時々雑録

ペース落ちてます。ぼちぼちと更新するので、気が向いたらどうぞ。
いちおう、音声学のことが中心のはず。

第三世代で決心

2011年05月24日 | 
思い出せる限り、私は商品の第一世代を買って所有したことはなかったと思います。数世代を経て生き残り、改良が進み、価格も下がってきてやっと、それでも慎重に考えて買う(またはやめる)という感じ。たんに買うお金がないから、ということもありますが、道具そのものに興味があり、それを使ってみる、所有してみることに楽しみを見出すタイプではなく、むしろ、自分がやりたいことが明確にあって、それに必要だと判断しない限り、できるだけモノを所有したくない、ということもあります。

ですが今回、電子ブックリーダを持ってみることにしました。本日到着。買ったのはAmazon kindleの第三世代、3G、6インチ版(=15.24cm、スクリーンの対角の長さ)。値段は189ドル(現在のレートでだいたい¥15,500)。理由は、ようやく英語で本が速く読めるようになったのでいろいろ読みたいけれど、もう置く場所がない。むしろ捨てねばならぬくらいで、紙の本を増やすのは不可能。移動中に読みたい。とくに仕事のため、検索機能等を使いたいので電子ブックに切り替えたい。本を買うとき輸送がないので早く手に入る、ちょっと安い、ちょっとエコ、など。

届いたものを開けてみた最初の印象は「小さい!」。約250gと、重さも大きさも新書程度でしょうか。文庫本と並べてた写真を載せました。論文のリーダとして使わないのだからと、大きいサイズ(対角9インチ)のKindle DXにしなかったのですが、正解だったように思います。カーソルを合わせると辞書項目(Oxford)が開くのは、めちゃくちゃ便利。文字も読みやすいし、目が疲れなそう。ページの切り替えが遅いなんて評価もあったけど、じゅうぶん速いと思うなあ。とりあえず大満足。

PDFにハイライトやコメントをつける機能がないので、電子化された論文を読むのには使えないことを承知で買ったのですが、電子出版される各分野の専門書は現時点でもかなりあり、今後も増えそう。これを使って読めるもの、読みたいものはいくらでもあります。

買うかどうか決定するに当たって調べたところ、iPadと比較する試みがちらほら。でも、多くの人が指摘するとおり、両者は全く違うニッチを狙ったものではないでしょうか。去年日本で、iPadを手にする機会がありました。多機能なのでしょうが、われわれ研究者にとってノートパソコンの代わりにはならない。読書用に携帯し、取り出すには重すぎ、大きすぎ。さすがはAppleで、所有したくなる魅力はあるようにも見えるけど、私には中途半端な製品だと思いました。iPadが優勢なのは、齋藤美奈子さんが『趣味は読書』の序文で述べていたとおり、世の大勢が「読書をしない人」たちだからでは。Amazonはあんなもんに対抗しないでほしい。少なくとも今のKindleの、読書に特化した路線は必ず維持してほしいです。

紙の質感は捨てがたいとか、カラーが出ないとか、パラパラとめくって面白そうなところを探すことができない(できるのかな? まだ不明)とか、難癖を付けようと思えば付けられる点はまだ多いかも。でも、今後、書物が電子リーダで読まれる傾向に歯止めがかかることは考えられないので、Kindle等、電子リーダの開発競争は続き、改善は急速に進み、今の抵抗感もいつの間にか忘れ去られるでしょう(一部のダイハードを除き)。そこで適切な判断をするためにも、使ってみるタイミングになった、と判断しました。 ......まあ、つまりは、こうやって、ぐぢぐぢ理由付けをしないと決心できないということなのですが。

さっそく、最初の図書購入をやってみました。私は前から読みたかったダーウィンのOn the origin of species(これはタダ)。序章を読みましたが、150年も前に書かれたにしては英語に違和感がなくて、読みやすい。嫁さんはレイチェル・カーソンのThe sense of wonder。日本語を読むために使うことは全く考えていませんでしたが、「青空キンドル」というサイトで青空文庫をKindle用のPDFにできるとのこと(このサイトの開発・維持をなさってる方々、素晴らしい!!)。そこで娘には、これを使ってアンデルセンの「おやゆび姫」。朗読したら、じっと聞き入っていました。今の彼女にはちょっと長いと思って途中で打ち切りましたが、遠からず前文朗読して聞かせられるかもしれません。

EPSファイル問題解決!

2011年05月24日 | 
Rで作成した研究関連の図は.epsファイルで保存しています。ファイルサイズも小さく、論文等に貼り付けたときにも画質の劣化がなくていいのですが、論文を書くときなどに図を眺めてあれこれ考えたいとき、この.epsファイルを何で開くかが問題でした。いままではAdobe Illustratorで開けてましたが、これはうんと凝ったことをやるためのsソフトウェアだから当然とても重くて、たんに.epsファイルを開いて眺めるだけというときに、わざわざ一つ一つ.epsファイルを立ち上げるのは煩雑だし、時間もかかって困ります。

今日、あれこれと調べた結果、いい対策がありました。XnViewというソフトにGhostscriptという変換プログラムを組み合わせて使う、というものです。上の画像がXnViewの画面。上のウィンドウのサムネイルを送っていけば、下のウィンドウにそのプレビューが表示されます。.jpegファイルを、たとえばOffice Picture Managerなどで開いたときのように、あるフォルダ内の画像ファイルをページをめくるように次々見られます。

XnView → http://www.xnview.com/en/index.html

Ghostscript → http://pages.cs.wisc.edu/~ghost/

この情報は、「Kenの我楽多館blog館」というサイトでいただきました。そこでは、別のソフト、たとえばLinarというビューアが便利だとあったのですが、これは日本語で開発されたソフトらしく、試してみたところ、アメリカで買った手持ちのパソコンでは、メニューが文字化けして使えません。この問題はあらゆる日本語ソフトウェアに起こります。きっと対策はあるのでしょうが、たとえば、Rの日本語表示はまだ完全ではないとも聞きます。どうせたいていの重要なソフトウェアのアップデートも英語版からなのだから、覚悟を決めて英語で使う方がいい、と思っています。

というわけで、.epsファイルの問題が解決して大助かり! 今後の作業がもうちょっとスムーズになりそうです。

藍を植える

2011年05月23日 | Bloomingtonにて
先週の土曜日はいい天気、知り合いの染物アーティストにしてインディアナ大の先生、リケッツさんが染料のための藍を植えるのを手伝わせてもらいました。場所はインディアナ大の園芸用庭園、Hiltop Gardenの一角。芸術学科の学生、日本語教室に来ているお子さんたち(と親)など総勢20名ほどが参加。藍の苗は「雑草みたいなものでどんどん生える」とのことで、耕した畑に引いた溝に沿ってただひょいと寝かせて、無造作に土をかぶせるだけ。ていねいに土で支えて立たせる必要なし、とのこと。ただし、根が乾くとダメなのでしっかり土をかけてちょっと踏んでやる必要あり。

子供たちは苗を植えるのも楽しんだのですが、もっと人気だったのはマルチング用の木のチップを台車で運ぶのと(大きい子は押したい、小さい子は乗りたい)、スプリンクラー。うちの娘は全身びしょぬれになるまで遊びました。さらに、写真のようにあちこちから木屑や養蜂用(?)のボックスを拾ってきて、なにやら抽象芸術をみんなで作成。とこうするうち、2時間ちょっとで終了。これでたびたび刈り入れれば、夏過ぎまでで、一年分の染料が採れるそうです。彼は徳島でちゃんと修業をしてきた方なので、最も手間のかかる、でもいちばんいい色の出る方法でやるはず。

リケッツさんのウェブサイト → http://www.rickettsindigo.com/

お昼をちょっと回ったのでこの日は外食。ダウンタウンにあるイスラエル料理のレストラン、Falafelsに。食べたのは以下の写真のもの。いちばん大きい皿は、あぶった鶏(Shawarma)とファラフェルがメインで添えてあるのはクスクスとヒヨコマメ等の煮込み。隣は牛肉のケバブのサンドイッチ。でも一番美味しかったのがもう一つの皿のMamaganush。薄切りのナスをソテーしてフェタチーズに巻いたものです。6本なので3人で2本ずつ分けましたが、娘はもっとよこせと泣いたほど(ちょっとあげました)。Bloomingtonはこういう食材がふつうに手に入るので、ウチでもやってみようと思います。

メニュー → http://www.falafelsonline.com/Falafels/Menu.html


Doing Bayesian Data Analysis 読書録9

2011年05月15日 | ことば
前から紹介したいと思っていた本、読んだのはずっと前です。
John K. Kruschke
Doing Bayesian Data Analysis: A Tutorial with R and BUGS.
2011. Academic Press

これは、インディアナ大心理学科(大学院)で2007年の秋学期から開講されている、Bayesian Data Analysis I & IIという二学期一続きの授業の教科書で、担当者のJohn Kruschke教授は、この授業を繰り返しながらこの本を執筆・改稿、去年ついに出版となりました。私は2007年秋・2008年春と受講し、2009年春にもう一度IIを聴講させてもらいました。当時の受講者は、草稿をPDFで配布してもらいました。

この本の特徴は、ユーザーフレンドリーなところでしょう。表紙のデザインも、「難しくないよ」とアピールしたくて、こうしたそうです(3匹の子犬の名はPrior、Likelihood、Posteriorとのこと)。理論的解説や、MCMCサンプリング等、手法の解説も十分ていねいだと思いますが、専門的で難解な部分に陥りすぎず、数学がやたらに強くなくても理解可能です。さらに素晴らしいのは、全ての章にたくさんの練習問題があり、その分析を実行するためのプログラムが収録されていることです。タイトルにあるように、統計プログラミング言語Rに、WinBUGSのR用パッケージ、BRugsをインストールして使います。ちょっと手を加えれば本格的な研究目的に使える、非常に強力なプログラム群です。

具体的な内容は以下のリンクから。ベイズ定理から入って、MCMC法等の解説、モデル比較、階層モデル、さまざまな一般化線形モデル、ノンパラメトリック統計への応用例、パワーアナリシスと、一冊としてはかなり広くカバーしていて、理論と実践のバランスがとてもいいと思います。

http://www.indiana.edu/~kruschke/DoingBayesianDataAnalysis/

われわれはこの本の練習問題を必死で解き、毎週の提出に何とか間に合わせたのですが、Kruschke先生も、受講者専用の掲示板を使って、毎回、夜遅くまで質問に答えてくれました。このやりとりを通じて「この練習問題のここは難しすぎた」等の問題点を発見し、この本を改稿したようです。だから、この本はもちろん先生個人の著作ですが、同時にわれわれ受講生の汗と涙(?)の結晶でもあります。

私はこの授業ではじめてRに触れました。プログラミングなど自分にはとても、と思って近づかないでいたのですが、この授業でしごかれたのをきっかけに、今はあらゆるデータ処理にRを使うようになりました。幸い自分のプロジェクトにKruschke先生が参加して、いっしょにロジスティック回帰+ANOVAのプログラムを開発してくれたこともあり、さらに実践的訓練を積み、自分の研究のデータ分析にもベイズ統計が使えるようになりました。今書いている博士論文も、可能な限りすべてベイズ統計にしています。そんなわけで、個人的にも思い出深い一冊ですが、内容もほんとうに素晴らしいので、英語が苦にならなければ(読みやすい英語です)、強くお奨めします。

INDIANAがトップ記事

2011年05月13日 | Bloomingtonにて
先日、NPRのトップページに「Indiana」という文字を見つけました。インディアナは経済的にも文化的にもたいして目立たない平凡な州なので、こういう全国版のメディアでトップ記事とは珍しい。NY Timesでも記事になってました。

http://www.npr.org/2011/05/11/136194223/ind-gov-daniels-cuts-funds-to-planned-parenthood

読んでみると、インディアナ州が全国のトップを切って、Planned Parenthood Federationという組織への補助金をカットする決定をした、というものでした。この記事でこの団体の存在をはじめて知ったので、誤解があるかもしれませんが、Tech.insightというサイトの記事によれば「貧困などのため健康保険が受けられない人などを対象に、全米800箇所以上に設けられた拠点で、人工妊娠中絶やバースコントロールピルの処方、性病検査、がん検診や乳房スクリーニングなどを行っている」のだそうです。

NPRによれば、この施策の狙いの一つは、中絶に対する制限を強めたことをアピールすることらしいです。州知事のMitch Daniels氏は共和党の大統領予備選出馬を考慮中で、保守層に対する印象をよくしたい意図があるのだろう、とのこと。生命尊重(Pro-lifeというらしい)の立場の強化を、全米中でもいち早く打ち出した州だと。

この団体の活動は中絶だけでなく多岐にわたるし、大事なことに思えます。中絶を制限するのなら、そういう状況を生む背景にも目を向け、対策が打たれるべきだと思うのですが、ただ女性への援助だけ打ち切るようなことになるのだとしたら、適切さを欠くのでは。こういう施策が、大統領選挙へ向けての点数稼ぎになるとは、時代に逆行した話に聞こえます。日本では報道されてないようです。まあ、関係ないかもしれないけど、関心持ってもらいたい気もします。

伝道の「技術」について思ったこと

2011年05月11日 | Bloomingtonにて
昨日、お昼ご飯のあと、家のドアを叩く音。娘が窓からのぞいたので一緒にのぞくと、ドアの外でにっこり微笑む見知らぬ女性と目が合ってしまいました。

その二人連れの女性は、嫁さんに会いに来たのでした。彼女たちは、日本でもときどきやってくる宗教団体の伝道師で、嫁さんとは近所の公園で話しかけてきて知り合いになりました。こちらに用はなく、早々にお引取り願いたいわけですが、そこはあちらにも技術があり、嫁さんも簡単には打ち切れず、10分くらいはいたでしょう。あとで話を聞いたところ、あちらのアプローチのうち、二つの点が気になりました。

ひとつめが、「あなたに不安はないか、政治に不満はないか」という質問。この活動は、少なくとも建前上は、人々を正しい信仰へと導く、という崇高な目的で行っているのでしょうが、そういう自覚を持って行う活動が、人の苦しみなり悩みなり、弱い部分を糸口にするってのは、なんか納得いきません。こういう活動に一般的なやり方なのでしょうし、古来、そういうふうにしないと、人は耳を貸さなかったのかもしれません。でも、そんなふうにしないと浸透していかないものって、そもそも...

もひとつ。われわれの話について、もっと理解を深める気はないかと問われ、その気はないことを示すため、「最近、禅寺での活動に参加し始めたんです(先日記事にした三心寺。実際、この日の午前中に行った)」と言うと、「仏陀はたんなるStatueよ」という反応だったそうです。

調べてみると、この団体は偶像礼拝に反対の立場。でも、仏陀って悟りを開いた「人」であって、仏像そのものではないっしょ。他の宗教(仏教がそう言えるか分かりませんが)を批判するなら、もうちょっとちゃんと理解してからやった方がいいんじゃないかと。

その他、日本で行われてるのとほぼ同じやり方。こっちがオリジナルで、日本側がそれに従っているのでしょう。以前住んでいたところはほとんど学生ばかりのアパートで、こういう訪問に会うことはありませんでした。「また、お会いできるといいですね」と去って行ったそうです... 

日本祖語の年代 その2 感想

2011年05月07日 | ことば
先日記事にした、Lee & Hasegawa 2011について、感想を記したいと思います。まず問題点から。著者もちゃんと気づいて議論してるのですが。

1. 系統樹の再構が安定してない

図2の一部をコピーして上の画像にしました。このように、日本語族に属する言語・方言が樹状の分岐モデルの最下部のノードにそれぞれ位置づけられるわけですが、MCMC法で得られた9000の系統樹全てがこの分類になるわけではなく、さまざまに違った分類の系統樹もあるワケです。この図に沿えられた数字は、論文内で"percentage support for the following node"と呼ばれてるもので、おそらく「このノードに、以下の方言が含まれたのは9000の系統樹サンプルのうち何%か」ということだと思います。で、この数字が高くならないところがあると。

高いのは、沖縄、九州、(まあ)近畿、(下位区分レベルで)東北、北陸、あたりでしょうか。一方、中部、関東はあまりよくない。神奈川と千葉が他の関東方言と分かれて北陸3県といっしょになったり、図のように東京と山梨だけが、北海道といっしょになったり。また、数字が入ってないノードがあるんですが、それは上記"percentage support"が50%を割っているもの。これがけっこうあって、つまり同じ樹形図が安定して得られないと。

これは沖縄と違って、本土が地続きで横の伝播があるから、というのが筆者たちの上げる理由の一つ。とすれば、系統樹モデルは適切でないかもしれないのだけど、そこは周到にNeighbor Net分析というものの結果も添えています。本州の各方言の距離が沖縄に比べると近くて、地理的な障壁がないための伝播の影響を考慮すると、本土方言相互の関係はこちらのモデルの方が適切かも、ということだと思います。

2. いくつかの下位区分が疑問

それでもやはり、いくつかの下位分類は従来の方言学による区分に照らして疑問を覚えます。たとえば上記の神奈川・千葉の位置がそうですし、上の画像の中では、本土方言がまず大きく二つに、「北海道・山梨・東京」とそれ以外に分かれる、なおかつこの3つが一グループになるのが91%と比較的安定しているのは妙。これは、上記のNeighbor Netなら解決するというわけでなく、そちらでもやはりこの3方言は上代日本語、中世日本語といちばん近いという結果。でも、上代・中世日本語って、当時の京都方言なんだから...

だから、おそらくモデルではなくてデータにこういう結果を生む要素があるのでしょう。データは同源語(Cognate)のセットですが、音声変化による異動は考慮せず、どんなに形が変わっていてもCognateと認められれば「同源語を共有している(それだけ近い)」となります。これは、語の入れ替えを、遺伝子の突然変異のように、時間の経過とともに生起する確率的過程としてモデル化するわけだから当然の処理ではありますが、言語変化のモデルとしてはいくらか不適切なところがあるかもしれません。

3. 分岐年代が新しすぎる

画像のいちばん左の分岐は、室町時代語とその他との分岐なのですが、これが現在から650年ほど前、南北朝時代に当たります。このモデルを額面どおり受け入れれば、ここで、それと袂を分かったものが、現代本土方言全ての祖形ということになります。でも、たとえば万葉集や、日蓮遺文などに反映される奈良・鎌倉時代の東国方言の存在をわれわれは知っているわけですが、それを示唆するような分岐はこの樹形図のどこにも出て来ません。このことも筆者は指摘しています。たとえば、本土日本語に生じていた多様性が奈良時代の王権成立とともに吸収され、失われたか、のちの世に残らず消えてしまったという可能性を指摘しています。

しかし、これはたんに現代諸言語・方言以外の資料が「奈良時代語」と「室町時代語」(両方とも時代別国語辞典が資料)しかないから、に過ぎない可能性はないでしょうか。分子生物学のばあい、化石からも遺伝子サンプルが採れるようですが、過去の言語の資料はこれに比べるとたいてい貧困です。新しい人類の化石が発見され、その資料を加えた分析が、人類の進化の新たなシナリオを示すように、古代の方言資料が得られたとして、それを加えて分析をしたら、たとえば琉球諸語や八丈方言の位置づけが変わって、大元の分岐の年代も変わる、なんてことはないのでしょうか。まあ、結論が変わるほど大きな変化にはならないのかもしれません。

ともあれ、採られている手法は堅実で、このアプローチで明らかにできることは、かなりやり切ったように見えます(ろくに知らないで言うのもおこがましい話ですが)。

もう一つ、素晴らしいと思ったことについて(基本的にみんな素晴らしいと思うのですが)。この研究では、語彙の置換について4つのモデルを比較しています。ベイズ統計で処理した上で、Bayes Factorを推定して、ベストのモデルを選んでいます。選ばれたのは(1)言語ごとに語の入れ替えのペースが異なる、かつ、(2)時期によって語の入れ替えのペースが早くなったり遅くなったりする、というモデルでした。納得がいく結論ですが、それ以上に、実データの分析によって語彙置換の進行に関するモデルを比較検討できる、というのが魅力的です。このように、手法の詳細もかなり丁寧に説明しているので、非常に勉強になりました。日本語史に関心のある方は必読だと思います。

最後に、気になることをひとつ。前回、朝鮮日報がこの発見を強引に、結びつくはずのない韓国語と結びつけていると紹介しましたが、逆に、日本のメディアが、とりあえず朝読毎のWebを見ましたが、この注目の研究を紹介した気配がありません。Webだからでしょうか。自国民の自尊心をくすぐりたいからか、正しくない取り上げ方をするのも問題ですが、もし日本のメディアが逆にそういう研究にあえてスポットを当てないのだとしたら、それも情けなく思います。

日本祖語はけっこう新しい

2011年05月05日 | ことば
昨日、共同研究をしている心理学科のJohn Kruschke先生が、「これ、興味あるんじゃない」とNY Timesの記事へのリンクを送ってくれました。

http://www.nytimes.com/2011/05/04/science/04language.html

見てみると、おおお、これはえらい話。原論文も読んでみました。

Sean Lee and Toshikazu Hasegawa
Bayesian phylogenetic analysis supports an agricultural origin of Japonic languages
Proceedings of Royal Society, B. doi:10.1098/rspb.2011.0518

日本語族、つまり琉球語と本土日本語の共通祖語の「古さ」を、先日記事にしたDunn他の論文同様、分子生物学の生物種分化の系統樹を導く手法を使って推定した研究でした。目的は、日本祖語が、弥生人到来以前の先住民が持っていたものか、弥生人がもたらしたものか、という問題に対する証拠を得ること。結果、最初の分岐、つまり琉球語と本土日本語との分岐が2200年位前という推定を得たので、日本語は比較的最近、弥生時代に(農耕生活スタイルといっしょに)もたらされ、そこから分岐した、という仮説を支持するということです。

なんでこんなことが証拠になるんじゃ? ということですが、現存する言語の分化の樹形モデルを再構して、最初の分岐点が特定できたら、その大元は、ある小集団の、おおよそ均一な言語だとみなせる。これは、たとえばアフリカにいた人類のうち少人数の集団がどこかへ移住した場合と相似した状況でしょう。アフリカでは類縁の種族が多種いたんだけれども、外に出たのはそのうち一グループなので、いったん種族の多様性は失われて、そこから新たに人口を増やして分岐・拡散する。これと同じで、この日本祖語と類縁の言語はあったんだけど、そのうちの一集団の言語だけがこの時期以降、日本列島で分岐・拡散したと。こういうことが起こるからには、きっとその一集団は移住してきたんだろう、ちょうど、弥生時代の新集団の日本への移住と時期が一致するじゃないか、ということかと。

「更新世から縄文・弥生期にかけての日本人の変遷に関する総合的研究」研究班による最新のシナリオのリンクを下に貼り付けました。このページにある、日本列島への人の流入のルートの図の(7)は、研究班によれば「縄文時代の終わり頃、中国北東部から江南地域にかけて住んでいた人びとの一部が朝鮮半島経由で西日本に渡来し、先住の縄文時代人と一部混血しながら、広く日本列島に拡散した」という人たちで、Lee & Hasegawaの結果が正しければ、この、最も新しい移住者たちが持ってきたのが日本語の祖語、ということになるのでしょうか。

http://research.kahaku.go.jp/department/anth/s-hp/s14.html

この日本人の形成に関する最新のシナリオは、先住民とニューカマーとの混血説をとるわけですが、Lee & Hasegawa論文の結論の裏を返すと、日本語は先住民が持っていた言語ではなかった、ということになります。もし、日本語の基盤=先住民言語説が正しいなら、たとえば、琉球語とか、八丈方言なりとの分岐がかなり早く、最初の分岐点はたとえば1万年前とかになるはずだ、ということでしょう。

ちょっと詳細に入ると、この研究ではタイトルにあるとおり、ベイズ統計が用いられていて、MCMC法で、9000の系統樹サンプルを求めたらしいのですが、正確には、最初の分岐は、現代から4190~1239年前の範囲が推定として信頼性が高いとのことです(95% Highest Posterior Densityの区間)。代表値の2182年前は、推定値の分布が非対称なので、平均値じゃなくて中央値。もし実際の分岐が推定された区間のうち最も新しい方だったら、紀元770年くらい、奈良時代に分化が始まったということになります。

たいへん興味深い成果ですが、受け取る側に勇み足も出そうな気がします。NY Timesの記事でも、なんだか政治的な話に結び付けてるし。もしやと思って、朝鮮日報を見てみると、すぐ見つかりました。

http://www.chosunonline.com/news/20110506000003

上の研究班の記述どおり、(7)の人々の出自は中国というのが有力なわけだし、日本祖語を携えた人々が移住する前にいた地域にあったと思われる「日本語族」の他の言語は、その地がどこであるにせよ、そこでは他の言語に駆逐されてもう消滅している(だから姉妹語が見つからない)、というのがほぼ確実だろうと思うのですが、「東大教授「日本語のルーツは韓国語にあり」」とは、なんと強引な。。。
(追記、この論文の第一著者は院生のSean Leeさんで、実際の仕事も彼主導だったと推測しますが、朝鮮日報の記事は長谷川先生が筆頭。「東大教授のお墨付き!」というのが重要ということもあろうと思いますが、よろしくないと思います)

補助資料も読んでみて、いろいろ書きたいこともあるのですが、長くなったので次回に。