つかということは棚上げして、信頼性が高いなら使いましょう、というのだとしたらなんとも融通無碍。イギリス人はご先祖様にこだわるので驚いた、というKen先生の話を以前書きましたが(1月28日)、アメリカ人もどうやらご他聞に漏れないようです。

ところでこのテスト、限界があるのだそうです。まず、比較のためのデータがなくてはいけない。つまり他人のDNAもなくちゃダメ。だから、ご先祖様が共通かもしれない人(苗字が同じとか)にも頼んで、口の中の粘膜を一こすりさせてもらったり、既存のデータベースの中にご先祖が一致するものがあることを祈ったり、ということで昔のことまで分かるには何年もかかる可能性が高いのだそうです。とりあえず1700年くらいのケンタッキーまでで止っちゃいました、なんてこともあるとか。

もう一つの限界は、たとえばわれわれは10世代・300年ほどさかのぼれば、1,024(2の10乗)のご先祖がいることになるけれど、分かるのはそのうち2つの流れだけだということです。つまり、男性にだけ伝わるY染色体を利用すると、「父の父の父の父の父の…」と遡っていけるけれど、「父の父の母の…」となるとお手上げ。逆にミトコンドリアDNAを使うと「母の母の母の…」(以下省略)。

1000人も可能性があるうちたった2人しか判かんないのに、それでも知りたいのかーと半ば呆れたのですが、再び「待てよ…」。逆に考えれば、遺伝的にたどれるのは男系・女系のそれぞれたった一本だけ。だからこそ父系を保つ、母系を保つということに意味が出てくるわけで、つまり「子々孫々、ある『特定の』大元までたどれる状態を維持する」ということになるわけです(この推論は正しいでしょうか? 間違ってたらぜひ教えてください)。

皇室典範の改正議論について「女性が天皇になるのは否ではないが、女系を可能にするのは否」という意見があり、その論拠に「男性だけに伝わるY染色体が(再び以下略)」という論理を持ち出す人がいて、なんぢゃそりゃ? と思ったのですが、それは上記の論理でいくと「『特定の』大元までたどれる状態を失ってはならない」と主張している、ということになります。過去父系を維持しようとした人たちがDNAテストによる遡及の可能性を残そうとしたわけはないでしょうが、男系(ないし女系)維持に実践レベルでの意義があるらしい、ということは私には発見でした。この論理でいくと、もし皇族が「女系」として続いていたなら、これまたそれを断ち切ってしまうと、大元に戻れなくなるから、今皇室典範改正に反対してる人は、まったく同様の根拠をもって「女系を維持せよ」と主張するはずです。間違いありません。

とはいえ、今回父系を維持することになって「元までたどれる」状態を維持したとしても、だからといって、じゃあひとつ実際にその「元」を辿りましょう、なんてことは絶対ないんだろうから、「元まで辿れるんだぞ」という状態を維持するだけでいいということでしょう。さすが日本人、融通無碍では負けてはいません。

皇室にお子さんが生まれそうということで、皇室典範改正議論をストップしよう、という勢力が台頭しているというニュースがこちらにも聞こえてきました。さまざまな意見が自由に表明されるのはいいとして、日本の一部の新聞(Webだけですが)の書き方が気になってます。ある雰囲気を醸成しようと先走っているような感が… ともあれ、海の向こうもこちらも、ルーツ=存在の根拠にはやはり大変強いこだわりがあるんだなあ、という感想です。

仙台の思い出

2006年02月08日 | 
仙台ということで久しぶりに東北方言か、と思うと全然そんなことなくてすみません。サッカージャーナリストの富樫洋一さんがエジプトで急死、というニュースを見て驚きました。風邪をひいて寝ていたときに亡くなったとの一報です。ここんところアフリカのサッカーの取材が多かったようですが、ネイションズカップの決勝を見る前に取材先で客死、ということになってしまったらしいです。

私はサッカー関係者に個人的なつながりは一切ありませんが、富樫さんには直接会う機会がありました。Chievo Veronaというイタリアの一部リーグ(Serie A)に奇跡的な残留を続けているチームがあるのですが、そこが仙台に出稼ぎに来てベガルタ仙台と試合をする、というイベントがありました。その試合前夜のレセプションに何故だか参加できて、そこに、おそらく仕掛け人の一人だった富樫さんがいたのです。サッカー実況の西岡明彦さんもいて、レセプションのようすをビデオで録画してました。

富樫さん、TVの解説ではしょーーもない駄洒落ばっかり言っている印象でしたが、実際に話してみると、慎重かつ的確な分析を聞かせてくれて、「やっぱりその分野の専門家ってのはそれなりに力があるんだなあ」と思ったものでした(私が評価できるのか、という問題がありますが)。

その時知り合った方が運営している「★Chievo星降る夜に★」というサイトで確認してみると、なんと2003年(6月)の出来事。あれから3シーズン、あの時来ていたChievoの選手は...まだけっこう残ってます。意外。監督のDel Neriさんは2度チームを移ってそれをクビになったばかり。一方ベガルタにいた人で、いまだにJ1でプレーしている人は何人いるでしょうか。プロの選手でいつづけるというだけでも、大変なことでしょう。監督は私の高校の先輩でしたが、比較的すぐクビになっちゃって今は解説してるはず。友人の友人のだんなさんは数シーズン後に引退して、Veronaにコーチ修業に行ったとか。富樫さんは亡くなって、まあついでに付け加えれば私はアメリカに。時が経つと事情はそれぞれ変わるもんです。

そのレセプションにある若くて身体の小さい選手がいたのですが、彼はいかにもスーツなんかめったに着ませんという感じ、一般客とは話さず、ちょろちょろこそこそ、隅っこでジュース飲んでました。顔に見覚えはあったのですが、その時は名前が思い出せなかった。レッズにいた石井選手なんかは話しかけるとかなりきちんと対応してくれたのですが、彼はまだプロとして一般人と交わるのに慣れてない感じでした。

その選手は次の日の試合、抜群にキレていて、このオフのイベントを最後に引退したもとドイツ代表のビアホフがインタビューの中で「あの選手いいですねえ、Chievoは契約を考えてはどうかと思います」と(社交辞令半分に?)言ってたような記憶があります。その人、佐藤寿人選手はついに日本代表に呼ばれて今アメリカにいるという話。今から思えば、その時一番光ってた人がその後台頭した、不思議ではない、ということになるのでしょうが、きっと相応の努力があったんでしょう。

富樫さんに戻ると、試合のあと仙台駅近くのコンビニでまた出くわすと、ちょっとだけ立ち話に応じてくれました(奥さんとお嬢さんと一緒でした)。ということで、亡くなった富樫さんを引き合いにさせていただき、仙台での、もう2年半も前の個人的な思い出について振り返りました。ご冥福を。

最近の生活のペース

2006年02月06日 | Bloomingtonにて
気がつくともうこちらで暮らしてもうすぐ半年です。「なるべく物を持たない」という方針で暮らして来ましたが、どうしても必要なものを少しずつそろえ、それなりに快適になってきました。もっとも、このあいだ部屋を見たOさんは、あまりに何もない部屋に驚いて、「Futon(ベッドにもなる折りたたみソファ、日本の「蒲団」ではありません)くらい買ったらどうです? 運んであげますよ」と言ってくれてましたが。

最近の一番のヒットはコーヒーテーブルです。今、私はこの部屋の作り付けのダイニングテーブルに向かって、いすに座ってこの記事を書いていますが、本当は地べたに座りたい。そこで近くのディスカウントストアで見つけて、またまたOさんに頼んで運んでもらいました。楕円形で、日本のちゃぶ台より大きく、たぶんちょっと(5cmくらい?)背が高いのですが、問題なし。おかげで読書の効率が格段に上がり、大成功。今学期はAdvanced Syntax、Seminor in Phoneticsという授業を受講しているので、もう教科書ではなくてジャーナルの論文や学術書を読むのですが、遅いながらもコツコツと読み進めています。ここまでで一番難しかったのはChomskyの”Barrier”。あまりに分からないので、途中何度も気を失いました。

さて、日曜日は家事の日。25¢硬貨が3つしかなかったので洗濯は延期して料理を。大きなナベ一杯に数日分の野菜スープを作りました。最近よく作るのが、トルティージャ(tortilla)。こちらで安く買える材料で作れるのです。たまねぎ・ジャガイモ(アイダホ州産がよく売ってます)は10ポンド(4.5Kgくらい)が$2.99、にんじんも細~いのが7本くらいで$0.79、卵はLサイズが1ダース=12個で$1.09(特売じゃありません)。パルメザンチーズも、ソーセージやハムも安い。あとはほうれん草を入れたり。日本ではスパニッシュオムレツと呼ぶことが多いみたいですが、アメリカでも、トルティージャというと、何か別のものを想起するらしいです。

日本から持ってきた万能スライサー、日本では下ろし金の機能しか使っていませんでしたが、こっちではジャガイモをスライスするのに活躍しています。使うかもしれないと思うものは捨てないで荷物に入れるべし、と以前書いたのですが、これも持ってきてよかった。なければ、思い立ったときにすぐ作れず、また次の週末にしようか、ということになったでしょうし、買いに行ってもどこのどれが安いか、どういう機能のものがあるか、いちいち悩むことになります。店の品揃えや値段もある程度頭に入ったので、今ならなんとか選んでくると思いますが、右も左も分からないときに、そういうものを一つ一つ、値段と必要性を考えつつ選ぶのはしんどいことだったでしょう。こっちでフタ付きのなべを買ったのですが、このフタを利用するとひっくり返すのも簡単で、毎回の出来上がりも安定してきました。

レシピは、googleで検索して見つけたEMI's KitchenというWebページのものに基本的には従って、手持ちの材料で3人分くらいの量をいっぺんに作るようにしています。これをその日の夕食で食べて、次の日のお弁当に入れるのが一つのパターンになりました。料理に割く時間も減らせるし、安上がりだし、貧乏暇無しの学生には助かる。アメリカに住むならお奨めです。トルティージャはこちらで覚えた初めての料理です。生活にも慣れてきたことだし、そろそろこのようなWebページでも参考にさせていただきつつ、こちらで入手可能なものを使ったレパートリーを少しずつ増やしていこうと思っています。

2月7日に訂正:買い物に行って、ジャガイモの値段と量を確認しました。全然違っていました。もっと安いはずだが、と自分でも思いながら書いていましたが。

お得感 in US

2006年02月04日 | 旅行記
新しい学期が始まり、とりあえずペースに乗せようと毎日ひたすら淡々と勉強する毎日です。そのせいか、ここに書くようなことも何もありません。今日もあったことといえば、Jungsunさんと、この町に二軒ある韓国料理店のうちの一つへ初めて行って食べたら、あまり美味しくなかったということくらい(好物のスンドゥブチゲを注文したんですが)。

で、アルバカーキのアメリカ言語学会に行った時にあったことで、書こうと思って忘れていたことを思い出しました。アメリカで暮らしたことがなくてもご存知の方は少なくないと思いますが、こちらの商品の値段のつけ方はほとんど徹底して端数になっています。ちなみに今手元にあるArby'sというファーストフードのチラシの値段を見ても、99¢、$1.99、$2.99…という感じ(4for$5というのもあります。一つ買えば$0.80)。食べ物に限らず、日用雑貨などを買いに行っても同じ要領。

この値段のつけ方について、以前どこかで読んだか、聞いたかした気がします。つまり、こうやって「ぴったりの額からちょっと減らす」のが、「お得感」をアピールする一般的な方法なのだそうです。たとえば「10ドル出しておつりが来ますよ!」みたいな。で、お札で払って小銭をもらう。しばらくすると1¢、5¢、10¢硬貨がいっぱいになります。レジで小銭をじゃらじゃら出して数えている人はあまり見かけません。カード払いの人も多いですし。私は日本的な癖が抜けないので、たまにじゃらじゃらやってます(とくに嫌がられません。ここの人はこういうところは鷹揚みたいです。ちなみに、25¢は洗濯のときに使うので、もらったら使いません)。

前置きが長い… さて、アルバカーキでの会場のすぐ近くがCentral Streetという中心街だったのでそこへ食事に行くことが多かったのですが、その辺りにふらふらとたむろしているおじさんたちが近寄ってきて、「だんな~お金をくれよ」と。Bloomingtonでは見かけたことがなかったので、これも「アメリカに来たんだなあ」と思う局面の一つでした。一緒にいることの多かった、Ken先生の旧友の大学の先生が、「分かった分かった」と言ってお金をあげていましたが、気になったのが、彼らが要求する額です。「49セントおくれよ」とか「3クオーターくれよ」と言うのです。

私は「その値段でちょうど欲しいものでもあるんだろうか」と思って、金額の意味を聞いてみると、その先生が「これくらいならくれてもいいだろう、と思う額を言ってるだけだよ」と説明してくれて合点がいきました。彼らは世間一般の「お得な値段設定」を物乞いの要求額に適用しているらしいのです。多少の遠慮のつもりなんだか、もらえる可能性を高めようとしているのか、意図は分かりませんが、ともかく、スーパー等の値段とつけ方と同様のシステムを採用しているのは間違いないと思われます。

ついでに言えば、こちらへ来る前に「チップを小銭で渡すと侮辱と受け取られる可能性があるので気をつけて」とNさんに言われたのですが、それもこのことと関係があるかもしれません。つまり、物乞いに金を渡すような扱いをされたと受け取られる可能性があるということなのではないかと思います。来週にでも話し好きのAndrewあたりに聞いてみたいと思います。