時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

インディアナも遠い

2009年10月31日 | 旅行記
今回の学会参加は短めで、2泊のみ。今はSan Antonioの空港、ですが・・・

なんと、帰りも便が遅れ。私が発見者で、他の2人に伝えたら「勘弁してくれよ」と本気で怒ってました。というのは、今度の便は夜遅く、アトランタで乗り換えてインディアナポリス到着が11:30。ということは、アトランタで乗り遅れたら、もうその次はありません。つまり、帰れない。

以前は、こういうときには宿泊場所も航空会社が確保したんだそうですが、今はとてもそんな余力はないようで、自分で勝手に何とかするんだそうです。代わりの便は用意してくれるでしょうが。現在、5:20発の便が2時間遅れの7:20発という情報。乗り継ぎ便も遅れるようですが、ちょっと間に合う見込みが低くなってきました。ここまで踏んだりけったりのたびも珍しいかもしれない。

ところで不幸中の幸い、アトランタに住んでいる友人に連絡が取れました。まさかのときは泊めてもらえるよう、お願いができました。さて、どうなることやら、顛末は書きたいと思います。

なお、この記事をアップできているのは、空港内に無料の無線Wi-Fiが通っていたから。これでBloomingtonの家族とも連絡が取れたし、アトランタの友人とも連絡が取れました。

写真は、ディズニーランド・・・ではなく、これまたサンアントニオはAlamo城砦近くでのもの。人を乗せるらしいです。夜まで営業してました。

テキサスは遠い

2009年10月30日 | 旅行記
昨日から、アメリカ音響学会の秋季ミーティングに参加するため、テキサス州はサンアントニオに来ています。写真はディズニーランド。。。ではなく、会場があるハイアットホテルの近くの、River walkという観光名所。ホンモノの川だそうです。この周辺にレストランとホテルがいっぱい。

今回は師匠と、最近Ph.Dをとった先輩の学生(アメリカ人)との3人旅ですが、行きに問題発生。インディアナポリスの空港で最初の便を待っていると、「ミネアポリス空港周辺、視界不良のため、1時間遅らせます」との案内。2:25の乗り継ぎ便に間に合うかぎりぎりでしたが、遅れは取り戻せず、結局、一足違いで乗り逃がし。代わりにデルタが用意した便は、なんと7:30出発。5:30ごろの到着予定が、10:30に。ホテルに着いたのは、11:30。テキサス州は1時間時差があるので、インディアナ州での時間だと12:30到着。

たいして離れていない州なのに、朝9:30に家を出てから15時間、くたくたになりました。

きき手

2009年10月28日 | Bloomingtonにて
娘が1歳を越え、いろいろなことができるようになってきました。ずっと興味を持っていたのが、「きき手はどっちだ」ということでした。食べ物を出すと、左手で食べ始める。ボールも左手で投げることもあるし、左利きかと思ってると、右手も使う。知り合いからは「まだもうちょっと先にならないと分からないよ」といわれていたのですが、つい最近、「どうやら右利きらしい」ことが明らかに。

写真のようなお絵かきボードをもらったのですが、ここのところ、ペンを握ることを真似て覚えだしました。で、ペンを持つのは必ず右。左ということは決してありません。ちなみに、真似行動は、10ヶ月くらいからぼちぼち出だして、12ヶ月のころにはもう全開でした。写真は、そのボードを使って私が最初に書いた娘の似顔絵。テキトーーに描いたわりには(だからこそか)、似てます。

生まれる前はデータでも少しは取ろうか、と思っていましたが、実際にはそれどころではないことが分かりました。レコーダを口の近くに持って行こうものならいたずらし出すし、口に入れて壊しかねない。そもそもそんなことしてるくらいなら遊んでやらないと、ぶーぶー言うし。もっとも、そもそもアメリカでは自身の家族を使った研究には、決して許可が下りないそうです。断る、という選択の自由が保証されないから。だから、どのみちどんなに素晴らしい結果が出ても、論文等にはできません。

なのにあなたはアメリカへ来るの

2009年10月24日 | Indiana大学
先週の月曜日、楽しみにしていたイベントがありました。会場は1100人以上が収容できる、キャンパス内でも最も立派な、Auditorium。ゲストは生物学者のリチャード・ドーキンス氏でした。

インディアナ大学では、毎学期テーマを決めて、招待講演、ビデオ上映、展覧会などを催すのですが、今学期はダーウィン生誕200周年ということで、進化がテーマ。ドーキンスさんも、新著の宣伝もかねてアメリカの大学をあちこち回っている最中で、来てもらったようです。

「ノーベル賞おめでとうございます(この日がOstrom教授の経済学賞の発表でした)」から始めたドーキンスさん、講演は早々切り上げて、長々質疑応答の時間を取りました。「ボクはアメリカ以上に進化論を受け入れない人の多い、トルコからの留学生です。そんな国の無神論者としてどうしたらいいでしょう」というマジメなものから「よー、こんちわ」と軽いノリから入って、「進化論の教育に聖書に書かれている内容を役立てることはできないの?」というちょっとフザケタ(真剣かもしれません)質問までいろいろ。ドーキンスさんもときにユーモアたっぷりに、たいていは大真面目に回答してました。

しばしば拍手が沸きあがり、最後はスタンディングオベーション、講演後は著書のサイン待ち、出待ち、と歓迎するむきが多数。アメリカの無神論活動をサポートする学生グループ、「神などなくても善良に生きられる」という広告をバスに出す活動をするグループ(知り合いの教授がやってました)などがブースを出していて、「こういう人もやっぱりいるんだ」と知ったのも面白い機会でした。少し話してみましたが、「アメリカで無神論者でいるのは容易なことじゃない」ということのようです。

私はドーキンス氏の主張にほぼ全面的に賛成ですが、それは私自身が根っからの無神論者だからで、いってみれば、彼に言われるまでもなくそう思ってきた、というだけ。そんな、もともと同じ考えの人間が共鳴して講演に来たとしても、多数派であるキリスト教徒に届くとは、あまり思えません。

なのに彼はなぜわざわざアメリカに来るのか、私なら「割に合わん」と諦めるに違いない。質問に対する答えから判断するに、「『地獄に落ちる』など、恐怖心に訴えて自分の信ずるところを子供に押し付けるのは、虐待である」と思っていることが、この活動を続ける使命感を支える一要因のようです。立派、という気もするし、余計なお世話かもしれないし、空しい努力かもしれない。でも、真剣、本気であることは分かったし、茶化すとか、揶揄するとかいう気にはなりません。

信者がみんな子供をいわば「洗脳」している、とも思いません。ただ、後日行われた討論会で、ある牧師さんが「神がなくても我々は善良でいられるかもしれないが、神がなくては我々は救われない」と言ったそうで、それは脅しに近くありませんか、と思わなくもない。私の答えは「誰も救われたりしねーよ」ですが。こんな自分についても、どうしてアメリカに来たのか、たまに自問自答します。教育・研究の水準だけが問題だったからですが、実際には、ここまで自分たちによくしてくれた人たちのほとんどはキリスト教徒(それもけっこう敬虔な)で、ちょっとフクザツです。

日本へ行ってらっしゃい

2009年10月23日 | Indiana大学
今年春、聴講した統計の授業(時系列分析)で知り合った中国人の学生がいます。彼、顧くんはMusic Informaticsという新しい分野の学生で、数学、情報科学に強く、うらやましいくらい頭がいい。今学期、また聴講している統計の授業(統計学習)でまた彼といっしょになったのですが、先日、ちょっと頼まれごとをしました。

前から話しは聞いていましたが、彼は学会で初めて日本に行くことになりました。場所は神戸。で、頼みはというと・・・ 彼は日本の会社(Kenwood)のデジタルレコーダをわざわざ日本に注文して買っていて、ところが最近そのディスプレーを誤って割ってしまった。修理できるのは日本のサービスセンターしかない、学会に行く機会を利用して、大阪のサービスセンターに行きたい。でも、修理は可能なのか、滞在する9日間のうちに直してもらえるのか、料金の予想は、等等、事前に確認しておきたいことがいっぱい。日本語も少しはできるけど、そんな細かい内容は無理。

ということで頼みは「代わりに電話をかけて掛け合ってくれ」ということでした。そんなワケで、日本が営業時間中の、夜9時(日本は午前10時)に、彼の家からスカイプ電話で大阪にコール。結果はというと、事情を理解してくれて、何とか迅速に対応できるようにしますよ、ととても親切な返事。行ける予定の日と名前を伝えると、事情を理解した人間が待機するよ、とのこと。

彼は、この9日間の滞在のためにビザが必要で、学会の招待状を提出して、無事取得できたとのこと。「英語ができる人は空港とホテル以外にはあんまりいないと思うけど、日本人のホスピタリティは信頼してくれて大丈夫」と送り出しました。今日、旅立ったはず。首尾よく目的を達成して、楽しんで帰ってきてほしいです。

212F

2009年10月21日 | Indiana大学
一つ前の記事で、「アメリカ人は水の沸点を知らないらしい」と書いたのですが・・・ どうやら違うようでした。

4人に聞いて誰も知らなかったので、打ち切ったのが誤り。その後、学期も本格的に始まり、身近な大学院生に聞いてみると、全員知ってました。わが師匠に至っては「気圧によって変わりますけどね」とご丁寧に付け加えてくれたほど。理科で、小学校当たりで習うそうです。だから、忘れなかった人は知ってます。知ってる人と知らない人が半々だとして、4人連続知らない確率は6.25%( = 0.5^4)なので、低いと思うんですが、たぶん偶然じゃないでしょう。ランダムサンプリングじゃないから(前半一般人、後半大学院生)。判断が甘かった。

先日、またもう一人、言語学科の院生と話していて聞いてみると、やっぱり知っていて、さらに「華氏の由来」を話してくれました。曰く、

あの単位を発明した人はセールスマンで、自分の発明した温度計を売って一儲けするため、新しい温度の単位を考えようと思った。その時、彼はちょうど32歳で、それを水の沸点に決めた。で、切りのいい数字、360度の半分の180を足した、212度を、水の沸点にして、あとは等分して温度の単位を作った。

というのです。小学校かなんかでそう聞いた、との話ですが、Wikipediaを見るとぜんぜんちがう(もっと科学的な)由来が書いてあります。だれがそんなヨタ話を・・・

ということで、またウソを書いてしまいました。デタラメだらけのブログになってるのでは。