時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

三重調査1 亀山

2014年09月04日 | ことば
今年から担当している演習の授業で、学生と企画した言語調査が開始。初日の今日は三重県亀山市で。学生たちはもちろん初めて、音声関連の調査ばかりしてきた私にとっても久しぶりの総合的な調査でしたが、話者のお二方がたいへん好意的にこちらの意を汲みとり、鋭敏に回答してくださったおかげで、またこちらの準備もそれなりだったようで、予想もしないほど順調に終了。

亀山といえば、もちろん、大言語学者、服部四郎の故郷、生家はこの写真(城のお堀だったと思われます)のさらにむこうの、旧東海道に沿った地区にあったらしい。



最初の話者になっていただいた、「教育研究室」所属の先生に教えていただいたのですが、亀山市史は全編がWeb公開されていて、「民俗編 11 口頭伝承」に含まれる「方言」のページで、ネイティブ話者の録音資料が聞けます(こちら)。すばらしい。ここの内容をじゅうぶんに消化した上でご訪問すべきで、反省させられました。

大島・吉海地区

2014年08月29日 | ことば
昨日はやはり今治市に所属する大島の南、吉海地区の方に教えていただきました。こちらは大きい島で、人口7000人もあるとのこと。しまなみ海道ができて今治駅からバスで行けるので、島だという感じがまるでしません。



出発前、今治駅近くで食事をしたところ、そこの主人(女性)が客に話しかけるタイプらしく、
「ご旅行ですか?」
「いえ、ことばの調査です。今日は大島に行きます。」
「ことばの...調査...」
と、不思議そうなようす、で、しばらく経って、
「それは...お仕事ですか? 趣味...ですか?

つとめて平静に「あ、仕事です~」と答えましたが、やっぱり不思議そうなようす。言語調査が仕事になる、というのがどうも理解しがたい、ということか、心中「実際、趣味みたいなものかもしれないですけどね...」と。

いっぽう、調査ではいきなり「方言を研究しているということですが、金田一春彦という人はご存知ですか」と尋ねられ、いちおう孫弟子にあたること(2回しか話したことがないけど...)、その人が開発したリストに従って、他の地域と比較する研究をしていることなどをお話して、珍しく「こんなこと調べて何になる?」という反応なしに、調査に入ることができました。

上の写真にあるとおり、山が島の南北を分けていて、村上水軍で知られた宮窪地区とは、あまり交流がなかった、そのせいもあって、ことばも違うという意識がある、とのこと。ニューギニア島に似た、と言ったらおおげさでしょうが、ひとつの島の中にも、あるていど集団と言語の分断が存在した、ということのようです。

大下島

2014年08月28日 | ことば
月曜日から、愛媛県今治に滞在して、言語調査をしています。昨日は、現在は今治市、元は関前村の大下島へ。写真の古い灯台が知られているそうです。地図で見ると小さいけれど、行ってみるとそうでもない。日本は広いな、と調査に来るたびに思わされます。



「涼しい」という理由で話者の方が指定してくださった、港からすぐの郵便局内(兼船待ち場)で調査。下の写真右側の背の低い建物。左脇に赤いポストがあります。ここのベンチに並んで座って録音という、初めての経験でした。



調査を終えて帰りの船を待つ間、郵便局長・兼住職・兼船着場のお世話...という、島で唯一30代の方のお話をゆっくりうかがえました(次に若いのは60代とか)。現時点でお住まいの方は80人程度で、おそらく自分が生きているうちにこの島も無人島になるだろう。この島は生業が漁業ではなく柑橘類を中心とした農業だが、これがダメになったわけではなく、高級品に絞って上手に経営すれば、十分な採算性はあり、それに適したこの島の環境で培われた知識が、後継者がいないために失われてしまうのは残念なこと、とのお話でした。危機言語・方言については、Nettle/RomaineのVanishing Voices等々の本にもあるとおり、言語知識が、その環境・風土に適応して特殊化した生活知識と一体化している部分があって、言語の絶滅により両者がともに失われる、と言われますが、ここも、そういうケースになってしまうのかもしれません。

灯台から降りてくる途中、岩場に降りて、鎌でカチカチと何か掘ってる人を見つけて、話しかけてみました。「岩ガキを取ってるんだ」とのことで、80歳というおじいさん、私がよろよろと歩く岩場を、すいすいと進んで、「あっちでタコを取っている(たぶんタコ壺で)」というご友人のほうへ去っていきました。生業としては漁業をしている人は一人もいないものの、みんな海とは子供のころから親しんできた、ということのようです。



話者のお一人は、この島でずっと農業をやっていた方でしたが、関前村(岡村島、大下島、小大下島)の人以外と対話する機会はほとんどないとのことです。ここは、四国本島側の今治市域と違って、いわゆる京阪アクセントではないようですが、その(地域的にみたときの)特異性の維持には、この交流の少なさも影響しているかもしれません。

連濁してない!?

2014年02月18日 | ことば
公民館で借りてきた絵本、娘は好きで何度も読んでいますが、先日、その本の表紙をながめて「あれ?」と。

 「これ、『おでんざむらい』だと思ってたけど、『おでんさむらい』なんだね!」

もしかして「おでん」+「さむらい」だから、連濁して「ざむらい」になる、という意識があって、それに対する違反、というか例外を見つけて驚いた、ということ???

と、いったん思いましたが、そもそも彼女はこの本を自分で読んでいたわけではなく、おかあさんに読んでもらっていました。で、そのお母さんは、勝手に自分の連濁意識を適応して、文字を無視して「おでんざむらい」と読んでいた(得意業)。それで娘も「おでんざむらい」だろうと思い込んでいた、ということに間違いありません。

そろそろ連濁規則(なんてものが本当にあるとして)習得が進んでもいい年齢のようですが、今回の件はそれを証明するものではなさそうです。

「最悪の歌」と日本のAET

2014年02月13日 | ことば
NPRの all songs consideredThe Worst Song of All Time? という記事を発見(非常に重いページなので要注意).面白かったので少し紹介します.

無名の曲を取り上げてもきりがないし,意味もないということで,挙がっているのは時代を超えて一定の評価を得た曲ばかり.ゲストとの世代の一致もあって,知ってる曲が多い.選曲の基準の一つが earworm つまり,あまりに何度も聞かされ過ぎてうんざりということ.一例が We Built This City (Starship).この曲は,ゲストの一人Thompsonさんのブログ読者が挙げたもので,当時,完全に終わっていたロックのエッセンスを詰め込んだという意味でも最悪,という評価.それから, It's a Small World (Disneyの) . 今ちょうど,娘が幼稚園で歌ってるらしい.個人的にDisney Worldのあのアトラクションも,この曲のメッセージも...と思っているので,大いに賛成.

それから、成功したミュージシャンが、リスナーの意識とかけ離れた内容を歌ったり,大げさ、あるいは尊大な曲を作ってしまった場合。その一つが,出ました We Are the World (USA for Africa).ゲストの一人が,ついでに英国のミュージシャンによる先駆 Do They Know It's Christmas? (Band Aid) を挙げて「クリスチャンでもない人にまでこういうこと言うか?(曲はマシだけど)」と.アメリカ人ですらこう思うようです.

さらに面白かったのが,個人的にうんざりな思い出と結びついてしまったというパターンで,Robin Hiltonという方の Ob-La-Di, Ob-La-Da (The Beatles) の場合,日本で英語教師をしていたとき,授業ごとに歌うことになり,3年間にわたって4, 5回,毎日歌うハメになったと.そのときの授業風景の録音まで番組内で流されたのですが,そんな個人的な,かつ本筋とあまり関係ない話題の音声クリップをわざわざ挿入するほど面白い(珍妙だ)と思われたようです.

その部分を含むHiltonさんの Big In Japan というラジオ番組 も見つかりました.30分ほどの番組で,日本の学校がネイティブを英語教育に生かす準備が全くできていなかったことが端的に示されています.その3年間(1996-1999年)の日本の英語教育経験で彼が感じた,彼に求められていた役割の描写が非常に興味深く,これもNPRの番組で使われています.その部分を書き起こします。

The school didn't really want me to teach English. They already had a perfectly fine Japanese person for that. It appeared I was purely cosmetic. I was something for the students to stare at so they could see what a real American look like. I felt like a specimen, a novelty, a side show, entertainer.

それから15年,英語の学習開始年齢も早くなってるらしいし(たとえばこれ)、娘の幼稚園にも月一回(学期に一回?)英語ネイティブが来るようですが,現状の英語教員の位置づけが上記からどのていど変わってるのでしょう.

先日終わった2013年度秋学期の「ことばと社会」という授業の後半で,言語のGlobalizationに伴う変化について考えました.読んだ文献によると(たとえばこれ),英語が世界共通言語になるとして,それにしたがって必然的に,いわゆるネイティブの特権的地位は剥奪され,むしろ言語にも文化間コミュニケーションにも堪能なバイリンガルの価値が上がるという予測があります.Hiltonさんが経験したことも,英語教育の牧歌的な時代の記憶にすぎない,ということになるのかもしれません.

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蛇足を承知ながら(といってもこのブログ全体がそもそも),最悪の曲・日本語版を,思いつきで5つ.NPR以上に古い!

山下達郎 クリスマス・イブ 山下達郎は好きなんですが,耳タコということより,これはそもそも彼としては駄作だと.

SMAP 世界に一つだけの花 SMAPにはいい曲も多いと思うけど.

尾崎亜美 オリビアを聴きながら この方の芸風だけれど,自己陶酔の極み.高校のとき,これを必ず歌う女性Duoがいました.

Dreams Come True Love Love Love 大ヒットドラマを切り離して聴けば明らかだと.

尾崎豊 卒業 個人的に,「キミのような人がこれを(しかも入り込んで)歌うか」というのを聞かされた経験もあって.
  
気を悪くなさった方がいたら申し訳ありません.たんに個人の趣味ということで,どうぞご容赦ください...

Speech Jammer 試作品

2014年01月03日 | ことば
以前、「話をやめない人の発話を邪魔する」装置、Speech Jammarのニュースを見つけて、「ほしいなあ」と言う記事を書いたのですが、その年、開発した研究者の方がイグ・ノーベル賞を取りました

おととい記事にした Rhett & Link のビデオを、昨日も見ていたら、この装置のことを取り上げた回がありました。"How to make someone sound like an idiot" という回で、その年のイグ・ノーベル賞発表を承けて作ったものですが、二人がスポットを当てたのは Speech Jammer。

面白いのは、Rhettがこの装置と同じ効果を生じさせられるシステムを自作してテストした場面。Rhettの説明によると、マイクから入ってくる音声にディレイを発生させ、原音をミュートし、密閉ヘッドホンでディレイのほうだけを大きい音で聞かせる、というもの。相棒の Link がこれを装着して「好みのアイスクリーム」について語ると、さっそくドモリ、もつれ、乱れまくり。Rhett 爆笑。Rhettもやってみますが、もっとめちゃくちゃ。自主隔離の2Fで、一人爆笑しました。

iPhoneか何かで使えるアプリケーションが早くも開発・頒布されているようですが、これも Rhett の試作品同様、ヘッドホンを使うらしい。話している人に接触することなく、その人に向けるだけ、というオリジナルのような装置でないと、「話をやめない人の発話生成を乱して、自覚させる」という開発の目的には使えないので、これは本当にお遊びですね。

稲刈り 3連休その1

2013年09月24日 | ことば
3連休初日の土曜日は、ぎふ生協主催、JA実施の稲刈りイベントに参加。恵那市のこの田んぼは5月の田植え体験イベントでも訪れたところ。私と、もちろん娘は米作り初体験。田植えは、どろどろの土の中に素足で入る感触にハマル人と、それがダメな人に分かれるそうですが、私は前者。またやりたい。8月にはこの田んぼに住む虫の観察会でしたが、娘は(他の子同様)、カエル捕獲に夢中。この日はいよいよ、うちが植えた二列を中心に刈り取り。娘も、田植えのときも教えてくれたJAのお兄ちゃんに助けてもらって鎌を使いました。生産者やJAの人と話ができるのも面白くて、日本人以外にも参加してもらえないものかと。


その後の昼食会、いままではお米クイズ、虫クイズなどのマジメなイベントつきでしたが、今回は岐阜産米をPRするためのキャラクターとお姉さん二人が登場。このゆるキャラ(?)、写真のとおり名前は「ぎふマイの里」(四股名)。司会のお姉さんに指名されてステージに引っ張り出され、照れつつ踊る娘。

鏡文字と鏡に映った文字

2013年09月19日 | ことば
鏡文字最盛期だったころ、写真のTシャツを着ていた娘と歯磨きをしていたら、洗面所の鏡に映った文字を「ち・び・は・げ」と声に出して読みました。文字をある程度覚えて、目にした文字を読んでみたがる時期で、読むのはまだたどたどしかった(今でもスムーズとはいえない)にもかかわらず、左右逆の「ち」や「は」が読みにくくて混乱する私と違って、鏡文字をあまり苦にするようすなし。

鏡に映したとき目に入ってくるのは、実は左右ではなく奥行きが逆になった像で、それを人間(の脳)が経験して知っている世界に合致するよう解釈した結果、左右逆という結論に至る、というようなことらしいのですが、未だにそのリクツを把握できないでいます。

娘にはそういった知覚システムがまだ確立していなかったので、鏡に映った「ちびはげ」はわれわれと違って左右逆とは知覚されず、だからわりと容易に読めたのでしょうか。昨日の記事のように、われわれから見たら左右逆の文字を書いても、おかしいとは思わないようす。だとするとむしろ、大人が使う文字も、それを左右逆にしたものも「同じもの」と知覚できるような、(大人から見れば)なにやらとても融通の利く状況にあるのかも。

最近は、鏡文字も減り、手紙を書いても便せんの中を縦横無尽にくねくね、あるいはぐるぐると書き進んでいくこともなくなり、一定の方向に書くようになってきました。われわれが常に従っている慣習を意に介さない柔軟さ(?)がうらやましく思えるほどだったので、ちょっと残念。音声知覚の発達などで言われているのと同様、文字についても人は、発達の過程である能力を捨てることによって、大人と同じ、人間社会でうまく機能する認知を手に入れる、ということなのかもしれません。

鏡文字

2013年09月18日 | ことば
多治見市にある三の倉市民の森地球村という自然体験施設で娘が作ったキーホルダー。木に焼きごてで「おとうさん」と書いたのだけれど、少なくとも「と・さ」は左右が逆。これは三ヶ月ほど前に作ったもので、そのころはまだ鏡文字最盛期。間違いを指摘したり、直したりぜんぜんしなかったのに、それでも勝手に習得するようで、最近はほとんどみんな正しい。もうじきに、頼んでもこんなふうに書いてくれなくなる(というか、書けなくなる)でしょう。

おかあさん、あとでね

2013年01月20日 | ことば
昨日(土曜日)の朝、娘のパズル遊びに嫁さんと二人でつきあっていると、おとなりの、もうすぐ6歳のおねえちゃん「ことちゃん」が顔を見せたので、彼女が大好きな娘は、さっそく家を飛び出して行きました。

昨日は、市の福祉センターというところで、こどもたちが中心に企画・運営する「こどもスタッフまつり」があり、それに行こうという話になっていたのですが、じゃあことちゃんもいっしょに、と嫁さんは彼女のお母さんに電話で相談。そうしてる間に、娘はちゃっかりお宅に上がりこんだもよう。話がまとまり、準備ができ次第いっしょに出かけることになったので、その事情を説明するために、娘を電話口に呼び出してもらったところ、

「ああ、おかあさん、何か用?」

予定を話すと、

「うん、わかった。じゃあ、一度切るね。」

と言い残し、遊びに戻ったそうです。親(か誰か)の真似をしているだけとはいえ、こちらが聞き慣れたのに比べてぐっと大人びた話しぶり。ここまで順調に成長してきた彼女ですが、その一つ一つの段階については、それぞれ時間をかけて、ゆっくりと変わってきた、という印象。でも、この半年くらいは変化の速さに目を見張らされることが多くなってきました。親と自分中心の世界から、友達と自分中心の世界へと移行していくことはいずれ間違ありませんが、その兆候をこんなにも早く見せられるとは。

お母さんと結婚する、と言っていた彼女(この記事)も、結婚とは一般的には男女がするものだと気づいたらしく、ここ数ヶ月、ついに「お父さんと結婚する」と言ってくれるようになりました(16歳になったらしてくれるそうです)。でも、昨日の一件などを見るに、この昇格期間はかなり早く終わることが確実のようです。

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「新年の抱負」(一つ前の記事)は、たった3日(!)で挫折。とっっっっっても嫌なことがあったもので... NPRの記事のNorcross博士のアドバイスどおり、方針を見直し、修正した抱負を継続中。