冬季五輪が閉幕したとのこと。私は今回一つの競技も見ていません。いつも見ているスポーツ専門のWebページ(SportsNavi)で多少ようすを追っていましたが、選手の競技後のインタビューで印象に残るものがたくさんありました。
音声学の分野にも4年に一度の大きな大会があります。ICPhSというもので、前回は2003年8月にスペイン(カタルーニャ)のバルセロナで開催されました。私はFCバルセロナ(サッカー)の大ファンなので、バルセロナ行きたさに申し込み、何とか審査を通ってポスター発表をすることができました。
ちなみにその時バルセロナは、シーズン前の練習(出稼ぎ)でアメリカにいて不在、私はスタジアムツアーに参加して、彼らのホーム、Camp Nouの中を見てピッチにも立ちました。さらにジョギング好きの私としては、森下・中山・有森・山下らが活躍したマラソンコースの難所、モンジュイックの丘を自分で走れたことも、うれしかった(この丘の名前を「心臓破りの丘」と同様の「悶渋一苦の丘」だと思っていた人を私は知っています)。
まじめな話、すでに留学を考えていた私はそこで何人かの先生や学生に会い、話を聞いてもらうことができましたし、Indianaの教員・院生もたくさん来ていて、話しませんでしたがKen先生もいて、結局今いるIUBに入れてもらうきっかけにもなりました。たくさんの人が集まるセッションのスピーカーになるといった、いわばメダリストのような立場ではなく、いわば参加しただけでほとんど注目されない存在でした。それでも、「参加することに意義がある」と思っていたわけではなく、その時点での全力は出して来たつもりです。
一週間の大会が終わり、ビーチ(地中海)に座って夜の海を見ながら話したことが今でも印象に残っています。華やかな閉会式が終わったあと、私は呆然として、そのとき一緒に来てくださったとある大学の先生に「閉会式で『4年後に会いましょう』と言ってたけど、4年後どうしてるかなんて、想像もつきませんよ」と言うと、「それはみんな同じですよ。わたしだってそうです」という答えが返ってきました。
気が遠くなるほど先に思えたその「4年後」はもう来年。今回はドイツだそうです。その大会に間に合わせて何か仕事ができるか、たぶん全部で2,000ドルは下らない費用が捻出できるのか、今は分かりません。でも、とりあえずそのときのイメージどおり留学はできて、ここにいます。
トリノ五輪にもどると、記事を見る限りトップクラスでさえ経済的サポートが満足に得られない状況の人が多いそうですが、それでも「4年後を目指す」と言う選手たちは意志が強んだなあと思います。その努力を繰り返して何度も出場する人たちなんぞ、超人に思えます。逆に引退を表明する人にも「これ以上周囲に迷惑をかけられない」とか、「資金が得られず、もう限界」とかさまざま事情があるようで、思いを残しつつ一線を退くことを決断するのも、勇気が要ることでしょう。
とはいえ、世の中いろんな人がそれぞれの分野で努力を続け、時に「続ける」「断念する」の選択もしているわけで、これはスポーツの世界に限らないことでしょう。自分の好きなことを続けるかどうかの選択をするのだから、まだ幸せなのかもしれません。まして、われわれの分野はスポーツ選手よりは「現役」でいられる期間が一般的には長いので、元気でがんばれば好きなことを長く続けられる可能性がある。それでも、さまざまな事情で研究からは遠ざかる人もいるでしょうから、私はとりあえず現時点でまだ「現役」で、「オリンピック出場」を視野に入れて努力を続けられる状況にある、というだけでも、幸せなことです。
写真はその時バルセロナで撮ったお気に入りのもの、有名なサグラダ・ファミリアの敷地内、すぐ脇にある集会場の庭の夕暮れ時です。黒猫はちょうどそのときゆっくりとプジョーの前を移動していくところでした。
音声学の分野にも4年に一度の大きな大会があります。ICPhSというもので、前回は2003年8月にスペイン(カタルーニャ)のバルセロナで開催されました。私はFCバルセロナ(サッカー)の大ファンなので、バルセロナ行きたさに申し込み、何とか審査を通ってポスター発表をすることができました。
ちなみにその時バルセロナは、シーズン前の練習(出稼ぎ)でアメリカにいて不在、私はスタジアムツアーに参加して、彼らのホーム、Camp Nouの中を見てピッチにも立ちました。さらにジョギング好きの私としては、森下・中山・有森・山下らが活躍したマラソンコースの難所、モンジュイックの丘を自分で走れたことも、うれしかった(この丘の名前を「心臓破りの丘」と同様の「悶渋一苦の丘」だと思っていた人を私は知っています)。
まじめな話、すでに留学を考えていた私はそこで何人かの先生や学生に会い、話を聞いてもらうことができましたし、Indianaの教員・院生もたくさん来ていて、話しませんでしたがKen先生もいて、結局今いるIUBに入れてもらうきっかけにもなりました。たくさんの人が集まるセッションのスピーカーになるといった、いわばメダリストのような立場ではなく、いわば参加しただけでほとんど注目されない存在でした。それでも、「参加することに意義がある」と思っていたわけではなく、その時点での全力は出して来たつもりです。
一週間の大会が終わり、ビーチ(地中海)に座って夜の海を見ながら話したことが今でも印象に残っています。華やかな閉会式が終わったあと、私は呆然として、そのとき一緒に来てくださったとある大学の先生に「閉会式で『4年後に会いましょう』と言ってたけど、4年後どうしてるかなんて、想像もつきませんよ」と言うと、「それはみんな同じですよ。わたしだってそうです」という答えが返ってきました。
気が遠くなるほど先に思えたその「4年後」はもう来年。今回はドイツだそうです。その大会に間に合わせて何か仕事ができるか、たぶん全部で2,000ドルは下らない費用が捻出できるのか、今は分かりません。でも、とりあえずそのときのイメージどおり留学はできて、ここにいます。
トリノ五輪にもどると、記事を見る限りトップクラスでさえ経済的サポートが満足に得られない状況の人が多いそうですが、それでも「4年後を目指す」と言う選手たちは意志が強んだなあと思います。その努力を繰り返して何度も出場する人たちなんぞ、超人に思えます。逆に引退を表明する人にも「これ以上周囲に迷惑をかけられない」とか、「資金が得られず、もう限界」とかさまざま事情があるようで、思いを残しつつ一線を退くことを決断するのも、勇気が要ることでしょう。
とはいえ、世の中いろんな人がそれぞれの分野で努力を続け、時に「続ける」「断念する」の選択もしているわけで、これはスポーツの世界に限らないことでしょう。自分の好きなことを続けるかどうかの選択をするのだから、まだ幸せなのかもしれません。まして、われわれの分野はスポーツ選手よりは「現役」でいられる期間が一般的には長いので、元気でがんばれば好きなことを長く続けられる可能性がある。それでも、さまざまな事情で研究からは遠ざかる人もいるでしょうから、私はとりあえず現時点でまだ「現役」で、「オリンピック出場」を視野に入れて努力を続けられる状況にある、というだけでも、幸せなことです。
写真はその時バルセロナで撮ったお気に入りのもの、有名なサグラダ・ファミリアの敷地内、すぐ脇にある集会場の庭の夕暮れ時です。黒猫はちょうどそのときゆっくりとプジョーの前を移動していくところでした。